2010年01月29日

もののあわれ 489

「めでたしと思ほししみにける御かたち、いかやうなるをかしさにか」とゆかしう思ひ聞え給へど、さらにえ見奉り給はぬを、ねたう思ほす。いと重りかにて、夢にもいはける御ふるまひなどのあらばこそ、おのづからほの見え給ふついでもあらめ、心にくき御けはひのみ深さまされば、見奉り給ふままに、「いとあらまほし」と思ひ聞え給へり。




綺麗だと、院が、思いの、器量は、どのような美しさなのか、と、見たくなるが、いっこうに、拝見できないのを、残念に思う。
とても、重々しく、仮にも、子どもっぽい態度などでもあるならば、自然に、姿を見せることもあろうが、奥ゆかしい様子が、深まるばかりである。
拝すると、本当に、理想的な方だと、思うのである。





かくすきまなくて二所さぶらひ給へば、兵部卿の宮、すがすがともえ思ほし立たず、「帝おとなび給ひなば、さりともえ思ほし捨てじ」とぞ待ち過ぐし給ふ。




このように、他の方の、入る余地がないように、お二方が仕えているので、兵部卿の宮は、姫君の入内を、早くと、思い立ちになるわけにはゆかず、陛下が、ご成人したら、いくらなんでも、お見捨てにはならないと、時期を待って、日を過ごすのである。

二所とは、弘微殿と、前斎宮のこと。

兵部卿とは、藤壺の兄で、紫の上の父宮である。





ふた所の御おぼえども、とりどりに、いどみ給へり。上は、よろづの事にすぐれて絵を興あるものに思したり。たてて好ませ給へばにや、二なく画かせ給ふ。斎宮の女御、いとをかしう画かせ給ひければ、これに御心移りて、渡らせ給ひつつ、画きかよはさせ給ふ。殿上の若き人々もこの事まねぶをば、御心とどめてをかしきものに思ほしたれば、ましてをかしげなる人の、心ばへあるさまに、まほならずかきすさび、なまめかしう添ひ臥して、とかく筆うちやすらひ給へる御さま、らうたげさに御心しみて、いと繁う渡らせ給ひて、ありしよりけに御思ひまされるを、権中納言聞き給ひて、あくまでかどかどしく今めき給へる御心にて、「われ人におとりなむや」と思しはげみて、すぐれたる上手どもを召し取りて、いみじくいましめて、またなきさまなる絵どもを、二なき紙どもに書き集めさせ給ふ。





お二方の、ご寵愛は、それぞれであり、互いに競争した。
主上は、何より、第一に絵を興味あるものに、思っていた。特に、取り立てて、好みになるせいか、並ぶ者がないほどに、上手に画く。
斎宮の女御も、大変上手に、描くのである。
それに引かれて、始終、渡りになり、互いに、描きあう。
殿上の若い人々なども、絵を習う者に、目をかけて、お気に入りになるので、まして、美しい方が、趣あるさまに、のびのびとして筆を持たれ、やさしく物に寄りかかり、筆を止めて考える姿は、愛らしく、心が惹かれる。だびたび、渡りになり、これまで以上に、ご寵愛が、深くなったことを、権中納言が、聞いて、負けず嫌いな、今流な心で、自分が、引けをとるものかと、負けん気を出して、すぐれた名人を召し寄せて、厳しい注意を与えて、類なく、見事な絵の数々を、立派な紙に、色々描かせる。




権中「物語絵こそ心ばへ見えて見所あるものなれ」とて、おもしろく心ばへある限りをえりつつ書かせ給ふ。例の月次の絵も、見なれぬさまに言の葉を書きつづけて御覧ぜさせ給ふ。わざとをかしうしたれば、またこなたにてもこれを御覧ずるに、心やすくも取り出で給はず、いといたく秘めて、この御方へもて渡らせ給ふを惜しみらうじ給へば、おとど聞き給ひて、「なほ権中納言の御心ばへの若々しさこそ、改まり難かめれ」など笑ひ給ふ。




権中納言は、物語の絵は、趣向も深くして、見応えのあるものだ、とあり、面白く、興味深いものばかりを、選んで、描かせる。
普通の、月並みな絵も、目新しく、詞書を書き付けて、ご覧になる。
特別に、興味深いもので、主上は、斎宮のほうに、持って行き、ご覧になろうとすると、弘微殿方は、容易に取り出さず、秘密にして、斎宮へ持参されるのを、惜しんで、しまいここんでしまうので、大臣、源氏が、それを聞いて、矢張り、権中納言の、子どもっぽさは、治らぬと、笑うのである。




源氏「あながち隠して、心やすくも御覧ぜさせず、悩まし聞ゆる、いとめざましや。古代の御絵どもの侍る、参らせむ」と、奏し給ひて、殿に、ふるきも新しきも絵ども入りたる御厨子ども開かせ給ひて、女君ともろともに、「今めかしきそれそれ」と、えりととのへさせ給ふ。長恨歌、王昭君などやうなる絵は、おもしろくあはれなれど、事の忌みあるは、「こたみは奉らじ」と、えりとどめ給ふ。




源氏は、無理に隠して、素直に見せず、じらすとは、けしからんこと。
古代の絵が、色々ありますから、差し上げましょう。と、奏上されて、二条院にある、ふるい絵や、新しい絵を入る、厨子を、いくつも開けて、女君、紫の上と一緒に、今流行りのものは、それそれと、選び出して、揃えるのである。
長恨歌や、王昭君などの絵は、興味も深く、あはれも深いが、縁起の悪いものは、この度は、差し上げないと、見合わせる。





posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第10弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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