2010年01月20日

最後の沈黙を破る 50

厚生労働省が、日本のNPO法人に、委託している、フィリピンにおける、戦没者遺骨収集事業に対して、フィリピン、ミンドロ島の先住民族マンギャン族の組織が、先祖の遺骨が、盗まれていると、訴えていると、いう。

関係者の、法的責任などについて、大統領府の先住民族委員会に要請した。
委員会は、調査に乗り出すという。

まず、私は、遺骨収集は、必要なことであると、思う。更に、遺骨は、大切に扱うべきだと、思うことを、前提にして言う。

遺骨を、最重要視するのは、仏教系である。
霊位、御霊を、重要視するのは、神道系である。

靖国神社は、御霊を、お奉りする。
それは、名前を、捧持するという形になる。

敗戦後、65年が、経つ。
そこで、戦没者の、遺骨収集は、実に難しいはずである。

私は、遺骨を主にして、追悼慰霊を、行ってはいない。
あくまで、霊位であり、御霊を、主にして、その儀を、執り行っている。

今回のことは、遺骨が、その辺りに、あるという、情報を得て、掘り起こし、それを、戦没者のものだとした、NPO法人に、問題がある。

原住民が、先祖の遺骨であると、いうのは、確信があってのこと、である。
しかし、遺骨収集の人たちには、分からない。

私は、亡き人、戦没者の、慰霊が、最重要であることを、言う。
遺骨は、単なる、モノとなる。
自然に帰るのである。

勿論、日本兵の遺骨ならば、即座に、日本に、持ち帰り、お奉りすべきである。

だが、それより、つまり、収集より、大切なことは、慰霊なのである。

遺骨は、目に見えるから、より、説得力がある。
だが、問題なのは、亡き人の、思い、である。

戦死という、悲劇に遭われた霊位を、奉り、その、思いを、受け取る行為が、慰霊であるから、実に、大切なことである。

兵士は、国のために、命を捨てた。
その価値は、重い。

追悼とは、その兵士の、戦禍を調べて、その苦労と、苦悩、苦痛を、悼むことである。

追悼慰霊が、遺骨収集よりも、重いのである。

フィリピン、ルソン島の、山々にも、未だに、多くの日本兵の遺骨が、存在するが、それを、探し出すことは、至難の業である。
そして、自然に帰っている、遺骨は、そのままで、よい。
問題は、慰霊なのであるということ。

人が亡くなれば、遺骨が残るが、それ以上に、人が亡くなれば、霊位と、なる。御霊となるという、意識は、日本の伝統である。

遺骨を、科学的に、分析しても、詮無いことである。

更に、慰霊とは、忘れないこと、である。

遺骨を、奉っても、その後に、何もしなければ、また、詮無いことである。

何よりも、彼らの、行為を悼み、忘れないことが、重要である。

116万人が、未だ、日本に帰っていない。
だが、時は、無情に過ぎてゆく。

8月15日に、国民すべてが、追悼慰霊をするという、行為に、最も、意味があるのである。

忘れない。

私は、追悼慰霊の儀を、多くの場所で、執り行ってきたが、彼らは、遺骨に、囚われているのではない。
遺骨は、もういいと、いう。
遺骨は、探さなくてもいいと、いう。

彼ら、霊位を、満たすのは、思い出すことなのである。
あなたの、死を、忘れません。
それが、慰霊の姿であり、遺骨を主にした、行為ではない。

仏教系が、遺骨を、重視するのは、釈迦ブッダの、舎利、つまり、釈迦ブッダの、遺骨を、尊んだ記憶である。

それが、また、墓地なのである。

どれほど、立派な墓地を建てても、慰霊の思いを、失えば、意味が無い。
墓地がなくても、慰霊の思いに溢れ、忘れない事が、追悼であり、大切なことである。

ただ、名前を奉じても、それで、十分だと、伝統は、教える。

死者との、媒介が、遺骨であるというのと、名前であるというのは、実に差がある。

仏教では、遺骨があっても、位牌を作る。
位牌は、亡き人と、同じ価値を、持つと、信じられる。

私は、それは、それでいいと、思う。

そこに、戒名は、必要ない。
生前の名前でいい。

伝統では、何々の命、みこと、と、お呼びする。

私が、死ねば、木村天山の命、である。

靖国神社では、軍神として、お奉りしているはずである。
すべての、霊位を、総称して、軍神と、お呼びしてもよい。

人が亡くなれば、命、みこと、と、尊称するのは、伝統の行為である。

日本兵の、遺骨と、思ったが、現地の人たち遺骨だったというのは、少し、焦っている。
遺骨収集は、急いてはいけない。

ただし、私は、遺骨収集を、行わない。
私は、追悼慰霊の儀を、執り行う。
そして、それは、日本にても、できることだが、その地に出掛けるということに、意味がある。

出掛けることが、慰霊の行為にも、なるのである。




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もののあわれ 480

惟光入りて、めぐるめぐる人の音するかたやと見るに、いささかの人気もせず、「さればこそ、ゆききの道に見入るれど、人住みげもなきものを」と思ひて、帰り参る程に、月明かくさし出でたるに、見れば、格子二間ばかりあげて、すだれ動くけしきなり。わづかに見つけたる心地、恐ろしくさへ覚ゆれど、寄りてこわづくれば、いとものふりたる声にて、まづしはぶきを先にたてて、老女「かれはたれぞ、何人ぞ」と問ふ。名のりして、惟光「侍従の君と聞えし人に、対面賜はらむ」と言ふ。老女「それは外になむものし給ふ。されど思し分くまじき女なむ侍る」といふ声、いたううねび過ぎたれど、聞き老人と聞き知りたり。





惟光は、邸内の入り、ぐるぐると廻り、人の音のする所はないかと、探すが、全く、人気がない。
だから、この前を通る時に、覗いても、人が住んでいそうもなかったと、思い、引き返して来る時、月が明るく光り出たので、見てみると、格子に二間ほどあげて、簾が動く様子である。
やっと、人気を感じた気持ちは、恐ろしいまでに、思われるが、近づいて、案内を乞うと、ひどく老いぼれた声で、まず、咳をしてから、そこにいるのは、誰じゃ、と聞く。惟光は、名乗り、侍従の君と申した方に、面会させて欲しいと、言う。
老女は、その人は、よそにいっておられます。しかし、同じように考えていただいてよい女がおりますと、という声は、ひどく年を取っているが、聞き覚えのある、老女と、わかった。




内には、思ひのよらず、狩衣姿なる男、忍びやかにもてなし、なごやかなれば、見習はずなりにける目にて、もし狐などの変化にやと覚ゆれど、近う寄りて、惟光「たしかになむ承らまほしき。変らぬ御有様ならば、尋ね聞えさせ給ふべき御志も、絶えずなむおはしますめるかし。今宵も行き過ぎがてにとまらせ給へるを、いかが聞えさせむ。うしろやすくを」と言へば、女どもうち笑ひて、老女「変はらせ給ふ御有様ならば、かかる浅茅が原を移ろひ給はで侍りなむや、ただおしはかりて聞えさせ給へかし。年経たる人の心にも、類あらじとのみ、めづらかなる世をこそ見奉り過ごし侍れ」と、ややくづし出でて、問はず語りもしつべきが、むつかしければ、惟光「よしよし、まづかくなむと聞えさせむ」とて参りぬ。





邸内では、思いもよらず、狩衣姿の男が、ひっそりと、現れて、やさしい物腰である。こんなことは、見慣れない目で、もしや、狐などの化け物かと、思うのだが、近くへ寄って、惟光は、はっきりと、たまわりたい。昔に変わらぬご様子なら、殿も、お訪ね申し上げたいという、お気持ちは、今も、絶えてはいません。今宵も、素通りしにくいと、お立ち止まりに、なっているのです。どのように、申し上げましょう。安心して、仰ってください。と、言う。
女房どもが、笑い、老女が、お変わりになれば、こんな浅茅が原を、引き移りしましょうか。ただ、お察ししてください。年老いた私どもでさえ、こんなことは、類があるまいと、世にも珍しい御生活を、拝見してきたのです。と、ぼつぼつと、話し出し、尋ねもしないことまで、言い出す様子が、うるさいので、惟光は、よしよし、解った。では、まずこれこれと、申し上げようと、言って、戻った。


花摘里の生活の状況は、思った以上に悪いものだった。
源氏は、訪ねて、近いうちに、その生活を援助するのである。

ここに、源氏の、もののあはれ、がある。
一度、契りを結んだ相手に対する、源氏の思いやりである。



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