2010年01月14日

ジャカルタ・スマトラ島・パダンへ 14

夜、七時を過ぎたので、私たちは、ホテル前の、レストランに出掛けた。
カラオケレストランでもあり、すでに、歌が始まっていた。

その、ボリュームが凄い。
ガンガンと鳴る。
カラオケといっても、伴奏者がつくもので、日本のカラオケが、このようにして、名づけられているということも、驚きだった。

勿論、カラオケ用の、機械もあるが、素人が、歌うこと、全般をカラオケというのだ。

ビールを注文した。
二人で、一本である。
何となく、食事の前に、ビールという、気持ちで、本当は、あまり飲みたくない。

案の定、ビールを飲み始めると、気分が悪くなる。
そこで、すぐに、食事を注文した。
すると、メニューに、日本食がある。といっても、真似たものである。

私は、ビーフの鉄板焼きを注文した。セットで、スープと、ご飯がつく。

待っている間、ステージを見ていると、一人の女の子が、歌い終わり、おばさんが、出た。イスラムであるから、かぶりものをしている。

その日、私は、ジャカルタのそごうデパートで買った、イスラムの女性用の、長いワンピースを着ていた。
ストンと、着れば、いいので、楽である。それに、誰も私を知るものがいない。平然と、それを、着ていた。

おばさんが歌い終わると、司会者が、何か言う。

コータが、誰か、歌う人は、いませんかといっていると言う。
その時まで、歌おうなどと、思っていなかった。
司会者は、私たちの方を見ているので、私が、手を上げた。

すると、拍手が起こった。
コータが、本当に歌うの、と、驚く。

私は、立ち上がり、舞台に上がった。
伴奏者に、岸壁の母の、最初のメロディーを伝える。すると、彼は、即座に、雰囲気のある、メロディーを作る。
それで、いい。オッケー。

私は、マイクを持ち、歌いだした。
母は来ました・・・今日も来た・・・この岸壁に、今日も来た・・・

一番と、三番を歌う。
伴奏者は、盛り上がりまでつけて、伴奏する。

最後まで歌うと、拍手である。
ジャパンと、司会者が言うと、再度、拍手。

何とも、恥知らずである。

コータも、呆れている。
しかし、歌った者勝ちである。

そのうちに、食事が運ばれて来た。

何と、醤油ベースの味付けである。
美味しい。
懐かしい味である。

ただ、料金は、地元の食堂の、五倍程度であるから、高い。

醤油味の、懐かしい味付けに、満足して、高くても、納得した。

食べ終わり、すぐに、そこを出た。
私は、すぐにホテルに戻ることにした。
すっかり、疲れてしまった。

コータも、一度、戻ったが、少しして、ビーチを見てくると、出て行った。

私は、ただ、休むだけである。

シャワーを浴びて、腰にバスタオルを巻いて、タバコを吹かす。
部屋の中も、禁煙ということが、多いが、インドネシアは、喫煙家には、天国である。
どこでも、吸う事が出来た。

灰皿も、ホテルの至るところに、置いてある。

ホテル隣のレストランでも、カラオケをしているので、音が流れてくる。
ただ、ある程度の時間になると、終わるので、助かった。

音がなくなると、時折、車や、バイクの音が、聞こえる程度である。
そして、夜は、涼しい。
ただ、虫が入るので、窓は、開けられない。

エアコンの、風量を小さくしても、寝ると、少し寒いのである。

昼間の気温とは、あきらかに、違う。
矢張り、太陽が出ていると、温度が、上がる。

新しい部屋は、居心地がいい。

そろそろ、寝ようと思うと、コータが戻ってきた。
ビーチの様子は、イスラム教徒であっても、若い男女は、いちゃついていると、いうから、健全である。

どこかに、息抜きがないと、やってられないのである。

ホテルの、フロントの女の子も、イスラムだが、かぶりものは、しない。
更に、ホテルの経営者は、オランダの、キリスト教徒である。
それも、別に意に介していない。

その、女の子は、よく喋る子だった。
独学での、英会話であるが、ぺらぺらで、早口である。私などは、何を言うのか、大半、解らないが、頷いて聞いている。

彼女のように、若い子は、日本の漫画を良く知っている。
質問を受けた。
ドラエモンの、のびた君は、どうして、いつまでも、子供なんですか・・・
えっ・・・
それを、英語で、早口で喋るから、おかしい。また、そのしぐさも、のびた君の背丈を示すのである。
画面の中の、のびた君も、彼女には、実在の人物のようである。

私は、答えられず、うーんと、唸ったきり。
若い子とは、日本の漫画の話で、盛り上がる。
そうそう、彼女は、おしん、のような女性になりたいと、言った。
日本の番組が、浸透しているのだ。

さて、十時になった。日本時間では、12時である。
私たちは、眠ることにした。

明日は、川向こうの、小屋が立ち並ぶ場所で、慰霊と、支援をする。
慰霊は、地震で、亡くなった人たちと、日本兵のために、である。



最後の沈黙を破る 44

いつか、整理して、書きたいと思っていたことがある。
しかし、整理する暇がないゆえに、断片的だが、書く。

日本の伝統に、左右の思想は、無い。
左右の思想があるのは、原理主義のある、国々である。

つまり、右翼、左翼というものである。

ただ今、若者が、右翼化しているとか、極右ぎみだと、言われる。

当然、それは、反動である。

戦後、暫く、左翼化が、進んだ。

極右も、極左も、原理主義である。
原理主義とは、宗教の概念による。

そして、原理主義は、世界を、混乱させる。
何故か。
たゆたう、という、曖昧な、許容範囲、オーブというものが、無い、つまり、余裕が無いからである。

日本の伝統は、上下である。
これを、かみ、と、しも、という。

上は、代表であり、統治する。
下は、上を支える。

武士道では、忠義とか、忠臣と、呼ばれる。

右と左という、横の関係は無い。
それは、邪、よこしま、だからである。

よこしま、とは、横に広がるだけである。

上、かみ、は、天皇を言う。
下、しも、は、国民を言う。そして、上は、国民を、公宝、おうみたから、と、呼ぶ。
そこに、日本の伝統がある。

天皇は、すめらみこと、である。

統べる、命である。
命とは、御言、である。

天皇は、詔を、発する。それは、公宝の、それぞれの、政頭、まつりごとかしら、が、協議して、決めたことを、承認するものである。
それにより、国民は、了承する。

天皇の、前身は、大政頭、おおまつりごとかしら、と、呼ばれた。

それは、武力ではなく、祭祀の力によって、民が認めた家系なのである。

日本には、欧米の神、カミという、存在を置かない。
それは、祖霊であり、かむ、と、呼ぶ。

であるから、上の、かみ、とは、この世の、存在である。

それが、天皇の存在である。

上下邪という、言葉は、無い。
邪は、左右という言葉にある。

自由、平等、博愛という、邪な思想は、日本には、無い。
まして、友愛という言葉も無い。

友愛とは、ギリシャの、少年愛、エロスからのものである。

自由、平等、博愛は、民を、騙すために、造られた言葉である。
何故なら、この世に、そんなものは、無いのである。

自由、平等、博愛という、国に、それが、あるか・・・

人間は、不自由であり、不平等であり、偏愛である。

真っ当に、考えると、それが、解る。
しかし、何かの思想、特に、欧米の宗教的思想に、毒されたものたちは、それがあると、信じる。

神の前に、自由であり、平等であり、博愛があると・・・

その、神の思想は、如何なるものか。

旧約聖書に、すべて、書かれている。

日本には、聖典、経典というものが無い。
当然である。
そのようなものを、必要としない、民族だった。

日本の思想は、恋である。

万葉集を、読めば、それが、解る。

恋心にある、たゆたう心、命をかける存在がある、それが、日本の伝統である。

一番、解りやすい言葉で言えば、男心に男が、惚れるというものである。
そして、女は、その心意気を、裏で支える。

女は、強いがゆえに、男心を、遂げさせる。
それが、女の愛である。

男のために、男が、死ぬことを、よしとする。
左右の思想には、それが無い。
女は、動物以下である。

だから、女を、性の対象としか、考えない。

皇祖皇宗の、代表として、天照大神を、掲げる。
男神だという、邪があるが、天照る神は、女の姿をとる。
太陽を、女神とする。

そこに、日本の伝統の、素晴らしさがある。

母系を、主にする、民族は、すべてに、寛大である。

日本は、母系の民族である。

それを、知らない、それは、違うというのは、お勉強不足である。

天照る神を、男神という、者たちは、原理主義に、とても、似る。

天照大神の、弟である、月よみの命が、天皇の位に就かず、その姉である、天照るに、天皇の位を、譲るのである。

唯一、女が、天皇の位に就いた。
だが、それは、正しかった。
何故なら、人は、女から、生まれるものである。

大和朝廷時代、以前、唯一の、女帝である。

そして、その、崩御により、月よみの命の、家系が、大和朝廷以前の、日本を、統治したのである。

日本には、男尊女卑の思想は無い。
あれは、儒教による。

うちの、カミサンと、今でも、呼ぶ習慣がある。

古い古い、昔の、意識が、そうさせる。

もっと、勉強すべきである。



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もののあわれ 474

御調度どもも、いと古代になれたるが昔やうにてうるはしきを、なま物のゆえ知らむと思へる人、さるもの要じて、わざとその人かの人にせさせ給へる、と、尋ね聞きて案内するも、おのづからかかる貧しきあたりと思ひあなづりて言ひ来るを、例の女ばら、女房「いかがせむ。そこそは世の常の事」とて、取り紛らはしつつ目に近きけふあすの見苦しさをつくろはむとする時もあるを、いみじういさめ給ひて、姫「見よと思ひ給ひてこそ、しおかせ給ひけめ、などてかかろがろしき人の家の飾りとはなさむ。なき人の御本意たがはむがあはれなること」と宣ひて、さるわざはせさせ給はず。





道具類も、大変古く、使い慣れて、昔風に立派なものを、由緒を詮索したがる人などが、それを欲しがり、誰に作らせたものなどと、聞き出して、取次ぎを頼む者も、いつの間にか、こんな豊かでもないところだと、軽く見て言うのを、いつも通り、女たちが、しかたがない、それは、世の中の常と、目立たないように、取り計らう。差し迫った、今日、明日の生活の、不自由を補おうとするが、姫は、酷く叱り、父宮が、使うようにと、思ってくださり、作らせたもの。どうして、卑しい家の飾りにしようなどと。なき、父宮のご意志に背くことは、御本意たがはむがあはれなる、堪らない気持ちである、と、仰る。そして、そんなことは、させないのである。

意志に背くことは、あはれ、なのである。





はかなきことにてもとぶらひ聞ゆる人はなき御身なり。ただ御せうとの禅師の君ばかりぞ、稀に京にも出で給ふ時はさしのぞき給へど、それも世になき古めき人にて、同じき法師といふ中にもたづきなく、この世を離れたる聖にものし給ひて、繁き草、蓬をだに、かきはらはむものとも思ひより給はず。




少しのことでも、来る人もない、身の上。ただ、お兄様の、禅師の君だけが、時に京に出てくる時に、お立ち寄りになる。この方も、世間にないような、昔風の方で、同じ法師という中でも、生活の方法も、知らず、俗世間から離れた、聖僧である。繁った草や、蓬なども、取り除いてやろうとも、考えないのである。




かかるままに浅茅は庭のおもも見えず、繁き蓬は軒を争ひて生ひのぼる、葎は西東の御門を閉ぢ込めたるぞ頼もしけれど、崩れがちなるめぐりの垣を馬牛などの踏みならしたる道にて、春夏になれば、放ち飼ふあげまきの心さへぞめざましき。八月野分荒かりし年、廊どもも倒れ伏し下の屋どものはかなき板ぶきなりしなどは骨のみわづかに残りて、立ちとまる下衆だになし。けぶり絶えて、あはれにいみじきこと多かり。ぬすびとなどいふひたぶる心ある者も、思ひ遣りの淋しければにや、この宮をば不用のものに踏み過ぎて寄り来ざりければ、かくいみじき野らやぶなれども、さすがに寝殿のうちばかりはありし御しつらひ変らず。つややかに掻い掃きなどする人もなし、塵は積もれど、紛るることなきうるはしき御住居にて、明かし暮らし給ふ。





このように、短い草は、庭を覆い、繁った蓬は、軒に負けずに、伸びてゆく。葎が、西や東の御門を閉じ込めているのは、用心になるが、崩れやすい、周囲の垣根の、馬や牛が、踏みならしたところを、通り道にして、春や夏になると、放し飼いする童子は、何を思ってすることやら、驚くのである。
八月の台風の酷い年、渡り廊下なども、倒れ臥して、召使たちの舎など、簡単な板葺きであった建物は、骨組みだけが、残った。踏みとどまる下人さえない。
炊事の煙も上がらず、気の毒なことが、多かった。
盗人などという、情け容赦のないものさえ、貧乏と察してか、この邸には、用が無いと、通り過ぎて、近寄らない。このように、荒れ果てた、野藪であるが、それでも、寝殿の内は、かつての、装飾のままである。
艶の出るほど、掃除をするものは、いない。塵は積もっているが、乱れない、住まいとして、一日一日を、暮らしている。


posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第10弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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