2010年04月04日

救われないマニラ・救いようのないフィリピン 4

コータは、体調が悪いらしく、昼になっても、起きない。
日本で、ある英語の本を翻訳していたのである。

夜型なので、私とは、逆の生活になる。

それは、しょうがないこと。

その日は、支援を止めることにした。
朝の、支援で、終わり。

そこで、私は、昼ごはんを食べるために、昨夜と別の、食堂に出掛けた。
そこは、馴染みの店だったので、お土産を持参した。

小さなバッグに、ハンカチを数枚入れた。

いつもの通り道である。
最初に、向こうから、声がかかった。日本語である。

久しぶり
異国で、こんな声かけは、嬉しい。

家族総出で、商売をしている。
店の前に並ぶ、おかずを選んで、ライスを貰うのである。
それで、75ペソ。150円。

食べ終わり、
お土産を出して、皆を、呼ぶ。
私に声を掛けた女性の子供もいた。

その子にも、上げた。
すると、母親に、何か言われて、一冊のアルバムを持ってきた。
そこには、彼女が、日本の着物姿になっている、写真があった。

学校の行事で、日本姿になったという。

ビューティフル・レディーと、私は、感嘆した。
更に、皆が集って、私の、お土産を物色する。

店を、取り仕切る、マザーがいる。
その方にも、差し上げた。
すると、すぐに、ハンカチを、首に巻いた。

皆、喜んだ。
すると、先の女性が、日本人と結婚した娘がいるという、女性を呼んできた。

今は、名古屋に住んでいて、子供が、一人いるという。
そして、日本に、行ってみたいと、言う。

日本は、綺麗な街でしょうと、尋ねられた。
ビューティフルと、私は、答えた。

私が、何の目的で、来ているのかを知っている。

その、付近でも、最初に、支援物資を配って歩いたのだ。

また、来ますと言い、一度、ホテルに戻り、目覚めたコータと、スーパーに、買い物に行く。

水を大量に買う。

支援は、明日、行うことにした。
コータは、徹夜の疲れだけではなく、フィリピン、マニラに来たという、ストレスも多かった。

マニラは、矢張り、緊張する、街である。
至る所のガードマンが、ピストルや、機関銃を持っている。
いつ、銃撃があるか、解らない。

こちらが、狙われなくても、巻き添えになることもあるだろう。

更に、煩わしいのは、勧誘である。

兎に角、日本人である、観光客であると見ると、ヤバイおじさんたちから、声を掛けられる。

女は、いるか・・・である。
または、女いる。安いよ・・・である。

いらないと言うと、男かと、聞いてくる。
いらないと、答えると、バクラかと、聞いてくる。
バクラとは、女装の男たち、レディボーイのことである。

ある時などは、普通の女性が、呼び込みをしている。
見るだけよーーーと、声を掛けてくるのである。

見るだけでいいから、女たちを見て、ということである。

三流から、一流まで、それぞれ、置屋のような、バーがある。
昼間から、そんな勧誘である。

そして、物売り。
持ち歩いて、売っている人たちである。
靴や、サングラスや、ベルトなどなど・・・

無視するほかにない。

大型のペットボトルの水を買い、ホテルの部屋に戻る。
その他、冷蔵庫があるので、少しの、果物などを買う。

ようやく、コータも、いつもの状態を、取り戻したようである。

マニラは、これから、本格的な、暑さを向かえるが、それでも、私たちには、暑い。
季節の変わり目であり、空気が、乾燥している。
それに、排気ガスと、道端で、肉などを焼く、匂いで、充満する。

町中が、臭いのである。
道端で、暑さに、横たわる犬などを見ると、何とも、言えない気持ちになる。
コータの、気持ちも、理解するのである。



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