2010年01月10日

ジャカルタ・スマトラ島・パダンへ 10

飛行機の中では、一切の、サービスはなかった。
お陰で、眠っていられた。

パダン到着である。
予定通り。

国内線であるから、何の問題もなく、荷物の出るのを、待って、外に出た。

タクシーの呼び込みが来る。
まず、公的なタクシーの、チケットを買う。

そのタクシー運転手は、そのチケットの、値段を、12万ルピアと言う。
ホテルの名を言うと、その場所への、料金が決まっている。

タクシーに乗ったのは、ホテルを変更した時のみ、以後、帰りのホテルタクシー以外は、乗らなかった。
皆々、ボルのである。
知らないと思い、吹っかけてくる。

街中までは、結構な時間がかかった。
30分以上である。

一泊、25万ルピアのホテルに向かった。予約はしていない。

街に近づくと、倒壊した建物が、目立ってきた。
三階建て以上の、建物は、ほとんど、倒壊したという。

瓦礫の山も、多々ある。
地震の激しさを、伝えるものだった。

三階建ての建物の、多くは、ホテルである。軒並み、ホテルが、潰れたのだ。

であるから、中々、よいホテルが無いのである。

残ったホテルは、皆、平屋か、二階建てである。

ようやく、ホテルに到着した。
二階建てのホテルである。
ゲストハウスに近い、感覚の建物。

車から、降りて、部屋の有無を確認すると、大丈夫だった。
荷物を下ろして、案内を乞う。

一階の、ベランダ付の部屋である。
部屋に入り、水シャワーであり、トイレには、紙が無い。ということは、手水である。
備え付けの、尻用のシャワー設備もなかった。
バケツに、水を入れて、そこから、尻を手で拭く形。

更に、洗面台が無い。
実に、不便である。

兎に角、三時を過ぎているので、腹が空いた。
二階に、レストランがあるというので、登ると、レストランというほどのものではなく、長いテーブルを置いてあるだけ。

メニューと、言うと、ミーゴレンか、ナシゴレンのみと、言う。

私は、焼きそば、コータは、焼き飯を注文した。
そして、水の、ボトルである。

食べたら、兎に角、水を買わなければならない。

このホテルには、一泊だけにすることにした。
後で、コータが、ホテルを探すことになった。

私は、部屋に戻り、休憩である。

コータが、出掛けた。
水を買い、ホテルを歩いて探すのである。

ホテルは、中小路なので、周囲の状況が分からない。

私は、本日は、動かないことにした。
ただ、部屋の前の、椅子に座り、タバコを吹かした。

そして、お客の入って来るのを、見ていた。
最初は、泊り客が、見えなかったが、夕方近くになると、どんどんと、やって来る。
驚いたのは、その客が乗ってくる、車である。

皆、立派な車に乗っているのである。

一度、部屋に入り、ベッドに、体を横たえた。
暫くして、また、部屋の前で、タバコを吹かす。

私の両隣の、部屋にも、客が入った。
意外に、人気のホテルらしい。だが、皆、インドネシア人である。

外国人は、私たちのみ。

右隣の部屋に、若い、インドネシア人の男、二人が、入った。

この、二人とは、朝、色々と話をすることになる。

コータが戻ったので、話を聞く。
ホテルは、少し遠く、ビーチの近くに、33万ルピアであるとのこと。
3300円である。高い。

しかし、他のホテルも、同じようなものだという。更に、ホテルは、大半が、倒壊したために、ミニホテル、ゲストハウスしかないという。

でも、ここのホテルでは、活動がしにくいと、言う。
結局、乗り物を使うことになるのである。

それなら、少し高くても、そちらで、いいということになった。
部屋も、空いているという。

明日、移ることにした。

コータは、更に、食事もして来たという。
私も、夜の食事をするために、コータに案内してもらうことにした。

パダンの夜は、遅い。
夕方を過ぎても、空が明るいのだ。

ホテルを移るということになったので、荷物を開けなかった。
ただ、タイパンツと、Tシャツのみにした。

少し、暗くなったので、出掛けることにした。
瓦礫の山を眺めつつ、歩く。

街の中心は、少し歩くことになる。
一つの通りに出た。
どこかの、田舎の風景である。

地元の、食堂に入ることにした。
パダン料理である。

コータは、すでに食べたので、私が、注文した。
食べたいものを、指で差す。
すると、おばさんが、皿に、ライスと、おかずを盛り付けてくれる。

カレー風のおかずを、選んだ。
食べた。美味しい。が、辛い。その、辛さが、次第に、酷くなってゆく。
顔から、汗が出てくる。

辛い
私が言うと、コータが、うん辛いらしいと、答える。
本当に、辛いのだ。

その辛さが、複雑で、何の辛さと、言えない。
唐辛子も、胡椒の辛さも、その他、多々ある、辛さである。

辛さの微妙繊細である。
ああ、これが、パダン料理か、である。
料金は、8000ルピア、80円である。



最後の沈黙を破る 40

今の、日本で、最も、守るべきものは、日本語と、天皇陛下である。

英語教育を推し進めるならば、より日本語教育を、推し進めるべきである。

英語教育で、幸せにならないのは、フィリピンを見て、思う。
精々、外国に出稼ぎに、出掛けられる程度なのである。

英語教育は、中学からで、十分良い。
これは、脳科学者も言うことである。
母語を、しっかりと、身につけなければ、精神的に、怪しくなる。

何故なら、言葉は、精神だからだ。

民族の、精神である、言葉を、守るべきことは、必至である。

更に、日本語は、大和言葉からなる。
大和言葉は、漢字の訓読みである。

音読みは、漢語読みであり、それを、大和言葉にすると、訓読みになる。
そのような、言葉の使い方をするのは、日本人のみ。

そして、天皇陛下の存在である。

日本人は、空気のように、感じる存在であるが、陛下が、国際社会で、最も、評価が高く、歓迎されるのを、知らない。

社会、共産国に出かけても、天皇陛下は、とても、人気があるのだ。

それは、歴史と、伝統を、有するからである。
天皇陛下の、歴史は、今年、2670年、つまり、日本建国から、2670年を経ているということ。

そんな、歴史的な存在は、世界に、日本の天皇しか、いないのである。

更に、世界で、唯一、無私の存在としてあるというのは、驚嘆する。

日本は、日本語と、天皇を、守り続ければ、事足りる。

この、無私の存在とは、私が無いというのであり、私が無いということは、日々が、公なのである。

通常の者が、陛下の生活をすれば、狂う。

いまや、天皇陛下は、日本のみならず、世界の国々の、様々な、動きに、心を動かす存在になっている。

自然災害などが、起これば、誰よりも、先に、人々の無事を祈られるのである。
そのような、存在を、日本が有しているということ、幸いの限りである。

私は、陛下に、お会いすることは、ないだろうが、それでも、私は、天皇陛下に、対して、無上の崇敬を持つ者である。

その、長い歴史を、負われ、なお、これからの、歴史的存在にならせられるという、自覚は、通常の人間の、思考を超えている。

日本は、この二つを、守らなければならない。

そのために、軍隊が必要ならば、天皇の軍隊を、創設するべきである。

タイの、軍隊は、明確に、タイ王国の、王の軍隊であると、言う。
王様が、タイを、守りなさいと、指示すれば、そのように、働く。
国民の、九割の、支持を受けるタイ王の、国であることが、解る。
それほど、王様を、大切にしている。

タイ王の、歴史は、約260年ほどである。
それでも、タイ国を、まとめるために、必要不可欠の存在である。

その、タイの国王、プーミポン国王は、日本の天皇を、非常に、重んずる。
王家であるから、天皇家の、歴史の存在と、その意義が、よく解るのである。

王は、国民を思い、国民は王を、思う。

絶対君主制云々のお話ではない。

タイは、民主化を、王自身が、勧めている。

そして、日本も、民主主義の国である。
民主とは、民が、主である。

そして、日本の天皇は、国民の総意で、ただ今は、日本国の象徴として、あらせられる。

天皇も、人間であるが、天皇のように、生きることは、通常の人間には、出来ないことである。

そして、言う。
天皇は、日本国の、祭司である。

それは、宗教を超えたところの、祭司なのである。

日本国は、祖霊を神、カムとして、奉る国である。
その、祭司という、特別の、任務を持たれるのが、天皇陛下である。

日本は、人は、かむながらの道を、歩む国であると、明確にしている。

祖霊に対する、不敬は、許されない。
祖霊を、不敬に扱うことは、我が身を、貶めることであり、我が身の、存在を、否定することである。

日本国の、祖霊を、奉り、日々、祖霊に対して、言挙げを、申し上げる、お方が、天皇陛下である。

この、日本は、祖霊の、国である。
祖霊は、また、国である。

日本語と、天皇を、守ること、それは、日本人になるべく、日本人に、与えられた、義務である。
この、二つを、守れない場合、日本は、壊滅する。
それは、祖霊不敬と、同じことである。

posted by 天山 at 00:00| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もののあわれ 470

七八日ありて亡せ給ひにけり。
あへなう思さるるに、世もいとはかなくて、もの心細く思されて、内へも参り給はず。とかくの御事などおきてさせ給ふ。また頼もしき人もことにおはせざりけり。古き斎宮の宮司など、仕うまつりなれたるぞ、わづかに事どもさだめける。




その後、七、八日にして、お亡くなりになった。
源氏は、張り合いなく、思い、人の命が儚く思われ、心細い思いで、御所にも、上がらず、法事などを、命じる。
宮家では、ほかに頼りになる人も、いなかった。以前に、斎宮の宮司をしていたものなどで、そのまま、仕えているものが、諸事を行う、有様である。



御自らも渡り給へり。宮に御消息聞え給ふ。斎宮「何事も覚え侍らでなむ」と、女別当して聞え給へり。源氏「聞えさせ宣ひ置きし事もはべしを、今は隔てなきさまに思されば、うれしくなむ」と聞え給ひて、人々召しいでて、あるべきことども仰せ給ふ。いと頼もしげに、年頃の御心ばへ、とりかへしつべう見ゆ。いといかめしう、殿の人々数もなう仕うまつらせ給へり。




ご自身も、おいでになった。斎宮に、お言葉を伝える。
斎宮は、女別当を通して、何もかも、どうしていいのか、わかりませんで、と言う。
源氏は、母君に、申し上げ、また、仰せられたことも、ございます。今後は、ご遠慮なく、申されよ。そうであれば、嬉しい。と、申し上げて、女房たちを、呼び寄せて、成すべき事を、命じる。まことに、頼もしいことで、この何年もの、償いが、できたように、見える。
扱いも、堂々として、二条院の人々を、数えられないほど、遣わした。




あはれにうちながめつつ、御精進にて、みすおろしこめて、おこなはせ給ふ。宮には、常にとぶらひ聞え給ふ。やうやう御心静まり給ひては、自ら御かへりなど聞え給ふ。つつましう思したれど、御めのとなど、「かたじけなし」と、そそのかし聞ゆるなりけり。




源氏は、しんみりとして、物思いに耽り、御精進されて、御簾を下ろし、引き籠って、お勤めをされる。
斎宮には、始終、お見舞いされる。斎宮は、次第に、心が落ち着き、ご自身で、ご返事をされる。気がすすまないが、乳母などが、代筆では、勿体ないことですと、勧めたのだ。




雪みぞれかきたれ、荒るる日、「いかに宮の有様かすかにながめ給ふらむ」と思ひやり聞えて給ひて、御使ひ奉れ給へり。源氏「ただ今の空を、いかに御覧ずらむ。

ふりみだれ ひまなき空に なき人の 天かけらむ 宿ぞかなしき

空色の紙の、くもらはしき書い給へり。「若き人のとどまるばかり」と心してつくろひ給へる、いと目もあやなり。宮はいと聞えにくくし給へどこれかれ、人々「人づてには、いと便なきこと」と責め聞ゆれば、にび色の紙の、いとかうばしうえんなるに、墨つきなどまぎらはして、

斎宮
消えがてに ふるぞ悲しき かきくらし わが身それとも 思ほえぬ世に

つつましげなる書きざま、いとおほじかに、御手すぐれてはあらねど、らうたげにあてはかる筋に見ゆ。下り給ひし程より「なほあらず」思したりしを、「今は心にかけてともかくも聞え寄りぬべきぞかし」と思すには、例のひき返し、「いとほしくこそ、故御息所のいと後めたげに心おき給ひしを、ことわりなれど、世の中の人もさやうに思ひよりぬべき事なるを、ひきたがへ心清くてあつかひ聞えむ。上のいま少し物おぼし知るよはひにならせ給ひなば、うち住みせさせ奉りて、さうざうしきに、かしづきぐさにこそ」と、おぼしなる。



雪や、みぞれの、降り乱れる、嵐の日、斎宮が、元気なく、物思いに耽っているだろうと、その様子を、思いやり、お使いを遣わした。
源氏は、ただ今の、空の様子を、どのように、御覧になっていますか。

源氏
雪、みぞれの、乱れ降る中を、なき母君の、御霊は、お邸の上を離れず、天がけっていらっしゃるでしょう。それを、思うと、悲しいもの。

空色の紙に、曇ったように、書いている。
若い斎宮の、心を、ひきつけるように、丹精に書いた。実に、見るのも、まぶしいくらいである。
斎宮は、大変、返事のしにくい様子。お傍の誰彼が、代筆では、不都合ですと、勧めるので、たいそう、香を焚き染めて、趣深い、にび色の紙に、墨つきの濃淡に、体裁よく、書きつけて、

斎宮
涙にかきくれ、我が身が、我が身ではないような、この頃です。消えもせずに、日を送っているのが、悲しいのです。

遠慮がちな、書き振りで、おっとりとして、筆跡は、上手というわけではないが、可愛らしいというもので、上品である。
伊勢へ、下った際から、ただでは、おけないと、思ったが、今では、機会を見て、どうなりとも、言い寄ることができると、思うが、一方、例により、思いなおして、それも、気の毒だ。亡くなった、御息所が、あんなに心配していた。無理もないが、世間の人も、同じように、思うだろう。
ここは、一つ、真っ当に、きれいに、お世話をしよう。主上が、もう少し、分かる年頃になってから、入内させて、自分は、子供がいなくて、寂しいゆえに、この方を、お世話しようと、決心されるのである。


源氏の、色事好きの、独り言であるが、なんとまあ、感心するやら、呆れるやら、である。
好色というより、それが、生き甲斐でもある。
と、平安期の、男たちの、様子が、よく分かる。
源氏という、人間は、それらの、総合象徴である。
戦の無い、平和な時代である。

posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第10弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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