2010年04月08日

救われないマニラ・救いようのないフィリピン 8

パグサンハンという街の、売り物は、急流下りである。
街の中心部は、ほんの一角。

観光客は、一日、あるいは、半日観光で、川下りをして、マニラなどに戻る。
であるから、街に入って来た、観光客は、川下りの、客だと、考えられる。

私たちにも、その勧誘が、しつこく着いて来た。

ホテルを探していると、こちらだという、若者がいて、着いてゆくと、ゲストハウスであり、泊まるには、不適切なホテルだった。
元に戻り、地図にある、ホテル周辺に戻り、一軒の、ゲストハウスを見つけて、部屋を見せてもらった。

観光ガイドブックには、載っていない、ゲストハウスである。

まず、エアコンがある。
温シャワーを尋ねたとき、面白い答えが返ってきた。

水シャワーではなく、ぬるいシャワーだという。
結局は、水シャワーだが、気温により、ぬるくなるということである。

熱いお湯が、必要ならば、部屋に持ってゆくという。

一泊、1000ペソである。
しかし、ベッドは、ダブルというが、狭い。
そこで、ベッドを追加できるかと、尋ねると、100ペソで、追加するというので、1100ペソの料金で、決めた。2200円である。

そこで、三泊することになる。

荷物を運んで、まず、食事である。

メインストリートに出て、レストンを探した。
一本の大きな通りのみである。
その並びの、レストランに入った。

焼きそばと、コータが、チキン料理を注文した。
その、不味いこと。兎に角、味付けが濃い。
どうして、こんな不味いものが、作れるのかと、驚いた。

これなら、単に、ご飯と、チキンの揚げたものでいい。

レストランというところに、入ったのは、その店だけである。
それ以外は、地元の人が食べる、食堂に入った。
そして、スーパーで、買い物して、パンや、ハム、チーズを、食べた。

水は、必要不可欠。大型のボトルを買って、部屋に置いた。

部屋の前は、パグサンハン川の支流が、見える。
綺麗だとは、言えない川である。
兎に角、住民が、何でも、川に捨てる。

生活汚水なども、流れている。
泥の川である。

ただ、それ以外の、風景は、良かった。
川の汚いのを、見なければ、いいのだ。

ホテルは、私たちだけが、お客だった。
ほとんど、泊まり客がいないようである。

その、ゲストハウスでも、川下りの、斡旋をしていた。
私たちも、そのために、来たと、思われて、早速、担当のおじさんが、やって来た。
だが、私たちは、追悼慰霊に来たと、明確したので、その後は、一切の、勧誘は、なかった。

その夜は、部屋で、スーパーのから買ったものを、食べて、終わった。
コータが、夜散歩に出掛けたが、私は、寝てしまった。

矢張り、田舎である。
マニラより、断然、安全で、部屋の鍵をかけるのを、忘れるほどだ。


翌日は、まず、日本人墓地、慰霊碑のある、比島寺、ひとうじ、に行くことにしていた。

暑くなる前の、時間、午前中に出掛けることにした。

ホテルから、歩いて、向かった。
国旗と、御幣の、神紙を持った。

山道である。
途中で、一人、バイクタクシーの、おじいさんが、声を掛けてくる。
ひとうじ、まで、乗りませんか、である。

私たちは、断った。
それでも、後を付いて来る。結局、最後まで、着いて来た。

30分ほど歩いた。
私は、日本兵の思いを少しでも、感じたいがために、歩いた。
この山の中を、彼らは、先行きのことを、知らず、ただ、命令に従って、行動したのだ。

寺に着いた。
驚いた。

寺の中は、売店になっている。
その奥の真ん中に、観音像が、置かれていた。

私は、まず、すべての慰霊碑を、見渡せる、場所から、祝詞を上げた。
そして、すべての、慰霊碑に対して、清め祓いを行った。

その時には、付近の人たちも、それを、見物に出てきていた。
あの、バイクタクシーのおじいさん、もである。

更に、一つ一つの、慰霊碑を、お参りした。
中に、戦艦武蔵の慰霊碑もある。

そして、名前の刻んだ、墓標も、多い。
遺族が建てたという。
だが、残念なことに、その慰霊碑の中には、洗濯物が、干してあるのだ。

その寺を、管理している、女性が、いたが、あまり内容を理解していないかのようだった。ただ、私は、彼女に、200ペソの、献金をした。

多くの、写真を撮った。
しかし、コータの、カメラが、盗まれたので、私のカメラの、一枚の写真しかない。
本当に、残念である。

日本軍は、この辺りから、ルソン島北部に向かって、侵攻した。
道無き、山道を、越えて、どんなに大変だったろうと、想像する。

随分な時間を、そこで、過ごした。
そして、戻ろうとすると、先ほどの、おじいさんが、声を掛けてくる。
街まで、乗りませんか。
あまり、しつこいので、コータに、料金を尋ねさせた。
すると、200ペソと、言う。
暴利である。

私たちは、歩いて、戻ることにした。
ところが、寺の坂を上がったところでも、おじいさんと、別の若者が、待っている。
そして、街まで、乗らないかという。
若者は、100ペソという。

私たちは、無視して、歩いた。
再度、声を掛けてきた、おじいさんに、ついに、私は、喧しいと、怒鳴った。
そして、ようやく、引き下がった。

途中で、街行きの、ジプニーが来たので、それに乗った。
7ペソである。
200ペソが、いかに、高い料金か・・・
本当に、嫌になる。

その日は、その慰霊活動で、終わりにした。




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