2010年01月23日

最後の沈黙を破る 53

九州から、南太平洋、パプアニューギニアまで、幾数十万の、遺骨が、海底に、眠ることを、ご存知ですか。

兵士のみならず、輸送船から、学童を乗せた、疎開船まで。

それらの、遺骨は、一つとして、引き揚げることが、出来ない。
更に、追悼慰霊が、されていない。

厚生労働省が、主催して、はじめて、一ヶ月かけて、海上慰霊を、行うということ。
平成23年に、行われる。
多くは、遺族であるが、希望する人も、募っている。

敗戦から、66年にして、はじめての、大掛かりな、追悼慰霊になる。

フィリピンの沖合いも、多くの艦船が、沈む。

更に、チューク諸島から、パプアニューギニアの沖合いにかけて。

海上であるから、とても、難しいこと。

私は、海上に出られない時は、浜辺にて、慰霊の儀を、執り行う。

海上慰霊には、とても、お金が必要。
だが、お金がなければ、無いなりに、方法がある。

山野に散華した、兵士たちの、追悼慰霊は、その付近にて、行う。
しかし、全域に渡る場合もある。
そうした場合は、河原にて、執り行う。

勿論、慰霊碑のある、場所では、そこで、行う。
だが、それが、すべてではない。

すでに、自然と同化した、兵士たちの、遺骨。
山、川での、慰霊が主になる。

慰霊を忘れると、人間が、廃る。

それについて、大層なことは、書けない。
ただ、私は、そう思う。

彼らも、祖霊の中に入られたのである。
祖霊は、神として、奉るのが、伝統である。

残念ながら、日本軍は、敗戦に近くなるほど、人命軽視の方向に向かう。

死ぬことであると、教える。
生きることを、教えない。

特攻だけではない。
斬り込み隊も、特攻と、同じである。
死んで、当たり前。

全滅する隊も、続出した。
玉砕という言葉で、飾られたが、全滅である。

生きて辱めを受けずと、訓示された。

圧倒的な、連合軍の、物量に負けたと、言える。
武器も、食糧も、無い無い尽くしである。

餓死、自害・・・
病死。
物として、扱われた。

だが、それを、批判し、糾弾したところで、彼らは、戻らない。

追悼慰霊は、二度と、そんな戦争をしない、回避するために、最後の最後まで、外交努力による。
それは、昭和天皇の御心でも、あった。

天皇の戦争責任というのは、情報を知らないから、言えることである。

何が何でも、戦争をするという、意識は、日本には、無かった。
兎に角、平和裏に、進めたいというのが、天皇をはじめとした、当時の政治家である。

しかし、35年も、前から、アメリカは、戦争の準備を行っていた。

日本潰しが、計画されていたのである。

戦争に、引っ張られたのである。

様々な、戦争のきっかけに 乗らなかった。
しかし、すべてを、断たれた。

最早、自衛のために、開戦するしかないということころまで、追い込められた。

どれほど、平和裏にと、努力しても、避けられなかった。
更には、日本から、仕掛けるという、段取りまで、計画されていた。

すべては、アメリカと、白人主義が、そのように、計画した。

色付き人間の、代表である、日本を叩き潰して、白人主義世界の、優位を継続させるという、傲慢である。

そして、日本は、叩き潰された。
だが、誤算が起きる。

アジアの植民地が、すべて、独立の気概を持つのである。
それは、日本が、戦ったからである。

自分たちにも、出来るという、勇気と、希望を与えた。

大東亜戦争は、植民地の国々が、一緒に、戦うべき戦争だったという、言葉も、あるほどである。

アジアで、日本一国が、犠牲になり、アジアの、独立を促し、そして、独立を勝ち取ったのである。

日本は、謝罪外交など、必要ないのである。

日本が、植民地にしたという、韓国、台湾は、日本の統治時代に、築いたものによって、経済発展を遂げた。

それは、調べてみると、自明の理なのである。

韓国も、台湾も、今に至る道に上に、日本が、築いたものがあるから、こその、発展である。

欧米の、植民地政策は、すべて、搾取である。
しかし、日本は、逆に、本国より、お金を注ぎ込んで、韓国、台湾を、真っ当な国に、仕上げたのである。

事実は、曲げられない。

その、日本の、政策を評価せずに、いれば、必ず、その忘恩の、報いを受けるだろう。

搾取ではなく、与えたのである。

さて、海底に、沈む、多くの日本人の、数十万の死者の、霊位に、対して、私は、私が、出来る慰霊を、行う。

忘れるなかれ、日本人よ。

亡き人の、日本に対する、思いによって、日本は、敗戦後に、立ち直ったのである。
更に、昭和天皇の、人徳により、成ったのである。

真っ当に、事実を、見るべきである。

昭和天皇の人徳が、いかに、日本を救ったか。
これを、命懸けで、伝えなければならない。

たった、一人の、特別な、人によって、日本は、敗戦から、立ち上がったのである。




posted by 天山 at 00:00| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もののあわれ 483

祭り御禊などの程、御いそぎどもにことつけて、人の奉りたる物いろいろに多かるを、さるべき限り御心加へ給ふ。なかにもこの宮には、こまやかに思しよりて、むつまじき人々に仰せ言賜ひ、しもべどもなど遣はして、蓬払はせ、めぐりの見苦しきに、板垣といふものうち堅め繕はせ給ふ。かうたづね出で給へりと聞き伝へむにつけても、わが御ため面目なければ、渡り給ふことはなし。御文いとこまやかに書き給ひて、二条の院いと近き所を造らせ給ふを、源氏「そこになむ、渡し奉るべき。よろしき童など、求めさぶらはせ給へ」など、人々の上まで思しやりつつ、とぶらひ聞え給へば、かくあやしき蓬のもとには置き所なきまで、女ばらも空を仰ぎてなむそなたに向きて喜び聞えける。





祭りや、御禊などの頃、その支度にかこつけて、人々が、献上したものが、色々とあるのを、しかるべき、女たちに、配られる。
中でも、常盤の宮には、細々と、配慮して、親しい家臣たちに、命令して、下部連中などを、遣わして、蓬を払わせ、見苦しい家の周囲を、板垣という物で作りかためて、修繕させる。
源氏がこうして、末摘花を、探し出したと、世間が噂するのに、自分には、不名誉なことと、出掛けることはない。
お手紙を、心をこめて、書き、二条の院のすぐ近くに、建築しているので、源氏は、そこに移しましょう。適当な童女など探して、お使いください、などと、召使のことまで、心配されて、お世話をする。
この、みすぼらしい、蓬の家には、喜びの置き所がないほど、女房たちも、空を仰いで、源氏のおられる方に向いて、お礼を申し上げる。

常盤の宮とは、末摘花のこと。




なげの御すさびにても、おしなべたる世の常の人をば目止め耳たて給はず、世に少しこれはと思ほえ、心地にとまるふしあるあたりをたづねより給ふものと人の知りたるに、かくひき違へ、何事もなのめにだにあらぬ御有様をものめかし出で給ふは、いかなりける御心にかありけむ。これも昔の契りなめりかし。



少しの、戯れでも、ありふれた世間の普通の女には、注意も、払わず、多少なりとも、これはと、思われ、心に留まるような、女を捜し求めるのもと、皆は、思っていた。だが、こんなにまで反対に、万人並みでさえない女を、見事なお方らしく扱うのは、どんな考えであろうか。これも、前世からの、約束なのであろう。

この、部分は、作者の感想である。
それほど、源氏は、やさしいのであると、言うのである。
一度、契った女には、最後まで、面倒を観るという。




今は限りとあなづり果てて、さまざまにきほひ散りあかれし上下の人々、われもわれも参らむと争ひ出づる人もあり。心ばへなど、はた、うもれいたきまでよくおはする御有様に、心やすくならひて、殊なることなきなま受領などやうの家にある人は、習はずしたなき心地するもありて、うちつけの心みえに参り帰る。




もう、お終いだと、馬鹿にして、あちらこちらに、競い、散り散りに別れていった、上下の召使たちの中には、お仕えしようと、われもわれもと、争い、出て来る者も、いた。姫の、心ばえなどは、内気すぎるのを、いい気になって、何でもない、地方長官程度の家に、奉公していた人は、慣れぬことに、悪い思いをすることもあり、現金にも、心をあけすけに見せて、帰参する。





君は、いにしへにもまさりたる御勢の程にて、物の思ひやりもまして添ひ給ひにければ、こまやかに思しおきてたるに、匂ひ出でて、宮の内やうやう人目見え、木草の葉もただすごくあはれに見えなされしを、遣水かき払ひ、前裁のもとだちも涼しうしなしなどして、ことなる覚えなき下家司の、ことに仕へまほしきは、かく、御心とどめて思さるることなめり、と見取りて、御気色給はりつつ、追従しつかうまつる。



源氏は、昔にも勝る、威勢があり、思いやりの心も、前よりも、深くなり、細々と、指図をされたから、活気が出て、御殿のうちは、次第に、人の出入りが、見られた。
木や草の葉も、凄まじく茂って、あはれに見えていたのを、遣水をさらい、植え込みの根元も、すっきりと、手入れして、特に、目をかけていない、下家司で、目立つ仕え方をしたいと思う者は、心を込めての、寵愛を受けていると、見てとり、ご機嫌を伺いながら、追従して、仕えるのである。





二年ばかりこの古宮にながめ給ひて、東の院といふところになむ、のちは渡し奉り給ひける。対面し給ふことなどは、いと難けれど、近きしめの程にて、おほかたにも渡り給ふに、さしのぞきなどし給ひつつ、いとあなづらはしげにもてなし聞え給はず。




末摘花は、二年ばかり、この古い家で過ごされてから、東の院というところに、後に移された。
源氏が、対面することなどは、大変、難しいが、邸に近い所なので、御用事で、出掛けるときなどは、少し、お顔を出し、軽い扱いは、されないのである。





かの大弐の北の方、上りておどろき思へるさま、侍従が、嬉しきものの、今しばし待ち聞えざりける心浅さをはづかしう思へる程などを、今少し問はず語りもせまほしけれど、いとかしら痛う、うるさくもの憂ければ、今またもついであらむ折に、思ひ出でてなむ聞ゆべき、とぞ。




あの、大弐の北の方が、都に姫の運を知り、驚く様子や、侍従が嬉しいものの、もう少し、待たなかった考えの、浅はかさに、顔を出せない思いをした様子など、もう少し、聞かれずとも、お話したいのですが、とても、頭が痛く、うるさく、気が進まないので、今後、またのついでに、思い出して、申し上げましょうと、いうことです。

最後の段は、作者の言葉である。

蓬生、を、終わる。



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