2010年06月24日

タイ・パタヤの影

ビエンチャンから、バンコクへ戻り、そこで、少し休んで、パタヤに行くことにした。

丁度、バンコク騒乱のさなかである。
地下鉄が、全線、停止していた。

コータの、語学学校も、休みになった。
それで、最初は、一人で、行く予定が、コータも、一緒に行くことになった。

近くのバス乗り場は、騒乱のせいで、封鎖である。

荷物を持って、タクシーの運転手に、パタヤ行きの、バス乗り場を尋ねる。
別のバス乗り場があると、言う。
コータは、不審に思うが、兎に角、そこに行ってみることにした。

パタヤでは、カンボジア流民の親子に、支援するためである。

長距離バス乗り場である。
タイ全土に、出掛けるバス乗り場を、はじめて、見た。
とても、大きい。

いつもなら、タクシーを使い、パタヤに行くが、バスが、断然安いということで、バスにした。
一人、135バーツである。
タクシーなら、1500バーツが、通常料金である。
それでも、少し賢くなった、私たちは、1000バーツで交渉する。
高速料金を含めて、1200バーツ程度になる。

だが、バス料金は、実に、安い。
地元の人たちが、乗るのである。

ところが、バスでは、二時間半がかかる。
それでも、安いバスに乗る。
急いで行くことも、ない。

バスからは、バンコク市内の至る所で、火の手が上がるのを、見た。
タクシン派が、市内で、火を点けているのだ。

何とも、異様な光景である。
現実感が無い。

バスは、高架道を走るので、見晴らしがいい。
そこで、見つけた場所がある。
子供たち、ストリートチルドレンが、暮らしている、場所である。

高架下の野原に、住んでいるのだ。
これは、覚えておこうと、思う。
次回、彼らを、訪ねて行くことにする。

バンコクを過ぎたので、眠ることにする。

気づいた時は、パタヤの郊外だった。

パタヤについては、何度も書いている。
タイ、最大の歓楽街である。
安全、安心な、歓楽街ということで、私の好きな街の一つである。

バスを降りて、タクシーで、いつもの、ホテルに向かう。
いつも、450バーツで、泊まることが、出来たが、今回は、繁忙期で、600バーツになっていた。

二泊する予定である。
そして、次の二泊は、南の方にある、ゲストハウスである。
有名な、ウォーキング・ストリート付近である。

要するに、カンボジア流民が、多くいる場所の近くである。

いつもの、ホテルだから、従業員とも、顔馴染みである。
更に、お客とも、顔馴染みの人がいる。

そして、昼ごはんを、食べるために、と、出掛けた。
久しぶりに、ビーフステーキを食べることにした。
勿論、安い店である。

二人で、その店に向かった。
それなりの、大きなビルに入っている店である。
ところが、閉店である。休みではない。閉鎖したのである。

入れ替わりが、激しい。
それでは、と、大きな通りに出て、中華料理の店に行く。
そこには、一度だけ、行くことにしている。
料金が高いからだ。

パタヤに滞在している、間の、一回のみである。

ただし、兎に角、料理の量が多い。

焼き飯を、案の定食べ切れなかった。
それを、タッパに入れてもらい、ホテルに戻る。

その通りを歩けば、必ず、物乞いなどがいる。
一人の、足の悪い女性がいた。

カンボジアと言うと、頷くので、焼き飯を渡した。
あなたの、友達は、どの辺にいるのと、尋ねた。
少し、英語が通じる。
両方にいるということ。
つまり、この通りを歩けば、彼らに会えるということだ。

私は、あとで、あなたにも、衣服を持って来ると、身振りで、言い、別れた。

大体、夕方から、夜にかけて、物乞いたちが、通りに出る。
また、ストリートチルドレンは、ビーチ沿いに多くいる。

今夜から、回ることにして、ホテルに戻った。

兎に角、暑いのである。
ペットボトルの水を、大量に買う。
五リットルのペットボトルの水を買い、それを、小さなボトルに、移しておく。



神仏は妄想である 283

チベット密教の流れを、見ると、アティーシャがチベットを、訪れたと同時期に、在家仏教の間でも、新たな局面が展開していた。

カギュー派の誕生である。
キュンポと、マルパという、二人の在家密教行者によって、創設された。

彼らは、それぞれ、別行動にて、インドに出掛け、教えを受けた。

カギューとは、教えの伝統という意味である。

二人には、交流はない。
そして、後世に、キュンポの法系は、四つ、マルパの法系は、九つに分裂して、互いに、激しい対立抗争を、繰り返した。

だが、これらの、一派は、教理体系の構築などには、関心を示さず、もっぱら、行法の実践に、自分たちの、存在価値を、見出していた。

さて、1073年、中央チベットの西部、サキャというところに、コンチョクギャルポと名乗る、人物によって、サキャ寺が、建立された。

そこを、拠点に、形成された、宗派が、サキャ派である。

以前は、古訳を使用していたが、後に、新訳の密教も、取り入れて、修学することになった。つまり、ニンマ派から、サルマ派への、展開である。

コンチョクギャルポの子である、クンガーニンポは、チベット仏教史上、最大級の天才と、言われる。
彼は、インドから輸入された、各種各様の、密教を再統合させ、独自の、見解を加味して、「道果説」を築き上げた。

そこには、解脱を求めて、修行を重ねる過程、道は、すでに、悟り、つまり、果が、実現していると説く。

その、典拠となったのが、密教経典で、最も、性的メタファーに富む、ヘーヴァジュラ・タントラで、インドの、大成功者として、名高い、ヴィルーパが、その創設者とされる。

サキャ派は、継承の方法も、独自の方式で、継承者は、血統第一だった。
主として、親子の相続で、時には、叔父と甥の相続もあったという。

そして、原則的に、歴代の主は、妻を持ち、その下に、生涯に渡り、童貞を保つ、出家者の集団がいた。

彼らは、やがて、ユーラシア大陸の、全域を把握した、モンゴル族と、いち早く手を結び、チベットの、聖俗両面の、支配を握ることになるのである。

政治の面から見れば、この時期は、チベット全体を、統治できる、統一政権は、存在していなかった。

各地に、根ざす、氏族、豪族たちが、その覇権を巡り、抗争を繰り返すのである。

それは、宗教、宗派にも、言えた。
短期間のうちに、教団が、成長する、可能性があったのである。

しかも、後伝期になってから新たにもたらされたタイプの密教が、まったくもって厄介な代物だった。性的ヨーガの実践や黒魔術的な要素を多分にふくみ、その解釈をめぐっては、本場のインドですら物議をかもしだしていたからである。
正木 晃

霊力。
密教行者の典型である。
チベット語では、ンガクパと呼ぶ。

基本的に、在俗の、密教者である。

密教行者の仕事の中でも、最も大切なことは、畑に植えられた、麦を、雹の害から、守ることであった。

自然現象も、制御するという、彼らを、農民、村人たちは、信じた。
そして、それによって、生計を立てていた。

密教行者は、仏教の僧侶として、正規の教育を受けなくても、身につけた霊力だけで、生計を立てる。
いうなれば、霊能者、シャーマンのカテゴリーに入る。

時によると人に害を加える悪い呪詛をして人を殺すようなこともするというのがチベット人の信仰である。だから誰々はどこそこの修験者に逆らったがために悪い呪詛をされてとうとう死んでしまったというような話はどこででも聞く事なんです。
チベット旅行記 河口慧海

時には、呪詛同士の戦いまでするという。

こうなると、仏教などという、宗教の話ではなくなる。

更に、その修行の最高の法を、書く。

師匠が、性的ヨーガをして、女の膣の中に、射精し、その、膣の中の液体、精液も、陰液も含めて、弟子の口に入れるという、方法で、伝授するという話は、もう、正気とは、思えないし、また、上等とも言えない。

終わっている。

霊力であるから、宗教も、宗派も、更には、仏教の教えも、何も無い。
単なる、魔力以外の、何物でもない。

真言宗の、最高の儀式の中にも、若い僧侶の、精液を読経の中で、抜き出し、それに、墨を混ぜて、御札を作るということがあると、聞いた。現在も、行われているのか、不明であるが、そのようである。

このように、ある修行が、行き着くと、本来の、教えなどが、吹っ飛んでしまう行為に、至るということである。

どこの、宗教にも、霊能者というものが存在する。
その者に、よって、教義が、立てられたりする。

この、チベット密教は、反社会的な行動も、容赦なく、やってのける。
例えば、それを、真似たのが、あの、地下鉄サリン事件を起こした、教団である。

ポアするという言葉で、人を殺す。
チベット密教にも、度脱という言葉があり、それを、容認する。
つまり、罪を犯す前に、殺してもよいという、理屈である。

以上、少しばかり、チベット密教について、紹介したが、いずれ、また、詳しく、書くことになるかもしれない。

空海の密教の、行き着く先にあるものとして、チベットに伝わった、密教のことを、紹介したに、留まる。

いずれにせよ、宗教の蒙昧は、計り知れない。

ちなみに、霊能力を、釈迦仏陀は、最も、嫌った。
それは、インドが、魔界に支配されていることを、知っていたからである。
霊能力を、行使することは、必ず、魔界と、接触することを、知っていた。
ゆえに、弟子たちが、霊能力を得ることを、嫌い、また、その能力を得ても、使用することを、禁じたのである。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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