パプアは、ニューギニアの、西半分の、インドネシア領、現在は、イリヤンジャヤという。
その、北西にある、小島である。
ニューギニア戦線は、最悪の激戦地である。
その、最後の激戦地である、ビアク島。
餓死、病死、そして、米軍と、オーストラリア軍の、火炎放射器によって、壊滅させられた。
亡くなった日本兵は、一万二千名ほどである。
ジャカルタから、スラウェシ島の、マカッサルを通り、マルク諸島を飛行して、ビアク島に向かう。
おおよそ、六時間である。
単独行動で、行った。
私は、この旅を、奇跡の旅・ビアク島へ、と、銘打つ。
出発は、6月21日、朝の便である。
であるから、前日に、すべて用意して、朝タクシーを予約しておく。
六時に家を出る。
支援物資が、大半であるから、一人では、大変な旅である。
前日の、夜に、お握り、五個を作った。
そんなに、作るつもりでなかったが、ご飯が大量に残ったのである。
鰹節が、二個と、母の作った梅漬けが、三個。
これが、ジャカルタの二回の、朝の食事になったという・・・自分でも、呆れる。
タクシーの、運転手さんが、尋ねた。
どちらですか
インドネシアの、ビアク島に行きます
えーっ、そんな島聞いたことないなー
日本兵が、一万人ほど、亡くなっているニューギニア戦の激戦地です。慰霊に行きます。
慰霊ですか・・・
ええ、それと、衣服支援をします。ジャカルタでもしますよ
お一人ですか
ええ
自腹で、行くんですね
ええ
凄いことですね
いやー、ゴルフをしたり、旅行に行くのと、同じですよ
いやー、そんなことはない。自腹で、そんなことをする人なんて・・・でも、本当は、皆、やりたいんですよ・・・
いや、違うと、思った。
運転手さんが、したいのである。だが、皆と、言って、曖昧にしたのである。
荷物を下ろして、私が、カートに乗せると、運転手さんは、深々と、頭を下げた。
無言で、見送ってくれた。
私は、急いで、バスチケット売り場に走った。
後、三分で、バスが出る。
バスに乗り込み、安心して、眠ってしまった。
気づいた時は、成田空港の、検問所に着く頃だった。
急いで、お握りを一つ、食べる。
飛行機の、チェックインが始まっていた。
問題は、支援物資の、重さである。
一度、計っていた。
二つの、バッグで、約25キロである。
受付の、お姉さんの顔色を見る。
少しオーバーしていますので、抜いていただけますか
しょうがない。
タオル類を、機内持ち込みの、バッグに詰めてみた。
また、お姉さんの顔色を見る。
これで、いいですよ
機内持ち込みの、バッグは、二つで、自分のバッグは、着替え用で、パンパンである。
そして、支援物資のバッグも、パンパンになった。
あのー座席は、後ろの席で、トイレに近い場所にしてください
つまり、うまくいけば、座席に寝られるからだ。
だが、飛行機は、満席だった。
通路側の、トイレ近くである。
台北で乗り換えて、香港を経由して、ジャカルタに行く。
香港経由が、面倒である。
それに、三度も、機内食を食べるのである。
朝、9:40発、ジャカルタには、夜の、20:20に、着く。日本時間では、22:20である。
時差が、二時間ある。
およそ、12時間。
十年間、飛行機に乗れなかった私が、今は、飛行機に乗るのが、楽なのである。
パニック障害だった。
飛行機が、振動無く、飛ぶよりも、少し揺れると、乗っている気分になるという、倒錯である。
だが、12時間は、やはり、きつい。
その間の、唯一の楽しみは、香港で、喫煙室があること。
台北の空港は、全面禁煙である。
着物姿は、勿論、私だけ。
いよいよ、今回の、奇跡の旅の始まりである。
飛行機に乗る前に、睡眠導入剤を飲む。これが、いい。そうでなければ、疲れて、倒れてしまう。