2010年02月07日

殺されるよりましだ・プノンペン 7

突然カンボジアにおいて、クメール・ルージュ以外に手持ちのカードがなくなったハノイは、(武器、軍事顧問、ベトナムでの軍事訓練など)あらゆる手段を使い、そしてカンボジアの大部分をクメール・ルージュの名で、あるいはむしろシアヌークの名で占領する日を待ちつつ、クメール・ルージュを支援する道を選ぶことになった。
共産主義黒書 以後、抜粋は、すべて、これである。

シアヌークは、昨日まのでの敵である、ポルポト率いる、クメール・ルージュと、手を結ばざるを得ないところまで、ロン・ノル将軍の、追い落とし工作から受けた、屈辱に、憤慨していた。

であるから、シアヌークは、クメール・ルージュと、カンプチャ民族統一戦線を結成し、ロン・ノルとの、内戦に、突入した。

共産阻止の、アメリカ軍は、戦闘地域に、54万トンという、爆弾の雨を降らせた。
それは、クメール・ルージュの前進を遅らせたが、アメリカに対する、憎しみに捉えられた、多数の農村の新兵をクメール・ルージュの軍隊に結集させる結果になった。

クメール・ルージュのプロパガンダのなかで繰り返し論点として現れる次の大きなうそもまた、大量爆撃ということ事実の裏づけあってのことだった。「われわれは世界最大の強国に打ち勝った。だから、あらゆる抵抗にも、自然にも、ベトナム軍にも、その他に打ち勝つだろう」
黒書

1975年4月17日、プノンペンの征服と、共和国最後の諸都市の征服は、負けた側自身がほとんど100パーセントの安堵感をもって迎えたほど、待たれていたものだったという。

この残酷で、無意味な戦争以上に、酷いものはありえないと、人々は、思っていた。

しかし、それ以上の、悪夢が待っていようとは、誰もが、知らない。

悲劇のはじまりは、そこからだった。

クメール・ルージュは、彼らの勝利を手をつかねて待っていたわけではなく、すでに、目を覆うばかりの、暴力と、極端な、施策の傾向を示し始めていたのである。

開放が、進むにつれて、犯罪者専用のはずの、拘留センターと、見分けがつかない、「再教育センター」が、国中に溢れるようになる。

ロン・ノル将軍の、率いる、共和国の兵士は、戦闘員である前に、裏切り者だった。

拘留された者がたどる、当たり前の運命は、死であることが、初めから決定していたのである。

様々な、情報があるが、一つ、プノンペンから、車で、40分ほどのかつての王都である、ウドン占領の際には、一万人の、虐殺が起こっている。

また、非戦闘員の大量移住は、1973年という時から、早くもはじめられていた。

1975年、勝利直後の、プノンペンの完全無人化は、住民にとっても、予想だにせぬものだった。

世界の人々は、カンボジアで異常な出来事が展開されていることに初めて気づいたのだった。
黒書

「見せしめ」に殺された頑強な抵抗者や、あるいは処刑された敗軍の兵士には事欠かなかったが、当時は住民たちが組織的な蛮行にさらされたりはしなかった。
黒書

強制移住は、「三日間だけ」のことと、お情けの嘘にすがり、24時間以内に、家と財産を置いて、出発しなければならなかった。
その結果は、惨憺たるものになった。
それは、生き延びた人には、決して消えることのない、トラウマとして、残ることになる。

こうして、クメール・ルージュの行うことを、検証してゆくと、反吐が出るほどの、信じられない、行為が、出てくるのである。

一体、ポルポトは、何を目指したのだろうか。
何をしたかったのだろうか。

その疑問が、益々強く、深くなるのである。
共産主義黒書に記された、分厚いそれを、すべて、紹介することは、出来ない。
私の都合で、特徴的な事柄だけを、挙げてゆく。

1976年まで、名目上の国家元首である、シアヌークを、その地位に相応しく迎えに行くという、口実の元に、できるだけ多くの、中級、高級官僚を、そして、何よりも、軍の兵士を選び出すことが、狙いだった。
彼らの、大部分は、すぐさま虐殺された。
あるいは、刑務所にて、死んだ。

都市住民の、殺到によって、農村生活は、大混乱に陥る。
資源と消費のバランスが大転換を起こした。

古くからの、人民、基幹人民、戦争のはじめから、クメール・ルージュの支配下にあった、住民、70年代世代とも呼ばれる、旧住民と、新人民、75年代世代とも、呼ばれる。

その二つの、住民の間に、大きな溝を作る、あらゆる策が、講じられた。
憎しみを増幅させるという、手段である。

それにより、人民の分裂を促すのである。

両世代の間に、差別的な法体系が、確立される。
それぞれは、村の一定地区から出ることを、禁止された。
互いに話し合うことも、結婚することも、できないという、狂気の、差別である。

これが、後に、監視社会と、密告社会を生み出し、更に、それに、子供たちまで、巻き込まれるのである。

その、子供たちを利用した、密告から、残虐行為から、私は、カンボジアの、未来の絶望を観た。

人間不信の、最たるものである。

監視、密告社会は、中国の、文化大革命の悲劇にも、現在の、ミャンマー、北朝鮮の、人権無視の行為にも、つながる。

ポルポトは、それらの、すべての悪行を、まとめて、行ったといえる。徹底的に、である。



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