2010年04月13日

救われないマニラ・救いようのないフィリピン 13

モーテル付近を、散歩した。
すると、矢張り、自転車の、シクロで、寝泊りする家族がいる。
男の子は、パンツのみはいている。

そこで、私は、部屋に戻り、自分の着替えの、Tシャツを持って、その子の、所に行き、シャツを渡した。
母親が、とても、喜んだ。

ホテルに戻ろうとすると、その子が、追いかけて来た。
何か言うが、解らない。
手をだした。食べ物か、お金が欲しいのである。

私は、近くの、店に彼と一緒に行き、腹持ちする、お菓子を買って渡した。
それを、受け取ると、その子は、走って、親の元に戻った。

更に、別の時間に、私は、付近を歩き、小さなスラムを見つけた。
沢山の子供たちがいる。
更に、子供たちが、食事の用意をしている。
皆、小学生くらいである。

道端の、壁に、手作りの小屋を建てて、住んでいる。
次は、ここに、衣類を持ってこようと思った。

コータには、支援は、止めた方が、いいと、言われたが、矢張り、私の、これは性格なのである。

実際、ボランティアというが、私は、私の性格の通りに、行為しているだけである。
善意の行為などという、思いは、無い。
あえて言えば、私の道楽なのである。
だが、その行為が、相手に喜ばれるなら、幸いである。

ボランティアというより、寄与である。

たまたま、私に、それが、出来るチャンスがあるということだ。
それ以外の、何物でもない。

私の行為は、追悼慰霊から始まった。
そして、どうせ、出掛けるのだから、と、衣服支援を、思いついたのである。

追悼慰霊は、十分に、評価されてもいいが、衣服支援は、そのついでなのである。
そして、私の性格である。

善意の行為と、思えば、傲慢である。
更に、その衣服は支援してくださる方々がいる。
善意といえば、支援してくださる方々のことである。

パサイ市は、実に雑然として、臭く、煩く、汚い街である。

駅の付近は、なお更である。
日本の町並みとは、比べ物にならない。
いかに、日本が綺麗な町並みを、作っているかということだ。

ただ、街中のゴミが、清掃されているのは、救いだ。

面白いことがある。
道のあちこちに、立小便の場所がある。
最初は、解らなかった。

陸橋の上から、それを、発見した。
至る所に、立小便のコーナーがあり、そこは、囲いで覆われている。
考えた。至る所で、立小便をすると、街が、臭くなる。それで、苦肉の策で、それを、設けたのだろうと。

だが、男のみで、女の場所はない。
さて、女たちは、どうするのか。
考えても、解らない。

帰国の日が、近づいた。
私たちは、最後の宿を、別の安いモーテルにした。
それも、チェックアウトが、夜の七時であるから、夜の八時に、チェックインすると、翌朝の、八時まで、使用できる。
つまり、12時間分の料金で、泊まれる。
朝、八時は、空港に出る時間である。
丁度よい。

900ペソである。1800円。
最後の夜は、もう、外に出る気力が、無かった。
ホテルの、ルームサービスを頼む。

一つの、料理の量が、何故多いのかも、解った。
つまり、二人分なのである。
カップルで来るので、二人分の分量が、定番なのである。

それを、知り、チキンカレーを一つと、ご飯を二つ注文する。
それで、丁度よかった。

180ペソで、500ペソを、出した。
お釣りを持ってきた、おじさんが、言った。チップと。
ホント、うんざりする。

カレーを運んで、お釣りを持ってきただけである。それで、チップとは・・・

しかし、もう、怒る気力も無い。
兎に角、明日、帰国するという、希望で、夜を過ごした。

空港までの、タクシーも、メーターを倒さないで、200ペソという。
私たちは、ノーといって、乗らなかった。すると、運転手は、嫌々、メーターを下ろした。
100ペソにも、ならないのである。
勿論、100ペソ渡したが、一事が万事である。

本当に、フィリピンは、うんざりである。
しかし、私は、また、行く。
今度は、単独行動である。

救われないマニラ・救いようの無いフィリピンの旅を、終わる。




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