2010年06月23日

ラオス・ビエンチャンの醒めない眠り 9

夜は、イサーン料理店に行き、鶏肉と、豚肉の焼いたものを、注文し、更に、もち米である、カオニャオにする。
もち米は、実に、腹持ちする。

結局、イサーン料理の、定番である、ソムタムは、食べなかった。

カオニャオは、バンコクでも、一袋、一回分は、5バーツ、15円である。
それに、おかずを買う。
100円以内で、食事が出来るのである。

高級レストランに行く必要はない。
地元の人と、同じものを、食べて、地元に解け込むのである。

早々に、ホテルに戻る。
後は、寝るだけである。

シャワーを浴びて、少し、ぼんやりと、タバコを吸う。
タイでは、ホテルの部屋でも、禁煙であるところが、多い。
更に、ラオスも、部屋では、禁煙である。

店内は、皆、禁煙で、喫煙したい人は、外のテーブルに座る。

寝る前に、ホテル並びのコンビニに行って、水を買う。
兎に角、水が必要である。
明日の分まで、買った。

それで、準備万端である。

翌日は、朝六時に、目覚める。
日本では、八時である。

横浜支部や、実家に電話をする。
無事であることだけである。

朝の食事は、昨夜の店で、残した、豚肉と、カオニャオを食べた。
それで十分である。

昼は、空港で、食べることにした。
空港のレストランでは、タイ料理の、バイキングがあるのだ。

二時になり、ホテル前に出ると、約束していた、トゥクトゥクの、おばさんがいた。
サワディーと、挨拶して、早速、乗り込む。
さて、トゥクトゥクでは、どのくらいの時間がかかるのか、解らない。
ただし、夕方、五時過ぎの、便であるから、間に合う。

30分ほど、走り、空港に到着した。
100バーツを払い、コープクンカップと、お礼を言って、降りた。

前回の時は、空港の入り口で、持ち物検査があったが、今回は、それが、省略されていた。

更に、何度、外に出て、タバコを吹かしても、出入り自由になっていた。以前は、一回一回、検査された。

時間は、十分にあった。
これから、バンコクに戻り、三泊ほどして、パタヤに行き、カンボジアから、流れてきた人たちに、支援物資を配る予定である。

空港の中は、冷房が、利いていて、実に、気持ちがよい。

タバコを吹かすたびに、汗をかいて、また、空港に入り、ホッとする。

そして、楽しみにしていた、レストランの、タイ料理の、バイキングを食べる。
色々あって、楽しい。
値段は、100バーツと、高いが、それなりの、価値はある。
珍しいものは、どのようにして、食べるのかを、店員に尋ねる。

ご飯や、ソーメンのような麺の上に、おかずを乗せて、食べるのである。
好きなだけ食べられる。

腹一杯になり、私は、ようやく、レストランを出て、受付カウンターに向かった。
漸く、バンコク行きの、チェックインが、始まった。

帰りは、荷物が少なくて、楽チンである。
AAの、格安航空である。
時間通りで、助かった。時には、とんでもない、時間に、変更ということもある。

チェンマイで、それに、当たったことがあり、日本に帰れないと、思った、一幕も。

座席が、決められてあるのも、新しくなっていた。
以前は、自由席だった。
私は、自分の席が気に入らないので、別の空いている、席に移った。
すると、添乗員が、席を替わるのは、20ドルだという。
驚いた。
それではと、元の座席に戻った。

離陸する前に、私は、眠った。
そして、気づいた時は、バンコクに着いていた。

すぐに、搭乗する四階まで、上がり、タクシーを掴む。
タクシー乗り場には、行かないのである。

今、客を降ろしたタクシーは、メーターで、走る。
タクシー乗り場だと、運転手に、なんとかこんとかで、プラス50バーツとか、言われる可能性があるからだ。

すぐに、タクシーは、捕まった。
マンションアパートの、住所の名刺を出して、運転手に渡すと、運転手が、道が、難しいので、50バーツプラスだと、言う。
ああ、これだから・・・

今回、日本から、バンコクに着いて、同じように、そこで、タクシーに乗ると、500バーツと言われて、私は、怒鳴り散らした。
日本語で、だから、バンコクのタクシーは、評判が悪いんだ・・・
メータでなければ、乗らない。降りると、名刺を取り戻そう取ると、オッケーオッケー、メータといい、メータを下ろした。

運転手とは、喧嘩するな、怒らせるな、本当に、怒ると、ピストルを持っているので、撃たれることもあると、注意されていたが、私の性格は、変えられない。

しばらく、沈黙が続いたが、ふっと、前を見ると、十字架がかけられてある。
アーユー、クリスチャンと、尋ねると、イエス、カソリックと、答えるではないか。

そー、カソリック
ゆー、カソリックと、聞かれたので、イエスと、答えると、話しが、始まった。

陰険な雰囲気が、楽しい話になった。
彼は、家族の話をはじめた。
子供が二人いる。生活は、大変だ。

実は、怒鳴った後で、コータに電話をして、マンションの前で、待っていてと言った。運転手に、怒鳴ったから、あんた、対応してと、言った。

結局、200バーツ程度で、50バーツを、チップで、上げた。

無事、コータのマンションに到着した。

しばらく、バンコクで、休むことにする。

スワナプーム空港には、市内へ行く、リムジンバスもあるが、私は、乗り場が、解らない。また、そうだとしても、タイ語が読めないから、タクシーが、一番いいのである。
しかし、今、空港から、地下鉄線が出来上がる。すると、大変便利になり、タクシードライバーと、喧嘩しなくても、よくなる。

ただし、そうなると、タクシーは、大変である。
地下鉄に、客を奪われる。

彼らも、タクシーを一日、2000バーツで、借りて、運転手をしている。そして、その、タクシーの持ち主は、中華系が多いのである。

一日、2000バーツを稼いでも、何もならない。
だが、走っても、たいした額にならない、日もある。
更に、彼らは、地方からの、出稼ぎが多い。

本当に、生きる、生活することは、大変なことである。



神仏は妄想である 282

サムイェー寺の論争以降、チベット仏教の主流は、インド仏教と、決定した。

ただ、すでに発生していた、ニンマ派は、頓悟仏教要素を取り入れ、更に、禅を通じて、中国の道教思想も、取り込んでいた。
ニンマ派が、最高の修行法とみなす、大究境は、密教、禅、道教、そして、ポン教が、複雑に、絡み合ったものになった。

次の王、ティデ・ソンツェン王も、父と同じく、仏教を擁護し、仏典のチベット語の、翻訳に、大きな力を注いだ。

この王の、時代に、仏教訳語が、統一され、その後の、翻訳事業に、大きな影響を与えたのである。

九世紀半ば、仏教弾圧の伝承で、有名な、ダルマ・ウイドゥムテン王が、即位した。
実際に、弾圧したかどうかは、近年の研究では、疑問視されている。

ただ、この王が、暗殺されたことにより、古代チベット王国は、崩壊し、仏教も、衰退の道を辿る。

これまでの、仏教は、王権により、擁護されたものであり、民衆に支持を受けていたわけではない。よって、王権が、滅ぶと共に、滅んだのだ。

その裏側では、パドマサンパヴァに象徴される、密教呪術が、広く、民衆の間に、浸透していったのである。

さて、チベット仏教は、一度、滅びたが、次の、時代まで、100年を要する。

14世紀から、仏教弾圧までを、前伝期といい、この時期の密教経典を、古訳と呼ぶ。
中央チベットで、戒律の伝統が復活した、10世紀後半以降を、後伝期と、呼ぶ。
そして、それ以降に、入った、密教経典を、新訳と呼ぶ。

古訳を奉ずる人たちを、ニンマ派と呼び、新訳を奉ずる人たちを、サルマ派と、呼ぶ。

そして、仏教教団は、王室による、保護を失ったために、以前とは、異なる、形をとらざるを得ない。
新たな、形態は、傑出した、僧のもとに、弟子たちの集団が作られるもので、宗派集団が、現れたのである。

このように、教団が、成立したのも、100年以上に渡る、混乱期に、仏教が、民衆に浸透し、民衆の支持を得られたゆえである。

さて、10世紀の前半に、西チベットに、古代チベットの、末裔たちが、新王国を建設した。
この王国は、グゲ王国と、呼ばれ、歴代の王たちが、古代チベット同様に、仏教を保護した。

彼らは、戒律を重んじる、出家仏教を望んだが、成功しなかった。
この頃、インドにて、無上ヨーガタントラ系の、密教が、全盛期を迎えていたからである。

そして、後世への影響に、大きな足跡を残したのが、アティーシャである。
在家密教に、身を投じ、性的ヨーガを実践して、悟りの境地を得たといわれる。
しかし、在家のあり方に、疑問を持ち、30近くになって、出家し、あらゆる仏教を学び、インド最高峰だった、寺院、ヴィクラマシーラ大僧院の学頭の地位を得たといわれる。

グゲ王は、このアティーシャを、チベットに招いた。
彼は、西チベットをへて、中央チベットに入り、ラサ郊外のニェタンで、客死するまで、各地を、周り、教えを説いた。

アティーシャは、密教は、無上ヨーガタントラ系の信奉者であり、顕教は、中観仏教であり、個人的には、観音菩薩を信仰していたと、伝えられる。

アティーシャは、王の要望に応え、仏教を、簡潔にまとめる。
小乗、大乗、密教に、それぞれの価値を認め、それらを、一つの体系にまとめ、更に、密教の、無上ヨーガタントラに、至高の価値を与えた。

顕教と、密教を、一つに統合する可能性を示したといえる。

以後、チベット密教は、これが、主流となる。
やがて、ゲルク派の、開祖、ツォンカパによって、壮大な体系に、まとめられることになるのである。

アティーシャの、後継は、カダム派を創設し、戒律を厳しく守る、僧院仏教のモデルを示し、後世に、大きな影響を与えた。
カダムとは、伝統的、という意味である。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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