2010年02月15日

殺されるよりましだ・プノンペン 15

何百人のカンボジア人を何年にもわたってうちのめした飢えは、また、彼らをたやすく隷属させる道具としても意識的に利用されたのだった。たとえば、衰弱した人々は余分の食料をたくわえられないままに、逃げようという気持ちも失ってしまった。食料のことで常に頭がいっぱいの彼らのなかでは、自立的な思考や異議申し立てや性行動への意欲すらも打ち砕かれていた。状況に応じて彼らの食事量を調節する勝手放題な政策のために、強制移住に訴えるひとも、集団食堂制を進んで受け入れさせることも、思いのままになっていった(数回でも満足な食事が与えられると、皆がオンカーを好きになりはじめたものだ)。また、親子関係を含め、個人間の連帯を破壊するのもたやすいことだった。どんなに血にまみれた手であろうと、自分を養ってくれるのであれば、その手にキスすることを誰も厭いはしなかったであろうから。
黒書

クメール・ルージュ体制下では、一人につき、米250グラムを貰う事が出来れば、ご馳走の部類だった。

割り当て量が様々に変化するにつれて、五人、六人、八人に、250グラムを、分け合うことも、珍しくなかった。

ブラックマーケットの存在は、届出を出していない多数の死者への、割り当ての量を、幹部が横流しするという、悲惨さである。

飢えた人々は、その空腹感から、何物も、見逃すことは、なかった。
稲田に群がる蟹、蛙、タカツムリ、トカゲ、蛇、生のまま食われる、赤蟻、蜘蛛も、手当たり次第、狙われた。
森の中の、若芽、キノコ、根っこなどもである。
選択を誤り、または、熱を通さず食べて、多数の人が死ぬ原因になった。

飼いおけの餌を、豚と、奪い合うという事態も。野鼠を腹の足しにする。

貧しい国にとってさえ、思いもよらない極限状態にまで、達した。
食料を、個人的に調達しようとする試みは、常に制裁の主要な、口実の一つになった。
見せしめのための、処刑も、行われた。

現在でも、北朝鮮では、収容所に入れられた人々は、このようである。

飢餓からくる病気にも、色々あるが、最も普通で、最も重いものは、全身に広がる、浮腫である。
これは、毎日の粥の中の、塩分の大量摂取によって、促進されるもの。更に、比較的、安らかな死を迎えられるため、老人からは、羨ましいと思われていた。

更に、極限まで、達すると、人肉食という行為に至る。

人肉食という手段に訴えるこの行為のなかに、もっとずっと一般的な現象―――つまり、価値観や道徳観・文化的基準の、何よりもまず、仏教における基本的な徳である憐憫の情の衰弱という現象―――の極限例を見ることができるのではなかろうか?
これこそクメール・ルージュの体制の逆説といえようが、平等、正義、友愛、自己犠牲の社会をうちたてたいと公言しながら、他の共産主義権力と同じように、その体制が引き起こしたのは、エゴイズム、自分さえよければという態度、権力における不平等、恣意性が前代未聞の規模で荒れ狂う、嵐のような世界だった。
生き延びようと思えば、何よりも、うそをつき、だまし、盗み、しかも無関心でいることができなければならなかったのである。
黒書 読みやすく、改行しています。


この体制は、家族の絆を緩め、あるいは破壊するため全力を尽くした。

それは、全面的隷属という全体主義的計画にとって、家族の絆が、自然発生的に、抵抗の基盤になると、認識したからである。

したがって、夫は何週間もつづけて、あるいはもっと長いあいだ、妻から引き離され、子供は年老いた親たちから引き裂かれていた。青少年は家族と会うこともなく、その消息もなしに六ヶ月も過ごすことがあったが、時にはやって家に帰ってみて、全員が死んでいるのに気づくということすらあった。
黒書

夫の妻に対する権力も、両親の子供に対する権力も、取り上げられてしまった。妻をひっぱたいたかどで、処刑されることもあり、子供を叩いたかどで、子供から、告発されることもあり、侮辱したり、口論したりしたため、自己批判を強いられることもあった。

人間主義とは、とてもいえない、この種の状況のなかにこそ、自分の支配を免れる、すべての権威関係を解体させて、合法的な暴力の、独占体制を、無理やり、我が物にしようとする、権力の意志があったこと、事実である。

1976年の、四ヵ年計画は、中国の、文化大革命を、真似たもので、革命的な歌と、詩以外は、いかなる芸術的表現も、認められなかった。

証言
彼は、病院に妻を見舞いに行く権利を得られなかった。
また、隣の、重病の女性と、その小さな二人の子供を助けに行ったとき、彼はクメール・ルージュから、注意を受けた。
「助けるのはあなたの義務ではない。逆にそれは、あなたがまだ同情心だとか、友情という感情をもっている証拠だ。そういう感情は捨てて、個人主義的傾向をあなたの精神から根絶やしにしなければならない。早く自分のところに帰りなさい」
である。

この、一貫した人間性の否定を、いとも、簡単に受け入れ、実行する、という、主義の、原理である。

それが、支配者の視点に立つと、その裏側というものが、見える。
警備員、スパイが、後ろを向くやいなや、監視されている者たちは、うそをつくこと、さぼること、とりわけ、盗むことについての、一切のやましさが、消える。

子供から、年寄りに至るまで、誰もが、盗んでいた。

死ぬか、盗むか、騙すか、その、選択しか与えない社会とは、地獄というほかにない。

とくに若い世代におけるこの脱教育化作用は、カンボジアの発展の機会を阻害する冷笑的なむ態度とエゴイズムを今日にいたるまで存続させるにまかせてきたといえよう。
黒書

この愚かな、共産主義の全体主義という、原理的行動は、人間性の破壊だけではなく、人間を動物化させる。

社会が、このようなことにならないためにも、一人一人が、目覚めて、いなければならない。
自由と、平等というものが、如何に、大切であり、それを、与える指導者、支配者が、如何に必要であるか。
私は、過ちを繰り返しても、作り上げてきた、体制により、自由と、平等を、伝統として、有する、国を、愛する。



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