ルソン戦記 河合武郎
移動につぐ移動、という、箇所を読む。
輸送船のなかでは軍馬は悲惨な状況におかれた。船倉を何段にも仕切って、その最下層に軍馬は積み込まれた。風通しの悪いなかで、南下するにつれて船内の温度は上昇し、馬は全身汗まみれになってバシー海峡をわたった。
彼は、野戦重砲指揮官である。
人間だけではなく、軍馬の、悲惨さを、語る。
ルソンに上陸してから、環境はさらに悪化した。酷暑と糧の不足である。彼らはみるみるうちに痩せこけていった。ひろい雪原で走りまわっていたことの丸々とふとった面影は消えうせて、見るもあわれに姿になってしまった。
さらに、くわえての悪条件はたびたびの陣地変換である。北サンフェルナンドに上陸後、われわれはルソン島の南部、パダンガスに直行させられた。パダンガスの海岸線に敵が上陸してくるという上層部の判断で、この敵を水際で撃滅するという使命感に燃えて、われわれは休む間もなく、懸命になって十五溜四門の陣地を構築した。陣地をつくるということは、チョッとした穴掘りとはけたちがいの苦労である。
そのころ、レイテ戦はたけなわであった。敵機は、はやくもパダンガスにおけるわれわれの陣地構築を妨害するために、空襲をしかけてきた。火を噴いて飛んでくるロケット弾の中をかいくぐりながら、十一月の下旬、ようやく出来あがりかけたわが陣地に、移転の命令が達せられた。
パダンガスは、ルソン島の、南部に当たる。
そこから、北に向かうことになるのだ。
こんどは、北方のリパというところの飛行場付近に新しい陣地をつくれという。われわれは、不平も言わずしたがった。
この、リパは、マキンリ山の北西寄りである。
私が、慰霊をした、パグサンハンとは、随分と遠い。
その、リパから、ラグナ湖の、西側を通り、マニラの、北東にある、イポダムに、陣地を作っている。
何故、パグサンハンに、慰霊碑を建てたのか・・・
それは、丁度良い、場所が、見つからず、山の中ということで、建てやすい場所として、選ばれたのだろうと、思う、
更に、カリラヤという、場所に、慰霊の聖地を、アメリカが作ったと、思える。
レイテ戦はすでに山が見えていた。敵はつぎはネグロス、そしてルソンへと、飛び石づたいに押し寄せて来ることは、われわれ第一線の者にも推察できた。
一刻もはやくリパで新たな陣地をこしらえ、敵の奇襲にそなえなければならない。不信と焦燥のなかで、しかし命令どおりに懸命になって十字鎌をふるい、もっこをかついだ。
昭和十九年十二月二十四日、クリスマスイブの晩、工事の目途がついたわれわれは捕まえた大トカゲを料理して、ささやかなパーティーを開こうとしていた。そこへ突然、ふたたび陣地変換の命令がきた。
一同、さすがに唖然としたが、命令にしたがわないわけにはいかない。われわれは徒労に帰したリパの陣地をあとにして、さらにルソン北上の旅についた。
けっきょく三ヶ月のあいだ、われわれは南部ルソンのパダンガスから中部ルソンのイポまで、二箇所で大きな土木工事をやりながら、延々百キロの夜行進をしてきたことになる。
ルソン戦記
昭和十九年であるから、敗戦の色濃くなった、時期である。
すでに、情報が、交錯して、統一されないままに、上から命令が、くるという、状態になっていたと、思われる。
結果、マニラの、水源地である、イポダム周辺で、陣地を作り、アメリカ軍の、総攻撃を受けることになるのだ。
イポダムでは、一万人の日本兵が、亡くなっている。
兵士たちと、共に、軍馬が、犠牲になったとは、知らなかった。
ルソン決戦が、ルソン防衛に変わり、その態勢がととのうまでには、さまざまな変転があった。
と、書かれている。
すでに、アメリカ軍が、断絶有利な戦いを、進めていた。
さて、私が、慰霊を行った、パグサンハンは、矢張り、戦った場所、その進軍した場所から、離れている。
しかし、それも、致し方ない。
兎に角、日本兵たちは、南部ルソンの山々を通り、マニラから、50キロある、イポダムに最終の、陣地を作り、玉砕したのである。
後半になると、特攻攻撃と、同じような、斬り込み隊が、編成され、敵を撹乱させるという、方法で、戦いを延ばしただけである。
さらに、悲劇なのは、情報が、交錯し、ある者は、山の中に、入り込んで、行方不明となる者も、いたのである。
戦争は、悲惨だが、負ける側の、悲惨さは、言葉が無い。
ルソン島の、山々の中に、未だに、遺骨が、散乱しているのだろう。
実に、気の毒なことである。
場所を、限定できないという、こともあり、ルソン島の、どこでもいいから、慰霊碑をという、遺族の気持ちも、解る。
勿論、私は、マニラから、東北50キロにある、イポダム付近に出掛けて、追悼慰霊の儀を執り行いたいと、考えている。
そして、兵士たちだけではなく、共に、戦った、軍馬の慰霊も、行いたい。
この戦争により、フィリピンだけでも、111万人が、犠牲になっている。
一般人も、勿論、その中に含まれる。
戦争とは、人が人を殺すことである。
当たり前のことだが、実に、惨いことであり、悲しく、そして、儚いことである。
戦争を回避するために、どんな努力も、厭わない。それが、新しい時代の、思想となると、
私は、信じる。