2010年02月11日

殺されるよりましだ・プノンペン 11

トゥクトゥクのおじさんに、私は、スラムへ、そして、最も貧しい人たちのいる場所へと、言った。

おじさんは、オッケーと、言って、私たちと荷物を積んで、走った。

街を抜けて、橋を渡る。
私が、予想していた、場所とは、違った。
橋の手前の、スラムを予想していたのだ。
しかし、おじさんに、従った。

随分と、走った。
もう、この辺りで、支援物資を配ってもいいと、何度も、思った。
コータにも、言った。
コータは、この際だから、おじさんに、任せようと、言う。

30分以上も、走り続けて、私の体は、その震動で、小刻みに揺れるようだった。

おじさんの、トゥクトゥクが、止まった。
道端の人に、何か言っている。
どこかの場所を探しているようだった。

すると、おじさんは、走って来た道を、戻るのである。
つまり、おじさんの、目指す場所があるのだ。

そして、ついに、辿り着いた。

壊れそうな、木の門がある。
広い、運動場のような、場所。

その中に、入って行く。

何と、そこは、孤児たちの、家だった。

おおよそ、3歳から、17歳までの、男女の子供たちが、暮らす施設である。

その、施設の説明を聞く前に、私たちは、支援物資を子供たちに、渡すことにした。
108名の子供たちが、生活する。

すべての、支援物資を積んで来ていた。
そこで、すべての、衣類を差し上げることになる。

子供たちは、礼儀正しく、日本語で挨拶した。
ただ、小さな子供たちは、我先にと、衣類を取り合うので、困った。

大きな子供たちは、じっと、自分たちの番がくるまで、待っている。
時々、小さな子供たちに、後ろから、指導者の男性が、注意する。その時は、静かになるが、また、始まる。

ミー、ミー、ミー
と、取り出した衣服を、くれと、言うのだ。

最後に、フェイスタオルが、残り、何も、上げていない子供たちに、渡すため、私は、少し離れた場所に、移動して、日本語で、何も、貰っていない人、来てください、と、言った。

すると、ザーッと、子供たちが、寄ってきた。

フェイスタオルなど、無いのである。

一人、一つだよ
私が、そう言いつつ、手渡す。

ようやく、すべての、支援物資を渡し終えて、子供たちが、落ち着いた。
丁度、昼食の時間が始まる頃になった。

子供たちの、食堂を見ていた。

職員の男性が、私たちを連れて、施設を見て回った。

色々な国の支援を受けて、成り立っている、ホームだという。
勿論、日本からの、支援も多い。

教室を見ると、コンピューターが置かれた一つの部屋があった。
その六台の、コンピューターは、日本の企業が、寄付したという。

更に、水浴する場所では、日本から来た、青年三人が、作ったという、浄水の手作りを見た。

泥水が、濾過されて、綺麗な水になっている。
子供たちは、そこで、体を洗う。

男女別に、一つ一つある。
差し上げた、タオルが、生かされると、思った。

事務所に戻り、私たちは、名前を書いた。
更に、私は、何が必要ですかと、尋ねた。

まず、薬である。
痛み止め、下痢止め、ビタミン剤である。
衣服も、勿論必要である。
政府から、年に、一人につき、二枚の衣服が、配られるという。それのみ。

更に、教室の、設備である。
手作りの、机と椅子があるが、もう、ガタガタである。

そして、寄付金は、食べ物を買うために、必要ですと、言う。

確かに、手作りの、机と椅子は、つながっている物で、ようやく、何とか使用している様子だった。

次に来た時は、子供たちに、日本語を教えてください。
何日でも、いいですから、と、言われた。

これは、大変なことだと、思った。
街から、離れると、スラムだけであるという。
更に、こうして、ホームに住める子供たちは、幸せな、方である。
街中には、ストリートチルドレンも、大勢いる。

実際、私は、何人も、彼らと出会い、渡すものが無くて、自分の着替え用の衣類を、渡したのである。
更に、路上生活をする、家族にも、自分の物を、持って差し上げた。

田舎から、プノンペンに出る人や、子供たちが多いのである。
都会に出れば、捨ててある食べ物で、しのげるのである。

親を亡くした子供たちは、様々である。
その多くは、地雷により、親を亡くしている。

実は、収入の少ない田舎の人たちは、地雷の鉄くずを集めて、売り、現金にする。しかし、素人であるから、地雷を爆発させて、命を落とす、あるいは、大怪我をする。
怪我をすれば、働けなくなる。

子供たちの行くべき場所は、人の多い、プノンペンになる。

国が、安定して、まだ、10年たらずである。
政府も、力が無い。
どうしても、海外からの、支援が必要なのである。

本当に、気の毒な、状態である、カンボジアは・・・

日本の、NPOなどが、多く活動する。
支援団体もある。
成果を上げているところもあるが、そうでないところもある。

単に、金集めだけの、団体もある。

児童買春撲滅に取り組んでいる、立派な団体もある。

実は、私は、児童買春の、実態を探ろうと、バイクタクシーの、危なそうな人に、尋ねて、歩いた。

だが、解らないと、言われる。
更に、政府は、児童買春に、ようやく、法的処置をとり始めたのである。

それは、ポスターで、解った。
児童買春は、罪です。
それを、見つけたら、こちらに、連絡してください。というものである。

だが、カンボジアで無くなっても、女児たちが、買われて、タイのバンコクなどで、性的労働をさせられている、可能性がある。

だが、タイでも、法整備が、整い、児童買春宿にと言うと、そのまま、警察に、連れて行かれることになるほど、厳しくなった。

社会の底の底に、潜んでいるはずである。

孤児の家から、出た。
子供たちの、さようなら、を、背中に聞いた。




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