2010年01月05日

ジャカルタ・スマトラ島・パダンへ 5

翌日、昼前に出掛けようと、ホテルを出て、スラム街への、道を行く。
ホテルの横の道である。

その丁度、曲がり角に、屋台がある。
そこに、四人の女が座っていた。
一人の女と目が合った。

凄い顔である。
ごつい顔に、厚化粧。何だーーー
コータが、レディボーイだという。
それで、再度、顔を見た。そして、他の女たちの顔も見た。

彼ら、いや、彼女たちが、笑いかけるので、お愛想で、ビューティフルといった。
彼らも、何か言ったが、解らない。

ここで、商売しているということは、と、コータが、声を低めて、睡眠薬強盗でもするのかもと、言う。

女と、勘違いして、部屋に入れて、彼女たちに、睡眠薬を盛られて、寝ている間に、金目のものを、盗まれるという、手である。

さて、スラム街の入り口に来た。

扉がある。
それは、鉄格子のようなものである。
その先に、男たちが、三人ほど、座っていた。

私たちが、入ると、彼らは、いいよという、雰囲気で、先を促した。

スラム街も、場所により、鉄格子の囲いがある。
皆で、その区域を、守っているのだろう。

私たちは、不思議な存在だった。
私は、浴衣を着ていた。
そして、バッグを提げている。

まず、ぬいぐみを、取り出した。
それを、小さな子に、渡す。続けて、また、渡す。
すると、親たちも、出てきて、何が始まったのかと、見る。

私は、衣服を取り出して、必要ですかと、問い掛ける。

プレゼントと、言った。
子供用だ。
子供の体に合わせてみる。オッケー、いいね。

次々と、渡す。
そして、奥に入ってゆく。

そのうちに、人が集い始めた。
いつもの、パターンである。

別のスラムの入り口にいる、おじいさんに声を掛けた。
手で、招く。
衣服を出すと、皆を呼んだ。
そこで、また、次々と、渡す。
人が多く出てきた。

一人の、おばさんが、私たちを、招く。
こっちに来てというように、聞こえる。

住宅の置くに入る。
おばさんが、皆に、声を掛けると、どっと、人が出て来た。
そこで、少しパニックぎみになった。

バッグの、日の丸を見て、ジャパンと言った。
そう、ジャパン、日本から・・・

歓声が上がる。
次から次と、衣服を出すと、誰か解らないが、それを、受け取る。
さあ、私の周辺を人が取り囲んで、わいわいと、声が上がる。

少しの、フェイスタオルを取り出すと、我先にと、手が出る。
それも、あっという間の出来事。

最後の、フェイスタオルを、取り出すと、それも、一瞬で、無くなった。

ワーと、歓声が上がる。

写真だ、写真と、私が、コータを促す。
すると、皆さん、集まるのである。
ワーといいながら、全員が、写真に入った。

何とも、実に良い雰囲気である。
先ほどの、おじいさんも来て、私も欲しいというが、もう、差し上げるものがない。

戻る道々、声を掛けてくる。
サンキューである。
更に、次は、また、来るの。
来ますよ。

一人の女が、子供を抱いて、この子に、ボールが欲しいのと、いうように聞こえる。
そういえば、先ほど、どういう訳か、ボールが一つあり、別な子に上げたのだ。

私は、汗だくである。

笑顔で、皆さん語り掛けてくれるが、インドネシア語が、分からない。

汗だくなので、一度、ホテルに戻ることにした。
先ほどの、レディボーイたちも、まだ、屋台にいた。

兎に角、暑い。
日本との、温度差は、20度である。
水を飲むしかない。

一度、部屋に戻り、休憩した。
一つの、バッグが、無くなった。
だが、これ以上、差し上げるのは、無理である。
コータが、国内線で、詰めなかったら困るから、丁度良かったと、言う。

確かに。
荷物が、多すぎるのである。

昼ごはんは、別なスラムへ行き、屋台で、麺類を食べてみることにした。




最後の沈黙を破る 35

公立学校の、教師たちが、国歌斉唱の際に、起立しないのは、良心であり、強制されるのは、良心の侵害であると、言う。

いつまでも、こんなことを、やっていられるのか。
それは、日本が、実によい国だからである。

国歌斉唱の際に、起立することを、教育するのは、子供たちに、世界の常識を教えるということである。

日本にいて、どこの国にも、行かないというならば、それでいい。
しかし、国際社会と、関わらずに生きることの出来ない時代である。

国歌斉唱の際に、起立するのは、世界の常識であるということを、教えるものであること、重々言っておく。

どこの国に、行っても、その国の、国旗や、国歌に対しての、礼儀があり、更に、その国独自の、貴いとされるものがある。

日本の若者は、外国に出掛けて、非常に恥ずかしい真似をする。
例えば、タイに行き、仏像の上に全裸で乗るという。
タイは、上座部仏教の国である。
知らないとして、許されることではない。

更に、戦争犠牲者の、メモリーパークなどでの、行為等々。
イタリアの大聖堂に、落書きしたという、アホもいる。

これ、すべて、教育の成果である。

言論の自由であるから、校舎を離れれば、自由であるが、校舎の中にいて、教師である以上は、公人である。

その立場というものを、考えての、良心の自由だろうか。
サヨク系といわれる人たちに、多い。

そのサヨク系の人たちが、好きな中国では、どうか。
そんな真似をすれば、どんなことになるのか。

また、イスラムの国に行けば、どんなことになるのか。
甚だしい場合は、その場で、射殺されても、文句は、言えない。

強迫神経症である。

国旗や、国歌に対して、あらかじめ、特殊な観念を植え付けられたのである。
洗脳である。

国旗掲揚に際しても、起立するのが、常識である。
世界の常識でもある。

日教組が幅を利かせる地域では、先生が、子供たちに、国歌を教えず、更に、国歌斉唱の際に、歌いたくなければ、歌わなくてもいいと、言う。

それ以前に、子供たちが、国歌を知らないという、例が多々ある。

良心という言葉を、出す前に、礼儀作法というものが、優先される場が多々あるということである。

日教組、労働組合などの、組合組織というのは、サヨク系であり、礼儀作法を知らないことでも、有名である。
自分たちの、作法は、人に求めるが、全体の作法は、無視する。

とんでもない、組織であり、それが、教育の現場にいるという、事実は、いかなることか。

日教組は、日教組で、学校を作り、日教組の教育をすれば、いい。
と、私は思う。

更に言う。
教師の、隠微極まる事件が多い。
少女売春などは、実に教師に多い。

まさか、それも、良心の自由とは、言わないだろう。

日本は、法治国家であるから、法に則って、裁かれる。

自由があれば、義務がある。

義務は、礼儀作法にも、関わってくる。

どうしても、国歌斉唱に、起立できないというなら、私立学校の、教師になるべきである。

天皇陛下でさえ、強制の無いように、と、仰せられた。
実によい国、日本である。


posted by 天山 at 00:00| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もののあわれ 465

兵部卿の親王、年頃の御心ばへのつらく思はずにて、ただ世の聞えをのみ思しはばかり給ひし事を、大臣は憂きものに思しおきて、昔のようにも睦び聞え給はず。なべての世には、あまねくめでたき御心なれど、この御あたりは、なかなか情なき節もうちまぜ給ふを、入道の宮は、いとほしう本意なき事に見奉り給ふ。




兵部卿の親王は、ここ数年、変化の無い、意外な仕打ちを受けているが、ただ、世間の思惑ばかりを、気にしていらしたのを、大臣は、不快なここと、思い、以前のように、親しくすることがない。
世間一般には、誰にも、温情をかけるのだが、この宮に対しては、むしろ、無情な仕打ちもあり、入道の宮は、気の毒なこと、困ったことと、思っている。




世の中のこと、ただ半ばを分けて、太政大臣この大臣の御ままなり。権中納言の御女、その年の八月に参らせ給ふ。祖父殿いたちて、儀式などいとあらまほし。



天下の政治は、すべて、半分わけにして、太政大臣と、大臣の意のままである。
権中納言の姫を、その年の八月に、入内させる。おじいさまは、あれこれと、世話を焼き、儀式なども、まことに、非の打ち所が無い。


兵部卿の宮の君も、さやうに心ざしてかしづき給ふ名高きを、大臣は、人よりまさり給へ、としも思さずなむありける。いかがし給はむとすらむ。



兵部卿の宮の君も、入内させるつもりで、大切にしているとの、噂が高いが、大臣は、人に負けないようにと、別に思っているのではないか・・・
どうなさるつもりやら。

作者の言葉である。

当時の、貴族の女性は、入内という、帝の、后を目指すのである。
帝の、子を、産めば、最高の、栄誉である。




その秋、住吉に詣で給ふ。願どもはたし給ふべければ、いかめしき御ありきにて、世の中ゆすりて、上達部殿上人、われもわれもと仕うまつり給ふ。



その秋に、住吉に参拝される。
あれこれの、願いの叶った、お礼をされるはずである。
盛んな行列にて、世間中で、大評判である。
かんだちめ、てんじょうびと、が、我も我もと、競争するように、御供をされる。




折しも、かの明石の人、年ごとの例の事にて詣づるを、去年今年は、さはる事ありておこたりけるかしこまり、取り重ねて、思ひたちけり。船にてまうでたり。岸にさしつくる程見れば、ののしりて詣で給ふ人の気配、なぎさに満ちて、いつくしき神宝をもて続けたり。楽人十列など、装束をととのへ、かたちをえらびたり。




時も、丁度その時、あの明石の人は、毎年の例になっている、住吉詣でが、去年と、今年に、差し障りがあって、行けなかった、お詫びをかねて、思い立った。
船で、参拝した。
岸に船をつけて、ふっと、見ると、賑やかにお参りする、人の騒ぎで、海岸は、一杯である。素晴らしい、奉納品を、次から、次と、持ってゆく。十人の楽人などは、装束を整えて、顔つきの、すぐれた人を選んでいる。





「誰が詣で給へるぞ」と、問ふめれば、「内の大臣殿の御顔はたしに詣で給ふを、知らぬ人もありけり」とて、はかなき程の下衆だに、心地よげにうち笑ふ。げにあさましう、月日もこそあれ、なかなかこの御有様をはるかに見るも、身のほど、口惜しう覚ゆ。さすがにかけはなれ奉らぬ宿世ながら、かく口惜しききはの者だに、もの思ひなげにて仕うまつるを、色ふしに思ひたるに、「何の罪深き身にて、心にかけておぼつかなう思ひ聞えつつ、かかりける御響きをも知らで、立ちいでつらむ」など思ひつづくるに、いと悲しうて、人知れずしほたれけり。





どなたが、お参りなのですか、と、尋ねると、内大臣様が、御願い奉るに、お参りになるのを、知らない人もいるのだと、取るに足りない下人までもが、得意そうに笑うのである。
その通りで、呆れるほかはない。
他の月日があるのに、今日の日に来て、なまじ君のご様子を遠く見ると、もう、自分の身分が、情けなく思われる。
しかし、離れられない、御縁で、こんな卑しい身分の者まで、苦労一つないようで、御供するのが、光栄だと、思うのだが、どういう罪業の深い身で、常に、殿の事を気にかけて、お案じ申していながら、ご参拝の、噂も知らず、出掛けて来たのか、などと、考え続けると、たいそう悲しく、人知れず、涙に袖も、濡れるのであった。

平安期の、身分というものは、すでに、明確に、確定していた。
古代、その身分というものが、どのように、発展したのかは、また、書くことにするが、平安期の、身分は、すでに、推古天皇の頃に、明確にされていた。

それは、集落の、長から、はじまっている。
豪族というものが、現れて、次第に、明確になっていったと、思われる。

身分というものが、何か、差別的に感じるのだが、当時は、それが、秩序を整える方法でもあった。

posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第10弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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