2010年06月23日

神仏は妄想である 282

サムイェー寺の論争以降、チベット仏教の主流は、インド仏教と、決定した。

ただ、すでに発生していた、ニンマ派は、頓悟仏教要素を取り入れ、更に、禅を通じて、中国の道教思想も、取り込んでいた。
ニンマ派が、最高の修行法とみなす、大究境は、密教、禅、道教、そして、ポン教が、複雑に、絡み合ったものになった。

次の王、ティデ・ソンツェン王も、父と同じく、仏教を擁護し、仏典のチベット語の、翻訳に、大きな力を注いだ。

この王の、時代に、仏教訳語が、統一され、その後の、翻訳事業に、大きな影響を与えたのである。

九世紀半ば、仏教弾圧の伝承で、有名な、ダルマ・ウイドゥムテン王が、即位した。
実際に、弾圧したかどうかは、近年の研究では、疑問視されている。

ただ、この王が、暗殺されたことにより、古代チベット王国は、崩壊し、仏教も、衰退の道を辿る。

これまでの、仏教は、王権により、擁護されたものであり、民衆に支持を受けていたわけではない。よって、王権が、滅ぶと共に、滅んだのだ。

その裏側では、パドマサンパヴァに象徴される、密教呪術が、広く、民衆の間に、浸透していったのである。

さて、チベット仏教は、一度、滅びたが、次の、時代まで、100年を要する。

14世紀から、仏教弾圧までを、前伝期といい、この時期の密教経典を、古訳と呼ぶ。
中央チベットで、戒律の伝統が復活した、10世紀後半以降を、後伝期と、呼ぶ。
そして、それ以降に、入った、密教経典を、新訳と呼ぶ。

古訳を奉ずる人たちを、ニンマ派と呼び、新訳を奉ずる人たちを、サルマ派と、呼ぶ。

そして、仏教教団は、王室による、保護を失ったために、以前とは、異なる、形をとらざるを得ない。
新たな、形態は、傑出した、僧のもとに、弟子たちの集団が作られるもので、宗派集団が、現れたのである。

このように、教団が、成立したのも、100年以上に渡る、混乱期に、仏教が、民衆に浸透し、民衆の支持を得られたゆえである。

さて、10世紀の前半に、西チベットに、古代チベットの、末裔たちが、新王国を建設した。
この王国は、グゲ王国と、呼ばれ、歴代の王たちが、古代チベット同様に、仏教を保護した。

彼らは、戒律を重んじる、出家仏教を望んだが、成功しなかった。
この頃、インドにて、無上ヨーガタントラ系の、密教が、全盛期を迎えていたからである。

そして、後世への影響に、大きな足跡を残したのが、アティーシャである。
在家密教に、身を投じ、性的ヨーガを実践して、悟りの境地を得たといわれる。
しかし、在家のあり方に、疑問を持ち、30近くになって、出家し、あらゆる仏教を学び、インド最高峰だった、寺院、ヴィクラマシーラ大僧院の学頭の地位を得たといわれる。

グゲ王は、このアティーシャを、チベットに招いた。
彼は、西チベットをへて、中央チベットに入り、ラサ郊外のニェタンで、客死するまで、各地を、周り、教えを説いた。

アティーシャは、密教は、無上ヨーガタントラ系の信奉者であり、顕教は、中観仏教であり、個人的には、観音菩薩を信仰していたと、伝えられる。

アティーシャは、王の要望に応え、仏教を、簡潔にまとめる。
小乗、大乗、密教に、それぞれの価値を認め、それらを、一つの体系にまとめ、更に、密教の、無上ヨーガタントラに、至高の価値を与えた。

顕教と、密教を、一つに統合する可能性を示したといえる。

以後、チベット密教は、これが、主流となる。
やがて、ゲルク派の、開祖、ツォンカパによって、壮大な体系に、まとめられることになるのである。

アティーシャの、後継は、カダム派を創設し、戒律を厳しく守る、僧院仏教のモデルを示し、後世に、大きな影響を与えた。
カダムとは、伝統的、という意味である。



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ラオス・ビエンチャンの醒めない眠り 9

夜は、イサーン料理店に行き、鶏肉と、豚肉の焼いたものを、注文し、更に、もち米である、カオニャオにする。
もち米は、実に、腹持ちする。

結局、イサーン料理の、定番である、ソムタムは、食べなかった。

カオニャオは、バンコクでも、一袋、一回分は、5バーツ、15円である。
それに、おかずを買う。
100円以内で、食事が出来るのである。

高級レストランに行く必要はない。
地元の人と、同じものを、食べて、地元に解け込むのである。

早々に、ホテルに戻る。
後は、寝るだけである。

シャワーを浴びて、少し、ぼんやりと、タバコを吸う。
タイでは、ホテルの部屋でも、禁煙であるところが、多い。
更に、ラオスも、部屋では、禁煙である。

店内は、皆、禁煙で、喫煙したい人は、外のテーブルに座る。

寝る前に、ホテル並びのコンビニに行って、水を買う。
兎に角、水が必要である。
明日の分まで、買った。

それで、準備万端である。

翌日は、朝六時に、目覚める。
日本では、八時である。

横浜支部や、実家に電話をする。
無事であることだけである。

朝の食事は、昨夜の店で、残した、豚肉と、カオニャオを食べた。
それで十分である。

昼は、空港で、食べることにした。
空港のレストランでは、タイ料理の、バイキングがあるのだ。

二時になり、ホテル前に出ると、約束していた、トゥクトゥクの、おばさんがいた。
サワディーと、挨拶して、早速、乗り込む。
さて、トゥクトゥクでは、どのくらいの時間がかかるのか、解らない。
ただし、夕方、五時過ぎの、便であるから、間に合う。

30分ほど、走り、空港に到着した。
100バーツを払い、コープクンカップと、お礼を言って、降りた。

前回の時は、空港の入り口で、持ち物検査があったが、今回は、それが、省略されていた。

更に、何度、外に出て、タバコを吹かしても、出入り自由になっていた。以前は、一回一回、検査された。

時間は、十分にあった。
これから、バンコクに戻り、三泊ほどして、パタヤに行き、カンボジアから、流れてきた人たちに、支援物資を配る予定である。

空港の中は、冷房が、利いていて、実に、気持ちがよい。

タバコを吹かすたびに、汗をかいて、また、空港に入り、ホッとする。

そして、楽しみにしていた、レストランの、タイ料理の、バイキングを食べる。
色々あって、楽しい。
値段は、100バーツと、高いが、それなりの、価値はある。
珍しいものは、どのようにして、食べるのかを、店員に尋ねる。

ご飯や、ソーメンのような麺の上に、おかずを乗せて、食べるのである。
好きなだけ食べられる。

腹一杯になり、私は、ようやく、レストランを出て、受付カウンターに向かった。
漸く、バンコク行きの、チェックインが、始まった。

帰りは、荷物が少なくて、楽チンである。
AAの、格安航空である。
時間通りで、助かった。時には、とんでもない、時間に、変更ということもある。

チェンマイで、それに、当たったことがあり、日本に帰れないと、思った、一幕も。

座席が、決められてあるのも、新しくなっていた。
以前は、自由席だった。
私は、自分の席が気に入らないので、別の空いている、席に移った。
すると、添乗員が、席を替わるのは、20ドルだという。
驚いた。
それではと、元の座席に戻った。

離陸する前に、私は、眠った。
そして、気づいた時は、バンコクに着いていた。

すぐに、搭乗する四階まで、上がり、タクシーを掴む。
タクシー乗り場には、行かないのである。

今、客を降ろしたタクシーは、メーターで、走る。
タクシー乗り場だと、運転手に、なんとかこんとかで、プラス50バーツとか、言われる可能性があるからだ。

すぐに、タクシーは、捕まった。
マンションアパートの、住所の名刺を出して、運転手に渡すと、運転手が、道が、難しいので、50バーツプラスだと、言う。
ああ、これだから・・・

今回、日本から、バンコクに着いて、同じように、そこで、タクシーに乗ると、500バーツと言われて、私は、怒鳴り散らした。
日本語で、だから、バンコクのタクシーは、評判が悪いんだ・・・
メータでなければ、乗らない。降りると、名刺を取り戻そう取ると、オッケーオッケー、メータといい、メータを下ろした。

運転手とは、喧嘩するな、怒らせるな、本当に、怒ると、ピストルを持っているので、撃たれることもあると、注意されていたが、私の性格は、変えられない。

しばらく、沈黙が続いたが、ふっと、前を見ると、十字架がかけられてある。
アーユー、クリスチャンと、尋ねると、イエス、カソリックと、答えるではないか。

そー、カソリック
ゆー、カソリックと、聞かれたので、イエスと、答えると、話しが、始まった。

陰険な雰囲気が、楽しい話になった。
彼は、家族の話をはじめた。
子供が二人いる。生活は、大変だ。

実は、怒鳴った後で、コータに電話をして、マンションの前で、待っていてと言った。運転手に、怒鳴ったから、あんた、対応してと、言った。

結局、200バーツ程度で、50バーツを、チップで、上げた。

無事、コータのマンションに到着した。

しばらく、バンコクで、休むことにする。

スワナプーム空港には、市内へ行く、リムジンバスもあるが、私は、乗り場が、解らない。また、そうだとしても、タイ語が読めないから、タクシーが、一番いいのである。
しかし、今、空港から、地下鉄線が出来上がる。すると、大変便利になり、タクシードライバーと、喧嘩しなくても、よくなる。

ただし、そうなると、タクシーは、大変である。
地下鉄に、客を奪われる。

彼らも、タクシーを一日、2000バーツで、借りて、運転手をしている。そして、その、タクシーの持ち主は、中華系が多いのである。

一日、2000バーツを稼いでも、何もならない。
だが、走っても、たいした額にならない、日もある。
更に、彼らは、地方からの、出稼ぎが多い。

本当に、生きる、生活することは、大変なことである。

2010年06月24日

神仏は妄想である 283

チベット密教の流れを、見ると、アティーシャがチベットを、訪れたと同時期に、在家仏教の間でも、新たな局面が展開していた。

カギュー派の誕生である。
キュンポと、マルパという、二人の在家密教行者によって、創設された。

彼らは、それぞれ、別行動にて、インドに出掛け、教えを受けた。

カギューとは、教えの伝統という意味である。

二人には、交流はない。
そして、後世に、キュンポの法系は、四つ、マルパの法系は、九つに分裂して、互いに、激しい対立抗争を、繰り返した。

だが、これらの、一派は、教理体系の構築などには、関心を示さず、もっぱら、行法の実践に、自分たちの、存在価値を、見出していた。

さて、1073年、中央チベットの西部、サキャというところに、コンチョクギャルポと名乗る、人物によって、サキャ寺が、建立された。

そこを、拠点に、形成された、宗派が、サキャ派である。

以前は、古訳を使用していたが、後に、新訳の密教も、取り入れて、修学することになった。つまり、ニンマ派から、サルマ派への、展開である。

コンチョクギャルポの子である、クンガーニンポは、チベット仏教史上、最大級の天才と、言われる。
彼は、インドから輸入された、各種各様の、密教を再統合させ、独自の、見解を加味して、「道果説」を築き上げた。

そこには、解脱を求めて、修行を重ねる過程、道は、すでに、悟り、つまり、果が、実現していると説く。

その、典拠となったのが、密教経典で、最も、性的メタファーに富む、ヘーヴァジュラ・タントラで、インドの、大成功者として、名高い、ヴィルーパが、その創設者とされる。

サキャ派は、継承の方法も、独自の方式で、継承者は、血統第一だった。
主として、親子の相続で、時には、叔父と甥の相続もあったという。

そして、原則的に、歴代の主は、妻を持ち、その下に、生涯に渡り、童貞を保つ、出家者の集団がいた。

彼らは、やがて、ユーラシア大陸の、全域を把握した、モンゴル族と、いち早く手を結び、チベットの、聖俗両面の、支配を握ることになるのである。

政治の面から見れば、この時期は、チベット全体を、統治できる、統一政権は、存在していなかった。

各地に、根ざす、氏族、豪族たちが、その覇権を巡り、抗争を繰り返すのである。

それは、宗教、宗派にも、言えた。
短期間のうちに、教団が、成長する、可能性があったのである。

しかも、後伝期になってから新たにもたらされたタイプの密教が、まったくもって厄介な代物だった。性的ヨーガの実践や黒魔術的な要素を多分にふくみ、その解釈をめぐっては、本場のインドですら物議をかもしだしていたからである。
正木 晃

霊力。
密教行者の典型である。
チベット語では、ンガクパと呼ぶ。

基本的に、在俗の、密教者である。

密教行者の仕事の中でも、最も大切なことは、畑に植えられた、麦を、雹の害から、守ることであった。

自然現象も、制御するという、彼らを、農民、村人たちは、信じた。
そして、それによって、生計を立てていた。

密教行者は、仏教の僧侶として、正規の教育を受けなくても、身につけた霊力だけで、生計を立てる。
いうなれば、霊能者、シャーマンのカテゴリーに入る。

時によると人に害を加える悪い呪詛をして人を殺すようなこともするというのがチベット人の信仰である。だから誰々はどこそこの修験者に逆らったがために悪い呪詛をされてとうとう死んでしまったというような話はどこででも聞く事なんです。
チベット旅行記 河口慧海

時には、呪詛同士の戦いまでするという。

こうなると、仏教などという、宗教の話ではなくなる。

更に、その修行の最高の法を、書く。

師匠が、性的ヨーガをして、女の膣の中に、射精し、その、膣の中の液体、精液も、陰液も含めて、弟子の口に入れるという、方法で、伝授するという話は、もう、正気とは、思えないし、また、上等とも言えない。

終わっている。

霊力であるから、宗教も、宗派も、更には、仏教の教えも、何も無い。
単なる、魔力以外の、何物でもない。

真言宗の、最高の儀式の中にも、若い僧侶の、精液を読経の中で、抜き出し、それに、墨を混ぜて、御札を作るということがあると、聞いた。現在も、行われているのか、不明であるが、そのようである。

このように、ある修行が、行き着くと、本来の、教えなどが、吹っ飛んでしまう行為に、至るということである。

どこの、宗教にも、霊能者というものが存在する。
その者に、よって、教義が、立てられたりする。

この、チベット密教は、反社会的な行動も、容赦なく、やってのける。
例えば、それを、真似たのが、あの、地下鉄サリン事件を起こした、教団である。

ポアするという言葉で、人を殺す。
チベット密教にも、度脱という言葉があり、それを、容認する。
つまり、罪を犯す前に、殺してもよいという、理屈である。

以上、少しばかり、チベット密教について、紹介したが、いずれ、また、詳しく、書くことになるかもしれない。

空海の密教の、行き着く先にあるものとして、チベットに伝わった、密教のことを、紹介したに、留まる。

いずれにせよ、宗教の蒙昧は、計り知れない。

ちなみに、霊能力を、釈迦仏陀は、最も、嫌った。
それは、インドが、魔界に支配されていることを、知っていたからである。
霊能力を、行使することは、必ず、魔界と、接触することを、知っていた。
ゆえに、弟子たちが、霊能力を得ることを、嫌い、また、その能力を得ても、使用することを、禁じたのである。

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タイ・パタヤの影

ビエンチャンから、バンコクへ戻り、そこで、少し休んで、パタヤに行くことにした。

丁度、バンコク騒乱のさなかである。
地下鉄が、全線、停止していた。

コータの、語学学校も、休みになった。
それで、最初は、一人で、行く予定が、コータも、一緒に行くことになった。

近くのバス乗り場は、騒乱のせいで、封鎖である。

荷物を持って、タクシーの運転手に、パタヤ行きの、バス乗り場を尋ねる。
別のバス乗り場があると、言う。
コータは、不審に思うが、兎に角、そこに行ってみることにした。

パタヤでは、カンボジア流民の親子に、支援するためである。

長距離バス乗り場である。
タイ全土に、出掛けるバス乗り場を、はじめて、見た。
とても、大きい。

いつもなら、タクシーを使い、パタヤに行くが、バスが、断然安いということで、バスにした。
一人、135バーツである。
タクシーなら、1500バーツが、通常料金である。
それでも、少し賢くなった、私たちは、1000バーツで交渉する。
高速料金を含めて、1200バーツ程度になる。

だが、バス料金は、実に、安い。
地元の人たちが、乗るのである。

ところが、バスでは、二時間半がかかる。
それでも、安いバスに乗る。
急いで行くことも、ない。

バスからは、バンコク市内の至る所で、火の手が上がるのを、見た。
タクシン派が、市内で、火を点けているのだ。

何とも、異様な光景である。
現実感が無い。

バスは、高架道を走るので、見晴らしがいい。
そこで、見つけた場所がある。
子供たち、ストリートチルドレンが、暮らしている、場所である。

高架下の野原に、住んでいるのだ。
これは、覚えておこうと、思う。
次回、彼らを、訪ねて行くことにする。

バンコクを過ぎたので、眠ることにする。

気づいた時は、パタヤの郊外だった。

パタヤについては、何度も書いている。
タイ、最大の歓楽街である。
安全、安心な、歓楽街ということで、私の好きな街の一つである。

バスを降りて、タクシーで、いつもの、ホテルに向かう。
いつも、450バーツで、泊まることが、出来たが、今回は、繁忙期で、600バーツになっていた。

二泊する予定である。
そして、次の二泊は、南の方にある、ゲストハウスである。
有名な、ウォーキング・ストリート付近である。

要するに、カンボジア流民が、多くいる場所の近くである。

いつもの、ホテルだから、従業員とも、顔馴染みである。
更に、お客とも、顔馴染みの人がいる。

そして、昼ごはんを、食べるために、と、出掛けた。
久しぶりに、ビーフステーキを食べることにした。
勿論、安い店である。

二人で、その店に向かった。
それなりの、大きなビルに入っている店である。
ところが、閉店である。休みではない。閉鎖したのである。

入れ替わりが、激しい。
それでは、と、大きな通りに出て、中華料理の店に行く。
そこには、一度だけ、行くことにしている。
料金が高いからだ。

パタヤに滞在している、間の、一回のみである。

ただし、兎に角、料理の量が多い。

焼き飯を、案の定食べ切れなかった。
それを、タッパに入れてもらい、ホテルに戻る。

その通りを歩けば、必ず、物乞いなどがいる。
一人の、足の悪い女性がいた。

カンボジアと言うと、頷くので、焼き飯を渡した。
あなたの、友達は、どの辺にいるのと、尋ねた。
少し、英語が通じる。
両方にいるということ。
つまり、この通りを歩けば、彼らに会えるということだ。

私は、あとで、あなたにも、衣服を持って来ると、身振りで、言い、別れた。

大体、夕方から、夜にかけて、物乞いたちが、通りに出る。
また、ストリートチルドレンは、ビーチ沿いに多くいる。

今夜から、回ることにして、ホテルに戻った。

兎に角、暑いのである。
ペットボトルの水を、大量に買う。
五リットルのペットボトルの水を買い、それを、小さなボトルに、移しておく。

2010年06月25日

神仏は妄想である 284

密教を見るため、空海を見た。
そして、その源流である、インドの、タントラ、更に、密教の完成ともいえる、チベット密教も、俯瞰してみた。

更に、私は、空海と最澄との関係を、と、考えて、立ち止まった。
このままでは、まだまだ、仏教が、続く。

最澄を、つまり、天台宗というものを、語ると、南都六宗にも、目を向けなければならない。最澄によって、南都六宗は、その魅力も、政治的力も、失う。

ということは、まだまだ、書き続ける必要がある。
しかし、一旦、仏教を、休止して、新たな展開を作りたい。

いずれ、新仏教の生みの親ともいうべき、天台宗を、最澄を、書くことにする。
そこから、もう一度、仏教というものを、見つめる。

さて、それでは、私は、どこに、向かいたいのか。
新約聖書である。

リチャード・ドーキンスによる、神は妄想である、の際に、多く、旧約聖書に、触れたが、私は、カトリック、プロテスタントが、使用する、新約聖書に、批判のメスを入れて、その、本当の意味と、誰が、何の目的で、新約聖書を書いたのかを、問うことにしたい。

新約聖書として、認定された、聖書の他に、外典と呼ばれる、ものがある。
正規の聖書として、取り上げられなかったものである。

何故、それらが、取り入れられなかったのか。
私の、手元に、それらの、準聖書がある。
世界で、出せないものが、日本では、翻訳して、出せるという、状況である。

危険な書物といわれるもの、日本語に、翻訳されているもの、多数ある。

何年か前に、キリストの棺、という、本が、出された。
実に、センセーショナルな内容である。

イエスには、家族があった・・・
その、イエスの家族の墓が、科学で、徹底検証されて、キリストといわれた、ナザレのイエスの墓であると、鑑定された。
しかし、キリスト教国では、勿論、歓迎されるどころか、迫害される。

要するに、信じ込んでいる、イエス・キリストの、嘘の話の方が、いいのである。
今まで、信じ込んでいた、嘘話の方が、都合がよい。
真実なんて、必要ではない。

人が、一旦、信じてしまうと、このように、蒙昧になる。
つまり、信じることで、抜けられない、迷いの道に入り込むのである。

子供の頃の、御伽噺と、同じ程度で、満足するという、未熟である。

兎に角、信じることから、はじまるという、詭弁は、信じさせると、楽なのだ。
宗教者は、皆々、そうである。

信じてしまうと、思いのままに、動かせる。

今、世界では、モスリム旋風が、巻き起こっている。
モスリムたちの、世界席巻と、中国人たちの、世界席巻で、世界は、混乱する。
更に、元の、伝統文化などは、破壊し、尽くされる。

ヨーロッパに、おける、キリスト教文明の、終焉が、目の前に迫るほどなのである。

歴史を、見ても、イスラム教は、地場の、宗教を破壊して、入り込み、イスラムの世界に、仕立て上げてきた。

シルクロードの、仏教国が、今では、見事に、イスラム教になって、続いている。

その一つに、宗教指導者は、いるが、司祭と、信者は、信者自身が、演じるのである。
信者は、司祭でもある。
日々の、祈りは、信者の自発的行為であり、誰も、そこには、介入しないのである。

日本を出れば、すべての、空港の中に、イスラム教徒のための、祈りの部屋がある。
どんな、田舎の、空港にも、ある。

恐るべし、イスラム教である。

その隙間の中に、日本をはじめとする、新興宗教が、入り込む。
教線の拡大を、画策を狙う。

信者、会員を、一人でも、多くの持つことが、宗教団体として、力を持つと、信じている。

日本国憲法には、信教の自由が、謳われている。
理想的なことである。

信仰とは、極めて個人的な、情緒である。
何人も、その、情緒を犯しては、ならない。

さて、この世に、唯一、絶対というモノは、存在しない。
絶えず、揺れ動き、流動している。

確定してあるものは、無いのである。

確実なことは、ここに、私という、我を有する、存在があるということ。

真理の法を、よりどころとし、我が身を頼め、とは、釈迦仏陀の、遺言である。

神仏に、頼れとは、口が裂けても、言わなかった。
すべては、私の心の中で、行われることなのである。

人間としての、英知を捨てて、何かに、頼り、身を任せるということは、実に、恐ろしいことである。
ましてや、それが、化け物のような、神や、仏であれば、なお更のこと。

神や、仏は、人間が、想像し、創作し、妄想したものの、一つである。

その、神や、仏を、超えるべく、人間は、進化し続けている。
要するに、人間が、人間を超える努力である。
それを、進化という。

新しい時代は、新しい、器が必要である。

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タイ・パタヤの闇 2

夕闇迫る頃、私たちは、昼間会った、足の悪い、女性の元に出掛けた。

彼女は、昼間の場所にいた。
更に、彼女と共に、二組の、親子連れがいた。
皆、カンボジア流民である。

早速、支援物資を出して、皆に、それぞれ、差し上げる。
今回は、女性物と、子供物を、厳選して、持参してきた。
それは、日本から、コータのところに、郵送したものである。

それぞれに、渡して、あなたたちの、友人はと、問うと、南の方向を示すので、そちらに、歩いて行った。

しかし、途中で、止めた。

後の、二泊をそちらにある、ゲストハウに泊まることにしていたので、道を戻り、いつも、支援していた、場所に向かう。

丁度、果物売り場の、広場がある、前の道に、何組か、いるのである。

矢張り、二組の、親子がいた。

早速、支援物資を出す。
少し、大きな子がいた。女の子である。
私は、衣服の他に、その子に、袋に入った、ハンカチを渡した。中を、見せてである。
とても、喜んだ。
そして、私を、じっと見詰める。

人通りが多く、中には、立ち止まり、私たちの行動を見ている人がいる。
一人の男性が、しばらく、見ていた。
私と、目が合うと、微笑んだ。

パタヤにて、このような活動をしている人は、いない。
更に、カンボジア流民に対して、何事かしている人は、いない。

私たちは、彼らが、どのようにして、タイ、パタヤに出て来たのか、知りたいと、思ったが、言葉が分からない。
そして、それが、秘密の事ならば、喋らないだろう。

どのようにして、入国して来たのか。
そして、パタヤの、警察は、何故、黙っているのか。

これは、想像であるが、日本の、ヤクザに似た、組織があり、その組織が、物乞い出稼ぎとして、連れて来ている可能性もある。

一度、タイの女性が、物は、上げてもいいが、お金は、上げない方がいいと、私たちに、アドバイスしたのである。
それが、そんな想像を、もたらした。

普通なら、強制送還される人たちかもしれない。
だが、そこが、タイの緩やかなところである。

適当なところと、言っても、いい。

陸路であるから、入国せずに、入るのかもしれない。

兎に角、それほど、カンボジアの国情が悪いということである。
貧しいのである。

プノンペンに出掛けたのは、今年の一月である。
地方からで出来た人々は、住む場所がないから、路上生活である。

街中は、まだ、何とか救いがあるが、地方に行くと、ど貧乏な生活であろうことは、想像に難くない。

街中でも、多くの孤児たちがいる。

地雷があるから、どこでも、行くことは、出来ないが、私は、地方に、出掛けたいと、思っている。

プノンペンの近郊から、シュムリアップ付近などである。
アンコールワットの遺跡に近い、地方である。
また、タイから、陸路で、入る事が出来る、場所である。

やることは、多々ある。
そのためには、資金が必要だ。
しかし、私は、多く、自腹で行う。

寄付や、支援金を御願いするが、真っ当に、それを、行動したことはない。

何故か。
単に、それが、嫌なのである。
人から、お金を貰ってするということが、嫌なのである。

更に、こういう、活動を始めたら、仕事らしいことは、あまり出来ない。
昔は、占いの原稿を多く書いて、生活していたが、一時期から、全く仕事がなくなった。
それから、そのままにして、仕事を得ることを、しなかった。

また、占い師生活で、仕事をすることも、なくなった。

コンサート活動では、利益を得ない。
だから、大半の、蓄えを、使ってしまった。

今は、全く、お金は、無い。
それなのに、このような、行動をしている。

お金を得るなら、所得税のかからない、お金が欲しい。
それは、限られている。
想像に、任せる。

人様から、お金を貰い、するべき、活動ではないと、思っている。
私が、すべて、私の自由で、行う行為であって、欲しいのだ。

勿論、寄付しますという、人がいれば、頂かないということはない。
だが、こちらから、御願いすることではないと、思うのだ。

何故なら、これは、私の道楽なのである。
であるから、賞賛される行為でもない。

2010年06月26日

神仏は妄想である 285

マタイの福音書を、解体する。

その手引きは、神学者、田川建三氏の、宗教とは何か・マタイ福音書によせて、から、取り入れる。

以下の、引用文は、すべて、田川氏による。

貧しい者は幸い

これは嘘だ。たとえどんなことがあっても、人間が貧乏だからといって、それで幸福だ、なんぞというわけはない。
田川

最初から、やる気十分である。
新約聖書作家たちへの、挑戦である。

マタイによる福音といえば、マタイという人が一人で、書いたものと、思うが、違う。
簡単に言えば、マタイ教団が、書いたもの。まとめたものと、いえるのである。

この、福音書は、ユダヤ教からの、改宗者のために、特に、イスラエルとシリアに住む、改宗者のために、書かれたといわれる。
そのため、他の、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書とは、違い、ユダヤ教の、祭儀へ、言及する箇所が、多いといわれる。

要するに、読者を絞り込むのである。

それが、カトリック、そして、プロテスタントの、キリスト教から、聖典とされるものである。

勿論、聖典があり、外典もある。
外典は、聖典として、取り入れられなかったものである。が、読むべき価値は、ある。

知らないものは、無いものであるから、クリスチャンたちは、教会が、定めた聖典を、正しいものと、信じて、疑わない。

信じる者は、決して、救われることが無い。
信じる者は、騙されるのである。

貧困はその人の生活を苦しくする。生活の苦しさは、労働の過重を呼びおこす。労働の過重は極度の疲労をこきおこす。それも自分だけのことではない。妻も、家族みんなも。貧困は一日だけの架空の実験ではない。毎日続く状態である。こういうものは毎日続けば慣れて軽くなる、というものではない。毎日同じ重さを加えてくる。肉体の疲労が毎日続く状態であれば、一方ではそれは必ず、病気か、病気に近い健康状態を結果する。病気にならずに頑張ったとしたら、寿命を縮めるのがおちだ。他方では、精神的いらだちを結果する。疲れた時にとがってくるのは神経なのだ。しかも自分だけではなく、家族全体がそうであるとすれば、せめて、精神的にだけでも豊富な余裕があれば、と希求するのは当然だが、程度以上の疲労はそれを支えきれない。かえって、自分のいらだちが相手のいらだちを増幅し、相手のいらだちが自分のいらだちを増幅する。
田川

これは、マタイ福音の、山上の垂訓という、有名な場面の説教を、批判するものである。

幸い、貧しい者

この有名な台詞には、動詞が無い。
だから、どういう動詞も、そこに、想定することができる。
訳文により、いかようにも、手を入れることが、出来るということだ。

フランシスコ会聖書研究所訳
自分の貧しさを知る人は幸いである。
天の国はその人のものだからである。

だが、
貧しい者が幸いである。
貧しい者こそ幸いである。
貧しい者も幸いになるだろう。
貧しい者こそ幸いなれかし。

「幸い、・・・・な者」という動詞を含まない言い方は、旧約、ユダヤ教に伝来の言い方である。それは特に、いわゆる知恵文学に多い。そしてそれは宗教的かつ倫理的な生活の智慧として語られてきたものであった。
田川

幸い、汝イスラエルよ
幸い、知恵を見出す者
幸い、主により頼む者は皆
幸い、貧しい者のことをおもんばかる者

幸い、とは、祝福の言葉である。
伝統的に、多くの場合、宗教的説教の意味で、語られてきた。
イエスの、幸い、貧しき者、も、同列の平凡な説教と、みなそうとしたことも、ありなのである。

田川氏は、上記の、詩篇から引いた、貧しい者に、慈善を垂れる、富む人は、幸いであるという、言葉と、イエスの、貧しい者は幸い、という言葉には、無限の距離があるという。

イエスの言葉は、詩篇の言葉への、挑戦であるという。

幸い、貧しい者という、発言が嘘である、ということを知る者のみが、この動詞の省略された言い方が、一方では固定的な平板な真理から、他方では挑戦としての逆説までを表しうる表現形式なのだ、ということを発見するのである。貧困について語られている言葉は、貧困の事実を知るところからしか理解しえない。
田川

これを、解説し、説教を繰り替えす、司祭や牧師たちは、体の良い言葉の、羅列をする。

心の貧しさであり、それは、神を求める心、信仰の、現れである云々。

個人的好みや、信者の心を、酔わせる言葉を吐くのである。
どこにも、心の貧しい人は、幸せであるとは、書いていないのである。

主イエスは、端的に、旧約の逆説を言うのである。
貧しい人は、幸いである。

だが、それは、嘘なのである。
貧しさが、幸せであるはずがない。
それは、田川氏の、上記の言葉でも、解る。

貧しさは、人間を、また、その人間性までも、狂わせ、更には、貶める。
貧しさから、這い上がるために、人を人とも、思わず、行為する人もいる。

聖書解釈は、実に、血みどろの戦いになるのである。

この、言葉を、ただ、ただ、信仰に持ってゆくように、説教を繰り返す、指導者たちである。

唯一、神のみを、頼め。
神のみが、あなたを、救う。
全く、検討違いの、説教を、平気でする。

その、見当違いの、説教を聞いて、信者は、死ぬまで、騙されるのである。


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タイ・パタヤの闇 3

パタヤに来た、翌日、外出禁止令が、出された。
パタヤの歓楽街も、夜は、十時までの営業となった。

その日暮らしの、体を売る、女や、レディボーイは、死活問題である。

彼らは、夜から朝までが、勝負である。

気の毒にと、私たちは、話し合っていた。

そして、私が寝ると、コータが、街の様子を見に出たようである。
勿論、私は、それを、知らない。
ドアを少し開けて。実に、危険である。
これが、高級ホテルなら、本当に危ないかもしれない。

矢張り、十時に、店が閉まったという。
ところが、歩いていると、閉まっている店から、呼び込みされたという。
つまり、建前は、閉めているが、内実は、営業しているのである。

パタヤでは、何の騒動も、なかった。

さて、私たちは、南のウォーキングストリート近くの、ゲストハウスに移ることにした。

まだ残る、支援物資を持って、ソンテウに乗り、移動した。
兎に角、暑い。

ソンテウを降りて、少し歩くが、汗が噴出す。
コータは、傘を差していた。
私は、面倒なので、そのまま、直射日光である。

市場の前を通り、大きな通りに出て、ようやく、いつもの、ゲストハウである。

皆さんと、顔馴染みである。

400バーツの部屋である。1200円。
とても、綺麗な部屋で、心地よい。
大きなベッドが、一つ。

お客は、日本人は、私たちだけで、黒人も、アラブ人もいた。

汗だくになった、衣服を脱いで、シャワーを浴びる。

そして、しばらく、エアコンで、体を冷やす。
そして、水を買いに出る。

そのついでに、通りにカンボジアの親子がいないかと、確認する。
矢張り、この暑い中、親子が、電話ボックスの陰で、物乞いしていた。

私は、一本のペットボトルの水を、上げて、後で、衣服を持ってくると、身振りで、伝える。
それが、伝わるのだ。

後で、持って行くと、非常に喜んだ。

だが、支援は、これからである。
まだまだ、いるのである。

そして、その人たちは、どこに、陣取るのか、予測がつかない。
また、同じ場所でも、別な親子がいる場合もある。

部屋に戻り、休憩する。
突然、コータが、カレーが食べたいと言う。

それでは、カレーを食べることにしようと、出掛けた。

インドカレーの店に行く。
何度か、行った店である。
非常に愛想が悪い、店である。
だが、味は、いい。

と、その店に行き、今通って来た、道に、もう一軒のインド料理店があると、知る。
それは、大きな勘違いなのであるが、そう思った。思い込んだ。

今日は、こっちに、してみようと、私が言うと、コータも、頷いた。

そして、席に着いて、メニューを見た。
カレー、カレーと、私がいうと、ウエイトレスが、カレーは無いという。
えっ、インド料理でしょう。
インドではないと、言う。
どこ
イラン料理です。
えっ、イラン料理。

だが、一度座って、出るわけにも、いかないと、思いつつ、コータにいうと、一度、食べてみようということになった。

私は、チキン料理で、コータは、牛肉の煮物である。

初めての、体験である。

出てきた。
チキンの、半身である。
そして、米が、タイ米とは違う。
細長い米である。
タイ米も、細長いが、それの倍ある。

そして、その米に、小さな、干しブドウのようなものを、振りかけ、更に、バターを混ぜて食べるのだという。

食べ始めた。
腹が空いていたから、最初は、美味しく感じられたが、徐々に、胸が、一杯になる。

食べても、食べても、減らない。

チキンは、何とか、全部食べたが、ご飯が、もう進まない。
腹いっぱいになってしまった。
コータも、同じく。

残すのは、勿体無いが、もう、駄目だと、二人で、食べるのを、止めた。

こんなものを、食っているんだから、相当、彼らは、タフなんだと、コータが言う。

コータは、おかずも、ご飯も、残した。

私は、夜のご飯を食べなかった。それほど、量が多かった。

ただ、米まで、イランから、運んでいると、思うと、大したものだと、感心したのである。

その夜は、インターネットカフェに行き、書き込みをして、終わった。
腹が、もたれるのである。

その夜も、コータが出掛けた。
今度は、レディボーイの、取材である。
私は、寝た。
今夜は、折角だから、どこかに、飲みに出ようと思うのだが、夜になると、気力が無くなるのである。

更に、夜になって、暑いのである。
今時期が、一番暑いタイである。

ふっと、思う。
旅に出ると、本も読まない、物も書かない。何もしない。
だから、日本にいる時の、あの状態から、抜けて、気分転換をしていると、思う。

それが、癖になったのである。
一挙両得。
慰霊と、支援の旅に出て、それが、気分を一新させ、日本に戻ると、また、猛烈に本を読み、そして、物を書く。

ただし、お金儲けだけは、していない。
不思議だ。

2010年06月27日

神仏は妄想である 286

イエスの逆説的な言葉は、それが語られた瞬間から、弟子たちによって骨抜きにされていった。この言葉がマタイによって編集された過程もそうである。マタイという個人がはじめてイエスの言葉をひんまげた、というのではない。イエスの生前からすでに、改竄、修正、聖典的権威づけの試みははじまっていただろう。半世紀にわたる集団的改竄の努力がマタイ福音書に山上の説教という形をとって定着する。その伝統をさらに近代的な宗教的観念性の中にひきこんで料理したのだから、近代の神学的解釈者の解釈が愚劣になるのも無理はない。
田川

そこで、田川氏は、神学者の解説を、載せて、斬るのである。

ある神学者の言葉。
だからこれらの幸いの言葉は、神の行為の秘密を表現している。神が貧しい者に向き給う、ということの中に憐れみとして示される神の行為の秘密を。

生活苦を知らない、司祭、牧師、神学者の、戯言であり、意味不明な、解釈である。

要するに、正しい信仰を持つ者が幸いであるというのである、結局は。
それで、信者を騙す。

神が与え給うのだから、貧しくてもいいじゃないか。だから、神が要求なさることにはおとなしく従うべきである・・・
田川

・ ・・・神学者諸氏の発想が行き着くところは、貧しい者の憤りのとげをぬいて、宗教的謙虚さへとかかえこむことにある。
・ 田川

ある神学者の言葉。
貧しい人や不幸に人たちとは、此の世からは何も期待しえないで、神にすべてを期待し、神に信頼している人たちである。

全く、現実生活を知らない、神学者の解釈である。
つまり、信者から、搾取しておいて、言い分がいい。
彼らは、それで、心を痛めることがない、ほど、鈍化しているのである。

司祭、この場合は、カトリックの神父であり、牧師とは、プロテスタントの指導者である。

彼らは、現実生活を知らない。更に、現実生活にいても、その指導者になると、突然のように、現実を無視する。

神への、信仰により、と、すべてを、神に転ずるのであるから、世話が無い。

国連をはじめ、様々な、団体が、世界の貧困対策というものに、向かっている。
宗教だけは、空想、妄想の、教えで、それらを、煙に巻き、堂々としている。
勿論、国連、様々な、団体の中には、宗教的、動機のある者もいるだろう。更には、宗教団体、特に、キリスト教関係などは、積極的に、ボランティア活動を行う。

だが、それで、解決するものではない。

そこには、必ず、卑しい布教という、隠れた策略がある。

タイ、チェンマイにて、様々な、ボランティア団体を集めて、討論会を行った。
その中で、最も、タイ側から、疑問を持たれたのが、日本の団体だったという。

つまり、日本の団体の、ボランティア行為の、動機が、解らないというものだった。
日本も、今は、大変なのに、何故、タイにて、ボランティア活動をするのか・・・

それは、他の団体は、すべて、ミッション系であるから、その目的が、明確だった。布教である。タイ側の人たちは、それらの、団体には、質問しなかったという。聞かなくても、その理由が解るからである。

日本の、団体には、何か魂胆があるのではないかと、疑ったという。
例えば、タイの支配の、複線なのか・・・等々。

しかし、日本側の団体は、ただ、単に、助けたいというものであった。
出来ることをしたいという、素直な思い。

誰も、日本の神道を布教するなんて、考えもしないし、日本の天皇を、タイの人たちに、理解してもらおうなどとは、考えないのである。

最も、ボランティアらしい、日本の団体であった。
だが、それでも、疑われたという。

何かの魂胆があるから、そんな、無益なことが、出来ると、通常の人は、考える。

宗教団体が、行う、奉仕には、必ず、それは無いと、言っても、そこに、微かながらも、布教という、目的が発生するのである。

東京カテドラルにて、コンサート使用を申し込む時に、担当の、方から、言われた。
わたくしたちは、福音宣教の立場から、利用者様に、ご理解を頂いて、お貸しします、である。

勿論、そこを、利用するのは、大半が、教会関係者との、つながりがあれば、楽々である。

私は、使用しなかった。
その、尊大な謙遜の言い方に、実に、いやな気分を感じた。

信仰に、熱心になればなるほど、偏狭になるのは、どこの、宗教も、同じである。
決して、自由な発想は、生まれない。
更に、完全に、他を差別する。

さて、イエスの説教における、貧しい者、貧困というものが、全く、理解されずに、勝手に、解釈されて、歪められ、信者は、いいように、騙されるのである。

この、飛躍は、宗教に、つきものである。

聖書研究を見る。
直訳では、霊によって貧しい人。
人を幸福にするものは、自分の力で手に入れられる、この世の富ではなく、祈りによって、神から、与えられる、恵みだけである。

このような、詭弁を平気で、言ってのける、宗教家というのは、まさに、悪魔的である。
神から、与えられる、恵みという、その、恵みを、愚かな人たち、信者は、勝手に想像する。

ああ、これが、神様の、恵みのお陰だ・・・と、思い込む。
何か、些細な、喜びも、そのように、思い込む。
人間の、努力などは、完全に無視する。

霊において、というのは、マタイによる、解釈的附加である。
というより、マタイ的学派の、と言うと、田川氏は、いう。

山上の説教は、編集者、マタイや、ルカが、修正しながら、採用したものである。
それまでに、実に複雑な経過を、辿っている。

田川氏は、マタイ的教団の、教師たちは、彼らの律法学者的知識を、総動員して、これを、詩的様式からも、宗教的内容からも、より完成した一つの詩文にみがきあげている。と、いう。

最初は、原始キリスト教団によって、一つの基礎伝承として、まとめられた。

貧しい者が、霊において、と、変えられた。
更に、飢える者が、義のために飢え渇く者と、変えられた。

義とは、ユダヤ教の基礎にある、法的発想の中心概念である。

イエス自身は、常に、法的発想とは、いわば正反対の位置から、ものを言っていた。それゆえ、マタイ、マルコ、ルカという、三つの、共観福音書では、イエス自身の発言には、義という言葉は、マタイ以外、一度も、使用されていないのである。

マタイ教団により、義という、概念を取り入れて、統合したのである。

よって、伝承にある、逆説的な、イエスの、説教とは、質を異にするのである。

イエスの言葉を、勝手に解釈して、勝手に、信者を騙す手口にしたという、仰天である。

あたかも・・・である如くに、淡々と、教団化を図り、のうのうとして、人々を、支配するという、手口。

甘い、生ぬるい言葉を掲げて、つまるところ、偽善であるが、そのようにして、更に、カトリックという、教団にまで発展することになる。

人を、夢見させるのが、宗教の本質であり、現実と、事実から、目を逸らせる。

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タイ・パタヤの闇 4

昼間見つけた、カンボジア流民の親子に、夕方、支援物資を持ってゆこうと、思った。

そして、部屋で、休んだ。
コータも寝た。

私が、目覚めたが、コータが、まだ、寝ている。
コータは、夜起きているものだから、昼間よく寝る。

そこで、私は、一人で、すべての支援物資を持って、出掛けた。
最後の、支援物資である。

その親子のいた場所に行くと、すでに、いない。
矢張り、その時、上げなければ、チャンスを逃す。

暑くて、いられなかったのだろう。

夕方といっても、まだ、暑いのである。

私は、そのまま、ビーチに出た。

すると、目に入ったのは、物乞いのおばあさん、である。
更に、その隣に、親子連れもいる。

だが、カンボジア流民ではない。

皆、タイ人である。

親子連れに、早速、衣服を出した。
子供用である。
男の子が、とても、喜んだ。
すると、次から次と、人が現れた。
支援物資が、欲しい人たちである。

その辺りは、観光客が多く、更に、夜のバーが始まる前の、お姉さんたちも多い。

子供がいるという、女が、来た。
指で、子供の年齢を示すので、その年齢に合った、衣服、ズボンを取り出す。
それが、また、次から次と、現れる。

今までは、そんなことが、なかった。
そこは、ストリートチルドレンがいる、場所である。

女物の、衣服を出てきた。
すると、最初に見たおばあさんが、欲しいと、言う。
子供に渡して貰った。

更に、それを、見ていた、タイの青年に、写真を撮ってもらう。
ストリーチチルドレンも、現れたので、ティーシャツ、ズボンを出す。

あっという間に、支援物資がなくなるのである。

丁度良い、時間帯だったのだ。

写真を撮ってくれた青年に、コープクンカップといって、別れた。
その後で、子供たちも、写真を撮りたいと、言う。
そこで、カメラを渡して、皆で、写真を撮った。

ただし、どのように写っているのは、解らない。
コータが用意していた、カメラで、簡易カメラではない。

お金を欲しがる人もいたが、お金は、上げない。
それをはじめると、終わらなくなるからだ。

すべてを、上げて、ゲストハウスに戻る。

ウォーキングストリートに、入った時、コータが、やって来た。

もう終わったよと、私がいうと、コータは、実に、残念な顔をした。
写真を撮るために、準備していたのだ。

あの親子は、いなかった。
その時じゃあなければ、駄目だ。

起こしてくれれば、いいのにと、コータが言う。
私は、優しいから、そんなこと出来ないんだよと、言う。

本当は、とんでもなく、激しい感情家である。

コータとも、よく、激論する。
周囲の人が、驚くことも、多々あるほど、激論する。

しかし、激論できる相手だから、こそ、一緒に行動できる。
激論が終われば、それまで。

私も、よく、謝るようになった。
つまり、成長した。

ただし、追悼慰霊や、支援物資を、差し上げている時は、決して、そんなことはない。
激論している暇は、無い。

夜である。
パタヤの最後の夜。
それでは、飲みに出掛けるかと、思うものの、体力と、気力が尽きた。

私は、もう、ご飯も、食べないよ・・・

コータは、一人の、レディボーイを見つけて、色々と、話を聞いているようだった。
明日、コータがバンコクへ戻り、私は、もう一日を、パタヤで過ごす予定である。

ということで、コータが出掛けた。
私は、寝る。

翌日、コータが、戻らない。
だが、明日から、授業がはじまるから、今日は、バンコクへ戻らなければならない。

そして、私も、一緒に、バンコクに戻ることにした。

支援物資もなく、きっと、夜になると、体力、気力が尽きて、どこへも、出掛けないだろう。
それでは、パタヤにいる、必要は無い。

コータに、電話した。
私も、バンコクに戻るから、12時までに、帰って、おいで。

30分おきに、バンコク行きの、乗り合いバスが出る。
それで、戻ることにする。
一人、250バーツである。

段々と、賢くなって、タクシーなどは、使わなくなる。

タクシーだと、千バーツ前後の、料金になるのだ。

そして、バンコク騒乱も、終わりを告げていた。
タクシン派の幹部が、投降したという、ニュースである。

60数名の、死者を出した騒乱も、終わった。
タイは、これから、まだ、混乱が続くだろう。

東南アジア、アセアンでは、最も、優秀な国である。
とても、残念だ。
更に、国王は、入院している。

民主化を目指す国王だが、矢張り、タイ国民には、国王からの、メッセージが一番である。

タクシン派と、反タクシン派との、利権を巡る、対立から、更に複雑化した、状況になってしまった。

民主主義というより、日本のように、立憲君主制が、最も、タイには、相応しい。
国に、唯一、無私の人がいるという、誇りは、変え難い。

タクシン派は、その背後に、中華系がいる。
中華系は、その背後に、中国がいるということだ。

中華系の、ゴキブリを、許して置けは、母屋を取られる。
日本も、注意、注意である。

バンコクに、戻り、帰国まで、コータの部屋で過ごすことにした。

コータが、学校に行っている間は、私の勝手な時間である。
スーパーに買い物に行く。
そして、驚く。
日本の食材が多くなった。

刺身セット、寿司セットもある。
更に、日本の、キノコ類である。
どんどんと、日本製品が入ってる。
価格は、少し高いが、日本製は、信頼がある。

通りで、一本、12バーツの、茹でとうきびを買い、一つ10バーツの、果物類を、買う。
スーパーより、安いからだ。

売り子さんたちとも、顔見知りである。
もう、三度目くらいであろうか。
マンションアパートの、従業員とも、顔馴染み。

そこにも、居場所があるような、気持ちになる。

食堂の、不機嫌なおばさんも、私には、微笑む。

そして、帰国の日。
夜、空港に向かう。
朝、3:30から、搭乗手続きがはじまる。

乗ったタクシー運転手が、暴走族上がりのようで、カーチェイスのような、運転に、わくわくする。
そして、メーター料金通り。
私は、50バーツの、チップを渡した。
いかつい、お兄さんは、それで、笑顔になった。

どこにも、人というものがいる。民族対立なんてーーーと、思う。

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