2010年01月22日

最後の沈黙を破る 52

戦没者の遺骨収集について、以前にも、少し書いたが、再度書く。

敗戦後の、あの状態では、遺骨収集など、考えられなかった。
日々、食うのに、精一杯だった。

そして、経済の復興が、第一優先だった。
それは、それとして、理解できる。

だが、経済大国になった、日本は、戦争犠牲者のことを、忘れた。
いや、忘れてはいなかったが、遺骨収集に対して、意識が薄かった。

その後の、遺骨収集は、民間、ボランティアの活動が、主たるものである。
政府として、積極的に、取り組んだとはいえ、それは、未だに、手がついていない状態を見れば、一目瞭然である。

私は、何も、無理やりに、遺骨収集を言うものではない。

現に、遺骨を持ち出してはならないという、国が多くなった。
そして、敗戦から、65年を経て、遺骨収集は、実に難しい。

その大半が、自然と化していると、思われる。

遺骨を大切にする、気持ちは、仏教中心の思想である。
仏舎利といわれる、ブッダの骨を実に大事にする。
更には、それを、本尊として、奉るという宗派もある。

上座部、大乗に、関わらず、遺骨を、大切にする。

だが、私は、あえて言う。
遺骨収集による、行為よりも、大切なことは、追悼慰霊である。

慰霊する心が、最大に重要なことである。

それは、日本の伝統である。

靖国神社には、遺骨は、無い。
お名前が、捧持される。
つまり、遺骨より、その霊位を、持って、望むということだ。

神社神道といわれるが、古代、かんながらのみち、も、同じである。

遺骨より、霊位を対する心、所作を重要視する。

勿論、今、遺骨収集が出来るところは、積極的に、するべきである。
だが、無理をして、地元の、先祖の遺骨を、掘り起こすようなことは、してはいけない。

その辺り、一帯に、日本兵の遺骨があると、知っても、日本兵の遺骨ではない、場合もある。それは、地元の人たちに、迷惑を掛けるのである。

自然と同化した、遺骨は、霊位として、対処すべきである。

一つ、とても、残念なことは、日本の慰霊碑、慰霊の現場は、実に情けない状態であるということ。

連合国軍の、慰霊碑、慰霊の場所は、今でも、管理人が就いて、立派に、その施設を守っている。

日本は、死者に対して、もっと、真摯なはずだと思っていたが、自虐史観のせいなのか、日本の慰霊碑、その施設、場所は、あまりにも、ずさんである。

例えば、ビルマの、マンダレーの慰霊碑の多くは、もう、誰も世話することがなく、慰霊碑を、タイ、チェンマイに運んで、共同慰霊の状態にしょうとしていると、聞いた。
つまり、遺族も、亡くなり、誰も、伺うことが出来なくなったということである。

更に、マレーシアの状態を、現地の人に聞くと、日本のお墓は、荒れ果てて、草に覆われているという。
その方は、私が来るのであれば、案内するとまで、言った。

海外の、慰霊碑、追悼碑が、無縁仏化しているということだ。

だから、私が、出掛けて行く。

神社神道は、出掛けなくても、いいのである。
霊位を、お奉りするからである。

しかし、私は、神社神道の方法を、とらない。

私は、いにしえの、古代、かむながらのみち、を、行為する。

だから、出掛ける。

遺骨収集は、大切なことであるが、それよりも、大切なことは、追悼慰霊であることを、明確にしておく。

遺骨を主にすれば、遺骨の無い人、見つからない人は、慰霊されないことになる。

現地に出掛けるという、行為、自体も、一つの、慰霊の所作である。

激戦地に佇むこと。
それも、追悼慰霊である。

そして、遺骨が自然に同化した、霊位に対して、伝統の所作を行う。
日本には、清め祓いという、伝統の所作がある。

何も、特別なことではない。
御幣を作り、宣言、のりごとを、捧げて、清め祓いをするのである。

神主でなければ、出来ないということは、一切無い。
日本人は、いにしえから、誰もが、それを、行った。

簡単に説明する。
死は、穢れであって、忌むべきものである。
死体は、穢れであって、忌むべきものである。

そりよりも、死体から、離れた、霊位、魂を持って、対したのである。

穢れは、気が枯れた状態であり、そこから、推測すると、遺骨は、モノである。
大切なものは、魂、霊位なのである。
その、魂、霊位の状態を、清めること、祓うことによって、魂、霊位を、浄化する。

更に、本来の場所に、お送りする行為である。

地場に囚われている場合が多い。
それは、死の苦しみのままだからだ。
特に、戦争による、死は、特別なものである。

大義が、国のためである。
国のために、いのちを、捧げた魂、霊位に、対しては、特別なものがある。
それらは、国魂、くにたま、と、なるからである。

日本人は、死者をして、神と、呼んだ。
それは、カムである。

そして、命、みこと、と、尊称して、お呼びする。

祖霊が神たちである。
その、祖霊の神たちの元に、お送りする行為を、慰霊という。

追悼は、その、戦いの、形相を、検証して、追って、悼むことである。




posted by 天山 at 00:00| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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