2010年07月11日

神仏は妄想である 300

性的情欲を持たない人間は、まず、いないだろう。そうすると、牧師神学者真面目キリスト教徒の男の、自分はそういう情欲をもって女を見ることなどまったく無縁だ、と思い込んでいる連中が、実際には、自分で意識しようとしないから、かえってそれが嫌らしく露出する。彼らが女を見る目つきのいやらしさは、そこから生じる。自分が意識しようとするまいと、情欲は情欲なのだ。自分はそういうものを持っていないと思い込んでいるから、自分の中に無自覚なままに蓄えたその種の情欲を、屈折して嫌らしく表現することになる。
田川

付け加えれば、欧米の、カトリック司祭には、同性愛が多いから、女には、興味を持たずとも、男子に興味を持つという。
ローマ法王でさえ、司祭の男子に対する、性的虐待で、謝罪したほどである。

さて、マタイが、目を抉り出せと、付け加えたのは、本当に、そのように、考えたからであると、いう。
本気になって、実行しようとしたのである。
現代の、キリスト教徒より、真剣だったということだ。

マタイにもどって、重要な問題は、どうして法的規定をこのように精神主義的に拡大していくことができるのか、ということだ。それは、法とは何なのかを批判的につけえることによってはじめて考えることができる。
田川

以下、田川氏の、論調をまとめてみる。

法とは、本質的に、一つの擬制である。
人間の行為を、一つの抽象された水準においてのみ、扱う。
われわれの行為の、数多くの行為が、どこかで、法と関連する。
しかし、一つの行為が、法的な水準にのせられるためには、その行為を囲む、他のあらゆる要因が抽象される必要がある。

それは、極めて具体的な行為を、扱うが、実は、非常な抽象でしかない。
法とは、そういうものだ。

「姦淫」が法的な規定のもとに、論じられる場合も、同じ抽象がある。
その行為を、形成する具体的な、様々の、要因が、捨象され、行為の特定の、形式だけが、抽象されて、処置の対象となる。

「姦淫するなかれ」を「情欲をみたすために女を見ることはするな」にまで拡張したのは、いかにも、現実の実行行為だけを扱うはずの法の領域をこえて、法では規定しえない観念領域にまで拡大してしまった、と思えるのだが、そして事実そうに違いないのだが、他方では、法というもののこのように抽象する性格にうまく対応してものを言っているのである。
田川

そして、マタイの倫理拡大がいつもある種の誠実さをともなった説得力があるのは、そのせいである。
と、言う。

ユダヤ教の律法が、普通に考える法という意味と、宗教的社会倫理的規定でもあったという、点が重要である。

さらに、当時は、ローマの支配で、その法があり、そけだけ、律法は、倫理的側面ばかりが、強調されることになったのである。

そこから、マタイ的ユダヤ人キリスト教徒の精神主義も、生まれてくる。
そこで、マタイは、姦淫を犯す、具体的な目的をもって、見る行為は、正しくないと、留保をつける。

ただ、宗教倫理的な、解釈は、ユダヤ人に限られていたのではなく、オリエント世界に、広くあったものである。

アラブの、女たちの、ブルカを、思い出せばよい。
女を、見られないように、全身を、布で覆うのである。
勿論、それは、風土の影響も、多分にある。

イエスもまたこの発言によって法的規定を無制約に拡大しているのは確かである。
田川

ただ、この話を、延々とするのは、暇な学者に任せて、結論に行く。

イエスは、とても、逆説的、説教をした。

イエスがマタイのようにユダヤ教の法の精神を拡大、「完成」とようとしたのではなく、それに対決しようとしていったことは、彼の活動の全体から見て、あまりに明らかである。
田川

実際、罪を咎められるのは、誰かということである。
社会的地位のある人々は、罪に問われないという、矛盾があるのだ。
罪に問われるのは、いつも、社会に抑圧され、差別される人間である。
当時が、そうである。
以前書いた、当時の、ユダヤ州のことを、思い出して、もらいたい。

ヨハネ福音書にある話が、イエスの、考え方である。

姦淫の罪で、捉えられた一人の女を、石打の刑にしようと、律法学者、パリサイ派が、神殿に、連れてきた。
そして、そこにいた、イエスに、どう思うかと、問う。
イエスは、あなたたちの中で、罪の無い者が、まず、この女に、石を投げよ、と言う。

そこで、一人去り、二人去りと、皆、去ってしまう。
イエスは、女に、二度としないようにと、言葉をかける。

男と女の性的関係が、それを包むすべての人の人間的、社会的過程をぬきにして、それだけ抽象して抜き出されて、「姦淫」として法的に罰せられる、というのは、所詮不当なことなのだ。
田川

その、不当の、犠牲者は、罪人と、言われる人たちであろう。

イエスは、偽善を徹底的に、嫌い、攻撃した。
つまり、ユダヤ教の、律法のあり方自体に、偽善を見抜いたのである。
結局は、支配層の、もの。支配層が、勝手に、暇つぶしに、下層階級の人々を、翻弄するという、遊びに、激怒したのである。

これは、田川氏が言っていることではなく、私の考えである。

そこで、情欲を、みたすために、女を見る男は、姦淫するのと、同じではないかと、問い詰めたのである。
それが、マタイの福音のあの、箇所である。

当時の、ユダヤ教の、支配層は、兎に角、下層民を、裁く事が、楽しみだった。
実に、嫌らしい、趣味である。
そして、現代の、キリスト教の、すべての、宗派の、指導者も、同じであると、言う。

アメリカで、有名な、テレビ伝道師が、高級娼婦を買って、遊んだことが、知れた。
何と、いけしゃーしゃーと、人々の前で、懺悔して、その地位を守った。

イエスは、こういう、偽善が、大嫌いである。

イエスは、法を無制約に拡大してみせることによって、そのうさんくささを明るみに出し、愚弄し、粉砕しようとした点だった。・・・・
イエスの方は、その秩序がはらんでいる本来のグロテスクさを、拡大してみせることによって暴き出したのである。
田川

もう一つ、面白いことは、性関係とは、男女関係であるが、女だけが、捕らえられるという、不思議である。
男だって、同じだろう・・・

旧約では、男女が、石打の刑に、処せられた。
きっと、私の想像では、マタイ福音の場合、相手は、支配層に近い男だったのだろう。

律法学者、そして、パリサイ派、更に、現代の、聖職者といわれる、偽善者たちは、イエスの、最も、嫌った人間たちである。

イエスは、法的秩序からの解放を叫んだだけで、すでに殺されてしまったのだが。
田川

男と女の、情欲とは何かということを、イエスは、何も語らない。
要するに、語れなかったのである。
つまり、解らなかったと、私は、いう。

解るのは、ただ、出来れば、人間は、一人でいるのがよいだろう・・・である。
とういうこと・・・イエスは、いつも、男たちと、行動していた。



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奇跡の旅・ビアク島へ 11

1943年、昭和18年2月、ソロモン地域の、ガダルカナル島を、反抗の拠点とした、アメリカ軍は、まず、ブーゲンビル、ラバウルを陥落させる。

更に、9月には、ニューギニア島、フィンシュハーフインに、上陸する。
昭和19年3月には、ポーランジア、4月には、アイタペに上陸。
つまり、二ューギニアの、東海岸線である。
そして、徐々に、ビアク島に、迫るのである。

昭和19年4月17日から、ポーランディアを拠点にし、ビアク島に、連日空爆を行うのである。

そして、5月27日、ついに、米軍第41歩兵師団等が、数万名で、ビアク島に、上陸する。

ただし、日本軍の、守備隊も、夜襲と突撃を繰り返し、米軍を未曾有の苦戦に、陥れる。

後に、アメリカ軍は、ビアク島の、日本軍の、抵抗の様を、賞賛するほどのものだった。

だが、アメリカ軍をはじめとする、連合軍の、続々と追加支援される、圧倒的な、物量戦の前に、日本軍は、全滅させられる。

陸軍、兵長、工兵中隊兼衛生兵だった、渋谷惣作さんの、証言である。
葛目直幸連隊長は、昭和19年7月2日、自決。奇跡的に生きている我々も、ほとんどが、負傷、または、食料不足で衰弱しており、望郷の念は強くとも、撤退する術もなく、ただ情けない姿で、ジャングルを逃げ惑うだけの、部隊となった。

この作戦は、後に続く「あ号作戦」つまり、マリアナ沖海戦と連動し、国家の存亡をかけた、極めて重要な作戦だった。

第一次、 第二次作戦は、失敗し、第三次作戦は、戦艦「大和」「武蔵」が率いる、大艦隊による、増援部隊の、輸送作戦だったが、その間に、連合軍が、サイパンに上陸したとの、知らせに、大本営は、サイパン重視と判断し、全艦隊を、サイパン救援に転じた。

つまり、ビアク島、いや我々は、祖国に見放され、あとは悲壮な絶望的状況下で、死を待つだけの部隊となったのである。
渋谷惣作

日本軍が、ビアク島に配備した兵力は、陸軍、10,400名、海軍、1,947名、その、過半数は、飛行場設営部隊や、海上輸送隊、開拓勤務隊などの、後方勤務部隊が、占めた。

戦闘部隊は、歩兵第222連隊を中心に、海軍陸戦部隊を加えても、4,500名にすぎない。

その中に、台湾軍夫、インドネシア兵補、約3,000名が、加わる。

ビアク支援の司令部が、置かれた、西洞窟は、三層の床を張り、最大時には、2,000名を収容していた。
しかし、六月半ばには、食糧も、飲料水も不足し、将兵は、わずかな乾パンと、鍾乳洞から、滴り落ちる、地下水で、飢えと、渇きをしのいだ。
そのため、赤痢患者が続出し、洞窟内は、糞尿と、死体から発する、悪臭で、満ちた。

更に、ジャングルに投げ出された、兵士たちは、飢餓と、マラリアに、斃れてゆく。

アメリカ軍は、8月20日に、ビアク作戦の終結を、発表した。

日本軍の、生還者は、捕虜、434名と、敗戦後に、86名が、収容されて、520名である。

アメリカ軍の、死者は、471名。

証言
動けない病人を置いていくように、指示を受けた。そのとき、残る病兵は、12,3人しかいない。乾パンと、手榴弾を渡していった。必ず戻るからと。

私は、その残された、手榴弾が、展示されているのを、見た。

証言
頑張ろうという私の言葉に、顔を上げた、将兵は、何一つ、怪我を負っていなかった。しかし、しばらくすると、彼は、手榴弾を体で、包み込み、岩に、突撃した。みじんに、炸裂する、体。可愛そうだと、思った。この先の、苦痛を考えて、その行為に至ったのであろう。

証言
死にかけの人間に、生水を飲ませると、途端に死ぬ。そういう常識があった。だから、弱りきった老兵に、水を飲ませた。それから、幾分もたたぬうちに、死んだ。けれど、弱りきった老兵が、見せた、滂沱のような、涙。それが、不思議だった。あれほどの、水分を残しているわけがない、と思った。

証言
一年以上を深いジャングルで、隠れ住む。食料の奪い合い。重火器を持った、仲間に殺される。そこかしこを走る、ネズミを潰して、口にする。塩分欲しさに、浜へ出れば、殺される。

今回は、詳しい、戦争の有様は、紹介しない。
興味のある方は、ニューギニア戦線についての、書籍を、読んでください。

私たちは、洞窟に降りた。
二人は、私が、滑らないようにと、両側に、ついた。

底に至る、階段は、湿り、ツルツルと、滑る。

底に下りて、私は、君が代を、斉唱した。
二度、斉唱した。
そして、黙祷した。

それ以上、何も出来ない。

兎に角、この場で、息絶えた兵士の、皆様に、敬意を表し、更に、深く哀悼の意を捧げる。

恐れながら、清め祓いを行った。

苦悩、苦痛の、思念、想念を、祓う。

この時代に、生まれて、生きたことを・・・
そんな、声が聞こえる。

私は、そんな時代ではない、時代に、生まれて、生きている。
この差は、何か・・・

誰も、応えられないはずである。

私は、戦争に反対する。
この追悼慰霊の行為に、おいて、反対する。

私の、反対の、根拠は、この、追悼慰霊である。

最後の様子は、仲間同士でも、殺しあったという、地獄である。
誰かが、生き延びるために、誰かを殺さなければならないという、そういう、極限に、人間を追い詰める、そういう、事態を、作り出しては、いけない。

一ヶ月もの間、アメリカ軍に、抵抗したのは、ビアク島の、日本兵であると、後に、賞賛されても、詮無いことである。

今、一度、兵士の、冥福を祈る。

洞窟の
無念の思い
満ちてある
石の一つに
涙流るる

運転手は、私の肩に、手をあてて、慰めていた。

無言で、洞窟から、出た。

一人になって、私は、涙を流したかった。

せめても、泣くことを、許し給え

帰国しても、あの洞窟を、思い出すと、涙が流れることがある。

もう、追悼慰霊は、行わない・・・

そんな、心境になるのである。
追悼など、そんなことをして・・・


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2010年07月12日

奇跡の旅・ビアク島へ 12

私たちは、元の場所に、戻った。
そして、今度は、日本軍の、遺留品を展示してある、建物に案内された。

一つ一つを、見て、胸に迫るものを、感じた。
そこでも、清め祓いをした。

特に、手榴弾は、自決用のものである。
病に倒れた者が、自決するのである。
また、皆の、足手まといになる者も、自決する。

更に、健康な者も、絶望して、自決した。
援軍が来ないと知ると、自決する者も、多々いた。

通訳の青年が、私の汗を見て、水をという。
運転手が、買ってくるというので、5000ルピアを渡した。

しばらく、建物の中で、過ごした。

そこを、管理している、男が、現れ、私に挨拶した。
そして、名簿に、名前を書いてくれと、言われた。

別の場所に、受付があり、そこの、芳名帳に、名前と、住所を書く。
すると、通訳の青年が、10万ルピアを払ってくれと、いう。
私は、その通りにした。
すると、おばさんが、チケットを渡してくれる。

その建物の、管理で生活しているらしい。

外に出ると、いつのまにか、人が集っていた。
衣服支援をすると言ったので、彼らが、あらかじめ、伝えていたようである。

そこで、バッグを車から取り出して、衣服支援を行う。
私の手から、相手の手へと、渡す。
皆さん、じっと、私の手元を見て、決して、騒がないのである。

大人用もあり、集まった人たちに、渡す事が出来た。

水を飲み、それでは、次に、ということになった。
あら・・・何処へ行くのか・・・

しばらく、走ると、ビーチに出た。

ああ・・・日本政府が、建てた、大きな慰霊碑の前に出た。
先の、昭和31年の、慰霊碑の、百倍以上の大きさである。

その前で、深く、黙祷する。
すると、その慰霊碑の、中に、案内された。

数十人の、遺骨がある。

驚いた。
皆、日本に、運ばれていると、思った。

少し、線香の匂いがした。
そこで、清め祓いをする。

あまり、大袈裟にしなかった。
地元の人たちが、見に来たからである。

すると、通訳の青年が、ビーチにいた人たちに、声を掛けた。
衣服支援である。

裸の子供もいる。
大人も来た。
だが、もう、あまり、衣服は残っていない。
それでも、少し渡す事が出来た。
中に、日本語で、ありがとう、という、人たちもいた。
そして、さようなら、である。

車に乗り、皆に、手を振り、別れた。
私は、もう十分だった。
時間にすると、二時間半を、超えていた。

私は、ホテルに戻ると、告げた。

通訳の青年が、また、色々と話をする。
彼は、時々、こうして、通訳をして、お金を得ていると、言った。

そこで、私は、チップは、幾らかと、尋ねた。
10万ルピアという。
私は、その通り、10万ルピアを、出した。
千円である。
十分な、収入である。

ホテルに到着した。
明日の、時間を決める。

私は、三時に、ホテルを出るつもりだった。
それを言うと、ホテルの主人が、それでは、もう、20万ルピアが、必要だという。
チェックアウトは、12時であると、いうのだ。

ああ・・・それなら、追加料金で、5万ルピア程度にすれば、いいのにと思ったし、交渉しようかとも、思ったが、疲れていたので、やめた。

それでは、と、運転手に、12時にと、告げた。

ホテル経営では、やっていけないことは、一目瞭然。
大家族である。
おばあさんから、孫までいる。

島にやってきた人から、お金を取るしか、方法がない。
何せ、客は、私ひとりである。

私は、部屋に戻り、すぐに、水を浴びた。
すべてが、終わった。
その、安堵感。
よくぞ、やったものだ・・・と、我が身ながら、感心した。
時間は、一時を過ぎていた。

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神仏は妄想である 301

ここで、一端、マタイ福音書のみの、検証から、聖書全体、新約聖書の、マルコ、ルカ、ヨハネ福音書との、関係から、マタイを、検証してみる。

手引きは、最近出された、キリスト教成立の謎を解く、バート・D・アーマン著である。

神学者が、批判的キリスト教、及び、聖書の本を書くことは、実に理想的である。
そして、今では、批判的に、それらを、俯瞰することが、最も、聖書、キリスト教を、理解する上で、必要なことである。

ただ、キリスト教徒であれば、理解可能なものもある。
また、聖書に触れていない者には、意味の無いことである。

歴史的・批判的アプローチでは、異なる一連の題目が立てられるため、異なる一連の疑問が提示される。このアプローチの中核となるのは、聖書が書かれた時代背景に照らして、聖書の記述は何を言わんとしているのか、という歴史的な疑問である。
アーマン

聖書に書かれたことを、無批判に読み、ただ、信仰という名によって、理解するという、方法は、時代遅れも甚だしい。

それぞれの、福音書には、それぞれの、意図があり、それは、確実に創作されたものであるということだ。

更に、キリスト教徒は、聖書を、歴史書でもあると、誤解している。

細部に渡って、矛盾するものを、信仰という、名で、封じ込める。
兎に角、信じればいいと、なる。
そして、信じる者は、確実に、騙されることになるのである。

記者はいつの時代の人間なのか?彼らはどのような時代状況下に置かれていたのか?記者が生きていた時代に、彼らはどのような主張を展開しようとしていたのか?彼らはいかなる当時のいかなる文化的・歴史的先入観に影響を受けていたのか?彼らはどの出典をよりどころにしているのか?彼らが拠り所にした出典はいつの時代のものか?・・・・
アーマン

そして、それは、
それどころか、そもそも聖書のオリジナル・テキストがもはや現存しないとしたらどうなる?ヘブライ語で書かれた旧約聖書や、ギリシャ語で書かれた新約聖書が筆写されてきた何世紀もの間に、善意に満ち溢れてはいたものの少々軽率な書写が写し間違えたり、自分の解釈の都合がいいように聖書を書き換えようとした書記が、意図的に改竄していたとしたら?
アーマン

そして、それは、大いにあり得ることなのだ。
それが、他の福音書と、比べてみると、明確に解るのである。

作為がある。
そして、無理やり、こじつけた記述。

更に、恐ろしいことは、カトリック教会が、承認した、聖書の群れに、大いなる矛盾が、多すぎるということ。
その、矛盾を、教会という、権威で、押し潰したということ。

現在の、プロテスタント系聖書研究は、徹底的に、批判的に、聖書研究を行う。
そこでの、矛盾に、堂々と、挑戦している。
そして、信仰を捨てる者、信仰を、持ち続ける者と、様々である。

私は、すでに、何十年前からの、キリスト教の、崩壊を、予知していた書籍を、多く持つ。今、それらが、実に、役に立つ。

無批判に、聖書を、信奉している、多くのキリスト教徒がいる。
それらの、信仰は、ほぼ間違いなく、救いではなく、逃避という、信仰形態に、陥っている。

特に、激しいのは、貧しい国、政治的力の無い人々の国で、それは、行われている。
人々は、その諦めを、信仰という、精神的逃避の世界に、滑り込ませて、何とか、生きているのである。
それを、信仰深いとは、言わない。

信仰への、逃避であり、更には、信仰の疎外である。

そして、彼らは、死んだら、天国に行くことは、まず、あり得ない。
それは、私の霊学に照らしてみて、確実に、そのようである。
精々、教会の上空に、漂う霊となるのである。

更に、狭義、宗教霊界に、存在するだけになる。
勿論、そこには、イエス・キリストは、存在しないし、主なる神も存在しない。

聖書に書かれる、父の右に、おわす、イエスという、図は無い。

まことに、信仰とは、不自由になることであり、本来の魂の自由を得る、宗教信仰に、なっていないのである。

そして、巨大宗教団体は、商売に陥って、久しい。

バチカン銀行総裁、ポール・マンチンクスは、
アヴェ・マリアと唱えているだけでは教会は運営できないのだ、と、言い放ち、不正金融操作を、行っていた。

バチカンは、ローマ法王のいらっしゃる、神の代理人がいらっしゃる場所ではない。
世界中の信徒たちから、集めた、お金を、更に、増やすべく、金融操作を行う、巨大、会社となっている。

だが、すべての、宗教が、そうである。

その魂を、売り渡したのである。
金に。

日本の宗教団体も、まさしく、そうである。

布施を、集めるために、あの手この手の、手練手管で、信者を食い物にする。
だから、信じさせるのである。
それは、魂の救いではなく、騙せるからである。

信じる者は、確実に、騙されて、布施をする。
一度、宗教組織に入った者が、そこから、抜けるのが、いかに難しいか。
人間には、属性欲望がある。
つまり、どこかの、集団に所属したいと言う、欲望である。
宗教は、それを、実に、巧妙に取り入れている。


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2010年07月13日

神仏は妄想である 302

多くの神学生は、歴史的・批判的手法に完全に面食らう。自分たちが通っていた教会の牧師や司祭のように、自分も説教を通して聖書の宗教的な真実を信者に伝えられるよう、そうした真実について学ぶのだと、意気込んで入学してくるのだから。歴史的批判のための心の準備など、全然できていないのだ。
キリスト教成立の謎を解く バート・D・アーマン

いかに、無知で、無心であるかということである。
とても、騙されやすいのである。
更には、騙されて、喜ぶのである。

説教の題材について教わる代わりに、何世紀にも及ぶ研究に基づいて、歴史的・批判的な学者が築き上げてきた研究成果について教わることに、神学生はびっくりする。聖書は矛盾に満ち満ちており、しかもその多くは、いかんともしがたい矛盾である。
アーマン

いかんともしがたい、矛盾である。
これを、神学者が、書くと、実に、説得力がある。
一市井の研究家や、ライターが、提案しても、教会は、もとより、その信者たちも、取り合わないだろう。

五書(旧約聖書の最初の五つの書)を書いたのはモーセではなく、福音書を書いたのはマタイでもマルコでもルカでもヨハネでもない。最終的には聖書には組み込まれなかったが、ある時期には正典と認められていた書もある。例えばイエスの弟子だったペトロ、トマスあるいはマグダラのマリアの手によるものと考えられている福音書がそれである。
アーマン

正典ではない、聖書を、外典と呼ぶ。
その中には、イエスを裏切った、ユダの福音書というものもある。
私は、それを、持っている。
そこに書かれていることは、正典とされている、内容とは、全く別のものである。

奇想天外な、福音書もある。
少年イエスの、奇跡物語などなど・・・

歴史は、いつか、必ず、事実を見せてくれる。

今までは、事実、真実だと、思っていたものが、嘘だと、解った時に、人間は、二通りの、反応しかない。

無視するか、それを、受け入れるかである。

キリスト教においては、その教会においては、それを、無視し続けた。

更に、疑いを持った聖職者たちも、騒動を嫌い、慣習に従った。
嘘のまま、信者に、伝え続けたのである。

旧約聖書に出てくるイスラエル人のエジプト脱出は、おそらく本当にあった話ではない。約束の地カナンの征服は、おそらく伝説であろう。福音書の内容は多くの点で互いに食い違っている上に、史実に基づかない記述も含まれている。モーセが実在の人物なのかどうか、あるいは歴史的人物としてのイエスの教えが、正確にどのようなものだったのか知るのは、至難の業だ。
アーマン

と、すれば、キリスト教全体、イエス・キリストを、掲げる、すべての、宗教が、怪しいということになる。

至難の業、だという。
それでは、今までの、教義や、教理というもの、一体、どうなるのか・・・
どうにもならない。
簡単なことである。
信じれば、済むのである。

嘘も、百回言えば、本当になるとは、中国人のことである。
だが、宗教の信徒たちも、そのようである。

いやいや、彼らを、指導し、導く、牧師や、司祭たちも、同じである。

どうして、そのようになるのか。
それは、奇跡を見たからである。

パウロは、キリスト教の迫害者だったが、イエスが、パウロに現れて、改宗したのである。
それが、イエスの霊なのか、どうかも、検証せずに、イエスだと、名乗った、霊を、信じたのである。

そんなことが、朝飯前の、霊というものが、多く存在する。

中でも、カトリックによって、聖人とされた、多くの人々は、そのようである。

要するに、幻覚、幻視、暗示によるもの、多々あり。
イエスの、磔の、そのままを、受けたという、聖なる痕跡、つまり、聖痕である。
手と足に、イエスと、同じように、傷を受けたと言う。

激しい、精神錯乱による、暗示効果である。

何故、人が、そのように、何かを信じるようになるのか、ということは、いずれ、書くことにするが、私が思うことは、生きるということが、退屈なことであり、暇なことなのであると、認識する。

それぞれの、時代に合わせて、それぞの、欲望を持つが、いつの時代も、欲望希薄な人々がいる。
更に、人のためにという、大きなお世話の人々がいる。

更に、妄想である。

まさに、神仏という、妄想なしに、生きられない人々が、生まれた。

生まれて、生きることに、意味を、見出さなければ、生きられないという、病を、得た。それは、人間の大脳化ゆえである。

生まれて、生きることには、意味はない。

全くの、無意味である。
それに耐えられないがために、妄想を抱く。
そして、かろうじて、生きられる人々がいる。

生きるために、何故、意味が必要なのか・・・

私は言う。
それこそ、奇跡ではないか、と。
存在することを、意識するという、僥倖に、恵まれたのである。
そこに、意味など、無い。
ある、訳が無い。


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奇跡の旅・ビアク島へ 13

水を浴びた後、私は、体を乾かし、そのまま、ベッドに寝てしまった。
すべてを、終えたという、安堵感と、疲労である。

ドアのノックで、起こされた。
四時である。
夕方の、ティーと、お菓子を、今度は、別の女の子、と言うより女性が、運んできた。

その、お菓子、これが、当たった。
大当たりだった。
私は、夜の九時から、朝の九時まで、下痢が続いたのだ。

さて、夕飯である。
まだ、明るいが、出た。
そして、スーパーのレストランに入ろうとした。
その時、二人の男の子を見た。

二人は、スーパーに買い物に来る、バイクの上に、ダンボールを掛けて、日差しから守ることをしていた。そして、そのお礼に、10円を貰うのである。

その一人の、男の子の、ズボンの、右側に、大きな穴がある。
そして、もう一人の、男の子の、シャツは、汚れて、原型が無い。

私は、急いで、ナシゴレンの食事をして、一度、ホテルに、戻る。

そして、考えた。
買って、彼らに与えようか、どうかと・・・

ここには、もう二度と、こないかもしれない・・・

それでは、最後に、彼らに、ズボンと、シャツを、買ってあげるべきだ・・・

即座に、部屋を出た。
すぐに、姿を消してしまうこともあるからだ。

そして、彼らを見つけて、日本語で、ズボンと、シャツを買うから、ここで、待っててよ・・・
一人の男の子が、頷いた。
通じたのである。

そして、スーパーの二階にある、衣料品のコーナーに、上がった。

ズボンと、シャツで、950円。
それを、また、急いで、持って、下に降りた。

二人は、いた。
私は、袋から、ズボンと、シャツを取り出して、上げた。

およそ、10歳前後の子である。
ひとりは、ただ、驚いて、絶句した。
そして、もうひとりの男の子が、大声を上げた。つまり、歓声である。

よく解らないが、とても、喜び、しまいに、二人が、私に、抱き付いて来た。
私も、驚いた。
周囲の人たちも、驚いた。

だが、私は、これ以上のことは、出来ないと、二人を抱きしめることは、せず、バイバイと言って、ホテルに戻る。
しかし、二人の男の子は、私の背中に、言葉を、浴びせる。
きっと、ありがとう、ありがとうと、言うのである。

彼らには、奇跡だった。
そんなことを、考えることもなかった。
しかし、このようなことが、ある、ということ。

そして、私も、人生には、このようなことが、あるのだということを、伝えられた。
明日は、何が起こるか、解らない。だから、生きる。どんなことも生きて、超える。

これは、詭弁ではない。

多くの、支援の場で、私が、体験したことである。

つい、先ほどまで、そんなことがあるとは、知らない。しかし、考えもしなかった、衣服が、届けられた。
それで、飛び跳ねて、喜んだ、子供たちを、多々、見てきた。

もし、少しでも、私が、衣服を差し上げることで、その、時の、生きる、生きていることの、歓喜を・・・これ以上は、書けない。

私は、私に出来ることだけを、している。
特別なことを、しているのではない。

ましてや、善意ではない、
ついで、である。
追悼慰霊の、ついでに、やっている。

これは、決して、迷わない、惑わない。
ついでに、差し上げている。

ただ、追悼慰霊に関して、理解するよりも、衣服支援が、理解しやすいようであるから、衣服支援を、主にして、テラの会というものを、伝えている。

ビアク島に来て、私は、追悼を、やめて、慰霊だけにしょうと、真実、思った。
辛いからだ。
調べて、どのような事実があったのかを、知ることが、辛い、辛すぎるのである。

追悼など・・・

慰霊だけでいい・・・

ビアク島にて、詠める歌

赤道の
上にて意味を
問いし兵
あはれに泣くは
国のためなり

忘れては
ならぬ戦の
痛恨を
我はただ行く
ただ行くのみに

果て遠き
一万余名
日本兵
命 果てたる
パプアの島に

その洞の
命捨てたる
心をば
何にて思う
ただ 祈りあり

その洞窟の
石にも籠もる
悲しみを
今 我泣きて
ただ 黙祷す

あはれとか
儚きとかを
超えてある
時代の不可を
生きたる兵は

この我が
出来るものをば
他の人も
当然出来る
追悼慰霊

服上げし
子らが抱きつき
歓声を
上げて喜ぶ
その 喜びを

この後のことは、すべて、省略する。
食中りになったこと。
マカッサルにてのこと。
そして、ジャカルタに戻り、帰国のこと。

この旅日記は、これで、上々である。

だが、追伸として、ビアク島で、起こった、悲劇を紹介することにする。
多く、世界の人たちが、知らない、知らせないようにした、虐殺の事件のことである。

その後、東ティモールが、独立した。
その複線となった、出来事である。

パプアが、独立しないように、インドネシア政府は、国軍と、警察を使い、ビアク島を、見せしめとして、行った、極悪非道な事件である。

オーストラリア政府も、見て、見ぬ振りをした。
そこには、資源の利権の問題が、隠されてある。


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2010年07月14日

神仏は妄想である 303

旧約聖書の歴史的叙述には、伝説上の作り話がふんだんに盛り込まれており、新約聖書の「使徒言行録」に書かれているパウロの人生や教えについての記述には、歴史的に信用できない情報も混ざっている。新約聖書の中の多くの書は、ペンネームで書かれている。すなわち使徒によって書かれたのではなく、後世の記者が使徒の名を偽って書いたものである。以上列挙したような事例は、枚挙にいとまがない。
アーマン

であるとするなら、指導者をはじめ、信徒たちは、どう反応するのか。
それは、それ、これは、これ、といっていられない、話しなのである。
信仰の根幹に関わる。

嘘の話を、信じて、信仰など、出来ない。
それならば、自然を信仰の対象にした方が、身のためである。

次から次へと証拠を突きつけられた学生の多くは、早い段階で、聖書が無謬なる聖典であり、完全なる史実に基づいて書かれているというそれまでの確信を揺すぶられる経験をする。あまりに多くの証拠があり、聖書の何百という矛盾に整合性を持たせるためには、推論に推論を重ねたあげくに、強引な解釈を次々と編み出していかなければならないため、最終的に学生の手に負えなくなるのである。
アーマン

学生だけではない、すべての、信じる人たちにとっても、そうである。

強引な解釈は、最も、教会で、行われた。
更に、教会も、歴史的事実であると、信じ込んだ時期がある。

嘘を本当だと、信じ込んだ時に、人間は、どうなるのか。
一度信じたものを、変更するのは、至難の業である。
要するに、自己洗脳であるから、手に負えない。

日本の、鎌倉仏教時代も、仏典が、すべて真実だと、信じた。
情報が少なく、信じるしか、方法がなかった。
それで、あのような、事態が、起きた。

本当は、存在しない、阿弥陀如来がいると、信じて、念仏を唱えた。
釈迦ブッダの、直の教えだと、勘違いして、座禅を持って、悟りを、開くという、蒙昧。更には、法華経のお話が、本当だと、信じて、経典に帰依するという、題目・・・
それらは、すべて、作り物だった。

だが、今更、変更するわけにも、行かず。更に、それで、生活を立てているのだから、更には、教団になると、莫大な、布施が入るのであり、変更する何物もないと、なる。

成仏を説いたが、成仏していない、開祖たちを、信じるという、とんでもないことになっている。
ブッダより、開祖が正しい。
ブッダ以上である。

堂々と、開き直り、親鸞聖人を信じているのである、と、とても、真っ当な神経ではない。親鸞が信じたものが、架空のものだったのである。しかし、それは、見ないで、親鸞を信じるという。

さて、推論に推論を重ねるという。
これは、創作活動と、同じである。

そして、強引な解釈、つまり、今まで教会で、教えていた、教義に、強引に結び付けようとするということである。

それよりも、教会の虚偽が、誤りだったと、認めて、聖書を、読み直した方が、早い。

そして聖書が矛盾を抱えていることが明々白々であるにもかかわらず、頑なにその事実を否定するよりも、いっそのこと聖書にも矛盾があるのだと認めてしまったほうが、聖書がずっと理解しやすいことに気づき始めるのだ。
アーマン

ということになる。

ルターによって、開放された、聖書は、それ以前、一般信徒は、見ることも、出来なかった。聖書は、聖なる書物であるから、神と、同じように、扱われた。

だが、歴史は、それを、許さない。
必ず、公開され、知られるようになる。

マタイの福音書が、マタイと、名乗る人物、集団によって、作られた、書であると、明確になった。
そこでは、マタイの、考えるイエスキリストであるということに、なる。
それは、他の福音書も、同じである。

それぞれが、それぞれの、立場、考え方によって、違えば、その書き方も違う。当然、矛盾だらけになるのである。

人を信用させるのは、権威である。
イエスキリストの、権威を借りて、そうして、造り上げたものが、聖書であるということ。
更には、イエスキリストの、権威も、作られたものである。

イエスは、宗教を立ち上げたのではない。

宗教に、造り上げたのは、後世の人たちである。

更には、為政者と、組んで、その教えを、絶対化した。
ローマカトリックは、その際たるものである。
ローマ皇帝が、利用できるとして、国教としたのである。

イエスの、教えとは、全く違った、イエスの教えが、闊歩する。
イエス不在の、キリスト教の出来上がりである。

そこでは、旧約の神から、イエスまでを、結びつけて、主イエスとなる。
旧約の神とは、ユダヤ人の神であり、ユダヤ教の神である。
一、 民族神が、そこでは、テーマとなっている。
イエスは、その神の子として存在する。

だが、神の子は、ユダヤ人すべてが、神の子である。
イエスだけが、特別ではない。

イエスは、福音書の中で、人の子という。
それを、拡大解釈して、人間の子として、人間すべての、罪の、贖いとして、磔られて、人間の罪の、すべてを、それによって、解消するというのである。

そして、人類の救い主ということになる。
イエスは、その教えの大半を、ガリラヤで説いた。
その、実に、狭い範囲の中で、当時の、ユダヤ教の、偽善に、猛然と立ち向かった。
ユダヤ教の刷新を、試みたとも、いえる。

イエスの、当時の、世界とか、人類という、意識は、どんなものだったのか・・・
地の果てまで行き、教えを、述べ伝えよ、とは、イエスの言葉であろうか。

もし、そう言ったなら、イエスの地の果てとは、どの辺りまでのことか・・・


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奇跡の旅・ビアク島へ 14

西パプアは、オーストラリアから、200キロと、離れていない。
1963年、ニューヨーク合意後、インドネシアに、引き渡された。

元オランダ植民地だった、西パプアを巡る、オランダと、インドネシアの、長きに渡る、論争に、終わりを告げた。

そして、1969年、インドネシアが、選び出した、1025人という、パプア人の投票が、行われる。その投票で、インドネシアの一部として、留まることが、確認されたという。

この投票は、西パプアのインドネシアへの、引渡しを監視した、国連事務総長補佐の、ごまかし策であると、言われる。
たった、1025名の投票であるから、実に、おかしなものである。

そして、事件が起こった。

1989年7月、インドネシア軍による、100名以上の、虐殺である。

何故か。
西パプアの、独立を阻止するためである。

その犠牲者の、ほとんどが、女性だったという。

その7月6日に、起きた、虐殺は、実際、40年以上に渡る、インドネシア警察と、軍による、日常的、致命的脅迫と、暴力の結果である。

証言
ビアクの女性たちは、毎日、肉体的、あるいは、性的な暴力に、晒されていた。
そうした生活が、40年以上も続いた。
遠くの村々で、インドネシア軍が組織する、毎月のダンスである。そのダンスの際、あるいは、その後、しばしば自宅で、女性たちが、兵士に、強姦される。
家族や、夫は、何をすることも出来ない。

証言
朝の五時、軍が、数日前に、掲げられた、独立パプアの旗を守るために、港で寝ていた、若い人たちに向けて、発砲をはじめた。
ビアクの街の人たち全員が、銃をつきつけられ、狩り出された。
港にて、丸一日、身体的、性的な、虐待を受けた。
そこには、小さな子供もいた。
100人以上、ほとんどが、若い女性で、乳児や、子供を連れている者もいた。
そして、二隻の船に乗せられ、そこで、裸にされて殺され、体を切り刻まれて、海に投げ捨てられた。

虐殺後、三日間、数百人が、警察署と、軍基地に、拘留された。
インドネシア軍が、病院にけが人の処置をさせなかったため、治療もなく、家に帰らなければならなかった。
いまだに、行方不明の人たちもいる。

ビアク島の、コミュニティは、西パプア全体に広まっていた、独立デモに、参加していた。

当時は、スハルト大統領追放の後で、開放感と、希望が、広がっていた。

新大統領ハビビは、東ティモール独立を巡る、対話を促していた。

ビアクの女性たちは、旗、バナーを作り、港に、独立パプアの旗が、掲げられた。

7月2日、インドネシア軍は、この旗を撤去し、祝福を止めようとしたが、圧倒的な、デモの参加者により、諦めたのであるが、6日、朝五時に、デモ参加者と、ビアクの人々に、軍事攻撃を開始したのである。

身体障害を持つ人の証言
船に、無理やり乗せられたが、船員に同情されて、海に投げ入れられた。
船に乗せられた人たちに、何が行われたのかは、誰も知らない。
誰ひとりとして、生きて帰ったものがいないからだ。
それからの、数週間、遺体が、海岸に浮かんでいたという。
その中には、手足を切り取られた者、胸を切り取られた女、ペニスを切り取られた男などがいた。
別の島に流れ着いた、二人の女の遺体は、足を縛られ、性器に新聞紙が、詰められていた。
海岸に流れ着いたり、魚取りの網にかかった、小さな子供の遺体を含む、合計70名の遺体を確認したという。

さて、1975年に、インドネシア軍により、五名の、オーストラリアTVクルーが、殺された。
駐ジャカルタのオーストラリア大使館付謀報オフィサである、ダン・ウィードン少佐が、まとめた、公式の諜報報告を認めたにも、かかわらず、オーストラリア政府は、インドネシアの虐殺を、公に、非難することを、拒んだ。

オーストラリア西パプア協会が、情報公開を申請するという努力にも、関わらず、その報告は、公開されていない。

2001年、11月、サン紙・ヘラルド紙に掲載された、記事の中で、オーストラリア国防軍の諜報仕官、アンドリュー・プランケット大尉は、ビアク虐殺は、東ティモールの、リハーサルであったと、語る。

更に、大尉は、「オーストラリア政府が、ビアクにおける、インドネシアの行為に、公式の抗議を行うかわりに、目をつぶったことで、その後の、インドネシア軍による東ティモールでの、虐殺に、青信号を与えた」という。

実は、これには、大きな問題が、隠されてある。
東ティモールの、資源の権利を、オーストラリアが、所有する。それにより、インドネシアに、所有権などでの、支援をするのである。

独立により、その権利を無くすのであるから、インドネシア軍に、青信号を出したということである。

特に、石油は、インドネシアと、オーストラリアで、100パーセント、所有していた。

1975年、インドネシアによる、東ティモール侵略と、その後の、不法占領は、アメリカの、フォード大統領と、キッシンジャー国務長官が、ゴー・サインを出していた。
インドネシアは、その翌日に、東ティモールに、全面侵略を開始したのである。

後進国の、悲劇である。
そこに、大国の傲慢がある。
しかし、それらは、皆、世界に公開されずに、実行された。

日本政府も、インドネシアに、全面的支援をして、事態を把握しなかったのか、知らない振りをしたのか・・・

国際法など、完全に無視である。

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2010年07月15日

神仏は妄想である 304

例えば、「マルコ福音書」では、イエスが「神殿を清めた」、つまり両替商の台をひっくり返し、「私の家は・・・祈りの家とよばれるべきである。・・・ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしてしまった」と言ったのは、死ぬ最後の週だったと書かれている。ところが「ヨハネによる福音書」によれば、この出来事はイエスの宣教活動の最初期に起こったことになっている。
イエスが宣教の初期と最後の週の二回、神殿を清めたのだと考える読者もいる。しかしそうなると、「マルコ」も「ヨハネ」も「真実」を語っていないことになる。さらに、歴史的に見て、この二つの記述をすりあわせることは可能だろうか?もしイエスが初期の宣教活動の最中に神殿で騒ぎを起こしたなら、なぜ彼は当局によって逮捕されなかったのだろうか?聖書が矛盾を抱えていることに気づけば、「マルコ」と「ヨハネ」が神殿を清めるというイエスの行為を通して、異なる教えを説いているがために、この出来事をそれぞれイエスの宣教活動の違う時期に設定したのだと考えることもできる。
しかし歴史的観点から見れば、この二つの記述に整合性を持たせることはできない。
アーマン
上記、読みやすく、改行した。

新約聖書には、こうした、多くの矛盾した、記述が、あるということ。

通常の、キリスト教徒や、読者は、それに気づかないのである。
言われて、はじめて、解る。
それほど、意識しないで、読むのである。

単なる、読書ならば、いいが、それを、信仰の根幹にするというならば、その矛盾を解かなければならないはず。

しかし、そんなことは、どうでもいいことだ、要するに、イエスの教えの、象徴なのであると、キリスト教の保守的な人は、言うであろう。
聖書作家の、意図するものを、無視して、どうして、聖書が理解できるのかとは、考えない。

それらは、信じれば、いいということになる。

日本の、キリスト教徒作家の、誰ひとりも、そのような、テーマを掲げなかった。
とても、残念である。
単なる、キリスト教の、片棒担ぎである。

しまいには、日本には、神不在の云々という、実に、蒙昧な、作家もいた。
神という、観念の違いさえも、知らずに、言うのである。
いずれ、名前を挙げて、批判することにする。

上記のような単純な事例よりも、つじつまを合わせることがずっと難しい(事実上不可能であるとあえて断言してしまってもいい)。聖書を構成する書の間に齟齬が見られるだけではなく、一つの書の記述自体が首尾一貫していないこともある。歴史的・批判的な学者は、福音書の記者が様々な出典を繋ぎ合わせたことによって、矛盾が生じたためだろうと長らく考えてきた。
アーマン

実は、私も、長い間、気づかずに、そうして、聖書を読んでいた。
まず、イエスキリストを、信じた。それから、カトリック教会の、教えを信じた。そして、聖書を読む。
聖書批判から、信者になったのではない。
最初に、信じたから、信者になったのである。

だが、私は、批判的に、聖書を読む前に、キリスト教というもの、その、教団の、教義に、疑問を持ち、さらに神学というものの、不明さにも、気づいた。
これは、神の学である。一体、人間が、神の学なるものを、論ずることが、出来るのかという、疑問だった。

そして、それらが、ギリシャ哲学の派生によって、なったものであるという。
更に、妄想逞しい、教父といわれる、人たちの、考えによって、何故、神学というものが、出来上がるのか、である。

仏教の、教義が、滅茶苦茶であるように、キリスト教の、教義も、滅茶苦茶であると、考えるようになった。

例えば、「ヨハネ」では、イエスは二章で初めて奇跡を行い、水をワインに変える。そして「イエスは、この最初のしるしを・・・」行ったと続く。この章の後半部分では、イエスがエルサレムで「沢山のしるし」を行ったと書かれている。さらに四章には、イエスが役人の息子の病を癒す場面があり、「イエスが・・・なされた、二回目のしるしである」となっている。あれ?最初のしるし、沢山のしるし、それから二回目のしるし?
アーマン

とても、単純な、誤りである。

だが、信じている人には、何も影響を与えない。
それは、信じているからである。
信じて、見えなくなっている。

信仰とは、目が開くことだったのではないか・・・
そして、信仰とは、心の自由を得ることだったのではないか・・・

ところが、逆である。
信仰とは、馬鹿になることである。
真っ当な、理性を、生かさないことである。
更には、知性さえも、投げ捨てることである。

そうして、立派な、キリスト教徒になってゆくのである。

まさに、自己洗脳である。

それに、牧師や、司祭が、拍車を掛ける。

そうした、妄想に浸りきった信者の中には、とても、正常だとは、思えない、霊感者が、現れたりする。
祈りのうちに、予知が出来るだの、予言が出来るだのと、妄想に、振り回されて、更には、人を巻き込み、混乱させる。

自己陶酔の、極みである。それも、嘘だらけの聖書を、見抜けずに、自己暗示のような、信仰を、純粋な信仰と、大きな勘違いをするという。

そして、悪いのは、更に、人をその世界に、引きずり込もうとする、熱心な信者である。

自分も、分からない、勿論、人も、解らないという、キリスト教、主イエスの元に、集うものたちを、集めるのである。

牧師、司祭に引き合わされて、感動の、信仰体験などという、妄想を、感じて、入信するという、段取りである。
何故、人は、拝むのか・・・
今の、私のテーマである。


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奇跡の旅・ビアク島へ 追加2

一体、インドネシアで、何が行われていたのか。

1965年以降、豊富なインドネシア資源の、掠奪が、大規模にはじめられた。
その後の、スハルト独裁時代、米英豪日は、インドネシアを外交的、経済的、軍事的に、支援し続けた。

特に、日本は、インドネシアの最大の、スポンサーである。
アメリカは、最大の、武器、軍事援助を提供した。

1975年、インドネシアによる、東ティモール侵略と、その後の不法占領は、アメリカの、フォードと、キッシンジャーが、ゴーサインを出していた。

インドネシア軍は、即座に、東ティモール全面侵略を開始するのである。

国連、国際法では、インドネシアの、不法占領は、一度も、認められていない。
しかし、実質的には、日本をはじめ、米英豪などの政府は、それを、認めていた。

1999年、米英豪各国は、東ティモールの自決権行使を支持し、インドネシアに対立することは、全くなかった。
国連合意の、枠組みで、不法侵略者であり、東ティモール人に、拷問、強姦、強制失踪を加え、人口の三分の一になる、20万人の人々を、虐殺してきた、インドネシア治安当局に、住民投票の「治安維持」の役割を与えた。

更に、驚くべきことは、オーストラリアと、インドネシアは、共謀し、本来、東ティモールの経済水域に属する、海底油田、ガス田を掠奪してきたことである。
その時は、互いに、50パーセントの配分である。

東ティモール独立後は、オーストラリアが、10パーセントで、ティモールが、90パーセントになった。

しかし、実際は、100パーセント、ティモールのものである。
オーストラリアの、横暴は、見るに見かねる。
どれほど、インドネシアと、共謀して、多くの利益を生み出しているか。

実は、ティモールだけではない。
これが、ニューギニアにもいえるのである。
しかし、今回は、それらは、省略する。

さて、ビアク島に戻ると、その東ティモールの独立を阻止するための、予行演習を、ビアク島で、行ったといわれる、インドネシア警察と、軍である。

日本は、インドネシア、最大の、支援国だ。
その、日本が、それらに対して、何の、意見もなく、ただ、為すがままにしていたという、怠慢である。

また、オーストラリアも、そんな、国際的な、暴力を、公開することもなく、ただ、黙って、流していたことである。

横暴も、極まれり、である。

インドネシアは、スマトラ島の、アチェに代表されるように、独立の気運の高い、地域が、多い。
しかし、それらに対する、見せしめともいうべき、行為を、ビアク島で行い。今では、パプアは、独立の、どの字も出ない状態に、落とされたのである。

ただし、怨念は、消えない。

インドネシアは、軍事政権である。
更に、イスラムによる、独裁国家であると、いってもよい。

私が、泊まった、ビアク島のホテルの主人は、イスラムですかと、尋ねると、ブディストであると、言い、更に、加えて、この島は、どんな宗教でも、受け入れていると、言った。

つまり、宗教による、争いは無い。
それは、また、つまり、それ以上に、国との、戦いという、潜在的な意識があると、感じた。

インドネシアの各地には、宗教対立が、激しい場所が多々ある。

インドネシア領の、ティモールでは、イスラムと、キリスト教の対立が、激しく、互いに殺し合うことが、当たり前になっている、地域もある。

更に、驚くべきは、キリスト教の、新興宗教が、布教をはじめて、キリスト教同士の、争いも、始まっているという。

呆れる。
一体、彼らは、信仰による、平和を求めるのではなく、信仰による、戦いを、求めるようである。

インドネシアは、その政治批判に対して、非常に、厳罰的である。
世界には、知られていないが、矢張り、独裁国家の面目である。

ただ、個人としての、インドネシア人は、日本人に対して、非常に、親日的である。
更に、日本は、仏教の国という、イメージがあるが、それも、大した問題ではない。

空港で、話した、おじさんは、日本との関係を、兄弟だと言うほどである。

そして、戦時中に、インドネシア人も、多く、日本軍によって、使役させられたが、独立戦争を戦った、日本兵の存在によって、その憎しみが、消された。

様々な、複雑な問題を、抱えているが、個人と、個人として、相対したときは、人間としての、付き合いが出来る。

インドネシアは、世界最大の、イスラムの国であるが、地方に行くと、少しばかり、雰囲気が違う。

例えば、パダンに出掛けた時に、若い女性は、自由を語る。
イスラムの、服装は、しない。
それぞれ、自由であると、考える風潮が出来つつある。

更に、イスラムでも、それぞれの土地に伝わる、伝統的行事は、そのまま、受け継がれている。

原理主義的、イスラム教徒も多いが、そのように、緩やかな、イスラム教徒も、出現しているのである。

ただ、地域により、宗教指導者により、抑圧されている地域もあることは、確かである。

私は、これからも、インドネシアに出掛けて、戦争犠牲者の追悼慰霊を、行う。そして、その、ついでに、衣服支援を、行う。

ただ、それだけである。

社会、共産主義国と同じように、政府の批判は、ご法度である。
独裁政権というものは、どこも、同じである。

更に、それらの政権の、特徴は、政府関係者のみが、豊かであるということだ。
それ以外の、国民は、生かさず、殺さず・・・である。

日本の歴史から、見ると、徳川幕府の、農民の政策と同じである。
生かさず、殺さず、である。

更に、日本の軍事政権のときと同じである。

そして、最も、嫌悪すべきは、宗教である。
その政権は、宗教を、人々の、不幸の捌け口にする。
信仰は、現実逃避となる。

ちなみに、アメリカも、キリスト教により、現実逃避をもくろむ。
信仰に生きていれば、何とかなるのである。
そこに、原理主義が、生まれる。

黒人の奴隷たちが、ゴスペルを歌い、その不幸を、乗り切ろうとしたのに、似る。
宗教は、決して、人間を、その現実から、救わない。
救えないのである。

唯一、救いがあるとしたなら、それは、進化である。
政治的進化、倫理的進化・・・

私は、倫理進化学に、期待する。
更に、文化人類学である。
そして、それぞれの、民族の、伝統回帰である。
伝統にある、宗教的なものは、宗教ではない。
伝統は、宗教を内包するが、それは、儀式、所作としてあるもので、十分である。

それが、期待できる国がある。
日本である。
伝統を象徴する、天皇の存在があり、その歴史的意義は、深い。
更に、民族としての、伝統を明確に有する。

宗教から、生まれた、社会・共産主義は、進化しない。
それらは、対立と、不幸を生み出すだけである。

伝統などは、明確に出来ないと、識者がいうが、それは、彼が、それを、知らないからである。
知らないものは、無いものである。

私は言う。
日本の伝統とは、唯一、無私の天皇が、存在し、歌道があり、民族の心象風景である、もののあはれ、という、心情がある。

すべてが、それに行き着く。
今は、ただ、忘れているだけである。


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