2010年01月17日

ジャカルタ・スマトラ島・パダンへ 17

山の頂上から、今度は、下山である。
冗談ではなく、私の浴衣は、汗が、垂れるほどである。

下山しつつ、私は、清め祓いの言葉を、唱えていた。
更に、地元の人の墓などもあり、慰霊をして、下山した。

私たちが、向かった後も、彼らは、私たちを、待っていてくれた。

丁度、日本軍の、大砲のある場所である。

おじさんや、若者が、二人いた。
おじさんと、若者が、コータに、説明している。

それぞれで、写真を撮った。
実に、親切だった。

私は、バッグの中を確認すると、ズボンと、シャツが、それぞれ、一枚ずつある。
若者の、一人に、それを渡した。

その付近は、街中とは、違う、スラムに近い感じである。

勿論、パダンには、そのような所が、多々あると、後で知る。

兎に角、私は、支援と、更に、思いがけない、慰霊まで、することが出来たのである。

その後で、今回の地震で、亡くなった方々の、慰霊の儀を、再度、ビーチで、執り行った。三度、慰霊の儀を、行ったのである。

下に降りて行くと、差し上げた人々も、待っていた。
皆、笑顔で、迎えた。

また、来ますねー、と日本語で、言う。

川の岸まで、戻った。
すると、一人の、おじさんが、渡し舟の場所を教える。
私は、再度、少年の、渡し舟に乗って、向こう側に戻った。
そのまま、ホテルへの道を歩いた。
今度は、ビーチ沿いではなく、街中へ向かう道を歩いた。

しかし、日差しと、疲れで、ミニバスに乗ることにした。
2000ルピア、20円のミニバスである。

部屋に入り、すぐに、浴衣を脱ぎ、シャワーを浴びて、浴衣、帯を、干すことにした。
帯まで、汗で、濡れている。

昼を過ぎていた。
一息ついて、ホテルの隣の、レストランで、食事をすることにした。

私は、ジャカルタで、買った、ワンピースの裾の長いものを、着た。
これが、一番楽だった。

フロントの、女の子が、それ、似合いますと、言う。
でも、女性用でしょう
大丈夫、似合えば、問題ないよ
それで、安心した。

レストランでは、パダン料理ということで、ボーイの提案するものを、注文した。

パダン料理の応用が沢山ある。
それらは、すべて、辛い。ただ、麺類で、ビーフンは、出汁のみの、味であるから、中和させて、丁度よい。

この頃は、日本を出て、和食を食べたいと、思うことが、なくなった。
現地の食べ物で、十分である。

私は、充実感で、一杯だった。
本当に、良かった。
すべての、予定は、終わった。それが、出来たことに、満足していた。

夕方は、街中に、出掛けて、バザーの様子を見ることにした。
それまで、部屋で休む。

部屋で、休んで、夕方、まだ、日の出ている間に、ミニバスに乗って、街中、中心部へ、出た。

一番大きな、デパートが倒壊した後に、人々が、それぞれ、店を出している。
とても、混雑していた。

コータが、髪を切りたいというので、美容室を探す。
何と、パダンで、一件のみという、美容室に入った。
他の、店は、皆、倒壊したという。

その店も、横の階段が、壊れていた。
かろうじて、ビルの、真ん中の階段が、使えるのである。

マッサージもある。
コータは、髪を切り、私は、マッサージを受けようと思ったが、何と、何人も、待っている。それぞれ、二時間以上待たなければならないという。

私たちは、諦めて、下に降りた。
そして、横にあった、麺類屋に入った。

白麺と、黄色麺があり、私たちは、黄色麺を注文する。
日本のラーメンの半分の量である。

それを、食べていると、物貰いの、子供が入ってくる。
私たちの、横に、小学四年生くらいの男の子が、立って、手を出す。

私は、お金は、上げないが、食べ物を上げることにした。
一緒に、麺を食べるかと、尋ねるが、いらないと、言う。
兎に角、しつこく、手を出す。

黙っていると、他の客を回り、また、私たちの、傍に来た。
もう一度、麺を食べるかと、聞くが、いらないと、言う。

少年は、少し諦めたのか、店の、上がり台に座り込んだ。

私は、少年の傍に行き、冷蔵庫を指して、ジュースは、いるかと、聞いた。
すると、頷く。
そこで、店員に、彼に好きな飲み物を上げるように言う。

少年は、一つの、ジュースを一気に、半分ほど、飲んだ。

ああ良かった。
更に、私は、少年に、麺を作る店の前の、厨房を差して、食べるかと、聞いた。
日本語である。
すると、少年が、頷く。

そこで、店主に、少年に、麺を上げることを言う。
少年が、店主に、何か言う。
注文をつけているのか。

私たちの、座ったテーブルに、座り、出来上がった麺類を前にした。
会計のおじさんが、ありがとうと、言えと、言っている。

私たちは、食べ終わったので、支払いをした。

少年は、照れながら、私に笑いかける。

こういう、ことは、至る所で、多々あることだ。
お金を上げても、彼のものにならない場合も、あるのだ。
大人が後ろにいて、巻き上げる場合もある。

だから、食べ物、衣類などを、上げた方がいいのである。

私たちは、少し、街中を歩いた。
瓦礫の山であり、中心部を、離れると、全く、森閑としている。

シャッターを下ろしている、店舗も多い。

もういいだろうと、ミニバスに乗って、ホテルに戻ることにした。




最後の沈黙を破る 47

8月3日、北海道教育委員会が、北教組の違法献金事件を受けて、道内の公立学校の、教職員を対象に、政治活動の実態などを、たずねた調査結果を明らかにした。

教職員は、地方公務員法、教育公務員特例法などで、特定政党を支持するための、政治的活動や、政治目的の、選挙運動への参加などが、禁止されている。

具体的内容に、関しては、省略するが、道教委は、北教組に対して、聴取や、文書回答に、応じるように、求めているが、現時点では、回答がないという。

その、北教組の、言い分である。

調査は組合活動へ介入する、不当労働行為で、教職員の思想良心の自由を侵害している。再調査や処分に反対し、道教組への、要請を強化していく・・・・

日教組、然り、北海道教職員組合も、全く、意味不明の、発言をする。

自分たちの、活動は、当然であり、教育委員会の、調査が、不当であるという。
そして、いつも、思想良心の自由を侵害すると、繰り返しいう。

問題が、何かという、ことではなく、常に、思想良心の自由の、侵害であると、掲げるのである。

それは、何も、今回に限らない。

国旗掲揚、国歌斉唱でも、そうである。

それは、思想良心の侵害であると、いう。

指導部が、多くの、組合員に対して、思想良心の自由など、認めないが、国や、その、機関には、思想良心の自由をと、謳う。

決して、人の話を聞かないタイプの人間というものがいる。
自分の価値観のみ、正当であるとする。

未熟な人間が、そうである。

共産主義思想というものが、そうなのである。

宗教から、生まれた、思想であるから、宗教と、同じような、思考になる。
私たちが、正しいのである。
まさに、一神教と、変わらない。

行けども、行けども、話しが、噛み合うことがない。

彼らは、子供たちに、国歌斉唱では、歌いたくなければ、歌わなくてもいいと、小学低学年の子供たちに、平気でいう。

それ以前に、国歌を、教えない。

子供は、家に帰り、親に、国歌って、何と、問う。

歌いたい子供たちをも、戸惑わせる。
実に、罪深いのである。

国際的な、礼儀作法も、教えないのであるから、始末に終えない。
そして、言う。
思想良心の自由を侵害すると。

兎に角、自分たちに、都合の悪いことは、思想良心の自由を侵害すると、言い続けている。

こういうのを、手に負えないという。
加えて、アホ、馬鹿、間抜け、に入る。

政治的行為は、法律により、禁止されている。
それを、前提に、調査するというものを、不当労働行為で、云々・・・

つまり、視点を、ずらす。
相手の、言い分など、聞き入れない。
そして、逃げ道は、いつも、同じである。

思想良心の自由を侵害する。

国旗、国歌法案を作り、法律で、やるしかないと、思ってしまう。
それほど、彼らは、不自由な、組織にいるのである。

自分たちは、どんな命令も従わせる。
しかし、相手の、命令には、従わない。

下手をすると、違法献金も、思想良心の自由であると、言いかねないほど、蒙昧なのである。

選挙運動は、今に始まったことではない。
すでに、何十年も前から、共産党支持を、訴えていた。

彼らは、何十年も、法律を犯している。
しかし、それが、彼らの、思想良心の自由なのである。

法律より、組合の規則が、先行するのである。

それらが、子供たちに、教育しているのである。
そして、60年ほどを、経た。

義務よりも、権利のみを、主張する、者が、多々存在する国になったのである。

悪いことは、すべて、国の問題であり、良いことは、我々の・・・なのである。

ここまで、頭が悪い者たちを、どのようにして、導くか・・・

組合は、本来の目的を、忘れて、久しい。

組織の力を、脈々と、作り上げて、一体、何をしようとしているのか。

偏狭教育を、正すべく、国会議員は、調査すべきである。
そして、法律によって、規制しなければ、ならない。

それでも、彼らは、いうだろう。
思想良心の自由を侵害する、と。

posted by 天山 at 00:00| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もののあわれ 477

冬になり行くままに、いとどかきつかむかたなく、悲しげにながめすぐし給ふ。かの殿には、故院の御料の御八講、世の中ゆすりてし給ふ。ことに僧などは、なべてのは召さず、才すぐれ行にしみ、尊き限りを選らせ給ひければ、この禅師の君参り給へりけり。帰りざまに立ち寄り給ひて、禅師「しかしか、権大納言殿の御八講に参りて侍りつるなり。いとかしこう、生ける浄土の飾りにおとらず、いかめしうおもしろきことどもの限りをなむし給ひつる。仏菩薩の変化の身にこそものし給ふめれ。五つのにごり深き世になどて生まれ給ひけむ」と言ひて、やがて出で給ひぬ。言少なに、世の人に似ぬ御あはひにて、かひなき世の物語をだにえ聞えあはせ給はず。「さてもかばかりつたなき身の有様を、あはれにおぼつかなくて過ぐし給ふは、心憂き仏菩薩や」と、つらう覚ゆるを、「げに限りなめり」と、やうやう思ひなり給ふに、大弐の北の方、にはかに来たり。





末摘花は、冬になって、ゆくにつれて、いよいよ、すがるところなく、悲しみに沈み、日を送っている。
源氏の殿様は、故院の、みはこうを、世の中が、騒ぎ立てるほど、盛大にされる。とりわけ、僧などは、並々のお召しではなく、学才すぐれ、修行を徹した尊い者ばかりを、選んだので、この、禅師の君が、参上されて、帰りがけに、末摘花の、姫君のところに、立ち寄った。
禅師は、これこれ、かようのことだった。権大納言殿の、みはこうに参っておりました。たいそう、尊く、浄土の姿そのままに、荘厳、趣向の限りを尽くしていらした。源氏の君は、仏菩薩の、化身であろう。五濁に深く染まる、この世に、どうして、お生まれになったのか。と、言い、そのまま、お帰りになった。
言葉少なく、普通の兄弟とは、違って、とりとめない、世間話などは、しないのである。
それにしても、こんなに不幸な、私の暮らしを、かわいそうだと、放っておくなんて、ひどい仏、菩薩様だと、辛く思うので、ああ、これは、もう縁がないのだろうと、姫君も、考える。そんな時に、突然、大弐の北の方が、やってきた。





例はさしも睦びぬを、誘ひ立てむの心にて、奉る御装束など調じて、よき車に乗りて、面もち気色ほこりかに、物思ひなげなるさまして、ゆくりもなく走り来て、門あけさするより、人わろく淋しきこと限りなし。左右の戸もみなよろぼひ倒れにければ、男ども助けてとかくあけさわぐ。「いづれか、この淋しき宿にも必ず分けたるあとあなる三つのみち」と、たどる。





いつもは、それほど、親しくないのに、連れ出そうとする、下心があるのか、差し上げる、御装束などを、取り揃え、良い車に乗り、いかにも、得意げな顔つきで、余計なことを、考えず、予告無しで、車を走らせて来て、門を開けさせた途端、邸内は、実にみっともなく、淋しいこと。
左右の扉も、崩れかかって、倒れてくるので、供の、男どもが、手伝い、何とか、大騒ぎで、開けた。
この淋しい宿にも、必ず踏み分けた跡のある、三つのこみちは、と、探し出す。

三つのみち、とは、門と、井戸、厠に行く道のことである。





わづかに南面の格子上げたる間に寄せたれば、いとどはしたなしと思したれど、あさましうすすけたる凡帳さし出でて、侍従出で来たり。容貌などおとろへにけり。年頃いたうつひえたれど、なほもの清げによしあるさまして、かたじけなくとも、とりかへつべく見ゆ。




僅かに、南面の格子を上げた。一間に車を寄せたので、姫は、不仕付けだと、思う。
恐ろしく煤けた、凡帳を差し出して、侍従が出た。
顔の様子は、元気のないものだった。
近頃、酷くやせ細っているものの、垢抜けした教養ある様子が、姫と、取り替えたいほどに見える。




叔母「出で立ちなむ事を思ひながら、心苦しき有様の、見捨て奉り難きを、侍従の迎へになむ参りきたる。心憂くし思し隔てて、御自らこそあからさまにも渡らせ給はね、この人をだに許させ給へ、とてなむ。などかうあはれげなるさまには」とて、うちも泣くべきぞかし。されど行く道に心をやりて、いとここちよげなり。



叔母は、旅立とうと思い、気の毒な様子が、見捨てられず、今日は、侍従を迎えにきました。私を、嫌いになって、ご自分は、来られなくても、せめて、この人だけでも、お許しいただきたいと、思いまして。どうして、こんな酷い暮らしをと、言って、まるで、泣き出しそうである。しかし、大弐が、栄転して、赴任する旅には、満足し、内心は、気持ちがよさそうである。




叔母「故宮のおはせし時、おのれをば面伏せなりと思し捨てたりしかば、うとうとしきやうになりそめにしかど、年頃も何かは。やむごとなき様に思しあがり、大将殿などおはしまし通ふ御宿世の程をかたじけなく思ひ給へられしかばなむ、睦聞えさせむもはばかる事多くて過ぐし侍るを、世の中のかく定めもなかりければ、数ならぬ身は、なかなか心安く侍るものなりけり。及びなく見奉りし御有様のいと悲しく心苦しきを、近き程は怠る折ものどかに頼もしくなむ侍りけるを、かくはるかにまかりなむとすれば、うしろめたくあはれになむおぼえ給ふ」など語らへど、心解けても答へ給はず。




叔母は、亡き宮様がいらした時分は、私を不名誉な者と思い、いい加減になって、寄せ付けなかったので、疎遠になっていましたが、今までも、私は、いい加減に思ったことは、ありません。お姫様の、つもりなになって、大将様が、通いあそばす運勢では、勿体なく思われましたので、親しく思うのも、遠慮がありましたが、世の中というものは、このように、変わりやすいものですから、身分の低いほうが、気楽なものでございました。以前には、及びもつかないと、拝した身の上が、今は、たいそういたわしく、気の毒なので、近所にいる間は、ご無沙汰しても、いつか、お世話できると、思っていました。このように、遠くへ参りますので、後が気になって、たまらず、おいたわしく存じ上げます、と、語るのだが、姫は、打ち解けた、返事もされない。

物語の中で、当時の様子が、よく解る場面である。

女には、庇護者が必要なのである。
特に、身分の高い女たちは、世話をする男が、いなければ、この姫のような、暮らしになる。


posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第10弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神仏は妄想である 319

神の死の神学は、その否定の意図において注意されるべきである。・・・
彼らは、そのかぎりにおいて、神学的な冒険をなしており、キリスト教的な無神論者として生きてゆこうとする者を支えようとする配慮を、牧会的に行ってはいない。しかし、ここでの否定は、冒険と改革のためゆえの否定であって、破壊のための破壊でも、否定のための否定でもない。・・・・神の死をとらえたのは、神学にはプロでない大衆であった。新しい神学者たちは、また、自らが楽をするために神を否定しようとするものでもない。われわれは、彼らが、現状維持という、現体制的なキリスト教界内での常識的な安らぎを誘惑としてしりぞけつつ、創造的な否定を指向していることを見てとるべきである。
小原 信

創造的な否定を指向するという。

それが、以前、書くはずだった、箇所、
われわれは、自らの生き方については、結局は、自らのおかれた状況のなかで、何が求められており、自らに何ができ、何をなすのがふさわしいか、を「状況」のなかで判断し、自己決定するほかはない。真理は形式的な原理のなかではなく、具体的な状況のなかにあるからである。だが、たんに状況を見よ、というのではなく、状況のなかに論理を入れつつ、他方、論理のなかに状況を入れる弁証法性が大切であるということは言うまでもない。
小原 信

キリスト教の原点とは何か。それを自らで模索せよ。神の死の神学は、われわれにこのことを教えてくれる。自明にして普遍的なる神などどこにもいない、のである。
小原 信

前回も、この部分を書いた。

普遍的なる神などどこにもいない。

と言いつつ、結局は、キリスト教という、世界の中での、出来事なのである。

それは、
神もしくは超越的なものなしに、哲学することはできない。
と、小原氏は言うのである。

これを、読むと、彼らが、より、仏教に近づいてきているようである。
キリスト教神学者は、仏教の、底の見えない、滅茶苦茶な、仏教教義を、知るべきである。

要するに、既存の、教会権威に対する、反乱である。

カトリックにも、プロテスタントにも、その教会に対する、プロテストである。
その過程の中に、どうしても、神とか、イエスとかを、組み入れなければ、話しが進まないという、蒙昧である。

勿論、小原氏は、より、時代性に合う、キリスト教というものを、模索している、神の死の神学を、解説しているのであろうが、結局、神観念から、抜けられないでいる。

神もしくは超越的なものなしに、哲学することはできない。というのである。

論旨は、理解するが、矢張り、既存の、教会教義、神学教義からの、脱出であろう。最初から、そんなものは、無いものだと、考えられないのである。

勿論、哲学なども、哲学から、更なる哲学が、つまり、弁証法によってなる。

何も無いところからは、何も、生み出せないということなのであろう。

「神の死」を言うラディカリズムは、その哲学化において、弁証法的な思惟を援用しているのである。結論から言えば、弁証法的な思惟の適用される領域(もしくは次元)が哲学としても新しさを持つと言うことである。二十世紀の哲学としての論理実証主義(分析哲学)は、観念論に対抗して経験を重んじ言語の分析を行ってきたが、弁証法をもたない哲学である。

神の死の神学者たちがキリスト教を弁証法的に考察するとは、否定が肯定に結びつく否定になること、正統との緊張感を保った異端になることをわきまえつつ、「原点」を創造的に指向するがゆえに、前衛的になることをいとわぬダイナミズムをもつことなのである。
小原 信

非常によく、分析されている、論文であるが、結局、新しい、信仰のあり方であり、人生論である。

そのようにして、哲学が、進化してきたのであろう。
更に、神学も・・・と、いいたいが、妄想の、神学体系を、変更できるものではない。

それとも、全く新しい、神学の、創造ということか。

新しい神学がたたかうのは、この聖と俗の二分法なのである。俗の中の聖、いまのなかのかつて、生のなかの死など、これらは、弁証法の有無ではなく、弁証法の適用の仕方の多様性を認めれば当然出てくる考え方である。
小原 信

この方は、矢張り、仏教、日本仏教でもいいから、学ぶべきである。

もう、仏教は、それを超えて、遥かに行っている。

そして、その仏教も、瀕死の状態なのである。

この世はわれわれの主体的な努力次第で、キリストが住みもし、住まなくもする。文化のなかに、キリストを見出しつつ、キリストが文化そのものを変革しつつあると信じる者は、世俗化されたこの世をふたたび聖化することができる。
小原 信

新興牧師の説教に、聞こえる。

世俗化、即、仏の世界である。
と、仏教は、解く事が出来る。

神の死の、神学を、批判し、評価する、哲学的態度は、評価する。
しかし、結果は、世俗化された、この世を、再び、聖化するとは・・・

勿論、それぞの、人の心が、為すことであろう。
それを、神の死の、神学を通して、語るのである。

われわれは「神の死」が人々の「かつて聞いたこともない個々人の内面的孤独化の感情」をひき起すかもしれないことを承知せねばならない。人はすべて、ほんとうは孤独なのである。・・・神すらいない世界に、働くこともなくレジャーをもつ現代人は未曾有の淋しさをもつのである。
小原 信

これは、今更である。

神が存在した、時代の人々は、孤独感を持たなかったのか・・・
そんなことは、無い。

更に、孤独化である。
そんなことは、有史以来の人の存在のことである。

ご苦労なことです。
次ぎは、アメリカの、キリストは死んだか、というタイトルで書く、各界の人たちの、言葉を、見ることにする。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第7弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。