2010年03月18日

バリ島は静かに死ぬ 4

バリ島は、インドネシアという、二万以上の島々からなる国の、丁度、真ん中辺りに位置する。

19世紀の、東南アジア植民地争奪戦の中で、オランダが、バリ島に進出をはじめる。
1849年、バリ島北岸の、ブレレン王家と、西部のジュンブラナ王家を、武力制圧して、支配下においた。

更に、1894年、隣のロクボク島西部の、バリ人王朝を滅ぼし、1906年には、バリ島南部の、タバナン王家、そして、1908年、バリ島の名目上の支配者であった、クルンクン王家を全滅させた。

更に、残る王家とも、講和を結び、バリ島全域を、支配化に治める。

オランダの目的は、アヘン貿易と、農業、商業に対する、税の徴収であった。
この、税の徴収、治安維持のために、植民地政府は、旧来の、王家、貴族たちの権威を認めて、彼らに、その業務を代行させるという、間接的統治機構を作り上げた。

そして、奴隷制を廃止し、王族の火葬に際しての、妃たちの、殉死を禁止し、病院と、学校建設、灌漑用水を整備し、コーヒーなどの、換金作物の栽培を奨励した。

バリ島を支配するために、オランダ植民地政府は、18世紀に、オランダを破ったフランスの、アジア進出を恐れた、イギリスが、ジャワに進出した頃の、総督だった、ラッフルズの、バリ島に対する、見方を取り入れ、ヒンドゥー教が生きていることを、基本的な見方としたことを、そのまま、取り入れた。

ジャワなども、イスラムを取り入れる前は、ヒンドゥー教が息づいていたのである。
バリ島は、唯一、それを、守っていた。

そこで、カースト制という、制度を固めて、その、土着の、機構を間接統治に、利用したのである。

上層の僧侶と、王族、貴族と、それ以外の、平民を明確に分けて、支配に生かしたのである。

上層の者たちには、道路舗装などの、強制労働を免除し、更に、下級貴族には、村の領主の位置を与えて、徹底した、身分階級を実践した。

それにより、地位や、貧富の差が、急速に拡大することになるのである。

それ以前の、バリ島は、戦闘、紛争の絶えない状態だったと、いえる。

現在の、バリニーズには、ジャワからの、血が多く流れている。
今に、始まったことではないのである。

オランダ植民地による、統治は、バリ島に平和を、もたらしたともいえるのである。

その、オランダの、統治官は、統治するため、バリ島の、情報を克明に、記録した。
その、伝統的制度、慣習などについてである。

更に、芸術芸能方面でも、バリ島に興味を持った、西洋の芸術家たちが、新たな、アンディアをバリ島に、与えたのである。

現在見る、バリ島の、芸術全般は、その成果でもある。

必要なものを、取り出して、観光客に、見せるという芸能は、その時に、出来上がったものである。
勿論、バリ島に伝わる、文化芸能であるが、西洋人によって、花開いたといってよい。

また、それを、咀嚼した、バリ島の人々の、才能も、豊かだった。

しかし、現在見ているものが、バリ島の伝統であると、誤解することが多い。それは、作られた伝統行為である。

文化は、進化する。
バリ島の文化の進化に、大きく、関わった西洋の芸術家たちの、努力も、甚大であることだ。

さて、太平洋戦争時に、一時的に、日本軍の、占領がある。

戦闘による、被害は、無かったが、日本軍に対する、食料調達によって、バリ島は、今までに無い、食糧不足が起こった。

その、犠牲になった人々も多数存在する。
日本軍に、抵抗して、暴行を受けた人たちもいるのだ。

その後、日本敗戦によって、バリ島にも、独立の目覚めが起こった。

再び、インドネシアを植民地化しようとする、オランダ軍との、戦いが、各地で始まった。バリ島も、然り。

その中には、日本軍から、脱走して、バリ島の独立戦争に参加した、日本兵も多々いる。

それは、バリ島だけではなく、ジャワや、スマトラ島などにも、日本兵は、参加している。

1949年、インドネシアは、連邦共和国となり、1950年、共和国となった。
その時、バリ島も、共和国の一員として、歩むことになる。

つまり、バリ島は、インドネシアの中の、バリ州なのである。

インドネシアの政治を、理解しないで、バリ島の理解は無い。

日本は、インドネシア独立から、多大な、支援を行っている。今、現在も、日本は、インドネシアの最大の支援国である。

インドネシアの、歴史的保存や、建物など、日本の支援なくては、成り立たない。
バリ島における、様々な、歴史的建物、博物館なども、日本の支援による。

日本は、戦後保障という形で、支援をしているが、すでに、その域を超えて、様々な分野に、支援の輪を広げている。

アジアでも、インドネシアは、最も、日本に近い国である。

インドネシア共和国になってから、安定したバリ島であるが、オランダ統治時代に、完成された、身分制度は、目に見えない形で、残っている。

インドの、カースト制度に近い形で、今も、生きている。

それは、貧富の差に、如実に現れている。
それを、理解しなければ、バリ島を理解できない。

高い壁を、廻らした、建物に住む人たちは、カーストの高い人たちである。

そして、長屋、小屋のような建物に、住む人たちは、平民とされた、人たちである。

この、伝統とも、言うべき、身分の差別の解消は、とてつもなく、長い時間がかかる。

インドも、そうだが、バリ島も、この、カースト制度というものを、理解しなければ、あらゆることが、理解できないのである。

インドは、憲法により、カースト制度を廃止したが、未だに、その実現には、至っていない。

日本人女性の多くが、結婚するという、バリニーズの男たちは、平民である。
そこから、バリ島を理解するが、必ず、身分制度の、壁に突き当たるはずだ。

更に、平民の人々は、貧しい。
その、貧しさは、持つ者から、貰うという、伝統行為に、結びつき、結婚後の生活が、考えていたものは、全く違うという、状況に悩まされる人は、多い。

日本でさえ、因習の古い地域の人と、結婚することは、大変なことが、多々ある。
それが、外国、文化の違うバリ島では、それ以上に、困難があるといえるのだ。




posted by 天山 at 00:00| バリ島は静かに死ぬ 平成22年2月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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