2010年07月06日

神仏は妄想である 295

イエスが、その生涯を送った時期、ガリラヤでは、ヘロデ・アンティパスの、そしてユダヤでは、ローマ総督の治世下に当たる。

イエスは、その大部分を、ガリラヤで送り、ガリラヤは、ユダヤに比較して、風土的にも、社会的にも、固有性を持っていた。

しかし、政治的、宗教的にガリラヤは、圧倒的に、ユダヤの支配下に入っていた。
すなはち、政治的には、ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスも、ローマのユダヤ総督の傀儡に過ぎず、宗教的には、ガリラヤも、徹底的に、ユダヤ教化されていた。

ユダヤと、サマリア、インドマヤの、領主、アルケラオスは、度重なる失政、特に、ユダヤ教大司祭に対する、弾圧政策と、不当な結婚のゆえに、絶えず、ユダヤ人の反抗を受けていた。

そして、ついに、ユダヤ人の支配者が、不倶戴天の敵、サマリア人と組んで、アルケラオスを、皇帝アウグストゥスに讒訴するのである。

皇帝は、これを、受けて、アルケラオスの領土内における、財産を没収し、彼をガリラヤに追放する。

更に、紀元前四年に、ヘロデ王が、没した年に、ユダヤ人の支配層は、ユダヤ教徒は、神以外に、王を戴かないという、理由で、パレスチナをローマのシリア州に、編入してもらうべく、皇帝に、願い出ていた。

これは、ユダヤ人の、富裕層が、自らの財産を、ヘロデ家の手から、守ろうとする、自衛手段だった。

これは、ユダヤ地方を、直接支配下に置こうという、ローマ側の、利害と一致したのである。

ローマ皇帝は、ユダヤ人支配層に、信仰の自由と、ある程度の、自治を認め、彼らの財産に、保護を与えることを、約束した。
そして、アルケラオスの旧領地を、シリア州と並ぶ、皇帝直轄属州、いわゆる、ユダヤ州にして、皇帝の、直接支配下に置いたのである。

ユダヤ人の、一部の特権階級は、皇帝の保護下に、平和を享受したのである。
だが、大部分のユダヤ人は、アルケラオスの統治下よりも増して、新しく、ローマ側からも、課せられる、重税に、苦しめられることになる。

この以後、ユダヤ州は、ローマの総督によって、統治されることになる。

ポンティウス・ピラトは、ユダヤ州の五代目の総督に当たり、この時代の皇帝は、ティベリウスに変わっていた。

ピラトは、ローマで、皇帝以上に、実験を握っていた、親衛隊長セヤーヌスの庇護を受けて、ユダヤ人に対して、弾圧政策を、取っていた。

ローマ総督が、ユダヤ州において、所有していた、最大の、権限は、徴税権である。
戸籍調査によって、課せられる、人頭税、地租の直接税、移動税、市場税等の間接税から、なり、ローマの大商人、徴税請負人によって、直接的には、出先機関である、ユダヤの取税人によって、徴収された。そして、皇帝財庫に入れられた。

司法権としては、イエスの時代は、政治犯に対する、死刑執行権を持っていた。
これらの、職権以外の、一切は、ユダヤ人の、自治機関である、最高法院に、委託されていた。

その最高法院の、頂点には、大祭司がいたのである。
この職は、ユダヤ人の、元首といわれるほどの、絶対権力を、持っていた。

大祭司職は、伝統的に、世襲制であったが、その経過は、省略する。

紀元後六年、アルケラオスの領地が、皇帝直轄属州に編入された時点で、反アルケラオス運動の功績を認められた、アンナスが、シリアの州総督、クイリニウスによって、大祭司が任命され、以後、ローマ当局の絶対的信任を得て、彼が、職を下りた以後も、五代の長きにわたり、アンナス家から、大祭司が、選ばれた。

イエス時代の、大祭司カヤパの時も、実際には、アンナスが大祭司としての、実権を握っていたのである。

当時の、ユダヤにおいて、宗教、つまり、律法と司法、そして、政治、行政、軍事が、実に、密接に結びついていたのである。

他方、神殿財庫管理者は、収穫の初穂、さらに、祝祭日ごとに、特に、国外在移の、ユダヤ人から、奉納される、莫大な数に上る貢物のほかに、二十歳以上の、すべてのユダヤ人から、毎年徴収する、神殿税を、管理運営することで、ユダヤ国内の、財務を担当した。

さらに、神殿に仕える、祭司たちの生活を支えるために、下級祭司、レビ人を使い、イスラエルに伝統的な、いわゆる、十分の一税を、民衆から、取り立てていた。

最高法院は、大祭司を頭として、70人の、議員によって構成されていた。
それは、祭司長たち、また、役人たちの他に、長老たち、律法学者たちから、成り立っていた。

祭司長、役人たちは、貴族信徒で、大土地所有者であり、長老、律法学者たちは、小市民層の、利益を代表する。

前者は、サドカイ派、後者は、パリサイ派と、呼ばれる。

サドカイ派は、伝統主義、保守主義の立場をとり、モーゼ律法、旧約聖書の最初の、五つの書、モーゼ五書のみを、聖文書として、ここに、認められない、あるいは、これ以降の時代に成立したといわれる、新しい思想を、一切認めなかった。
つまり、モーゼ信仰である。


彼らは、ユダヤ社会の、経済的上層と密着して、外国勢力に対して、一般的に、協調政策を取っていた。
その、保守的国民的主義は、自由主義として、機能することも、できたのである。

イエスの、時代には、ローマの傀儡的存在であった、アナンス家の大祭司、祭司長たち、長老たちと、密着することにより、体制を擁護する役割を果たしていたのである。

パリサイ派は、分離者を意味する、ヘブライ語、ペルーシームに由来する。
彼らは、律法を守らない者、いわゆる、地の民の、不浄から、自己を分離することによって、宗教的清浄の理念を、世俗世界に、貫徹させ、その場を、彼らの同志的結合、ハーペールの中に、形成していった。

その際、彼らがとった、手段は、律法の、敷衍解釈である。その目的は、古き律法から、理念を取り出し、それを解釈することによって、新しい時代に、生かそうとするものである。

律法の合理化である。

彼らが、天使論や、復活信仰を受け入れたのも、モーゼ五書に固有な、神の使いの概念や、一元的人間観を、ペルシャから導入された、新思想、マカベア戦争による、殉教者という、新事態に即して、解釈した結果である。

パリサイ派は、預言者の時代は、終わったという、認識に立ち、法理念の、この世における、貫徹の中に、神の国の建設を期待した。

その結果、律法と、その解釈に基づく、細則を守らない者は、救われないという、律法主義に、陥る傾向があった。
この傾向が、特に出てくるのは、紀元後、70年代以後に、この派閥が、ユダヤ教正統の位置についた以後のことであり、イエスの時代は、それほど、強くは無かった。

ユダヤの、最高法院は、社会的には、貴族祭司と、大土地所有者、および、手工業者を中心とする、小市民層との、利益代表者によって、構成されていた。

サドカイ派と、パリサイ派は、それぞれの、社会層の存在を、正当化する、役割を、果たしていたと、いえる。





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奇跡の旅・ビアク島へ 6

朝は、早く目覚める。
といっても、日本時間の、八時、現地では、六時である。

インスタントコーヒーを炒れて、飲む。
しばらく、ぼんやりとしている。

明日は、ビアク島へ行く日である。
電話に、料金を入れたほうがいいと、思う。
ビアク島の、状況が全く、解らないからだ。

それから、お握りを取り出して、食べる。
でも・・・確か、四個もってきたはずなのに・・・一個だけしかなかった。
いつ、食べたのか、忘れた。

兎に角、冷たい、お握りが、美味しいのである。
日本の米は、凄い。少し、柔らかめに炊いて、お握りにすると、冷たくても、問題ないことに、気づく。

電話の料金を入れるために、部屋を出る。
朝の、通勤ラッシュである。
車が、渋滞している。

スラムの、あのお姉さんのところに行き、電話を差し出し、10万ルピアを出す。
すると、慣れた手つきで、料金を入れてくれる。
そして、2000ルピアを、返金してくれた。
10万ルピアの、カードを買うと、少し安くなるのだ・・・

通りに戻り、ホテルに向かうと、ガソリンを売る、道端の店に、以前来たとき、見かけて、服をあげようと思った、女の子がいた。

何と、私に、笑顔で、手を振る。

そこで、私は、後で、ズボンと、シャツを持ってくるからと、日本語でいい、身振りで、示した。
それで、理解してくれるのだ。

小瓶に、入れた、ガソリンを小売販売しているのだ。
その、店番をしていた。

早速、私は、支援物資の、仕分けをした。
どうせなら、以前行った、スラム付近にも、行こうと思った。

子供用を中心に、バッグに詰めなおした。

昼前に、出掛ける。
また、女の子が、いなくなっては、残念だと、思ったからだ。

女の子は、待っていた。
私は、彼女のサイズに合う、ズボンと、シャツを出した。
オッケーと、聞くと、頷く。

一緒に、おばあさんもいたので、おばあさんには、タオルを、差し上げた。

そして、物売りの、男の一人に、写真を撮ってもらう。
女の子は、しっかりと、たたんで、膝の上に、衣服を置いて、私と、ポーズを作る。

それから、私は、スラムへ向かった。
スラム通りから、少し奥に入ると、スラム街の道である。

前回の、スラムの、門の前を通ると、見覚えのある、おじいさんがいた。
門番である。
手を振ると、向こうも、手を振る。
しかし、今回は、その中に、入らない。

そのまま、道なりに歩いた。
少し、雰囲気が、変わっていた。

そのまま、歩くと、ホテルに出る道である。

小屋が立ち並ぶ。

男の子二人を、水浴びさせている、親子を見つけた。
私は、衣服を出して、必要ですか・・・と、問い掛けた。
母親は、とても、喜んだ。

だが、静かにと、私に知らせる。
その時、私は、それを受け取らないと、勘違いした。

要するに、人が沢山集まるというのだと、解る。
だが、矢張り、それを、見ている人たちがいた。

ところが、このスラムの人たちは、とても、行儀がよい。

サイズの合うものを、二人の男の子に、上げて、立ち上がると、二人の女が、赤ん坊を抱いて、立っている。
そこで、また、バッグを開けて、幼児物を示した。
すると、二人とも、頷く。

それぞれに、差し上げて、さて、と、歩き始めると、いよいよ、人が集まってきた。

それで、皆の前で、バックを開いた。
そして、私が、取り出すのを、待っている。

一枚、一枚と、取り出すと、それぞれが、誰々に合うというように、分配する。
昨日の、スラムとは、様子が違う。
誰かが、私のバッグに手を出すと、それを、牽制する人がいる。

規律正しく、受け取るのだ。
決して、騒がない。
つまり、それぞれの、スラムには、性格があるということだ。

すべてを、出し終えて、物売りの、お兄さんが、見ていたので、写真を撮ってもらう。
すると、皆が、写真を撮るべく、揃うのである。

実に、よい、雰囲気である。
そして、私に、インドネシア語で、何かいう。皆、同じ言葉を、いう。

私は、その言葉を、覚えて、ホテルに戻り、ガードマンに、どんな意味かと、問うと、英語で、グッドという。
すると、日本語が少し出来る、おじさんがやってきて、それは、あなたが、よい人だと、言っているのだと、教えてくれた。

汗はかいたが、とても、楽な、支援だった。

スラムでも、場所によって、性格が違うと、認識した。
これからの、参考にする。

必要な人に、差し上げるという、その、一点は、守る。
くれてやる、と、思われることは、実に、不敬なことであるから。

時には、いらないと、いう人もいる。
そういう、時は、速やかに、立ち去る。

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2010年07月07日

神仏は妄想である 296

イエスの時代の、ユダヤでは、まだ、大土地所有者と、大商人とが、分離していなかった。

大土地所有者は、彼らの、広大な土地に、バルサム材、棕櫚の木を植えて、これから取れる、高価な薬品、香料を輸出することで、莫大な、利益を上げるだけではなく、小麦まで、国内の需要さえ、十分でなかったにもかかわらず、利益のために、輸出していたのである。

他方、彼らは、国内においては、穀物の買占めを手段とする、投機によって、あくどい商売をしていた。

穀物の隠蔽が、行われていたことは、旧約聖書、箴言の書にも、出ている。

穀物を、しまいこんで、売らない者は、民に呪われる。それを、売る者の頭には、祝福がある。
箴言の書

これ以上、詳しく書かないが、実に、ユダヤ人というものは、自国民にたいしても、冷酷だった。
更に、差別主義である。

古代は、穀物の生産が、自然条件によって、大きく支配されていた。
市場価格を一定に保つことは、問題にならなかったのである。

イエスの、時代は、穀物4セアの、通常値段は、1セラ、1デナリであった。
バケツ一杯ほどの、穀物の値段は、日雇い労働者一日分の、平均給与に当たる、1デナリであった。

そして、エルサレムの市場管理者は、最高価格を抑えることはせず、購買量を制限していた。

このような、大農場経営に、立脚する、古代資本主義経済機構は、ローマ市民共同体から、巨視的に見れば、奴隷を含む、いわゆる外人に対する、そして、これを、属州ユダヤの自治体から見れば、小農民に対する、経済搾取によって、成り立っていた。

ユダヤの、農民は、小土地を私有する独立自営農民の場合でも、多くの場合は、その農具を、大土地所有者から、借金によって、買うか、あるいは、彼らから、一定の額で、現物を貸付されるかして、農業を営む状態だった。

そして、その借金は、補遺率で、禁止されているにも、関わらず、実際には、利息がつけられていたことは、ラビ文献でも、福音書でも、確認される。

このような、生活状態の中で、ある程度生活を安定させるには、小農民は、家内手工業や、小規模な家畜の飼育、そして、ガリラヤでは、漁業を営んでいた。
だが、それでも、生活が出来ない場合は、土地を放棄し、小作人になるか、町に出て、日雇い労働者になるか、負債奴隷となるか、女の場合は、売春である。

ユダヤにおいて、奴隷は、他のローマ属州と違い、七年ごとに来る、安息年に、自動的に開放されるという、掟があったので、比較的、人道的な扱いを、受けていた。
だが、この、掟が、完全に守られていたことは、疑わしい。

解放後に、進んで、奴隷になる人、奴隷と、ならざるを得なかった人もいる。
特に、このような、状態にある者が、障害者となったり、重病になった、場合は、極めて、悲惨だった。

さて、イエスの時代、祭司と民衆の間に、社会層上の、区別は、明確ではなかったという、事実である。

貴族祭司が、大土地所有者であり、大商人であり、最高法院の頂点に立って、ユダヤ自治組織の体制を、動かしていたことは、確かであるが、下級祭司、いわゆる、レビ人たちは、むしろ、小農民と、同列か、それより、低い経済状態を、余儀なくされていたのである。

ユダヤ古代史によれば、
祭司の中資力を失った者たちは、貧困の中に死んでいった
と、ある。

この時代、祭司の間にも、階級ギャップが、生じていたのである。

持てる者は、与えられ、持たざる者は、持てるものまでも取り上げられるであろう
マルコ、マタイ、ルカ福音書

イエスの活動した、ガリラヤは、ユダヤに比べて、自然状況に恵まれていた。
ユダヤは、ガリラヤなしに、経済的に、成り立たなかったといわれる。

エルサレム在住の、貴族祭司、大土地所有者は、その土地の、多くを、ガリラヤに持っていた。更に、律法学者、パリサイ派の人々は、ラビとして、ガリラヤの会堂を支配していたのである。

また、ユダヤで、土地を失った農民が、ガリラヤで、漁師などの、職、仕事をしていたと、考えられる。

また、面白いのは、ユダヤ教の反主流派組織も、多々あった。
それらは、省略する。

更に、メシアと、名乗る人々も多数いた。

福音書に、登場する、サマリアについて、少し書く。

サマリアは、ガリラヤと、ユダヤの中間に、位置する。
この地域は、ガリラヤと共に、アッシリアの一属州に、編入されて以来、イエスの時代に至るまで、ユダヤとは、接触がなかった。

ユダヤ教とは、異なる、サマリア教が、成立していた。
だが、それも、旧約聖書の、モーゼ五書だけを、経典とみなして、エルサレム神殿を拒否していた。

そして、預言者の降臨を待望していた。

そのため、ユダヤ教徒と、争いが、絶えなかった。
ガリラヤ人や、ユダヤ人が、サマリアを通ることさえ、不可能だった。

だが、ローマ帝国から見れば、サマリアも、ユダヤ州の一部であった。

イエスは、生涯の大半を、ガリラヤで過ごし、最後に、エルサレムに上り、その地で、十字架刑という、極刑に処されて、没するのである。

ユダヤ社会においての、差別は、甚だしく、貧者、最悪の場合は、小家畜飼育者、日雇い労働者、売春婦、奴隷、障害者、病人、それらは、農民層から出ていた、人々は、ラビたちから見れば、律法を守らない、宗教的、社会的な、差別の対象だった。

だが、事実は、律法を守らないのではなく、守ることが、出来なかったのである。

あるいは、守ることの出来ない、状況に置かれていた。
彼らは、ローマ当局から、人頭税、間接税を徴収され、ユダヤ自治機構からも、神殿税を課せられていた。

そして、大土地所有者からの、投機による、被害を、直接受けていたのである。

それを、ラビたち、パリサイ派が、宗教的差別の、対象として、攻撃していた。

なんと言っても、宗教というものによって、正当化する、彼らに、対抗できかる、何物もなかった、悲劇の人たちがいる。

イエスは、その、彼らの側に、ついたのである。

つまり、現代で、言えば、決して、社会的権力、権威を持つ、教会の司祭たちの側ではなく、それらに、搾取され、虐げられた、人々の側について、
もし、神がいるなら、それは、あなたたちのために、存在すると、声を上げて、叫んだのである。

キリスト教国がある。
しかし、貧しい人たちは、教会の中にも、入ることが、出来ない。
それを、私は、見ている。

日本の、キリスト教徒を見て、キリスト教徒を、想像しない方が、いい。
日本の、キリスト教徒は、イエスの存在の無い、キリスト教である。

妄想、熱に浮かれた、イメージ信徒、生ぬるい、信仰という、遊戯に遊ぶ、信徒の群れである。

更に、日本の
司祭、牧師たちは、生活の保障がされて、痛くも、痒くもない、安穏とした、状況の中にいる。
そこで、あたかも、悩んだ振りをして、信徒を、導き、尊敬を受けて、実際は、惰眠を続けている。
だが、その中途半端な信仰によって、ユダヤ魔界と、その魔神と、真剣に取り合わないことが、救いでもある。

ちなみに、彼ら、クリスチャンの言うところの、聖霊、そして、霊性なるものは、無い。
妄想である。

もし、本当に、霊性が、あれば、即刻、教会から、離れる。
その神は、魔神であるからだ。

ヤハウェの天の国に、入っても、救われない。
更に、主イエスも、そこには、いない。

嫉妬と、裁きの神の元に、愛の神を、説く、イエスがいれば、イエスの教え自体が嘘であるといことになる。

だが、鋭い、霊能力で、観れば、黒い神が、白い神を、創造したとある。
魔神が、その姿を、見せずに、善なる姿の神を、創造したことになる。

混乱の極みである。


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奇跡の旅・ビアク島へ 7

ビアク島へ、出発の朝、チェックアウトの、追加料金を払うために、フロントに、下りた。
夜の、六時まで、部屋を使用する。

飛行機の、出発時刻は、夜の、11:55である。つまり、飛び立つのは、翌日である。

部屋に戻り、荷物の整理をする。
出来るだけ、少ない手荷物にする。

大きなバッグに、すべてを詰める。
つまり、荷物は、二つになる。
機内持ち込みは、一つにした。それは、正解だった。国内線の、荷物は、一つのみ。

さて、また、電話に料金を入れるために、出掛ける。
お姉さんは、疲れて、寝ていたが、私が行くと、いつものように、電話機を持って、料金を入れてくれた。

私は、その後、少し、散歩した。
勿論、スラム街である。

次回は、海岸に近いスラムに、支援したいと、思う。
スラム街といっても広大な広さなので、戸惑う。

屋台で、食事をしたい誘惑にかられるが、やめておく。
ビアク島に、行くまでは、倒れていられない。

そのまま、そごうデパートに行き、朝と昼ごはんを、一緒にして、四階の、屋台コーナーに行く。

牛肉の炒め物と、ご飯がついた、セットを注文する。
そして、デザートに、ソフトクリームを食べた。
暑い国では、塩と、砂糖が、必要である。
それらは、汗で、流れてしまう。

さて、チェックアウトである。
すべての、領収書を持って、フロントに出し、清算する。

そして、顔見知りの、夜の部の、ボーイに、タクシーを頼む。

ネクストタイム、スティーヒァーというと、ありがとうと、応えた。

タクシーに乗り込み、夜の、空港へ向かう。
ところが、空港への道は、とても、混んでいた。

途中から、進まないのである。

運転手の、おじさんは、済まないと、言う。と、私は、感じた。

オッケー、オッケー
通常の二倍の、時間がかかった。
どうせ、深夜便であるから、余裕である。

ようやく、空港に到着して、カートに、荷物を積み込んで、時間を待つことにした。
そして、夜の食事は、空港の中で、する。

スカルノ・ハッタ空港は、沢山の、乗り場がある。
今回は、国際便のある、F2という、空港である。
そこが、一番、広い。

一階にも、二階にも、レストランが沢山ある。

七時を過ぎていたので、私は、カートを押して、一階に下りた。
その中で、安い店を探した。
何でもある、レストランに入る。

入り口に近い、テーブルに着いた。
注文したのは、チキンの焼きそばである。

私の座席の横を、ふっと、見ると、三人の子供たちが、靴を磨いていた。
その店に入る客の、靴磨きをしていた。

丁度、私のテーブルの横である。
何気なく、見ていると、一人の少年が、何か言う。

全く、解らない。
しかし、腹を押さえて、口に、指を当てる。つまり、食事をしたいという、仕草である。

オッケー
私は、三人に、焼き飯を、ご馳走することにした。

17,13,10歳の、少年たちである。
日本では、考えられないことである。
空港で、勝手に、レストランに入り、仕事をするという・・・

私のテーブルに、彼らは、椅子を三個置いた。
他の客が、不審そうに見ていた。

私たちは、四人で食事をすることになった。
言葉が分からないが、色々と、話をした。

13,10歳の子は、学校に行っているという。17歳の子は、靴磨きで、生活している。

幾らでしているの
五万ルピア、つまり、500円である。

ただ、驚いたのは、彼らの、食事の量である。
注文した、焼き飯が、彼らには、多いのである。つまり、彼らは、いつも、少しばかりの、食べ物で、過ごしているということだ。

そこに、別の少年が来た。
友人だと言う。同じように、靴磨きをしているという。
私は、その子に、カメラを渡して、四人の写真を撮ってもらった。

彼らは、いつも、ここで仕事をしているから、また、来てという。
オッケー
今度は、ズボンと、シャツを持ってくるね

なんだか、親戚の子のような、気持ちがした。
このような、子供たちは、空港の中に、沢山いる。
ある子は、ゴミ箱から、ペットボトルを集めている。
皆、自分たちの、生活を、自分で、支えているのである。

日本なら、養護施設に、預けられる子供たちである。

さて、私は、長い時間を、空港で、過ごさなければならない。

ガルーダインドネシアの、マカッサル経由、ビアク島行きである。

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2010年07月08日

神仏は妄想である 297

あなたがたも聞いているとおり、昔の人には、「殺してはいけない。人を殺した者はさばきをうける」と命じられていた。しかし、わたしはあなたがたに言う、兄弟に対して怒る者はみなさばきを受ける。また兄弟に「愚か者」と言う者は、衆議所に引き渡され、「ばか者」と言う者は、火の地獄に落とされる。
マタイ 5章

兄弟に対して、怒る者は、みな、裁きを受けると、イエスが言う。
おかしい。
イエスは、いつも、怒っている。

殺人と、怒りが、同じものだと、言うのである。

怒りを殺人と同一視して、どちらも同じ罪に定められる、とする奇妙な論理はどこから来たのであろうか。こういう論理展開はグロテスクである、と言わねばならない。もっとも、キリスト教神学者の中には、どうにもならないほどに非論理的な者がいるので「グロテスクなものがまさにイエスの要求の絶対性を示している」なんぞと言いつのる者がいるのだから(G・シュテーリン)、いやになる。
田川建三

階級的な支配権力を持つ者が勝手に「怒って」その「怒り」を人殺しに結びつける時には、その「怒り」は断じて許せない。しかし、「社会の一員であることを認められず、許されない」人間が怒るのは当たり前なのだ。それとこれとを一緒にされてたまるか。狭山差別裁判の石川氏に、怒ってはいけません、なんぞと誰が説教できるのか。
田川

田川氏は、二つの問題があるという。

一つは、人間が怒ることは、それ自体として正しくない。
これは、旧約以来の伝統的、見方である。

もう一つは、怒りと、殺人を同じくするという、観念的拡大である。
それが、マタイ教団の、独自の発想だという。

だが、旧約聖書に出る、「怒り」の概念を調べると、そこには、人間の怒りが、語られることが、極端に少ない。
怒りは、大半が、神の怒り、なのである。

旧約聖書は、イスラエル民族主義の、塊であるから、神の怒りは、イスラエル民族以外に、向けられるものと、考えられるが、実は、イスラエル民族にも、向けられている。

エゼキエルが、エルサレム滅亡について、語る場合、「私は君たちを一緒にして、君たちに向かってわが怒りの火をあおり、火の中で君たちは、とかされる」と、歴史的過去、もしくは、未来の、戦禍や災害が、神の怒りの、表現とされると、田川氏は言う。

キリスト教の、馬鹿さ加減は、聖書を、歴史書としても、捉える点である。
聖書は、宗教の文書であり、作為ある、書き物、つまり、何とでも、解釈できるものなのである。

それを歴史の現実として明らさまにとらえることをせず、神によって不可抗力に定められたこととみなす。歴史の中のことを、超越的な観念「神」の世界へと追いやる。まさに典型的な宗教的疎外である。
田川

スマトラ島地震の際に、イスラム指導者、及び、キリスト教原理主義の指導者が、神の怒りに触れたのであると、語ったのを、聞いて、唖然とした。
いや、呆然とした。

一体、どこから、そんな、とんでもない、発想が、出で来るのか・・・
つまり、観念「神」の世界へと、追いやるのである。

更に、悪いのは、彼らには、許せない、者たちの、行状が、良くないからだと、決め付けるのである。

こういうのを、手に負えないという。

戦争の際の、それぞれの、祈りを、聞くと、また、愕然とする。

キリスト教徒は、神のための、戦争勝利を祈り、イスラムは、同じく、聖戦であると、祈る。

次に、田川氏は、ヨブ記の著者による、話題を書く。

当時の月並みだが、支配的な宗教世論であろうけれども、因果応報的な、発想で、「神の怒り」を、個人倫理の水準にも適用する、自然災害は、「神の怒り」と、みなされ、それは、「悪しき人」の家は「大水に押し流され」「激流がその怒りの日に押し流す」という。

この種の宗教論理がうさんくさいのは、うさんくさいどころかひどく実害があるのは、しばしばこれを論理的にひっくり返して、自然災害の犠牲者の悪口を言うことになるからである。あの人の家が押し流されたのは、あの人が何か悪いことをしたからにちがいない、と、こうして自然災害の犠牲者には更に人間社会の偏見という二重の災害が押し寄せる。
田川

実に、差別の、最たるものである。

だが、ヨブ記の、著者は、旧約には、稀な、考え方をした。

常識的な良心が、あれば、自然災害は、悪しき者にも、良き者にも、平等に襲いかかる。
だから、悪しき者、に対する、神の報いと言って、説明するなという。

そして、極めつけは、むしろ悪しき者の方が、災害から、免れると、言うのである。

話は、より、具体的になるが、要するに、宗教では、問題を、すべて、神に、帰結させるということである。

勿論、良いことも、である。

それを、田川氏は、宗教的疎外であるという。

「疎外」とは、自分の現実の中にあるものを屈折させてそとに放り出す、この場合なら宗教的観念世界へと放り出すことである。
田川

時代が、下り、個々人の、倫理が、民族共同体の問題とは、別に考えられるようになっても、怒るのは、神なのである。

この伝統の中では、人間の、怒りというものを、真剣に考えさせないのである。

これは、恐ろしいことである。
すべての、事象が、神に帰結するという、妄想である。

人間の、倫理的な、怒りを、真に考えない場合は、人間まで、疎外するのである。
つまり、人間の場所がないという、矛盾である。

宗教には、人間の場所が無い。
それらは、すべて、神や、仏の、場所なのである。

これほど、人間と、関わらない観念は、無い。

そこに、逃げ込んで、苦悩する様を、信仰の深さと、勘違いした、多くの人々。
日本では、鎌倉仏教に代表される。

更に、続けて、見ることにする。

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奇跡の旅・ビアク島へ 8

マカッサル経由ビアク島行きの、飛行機は、意外に空いていた。
私は、後部座席の、三席を独り占めして、離陸した後で、体を横にして、眠った。

途中、食事で、起こされたが、また、寝た。
そして、また、起こされた。
マカッサルに到着である。

およそ、二時間半程度である、マカッサルで、降りる人たちがいた。
私は、どうするのだろうと、スチワーディスに、聞いた。すると、ここにいてと、言われた。

ところが、作業の人たちが、乗り込んできて、掃除をはじめた。
更に、座席の、手直しである。
そして、また、新たに、人が乗り込んで来た。

それでも、私の座席には、誰も来ない。
これで、また、眠れると思った。

小一時間程度の、時間だった。

離陸である。
私は、離陸の間、待てずに、体を横にして、毛布をかけて、寝た。

気づいた時、窓から、大陸が見えた。
えっ・・・パプア・・・・

スチワーディスに聞いた。
パプアですか
ええ、パプアです

私は、涙が出そうになった。
ついに来た。
マルク諸島を越えて、パプアに来たのである。

パプアは、自然豊かで、川が、蛇行して流れているのが、見える。
美しい、緑、緑、緑・・・

よくぞ、ここまで、やって来た・・・といっても、飛行機に、乗っていただけである。それでも、よくぞ・・・来たと、感動した。

しばらく、窓の外を眺めて、いた。

飛行機が、大きく旋回して、ビアク島の、全体を見せてくれた。
私のための、サービスかとも、思ったが・・・それは、無いだろう。

小さな、空港である。

離陸は、抵抗なく、すんなりと、降りた。

ビアク島である。
外国人は、私と、白人の二人の男。
一人の、若い白人の男は、何か、思いつめたような顔つき。もう一人は、旅好きな、おじさんと、見た。

着物姿は、勿論、私一人。

歩いて、空港に向かう。
そして、ターンテーブルの荷物を待つ。

荷物は、すぐに、出てきた。
それを、カートに乗せて、外に出た。
矢張り、タクシー、タクシーと、誘われるが、どこに行く当てもない。

時間は、朝の、八時過ぎである。

私は、カートを押して、空港前の、ベンチに座り、さて、どうするかと、タバコを吹かした。

隣にいた、若い男に、話し掛けた。
ドゥユーノウ ビアクホテル
英語が解る、男だった。

彼も、よく解らないらしく、少し向こうにいた男に、現地の言葉で、尋ねた。

すると、四五軒の、ホテルの名が、出た。
よし、私は、若い男に、行くとねと、声を掛けて、立ち上がった。
すると、応えた男が、私の荷物を持つ。
タクシー運転手だったのだ。

その控え目な態度が、気に入った。
ホテルへ
オッケー

空港近くにも、ホテルがあった。
車を止めて、フロントに、向かう。
運転手も、一緒である。彼は、英語は、全く話せない。

料金を尋ねる。
リゾートホテルである。
六千円程度から、二万円程度の、部屋ばかり。
高い。やめた。次に行く。

フロントの、女が、私を引き止めるが、無視して、外に出た。
車に乗り込み、ゴーである。

車は、通りに入った。
島の、メイン通りのようだった。
といっても、静かである。ただ、人が多い。

ホテルだといって、示された、建物を見たが、これが、ホテル・・・
平屋の建物で、全く、ホテルとは、見えない。

とりあえず、フロントに行く。
料金を尋ねる。

一泊、二千円である。20万ルピア。
よし、ここに決めた。

運転手に、オッケーと、伝えた。

部屋は、101号室。
部屋に、荷物を運ぶ。
そして、運転手に、明日、島を案内して欲しいと言うが、意味が通じないので、ホテルの主人に言う。
主人は、英語が出来る。

明日の朝、10時に来てください。
ホテルの主人が、伝えた。
運転手は、頷く。

とりあえず、野宿する必要は、なくなった。
そして、改めて、部屋の中を確認する。

そして、呆然とした。
トイレは、便座なし。
シャワーは、自分で、桶で、水を掛ける。
洗面場所がない。
とても、不便である。

後で、便座の無い、トイレで、相撲の、しこを踏むように、12時間、下痢をすることなど、考えられなかった。

勿論、水を尻にかけて、手で、肛門を洗うのである。

更に、ベッドには、枕と、抱き枕があり、毛布は無い。
タオルも無いので、フロントに、タオルと、言ったが、無いという・・・

ジャカルタで、タオル類を、すべて差し上げていた。
だから、自然乾燥である。

唯一、エアコンがあるのが、救い。

いきなり、疲れた。
しばし、ベッドに、横になる。

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2010年07月09日

神仏は妄想である 298

怒るのは神であって、人間は怒ってはならない、という発想が強くなっていく

キリスト教発生以前のユダヤ教が全部そうだというわけではないが、この傾向は特に知恵文学に系統においてはっきり出てくる。「怒りやすい者は愚かなことを行い、賢い者は忍耐強い」(箴言の書)など。もっとも、知恵文学の場合、イスラエルの伝統的な発想だけではなく、外来の処刑訓も加味されて、感情的に激するのは愚物であって、賢い人間はいつも冷静さを保つ、と言っているのだが、そういう処世訓が神観念へと疎外された「怒り」に結びつく時、人間の怒りは神に逆らうことであって、怒ることは神にのみまかせておけばよいのだ、という考え方になっていく。
田川

作られていく、感情であり、更に、神観念の中に没入させるという、手である。
それを、神観念へと、疎外すると、表現する、田川氏である。

いよいよと、偏狭な心境に入っていくのだが、それは、何も、ユダヤ、キリスト教だけに、言えることではない。
宗教のすべてが、神観念や、仏観念へと、疎外するのである。

つまり、信仰が、深くなれば、なるほど、そういう傾向を帯びる。

私は、もう一つ、別な言い方をする。
疎外する、つまり、逃避するのである。

たとえば「ソロモンの詩」では、「私の舌と私の唇を真理の言葉でつつみ給え。怒りと不合理な憤りを私から遠ざけ給え」という祈りが出てくる。そして、「怒り」は人間の持つべきものではない、ということを、「ベンシラの知恵」ははっきり言い切っている、「心の憤りは女から生まれた者のためにあるのではない」。「女から生まれた者」つまり人間には、怒ることは許されていないので、怒ることができるのは神のみである、というのだ。
田川

新約聖書において、「怒り」は神の意志に逆らうことだ、とみなす見方の理解がつく。当時のユダヤ教のこれらの文章、ことに知恵文学では、人間の怒りは非理性的な感情の爆発として退けられている。右に「心の憤り」と訳した句は、むしろ「情の怒り」と訳すべきで、ていねいに言えば、「憤りの感情のもつ怒り」という意味である。このように、人間の持つ怒りを愚かな感情のほとばしりとみなし、正統な、あるべき当然の怒りは神のみ帰する、というところに、宗教的な疎外の特質がある。正統な怒りを神にのみ帰してしまったら、しいたげられた民の腹の底から煮えたぎる怒りを神への不従順として抑圧してしまうことになるのである。
田川

これが、宗教指導者、支配層の、狙いである。

こういう、ものの考え方、つまり、ヘレニズム的な、世界支配の中で、私的個人の、安心立命を願う、ユダヤ教の、知恵文学、ローマの世界支配の中で、私的個人の、宗教的救済のみを、願う、パウロや、その亜流に、主として、現れるのである。


このように、実に、偏狭で、矮小である。
宗教とは、人を、支配するために、とことん、練られた、巧みな言葉の世界であると、言える。

そして、それは、人間によって、作られているということである。

「怒り」というものをすべて感情的な動きの類似性からのみ形式的に一般化して、一切の怒りは愚劣な感情の動きだ、などと断じられたのでは、やりきれない。
田川

しかし、イエスは、随分と、怒る。
新約聖書には、イエスの怒りの様が、四福音書に、多く記される。
これは、怒りを発することが、出来ない、民の代わりに、怒る如くである。

そして、イエスの、怒りは、支配層、指導者層に、向けられた。

マタイ教団は、それを、どのように処理しようとしたのか。

マタイ教団では、イエスの言葉、反対命題を、旧約聖書的教条に対する批判的対決とは、解さず、むしろ、彼らの「義」の完成という発想で、捉えた。
旧約聖書では、不十分な、「義」というものを、より大きく、十分に完成したものであるとする。

しかし私はいう
という、イエスの言葉を、それより、よりよく、より徹底して、言うと、解釈されたのである。

旧約的教条に反対するのではなく、完成命題とした。

山上の説教とは、イエスの強烈なユダヤ教批判と、マタイ教会のユダヤ教を発展的に継承しようとする視点との、ごった煮なのである。
田川

つまり、マタイ教団も、ご多分に漏れず、ユダヤ教のみならず、宗教的に、作り上げていく、教義なのである。

田川氏は、神学者であるから、多くの例を、引いて、解説している。
私は、それを、省略する。

マタイは、精神主義である。
すべてを、精神主義に、拡大して、発想する。

重要な問題は、正当な怒りはすべて神のみに属する、という宗教的に疎外された発想の中で、社会的に抑圧された者の怒りすらも骨抜きにされていく、というからくりをしっかりと見抜いておくことであろう。
田川

マタイは、精神主義的な、教団内倫理と、ユダヤ教から継承した、宗教的に疎外された、「怒り」の理念を定着させることになる。

ところで、兄弟に対して・・・怒る者は・・・
異教徒に対してではない。

同じ信徒同士のことである。
兄弟を殺す者は、裁かれる。しかし、異教徒を殺した場合は、裁かれない・・・

とっても、狭義の意味での、教義であろうか・・・

キリスト教徒が、イスラム教徒を、殺しても、問題は無い。
または、それほど、重要なことではない。
こうして、無明の教義が、作られていく。
疎外が、逃避になり、そして、何かを忘れていく。信仰というものの、闇である。

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奇跡の旅・ビアク島へ 9

まあ、それでも、この部屋に、二泊することにした。
この程度で、慌てていては、これから、まだまだ、ニューギニア戦線の追悼慰霊をするのであるから、驚くに当たらない。

時間は、朝の十時前である。
ではと、早速、ホテルの周囲を散歩することにした。
食堂も、見つけなければならない。

暑いのだが、日差しは、ジャカルタより、弱い気がした。

そこが、ビアク島の、メイン通りだと聞いたので、また、驚いた。
ホテルの並びに、スーパーがあり、その向かい側にも、スーパーがある。
そして、小屋のような建物が、続いて、音楽ショップや、携帯電話の店・・・などがある。

食堂が、一軒。
向かい側のスーパーの中にも、一軒あるのみ。

それで、おしまい。
歩いても、五分である。

仕方なく、向かい側のスーパーに入り、水を買う。
そして、色々な品物を見て回る。

以外に、食料品が多い。
ただ、果物が少ないのが、気になった。
輸入物が、大半である。

そして、島であるから、全体的に、値段が高い。
それは、何から何までに、言えた。

1,5リットルのペットボトルを、二本買い、一度、ホテルに戻る。

矢張り、汗をかく。
地元の人は、汗をかかないようだ。

水浴びに挑戦してみる。
大きな水槽のような場所に、水が溢れるようにある。
桶を使い、下半身から、かけてみる。

少し冷たいが、気温が高いゆえに、それほどでもない。
体全体に、水を掛ける。
少し、気合を入れた。
意外に、気持ちがいい。

と、それで、タオルが無いことに気づき、そのまま、全裸で、乾くまで、部屋の中で、立っている。
何とも、情け無い。

バリ島で、買った、シルクの腰巻をして、過ごす。

そろそろ、腹が空いてきた。
ホテルの並びにある、食堂で食べようと思う。

腰巻に、Tシャツを着て、出た。
五六人の男たちが、食事をしていた。

メニューを出されるが、全く、解らない。
いくつか、写真が出ていたので、そのから、選ぶことにする。
が、私が、食べたいものは、無いと、女の子が言う。

それでは、ナシゴレンである。
それか、ミーゴレンである。それしか、解らない。

ナシゴレンを注文したが、おかずと、ご飯が別に出てきた。

何とも、変な感じである。
勿論、店の方も、変な感じだろう。

見かけない顔、それも、外国人である。

ただ、おかずが、野菜中心だったので、良かった。しかし、辛い。

兎に角、島の食堂で、食事をしたということ。
日本円にして、百円と少しである。

部屋に戻り、夜は、スーパーの食堂で、食べてみようと、思った。
料理の写真が多いから、そこから選べる。

そして、突然、疲れを感じた。
飛行機に乗った疲れである。

ベッドに、体を横にすると、そのまま、寝てしまった。

目覚めたのが、三時過ぎである。
そこで、ロビーに出て、主人に、聞いた。

車で、一時間、島を案内してもらうと、幾らかかりますか。
英語である。
伝わったようで、一時間、60万ルピアだという。
そして、手配するよと、言う。
それでは、アフターね、と、言って、部屋で考えた。

一時間、六千円とは、高い。高過ぎる。

バンコクのコータに電話する。
ちょっと、一時間車をチャーターして、六千円だってさ
それは、ボッているね
そうだよね。そんなに高いはずないよね

主人は、ガイド付の料金を言ったのかもしれない・・・それにしても、高い。

それで、考えた。
明日、あの運転手が来る。
あの運転手に、こちらから、値段を言い、交渉することにした。

つまり、追悼慰霊に行き、そして、その翌日に、空港まで、送ってもらって、50万ルピアで、交渉してみる。
追悼慰霊の時間は、無視してもらう。つまり、二時間でも、三時間でも、料金は、同じということ。

ホテルの、主人には、頼まないことにした。
アフター、後でと言ったので、そのままにしておこう・・・

島では、五千円でも、大金である。
だが、島の人は、島以外から来た人から、お金を得る以外に、方法がないのである。

ここで、裕福に暮らす人たちは、政府関係者である。
つまり、公務員、警察、軍関係者。

電話の料金を入れるのに、五万ルピアのものを、ホテルの主人に頼むと、五万五千ルピアといわれた。
そして、ホテル前の看板を見ると、五万二千ルピアと書いてある。

ジャカルタでは、五万は、五万で、10万のものだと、二千ルピア安くなる。

嫌だーーーー
嫌な性格であると、我が身を思う。この、ケチケチした、性格・・・
まあ、自腹で、来ているのだから、しようがないが・・・

夜、スーパーの食堂に行く。
写真を指して、注文した。
ばっちり、である。

何のことは無い、ミーゴレンを食べた。
情け無い。

従業員の、男の子たちも、女の子たちも、実に、親切で、笑顔を絶やさないのが、いい。

おいしかった、と、日本語で言う。
サンキュー
意味、通じたのか・・・


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2010年07月10日

神仏は妄想である 299

「かんつうしてはならない」と命じられたのを、あなたがたは聞いている。しかし、わたしはあなたがたに言う、だれでも情欲をいだいて女を見る者は、その女に対して心の中ですでにかんつうの罪をおかしたことになる。それで、もしあなたの右の目があなたを罪にさそうならば、それをえぐり出して捨てなさい。全身が地獄に投げ入れられるよりは、からだの一部を失うほうが、あなたにとってはましである。もしあなたの右の手があなたを罪にさそうならば、それを切って取って投げ捨てなさい。全身が地獄に落ちるよりは、からだの一部を失うほうが、あなたにとってましである。
マタイ福音

聖書研究では、罪は、外的な行為だけではなく、内的な行為、すなわち、思い、望みによっても、生ずる、とある。

このイエスの言葉を、真っ当に、解釈することが、出来ずにいるのが、神学者や、司祭、牧師たちである。

一体、イエスは、何を言うのか。
そして、マタイは、何を考えて、このように、仕立てたのか、である。

姦通してはならない
とは、モーゼの十戒にある、言葉である。

端的に言う。
モーゼの姦通は、人妻のことである。
当時、女は、男の所有物の一つであった。
他の男の、牛でも、羊でも、女でも、それを、奪ってはならないということである。

この言葉を、額面通りに、実行しようとするのは、また、現代の言葉通りに、読んで、実行するのは、極めて、グロテスクな、新興宗教であろう。
ものみの塔という、エホバの証人ならば、そのままに、解釈するだろうし、原理主義者も、そのようだろう。

聖書主義というものも、そうだろうと、思われる。

これを、検証してゆくと、とんでもないことになるのである。

「姦淫するなかれ」についても、反対命題が伝えられている。そしてこれは人間の心の動きの機微をついている。旧約律法には「姦淫するなかれ」とあるけれども、私ならば敢えて申し上げよう、情欲をいだいて女を見る者はすでに心の中で姦淫を犯したのである・・・
田川建三

女が好きな男にとって、女を見る時、少なからず、そのような、目つきになるだろう。
そのような、心の機微に、何ゆえ、その目をえぐり、投げ捨てよ、などという、言葉が出て、更には、全身が、地獄に投げ入れられるよりもましだ、などと言うのか。

全身が、地獄に投げ入れられるよりまし、だという、その地獄という、言葉も、尋常ではない。

天国が、妄想であり、更に、地獄というのも、妄想である。

更に、人間の欲望を手玉に取り、人間を支配しようとする、根性が、気に入らない。

さて、神学者、田川氏の、解説である。
つまりマタイはここで、今までに実に長い間ユダヤ人社会に支配してきたモーセ十戒の法律的規則の一つを「観念領域に対して無制限に拡張している」姦淫の禁止が法律の規定の一つである限りは、極めて限定された具体的な一つの実行行為だけがそこで扱われるので、それはユダヤ教社会の社会秩序を維持するために働き、多くの人々は、それを、自分には直接ふれてくることのない特別な事例を扱ったものとして了解する。
ところが、それがこのように意識心情の世界にまで無制約に拡大してくると、すべての人の日常の心づもりにふれてくるし、単にふれてくる、というだけではなく、これが法の規定の拡張として考えられ、それを犯せば決定的な審判の前に立たせられると言われているだけに、もしもこういう言い方が正しいとすれば、人はそこに無限の脅しを感じざるをえない、ということになる。
田川 
読みやすく改行している。

そして、吉本隆明の言葉を紹介する。
思想としては実に徹底していてすぐれているけれども、すぐれているからとて、正しいとは言えない
というのである。

それで、もしあなたの右の目があなたを罪にさそうならば・・・
という、箇所は、マタイと、イエスの、発想の相違を知る上で、基本的な手掛かりを与えるという。

つまり、マタイは、それを、つなげて、書いているのである。

伝承の歴史から、見れば、それは、つながっていなかったのであると、田川氏は、言う。

マタイは、イエスの言葉を、結びつけることによって、律法の徹底化を図ろうとしたのである。
つまり、創作された、福音書なのである。

つまり、マタイはこれを実現可能な倫理規定として考えていたことになる。第二に、マタイがこれをただの倫理規定としてではなく、律法的な規定として考えていたことは、29節以下に罰の理念があらわれていることから知られる。・・・
マタイは、山上の説教の反対命題全体を律法の完成として見ていたのである。
田川

イエスの言葉を、勝手に、作り変えたのである。
自分の思いの、ままに、である。

それでは、イエスは、律法の概念を、何故、意識の世界にまで、拡大したのか。

それを、田川氏は、
このことを論じる前に、多少の字句の問題に拘ってゆこう。「情欲をいだく」と訳した単語は一単語の動詞であるが、聖書学者たちがふつう問題にするのは、この動詞及びその前につけられたpros(ために)という前置詞をどう解するか、ということと、「女」という単語の意味である。
と言う。

直訳すると、女を情欲するために見る者は、ということになる。
つまり、情欲するために、女を見るということである。

具体的な、性行為をすることを、目的として、女を見るのである。

情欲を抱く、のではない、ということ。

「情欲するために見る」という「ために」の前置詞であり、「情欲を抱いて見る」のではない。

見るのは、情欲するために、見るのである。

性的欲求を起こすために、見るのであり、単に、眺めの中に入ってきた、女を見て、欲望を起こすのではない。

だが、しかし、研究家というものは、ご苦労なことである。
たかが、そんなことに、血眼になるのである。

私は、モーセの十戒にある、古代の、考え方に興味を持つ。
女が、男の、所有物であり、姦淫とは、他の男のものの、所有権の、侵害だとする、考え方である。
そこには、現代でいうところの、性道徳などではないということ。

女という、単語は、人妻と同じであるということ。

今なら、人権侵害であり、とんでもない、差別である。
つまり、ユダヤ教というものが、そのように、作られたという、作為に、私は、驚く。

完全に、父系社会の、創造である。
この、父系社会が、ただ今、歴史というものを、造り上げてきたのである。
つまり、戦争の歴史である。

更に、続ける。

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奇跡の旅・ビアク島へ 10

夕方に、部屋をノックする音。
ドアを開けると、女の子が、お茶と、お菓子を持ってきた。
女の子は、小学生の低学年くらいで、ホテルの主人の娘ではないかと、思った。

お茶は、ジャスミン茶に砂糖の入れたもの。
お菓子は、自家製で、芋に衣をつけて、揚げたものである。

お茶は、飲んだが、お菓子の方は、そのままにしておいた。
この、芋の場合は、良かったが、翌日の、夕方の、バナナを揚げたもので、私は、12時間、下痢だった。

さて、ぼんやりと過ごしていた。
明日の、追悼慰霊が、どうなるのか、全く検討がつかない。
慰霊碑のある場所は、解った。そして、そこには、確実に行く。そして、その後は、どのようになるのか。
それで、終わることもあるだろう。

そして、支援である。
多くは無いが、残してきたものを、島の人たちに、手渡したい。

色々、ぼんやりと、考えていると、歌詠みがしたくなるが、それも、まだ余裕が無い。

結局、早く寝ることにした。
そして、目の前にあった、揚げ物のお菓子を、食べてみた。
ああ、芋だ・・・とても、美味しい。

翌朝も、お茶と、小さなパンが出た。

今度は、息子だろうか、若い男が、運んできた。

お茶を、飲みつつ、日本や、バンコクに電話をする。
このために、何度も、電話に、料金を入れなければならない。

ホテルの並びにある、店でも、カードが売ってあるので、そちらで買ってみることにした。

そこでは、正規の値段である。
では、ホテルで、売っているものは、ここから、買って、それを売っているのだろうか・・・
と、思いつつ、自分で、入れてみようと、部屋に戻った。
ところが、どうしても、入らない。

しょうがないと、放っておくことにした。

運転手は、十時より前に、来ていたらしく、私が、玄関に出ると、すでに、ロビーにいた。

それではと、思ったが、ホテルの主人が、出かけている。つまり、通訳してくれる人がいないのだ。
そうすると、運転手が、外に出た。

私は、部屋で、出掛ける準備をする。
ノックがしたので、戸を開けると、運転手と、一人の男がいた。

その男が、ミスターキムラ、アイスピークイングリッシュと、いうではないか。
とても、変な発音である。

そこで、交渉が始まった。
昨日、考えた通りに、こちらから、提案した。

今日の、慰霊と、支援、そして、明日の、空港まで送ってくれて、50万ルピアで、どうだ、である。
そして、私は、五万ルピアを、十枚出して、見せた。

男は、そのお金を、ソーリーといって、受け取り、数を調べる。
運転手に、何か言うと、運転手は、頷いた。

ミスターキムラ、オッケーといい、男は、お金を私に返した。
私は、25万ルピアを、運転手に渡し、明日、残りを渡すことにした。

とても、大きな仕事である。
後で知るが、運転手は、結婚したばかりで、車、タクシーの仕事も、はじめたばかりだった。

決定したので、出掛けることにする。
荷物を、運転手が運ぶ。

そして、マイフレンド ゴーと言うと、車が、走り出した。

私のことを、フレンドと呼んだのか・・・・

いや、違った。
英語の出来る、彼の友人を、一緒に連れてゆくということだった。

その友人の家に立ち寄り、友人が、乗り込んできた。
そして、また、発音の少し変な、英語で、話がはじまった。

これから、行くところの、説明をしているようだ・・・私には、よく解らない。
でも、うんうん、そうそう、と、反応して聞いていた。

山道を走り、到着した場所は、日本軍の残した、砲弾や、戦車、戦闘機の、崩れたものが、並べられてあった。

そこで、降りるという。

そして、そこが、慰霊に、最も、相応しい場所だったのだ。

そこで、また、友人の英語の説明があった。
頷いて聞いていた。
写真を撮る。

運転手に、カメラを渡して、これからも、写真を撮ってもらうことにする。

次に、山道を、案内された。
出たところに、大きな穴がある。
洞窟である。
日本兵が、籠もった洞窟である。

そして、昭和31年に、建てられた、慰霊碑に出た。
何とも、そこで、はじめて、私は、私らしくなったのである。
二人には、ここで、祈ると言った。
日の丸を立て、付近の木の枝を使い、御幣を作る。

後ろにいた二人に、イッツ、ジャパニーズプレイ、プリーズ、ピクチャーといった。
通じた。

二人は、イスラム教徒である。
しかし、この島では、どの宗教も、共存していると、ホテルの主人に聞いていた。

二人は、私の後ろに座り、見ていた。

神呼びを行い、祝詞を、唱える。
およそ、30分ほど、かかった。
最後に、私は、ここに、居残る皆様は、私の音に乗って、日本にお戻りください。
古里に、そして、靖国に行きたい方は、靖国に・・・
満身の力を込めて、お送りの、音、音霊、おとたま、を、発した。

実は、神呼びのときに、鳥たちが、一斉に鳴いたのである。
それが、いつも、不思議に思う。

一羽や二羽ではない。
色々な、鳥が鳴くのだ。

皇祖皇宗と共に、日本をお守り遊ばす、神々、つまり、カムの皆様に、御願いする。

そして、最も大切な、清め祓い、を、行う。

四方を祓い、清める。

すべてが、終わってから、敵軍の兵士のために、祈る。
これは、キリスト教である。
キリエレイソン
主よ憐れみたまえ
ラテン語にて、御父と、御子と、聖霊の御名において、と、祈念する。

次に、ビアク島の、戦禍について、少し、紹介する。

posted by 天山 at 00:00| 奇跡の旅ビアク島へ 平成22年6月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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