2010年04月12日

救われないマニラ・救いようのないフィリピン 12

ポリスで、被害届けをして、うんざりして、また、元の場所に戻った。

ホテル探しである。

安いホテル・・・
ついに、私が、前回泊まった、モーテルのようであり、レストンと名のつく、ホテルに行った。
最後の手段だと、思った。

チェックインして、落ち着いた。
そして、驚いた。
その周囲は、その、モーテルであり、ラブホテルの集合だった。

コータが、この辺りも、探しに来たという。
そこで、私は、前回の泊まった様子が、すべて、解った。

時間制により、料金が、決まる。
12時間単位である。
私は、それを、勘違いというより、英語を理解しなかった。

二時間、三時間で、幾らというものを、人数だと、思ったのだ。
ホント、アホである。

さて、部屋に入り、シャワーを浴びる。
リラックスしようとするが、どうも、パッとしない気分である。
要するに、窓が無い。
閉じ込められている、雰囲気。しかし、もう、疲れた。

一度、水を買うために、出掛けた。
そして、夕食である。
ホテル・レストランであるから、食事を頼むことにした。

疲れた時は、麺類である。焼きそば。
コータは、チキンと、ポークの合わせたものに、ライス。

うんざりした。
不味い。

そのうちに、コータが、挙動不審になってきた。
要するに、部屋に耐えられなくなったのだ。
閉所恐怖のような、気分になったという。理解した。

ついに、ここから、出たいと、言う。
私も、即座に、そうしようと、言った。
だが、24時間の料金を支払っている。

コータが、大丈夫だ、時間制だから、お金が戻るという。
急遽、チェックアウトである。

荷物を、急いでまとめて、フロントに行く。
話を早くすると、結局、お金は、戻らなかった。
コータは、抗議をする様子だったが、私は、止めた。
ここは、フィリピンだよ・・・止めよう・・・次に行くよ・・・

次に行くところは、3000ペソもする、ホテルである。
もう、そこしかなかった。
6000円とは、私たちには、高いが、この気分を収めるためには、もうそれしかない。

そのホテルに、向かった。
そして、フロントに、ツーベッドルームと、言うと、プールだという。
えっ、と、私は、意味が解らない。
コータが、満室だと、言う。

がっくり。
ガイドブックに載る、ホテルは、遠い。
私たちが、色々と、探していると、フロントの男が、同じ系列のホテルがあるが、2200ペソだと、言う。泊まるなら、ホテルの車で、送迎すると、言う。
すぐに、それで、決定した。

そして、連れられて行った場所が、先ほど出たモーテルの近所である。
そして、そこも、同じように、モーテル使用である。
だが、高級なのである。

部屋に、入って、ようやく、落ち着いた。
24時間使用であるから、明日の、夜七時まで使用できる。
朝食もついている。

その部屋は、随分と増しな部屋だった。
更に、バスタブがついている。
そんな部屋は、はじめて。
そこで、お湯を入れて、風呂に入ることにした。

大きなバスタブに、お湯を入れて、二人で、入った。
中々、お湯が溜まらないので、二人で、入ると、お湯が、少なくてもすむ。

ようやく、溜め息をついた。

最悪な気分から、脱した。

私は、コータに、もう、フィリピンには、来なくていいよと、言った。
聞かなくても、十分に、言いたいことが、解った。

二人で、お湯に浸かり、しばらく、呆然としていた。
ただ、呆然である。

私は、このホテルに、三泊することにした。
帰国するまでは、我慢しなければならない。
だが、私は、また、フィリピンに来る。まだまだ、慰霊をする場所がある。

コータ曰く、支援はしないで、慰霊だけにするべきだ。
ここは、恩を仇で返すと、言う。

その気持ち、よく解る。
そうだと、私も言った。

だが、あえて言えば、私は、支援するのは、ただ、寄与しているだけであり、それ以外に、何も無いのである。
相手が、それで、得して、よし。
どんな風に、思っても、必要ならば、差し上げる。ただ、それでいい。

感謝されたいとも、思わない。そんな気持ちは、皆無である。

ボランティア活動とは、人に対する、分かりやすさであり、私は、ただ、寄与行為なのである。

また、支援物資を、持参しつつ、慰霊に来るだろう。
それには、何の迷いもない。

私は、ベッドに、早々に横になった。
後は、寝るだけである。



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