2010年01月15日

もののあわれ 475

はかなきふるうた物語などやうのすさびごとにてこそ、つれづれをも紛らはし、かかる住居をも思ひなぐさむるわざなめれ、さやうのことにも心おそくものし給ふ。わざとこのましからねど、おのづから、また急ぐことなき程は、同じ心なる文通はしなどうちしてこそ、若き人は草木につけても心を慰め給ふべけれど、親のもてかしづき給ひし御心おきてのままに、世の中をつつましきものに思して、まれにもこと通ひ給ふべき御あたりをも、さらに馴れ給はず。ふりにたる御厨子あけて、唐守、はこやの刀自、かぐや姫の物語の絵に画きたるをぞ、時々のまさぐりものにし給ふ。




儚い、昔の歌や、物語などの、慰みことで、もてあます時間をつぶし、こんな生活をする心を、慰めることなのだが、そんなことには、感が鈍いのである。
特に好きではないが、急ぐことの無い、暇なときは、何となく、気心の合う人と、気軽に手紙のやり取りをしてこそ、若い姫は、四季の風物につけて、気持ちを紛らわせるものなのだが、父君の教えた通りに、世間を、慎ましいものと思い、一切、手紙などするべき家にも、親しくしないのである。
古い、厨子を開いて、唐守、はこやの刀自、かぐや姫の物語の、絵に画いたものを、時々弄びしている。




古歌とてもをかしきやうに選り出で、題をもよみびとをもあらはし心得たるこそ見所もありけれ、うるはしき紙屋紙、陸奥紙などのふくだめるに、ふるごとどもの目馴れたるなどは、いとすさまじげなるを、せめてながめ給ふ折々は、ひきひろげ給ふ。今の世の人のすめる、経うち読み、おこなひなどいふことはいと恥づかしくし給ひて、見奉る人もなけれど、数珠など取り寄せ給はず、かやうにうるはしくぞものし給ひける。



昔の歌といっても、風流に、選び、題も詠み人も書いてあり、意味のはっきり解るものは、見ても面白いが、きちんとした、紙屋紙や、陸奥紙などの、古びて、ほおけて、ぶくぶくしたものに、古歌の普通のものが書いてあるのは、全く見たくないのだが、淋しくて、たまらない時には、広げて、見ている。
今の世の、世間でするという、読経や、勤行などは、恥ずかしいと思い、見ている人はいないが、数珠なども、持たない有り様。
かやうに、うるはしく、このように、きちんとしていた。




侍従などいひし御乳母子のみこそ年頃あくがれ果てぬ者にてさぶらひつれど、通ひ参りし斎院うせ給ひなどして、いと堪へ難く心細きに、この姫君の母北の方のはらから、世に落ちぶれて受領の北の方になり給へるありけり。




侍従などといった、乳母の子だけが、何年も、暇を取らずに、仕えていたが、出入りしていた、斎院が、亡くなり、生活が難しく、不安だったところ、姫君の母、北の方の妹で、落ちぶれて、地方長官の北の方になった。




むすめどもかしづきて、よろしき若人ども求むるに、知らぬ所よりは、親どももまうで通ひしを、と思ひて時々いき通ふ。この姫君は、かく人うとき御くせなれば、睦まじくも言ひ通ひ給はず。叔母「おのれをばおとしめ給ひて、おもてぶせに思したりしかば、姫君の御有様の心苦しげなるも、えとぶらひ聞えず」など、なま憎げなることばども言ひ聞かせつつ、時々聞えけり。




娘たちを、大切にし、相当な女房たちを求めるので、知らない家よりは、親たちも、出入りしているからと、時々、行くのである。
この姫君は、このように、人に馴染まないため、親しく、便りもしない。
叔母は、故姫君は、私を見下げて、家の恥と、思っていたから、姫君の生活は、気の毒と、思うが、お見舞い申し上げられないと、小憎らしい言葉を、侍従に、言い聞かせつつも、時々、手紙を差し上げた。




もとよりありつきたるさやうのなみなみの人は、なかなかよき人の真似に心をつくろひ思ひあがるも多かるを、やむごとなきすぢながらも、かうまで落つべき宿世ありければにや、心すこしなほなほしき御をばにぞありける。わがかく劣りの様にてあなづらはしく思はれたりしを、いかでかかかる世の末に、この君を、わが女どものつかひひびとになしてしがな、心ばせなどの古びたるかたこそあれ、いとうしろやすき後見ならむ、と思ひて、叔母「時々ここに渡らせ給ひて。御琴の音も承らまほしがる人なむ侍る」と聞えけり。この侍従も、常に言ひもよほせど、人にいどむ心にはあらで、ただこちたき御ものづつみなれば、さも睦び給はぬを、ねたしとなむ思ひける。





もともと、受領という、低い身分に生まれついた者は、かえって、身分の高い方の、真似をすることに、気を張り、お高くとまる者も、多いが、高い家柄でありながら、こんなに落ちぶれてしまう、運命だったからなのかと、情け無い心を持った、叔母だった。
私は、こんな低い身分で、今まで軽蔑されていたのだから、なんとかして、落ちぶれた、この折に、姫君を娘たちの、召使にしてやりたいものだ。考え方など、古いが、安心できる、世話役になるだろうと、思い、叔母は、時々、私のところに、遊ばしてください。お琴の音を、伺いたいものがおります、と、申し上げた。
この侍従も、いつも、お誘いするのだが、人に逆らう気持ちからではなく、ただ、酷い、こちたき、御ものづつみ、はにかみやなので、その程、親しくしないことを、叔母は、憎らしいと、思った。


末摘花の、生活の様子を、書き付けている。
それに対して、源氏が、救いの手を、差し伸べるのである。

上流貴族、または、皇族にあった者が、落ちぶれた様子が、解る。
この、身分というものは、江戸時代まで、続くのである。




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最後の沈黙を破る 45

沖縄の問題は、何か。

新しい総理も、日米同盟の合意見直しは、しないという。
そして、沖縄は、基地を県外へとの、願いである。

国民の一人として、考える。
更に、私は、私の霊学をもって、考える。

敗戦から、沖縄は、アメリカ軍の基地を持った。
そして、日本返還後も、そのまま、米軍基地を有したままに、現在に至る。

沖縄返還で、日本は、莫大なお金を出した。
更に、それからも、莫大な、お金を出し続けている。

そして、沖縄は、基地のお陰で、経済の基盤を作っていたはずである。

地主たちは、米軍基地の、地代で、莫大な、資金を得た。

さて、私は、霊学から、見ると、いった。

大東亜戦争の、最後の捨石となったのは、沖縄である。

民間人を、含めても、大変な犠牲を出した。
日本国民は、その犠牲者の、追悼慰霊を、真っ当にしていない。

今でも、戦地、激戦地であった、場所は、沖縄の人でさえ、近づかないという。
本土の、南地区には、お盆の時期、沖縄の人は、出向かないという。

何故か。
幽霊が出るからである。

そんなバカなこと・・・
何とでも、言う。

しかし、あれほどの、悲劇的、死を受けた、霊位の想念というものが、残存している場合は、幽霊が出なくとも、その場には、独特の地場が、出来る。
その、清め祓いというものを、日本人は、していないし、その方法を知らない。
勿論、宗教家、その団体も、である。

昭和天皇の、最後の、願いは、沖縄行幸だった。
だが、その前に、崩御された。

日本の祭祀である、天皇は、沖縄戦の、犠牲者の、追悼慰霊を、自ら、行いたかったと、思う。
その後、現在の、天皇皇后陛下が、ご訪問された。
しかし、その、ご予定では、真っ当な、慰霊は、出来ない。
ご訪問に、終わった。

私は、二度、沖縄に追悼慰霊に、出掛けて、真実、沖縄の、戦争犠牲者の追悼慰霊の、必要を、実感した。

更に、沖縄の基地の問題についても、解決しないと、確信したのである。

沖縄にも、霊的所作をする人々が、多数いる。しかし、彼らを持ってしても、清め祓いが、出来ないのである。

非常に、残念なことである。

まず、沖縄の人々は、日本人として、戦争の犠牲者となった。

それは、日本の作法に、則り、行われなければ、ならない。
だが、真実、その作法で、望んだ、宗教家は、いない。

アメリカが、沖縄の基地を、そのままにするというのは、地理的意味がある。

決して、基地は、無くならないだろう。

台湾と、沖縄の海は、太平洋へ出る、要の場所である。
その海域は、軍事的に、要である。

沖縄で、惨殺された、多くの人々の、霊位が、清められ、祓われ、沖縄の地場を、変容させて、はじめて、アメリカ軍の、移動が、叶えられる。

何故か。
その人々の、想念が、基地を呼び寄せているのである。

つまり、今も、戦争状態にあるということである。
意識の、想念の、刷新がなされなければ、沖縄の問題は、解決しない。

そして、本土から、基地を移転するということは、不可能に近いのである。
だから、自衛隊の基地を、望んだ、与那国島に、希望を見出す。

民主党に、政権交代された時に、与那国島の、自衛隊の駐屯地の話が、白紙になった。

与那国の人たちが、望むのなら、米軍基地を、与那国に、移転することも、可能である。

与那国の人たちは、実感として、国境を意識している。
中国船、その艦隊などが、見える位置にあるのである。

何故、与那国島に、移設しないのか・・・それが、疑問である。

私は、引き続き、時間を見つけて、沖縄追悼慰霊を、行いたいと思う。
そして、日本人として、戦い、更に、日本人として、惨殺された人々の霊位に対して、日本の伝統作法により、清め祓いを、行う。

ある、ビーチでは、砂と、遺骨が、混じり合い、とても、気味の悪いビーチになっていると、聞く。
さらに、集団で亡くなった人々の場所、そして、洞窟などなど・・・

それなりに、供養という言葉で、行事が行われているが、供養によって、清め祓いは、行われない。
つまり、高位霊位による、導きがなければ、それは、出来ないことなのである。

お経を唱えても、霊位に伝わるだけである。
しかし、霊位は、それでは、ただ、慰められる程度であり、その場から、逃れられないのである。

大切なことは、霊位を、その想念を、解き放つこと。
上位霊位によって、引き上げを願うことなのである。

皇祖皇宗の、名によって、引き上げを、願う行為を、誰も成してはいないのである。

勿論、色々な宗教の、信者がいただろう。
それは、それである。
それぞれの、宗教のいう、天国や、極楽に、行く霊位は、それで、いい。

しかし、日本人として、死んだという意識は、日本の伝統作法により、引き上げることが、最も、理想である。

沖縄の基地の、問題を考える時、決して、多くの人に、理解されない、このようなことを、私は、考えている。

敗戦から、今年で、65年である。
未だに、さ迷える霊位が、想念があるとしたならば・・・

あまりに、あはれ、である。


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ジャカルタ・スマトラ島・パダンへ 15

パダン、三日目の朝である。

七時から、食事が出る。
私は、ロビーに出て、フロントの女の子に、挨拶する。
シラマッパギ
女の子は、とても、愛想がいい。

今日は、どうしますか
コーヒーと、エッグ

パンの中に、玉子焼きを挟んでくれるのだ。

ロビーを抜けて、中のテーブルにつく。
その間も、従業員が通る。
すべて、男子である。
パギと、挨拶する。

12時間労働をしている。
仕事があるだけで、良いのである。

パダンは、80万人都市である。
だが、今回の地震で、10万人が、職を失う。更に、地震の怖さで、街を出た者も、多いという。現在の人口は、誰も、解らない。

職を失った、若者たちが、街の至る所で、たむろしている、風景を見た。

何せ、街一番のデパートが倒壊したのである。
街の中心部に出掛けたが、デパート周辺では、バザーが、行われていて、大変な混雑だった。

その職員だけでも、大量である。更に、ホテルが、ほぼ全滅である。
三階建てのホテルは、今は、無い。

フロントの、女の子は、言う。
インドネシアは、貧乏な国です。パダンのために、出してくれるお金は、わずか。更に、州政府も、無理です。

多くの倒壊した建物は、そのまま放置されているという、状態である。
街の至る所、瓦礫の山である。

本当は、死者数も、分からないのだという。
近くの村では、土石流に飲み込まれた人が、大勢いるが、政府は、流された人の、捜索を、打ち切った。

私の前に、コーヒーと、パンが、運ばれて来た。

コーヒーは、たっぷりとした、ポットに入っている。
まず、コーヒーを飲む。

他の、客は、いない。

このホテルの、持ち主は、オランダ人である。
それを、任せられている、おばさんがいる。
ただ、いるだけの、存在である。

従業員が、一致協力して、仕事をしている。
大切な職場なのである。

ホテルは、平屋であるから、奥が長い。
更に、意外に、泊り客も、多いと、知る。

中には、パダンを故郷として、ジャワ島などで仕事をする人が、里帰りしても、家が無くなってしまったため、泊まっているという人もいた。

パンを食べて、私は、コーヒーポット、カップを持って、ロビーに出た。
ソファーに座り、タバコを吹かして、コーヒーを飲んでいた。

すると、一人の、若者が、声を掛ける。
英語である。

最初が、面白かった。
日本語の歌が、歌えるというのである。
そして、歌った。
確かに、日本語の歌である。

有名な歌だというが、私には、解らない。
だが、日本語である。

彼は、23歳、ホテルの泊り客の、イギリス人の、サーファーガイドをしている。
更に、彼の、父祖は、日本人である。
ここに、日本軍が来た時、彼の祖父と、祖母が恋をした。

そして、彼の父親が生まれたのだ。

驚いたのは、彼のような、日系三世が、沢山いるということである。
更に、私は、彼の祖父の出身地を尋ねた。
北海道と、言うのではないか。

この、スマトラ島に来て、まさか、北海道という言葉を、聞くとは、思わなかった。
私は、急に、彼に親しみを覚えた。

その彼の、父母は、今回の、地震で、亡くなった。
彼は、三人の下の兄弟たちのためにも、働かなければならない。
特に、被害の受けた村に、住んでいた。

ガイドの仕事は、三日間で、20万ルピア、2000円だ。

彼が、日本語の歌を歌うという、行為に、私は、なにか、胸に迫るものがあった。
彼の中の、日本人の血である。

その時、イギリス人が、部屋から、出てきた。
パギと、挨拶した。
あちらも、礼儀正しく、挨拶する。

握手を求めてきた。
私は、サーファーの初心者で、今回はじめて、ここで、サーフィンに挑戦していると、言った。

私は、日本語で、相槌を打った。

二人が、出掛けた。

その後、日系の彼と、会うことになる。
そして、また、面白い展開があった。
また、そのイギリス人とも、帰りの、ジャカルタの飛行機が同じで、言葉を、交わした。

旅にて、出会う、そのこと、実に面白い。

実は、この旅日記に、書かない話も多い。しかし、それを、全部書いていると、終わらない。省略して書いている。
もし、私が、原稿料を貰う仕事をしていたら、書いていたはず。
報告という、意味で、この旅日記を、書いているのである。


2010年01月16日

もののあわれ 476

かかる程に、かの家あるじ大弐になりぬ。むすめどもあるべき様に見置きて、下りなむとす。この君をなほもいざなはむの心深くて、叔母「はるかにかくまかりなむとするに、心細き御有様の、常にしもとぶらひ聞えねど、近き頼み侍りつる程こそあれ、いとあはれにうしろめたくなむ」など、ことよがるを、さらにうけひき給はねば、叔母「あなにく。ことごとしや。心一つに思しあがるとも、さる藪原に年経給ふ人を、大将殿もやむごとなくしも思ひ聞え給はじ」など、怨じうけひけり。





そうしているうちに、その家の主人が、大弐という、位になった。
娘たちを、適当に縁づけて、赴任しようとする。この姫君、末摘花を、誘う気持ちが強く、叔母は、遠くへ赴任しようとするので、淋しい様子を、常にお尋ねしなくても、近いという、気やすめがあった間は、ともかく、なんとも、気の毒で、気がかりです。と、うまいことを言うが、姫君は、承知しないので、叔母は、ああ、憎らしい。偉そうにして。自分ひとりが、お高くとまっていても、あんな原野で、長年過ごしていた人を、大将殿も、姫君扱いは、されないでしょう、と、怨み、呪うのである。





さる程に、げに世の中に許され給ひて、都に帰り給ふと、天の下の喜びにて立ち騒ぐ。われもいかで、人より先に、深き志を御覧ぜられむ、とのみ思ひ競う男女につけて、貴きをも下れるをも、人の心ばへを身給ふに、あはれに思し知る事さまざまなり。かやうにあわただしき程に、さらに思ひ出給ふ気色見えで月日経ぬ。



そのうちに、源氏には、お許しが出て、都にお帰りになさるとて、世の人すべてが、喜びとして、立ち騒ぐのである。
自分も、なんとかして、人より、誠意のあることを見ていただこうと、先を争う男女、身分の貴賎を問わず、人の心の動きを察して、人とは、このようなものかと、解ることが、多い。このように、慌しいうちに、姫とのことは、全く思い出さない。
そして、月日が経った。




「今は限りなりけり。年頃あらぬさまなる御様を、悲しういみじき事を思ひながらも、萌え出づる春に逢ひ給はなむと念じわたりつれど、たびしかはらなどまで喜び思ふなる、御位あらたまりなどするを、よそにのみ聞くべきなりけり。悲しかりし折のうれはしさは、ただわが身一つのためになれると覚えし、かひなき世かな」と心砕けてつらく悲しければ、人知れずねをのみ泣き給ふ。




末摘花は、今は、もう、おしまいだ。長年の、御不運の身の上を、悲しく、酷いことだと思いつつも、やがて、運の開ける春にめぐり逢っていただきたいと、祈っていたが、下賎な者まで、喜ぶと言う、君の官位昇進のことなどを、自分は、人事のように聞いていなければ、ならない。あの悲しかった時の、辛さは、ただ、自分ひとりのために、起こったのだと、思われたのに、そのかいもない、世の中だ。と、がっかりして、堪らなく悲しいので、人知れず、声を立てて、泣くのである。




大弐の北の方、叔母「さればよ。まさにかくたづきなく、人わろき御有様を、数まへ給ふ人はありなむや。仏聖も、罪軽きをこそみちびきよくし給ふなれ。かかる御有様にて、たけく世を思し、宮、上などのおはせし時のままにならひ給へる御心おごりのいとほしきこと」と、いとどをこがましげに思ひて、叔母「なほ思ほし立ちね。世のうき時は見えぬ山路をこそは尋ぬなれ。田舎などはむつかしきものと思しやるらめど、ひたぶるに人わろげには、よももてなし聞えじ」など、いとことよく言へば、むげにくんじたる女ぱら、女房「さもなびき給はなむ。たけきこともあるまじき御身を、いかに思して、かく立てたる御心ならむ」と、もどきつぶやく。




大弐の北の方である、叔母は、それ見たことか。一体、このように、頼りなく、みっともない、様子の方を、誰が相手にされるだろう。仏や聖でも、罪の軽い人こそ、よく導いてくださるとか。あんな様子で、偉そうに構えて、父宮や母君が、いらっしゃった時と、同じに、振る舞う、高慢さが、気の毒だと、いっそう、馬鹿な人だと思い、矢張り、決心なさい。うまくゆかない時は、何も聞えない、山奥に入るものだと、申します。田舎など、嫌なものだと、思うでしょうが、悪い扱いは、決してしませんよと、上手に、持ち込む。滅入っている、女房たちは、ご承知くださればいいのに。どうせ、大したこともない、身の上。一体、どうして、こんなに意地を張るのでしょうと、ぶつぶつと、非難するのである。





侍従も、かの大弐のをひだつ人語らひつきて、とどむべくもあらざりければ、心よりほかに出で立ちて、侍従「見奉り置かむがいと心苦しきを」とて、そそのかし聞ゆれど、なほかくかけ離れて久しうなり給ひぬる人に頼みをかけ給ふ、御心のうちに、「さりとも、あり経ても思し出づるついであらじやは。あはれに心深き契りをし給ひしに、わが身はうくて、かく忘られたるにこそあれ、風のつてにても、わがかくいみじき有様を聞きつけ給はば、必ずとぶらひ出で給ひてむ」と、年頃思しければ、おほかたの御家居も、ありしよりけにあさましけれど、わが心もて、はかなき御調度どもなども取り失はせ給はず、心強く同じさまにて念じすぐし給ふなりけり。





侍従も、大弐の甥という者から、口説かれて、都に残して置けそうにもないので、不本意ながら、出発することにした。
侍従は、お残し申して、参ります。大変心配ですがと、お誘いするが、矢張り、姫は、遠のいて、久しい源氏に望みをかけていると、思う。
その心の中では、いくらなんでも、年が経つうちに、思い出してくださるのではないかと思う。あはれに心深き契りを・・・しみじみと、情けをかけて、約束されたのだから、我が身の不運から、このように、忘れ去られているものの、風の便りにでも、自分の、この惨めな様子を耳にされたら、きっと、尋ねてくださるだろうと、この年月、そう思い続けて、いる。
御殿も、以前より、更に荒れ果て、酷くなったが、自分からは、ちょっとした、道具なども、無くさないようにして、強情に、変わらぬ状態で、耐え忍んで、過ごすのである。

会話と、心の内を綴る、源氏物語の、文は、見事に、美しい。





ね泣きがちに、いとど思し沈みたるは、ただ山人の赤き木の実ひとつを顔に放たぬと見え給ふ。御そばめなどは、おぼろげの人の見奉りゆるすべきにもあらずかし。くはしくは聞えじ。いとほしう物いひさがなきやうなり。




涙にくれて、思いに沈むさまは、まるで、山がつが、赤い木の実を、ひとつ、顔につけているように見える。横顔などは、当たり前の人では、我慢できる容貌ではない。
詳しいことは、申し上げないで、おきます。とは、作者の、姫に対する、敬語である。
なんとも、お気の毒で。
口が悪いようです。

作者の、姫に対する、感想であるが、赤鼻のことを言っている。
鼻が、赤い木の実を、つけているようだと。山がつ、とは、猟師や樵のこと。
随分、きつい、言い方である。



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最後の沈黙を破る 46

霊能力と、悟りは、全く別物である。

更に、霊能力は、大半、魔が、関与する。
釈迦仏陀は、それを、最も嫌い、弟子たちに、霊能力を使うことを、禁じた。

霊能者は、そのレベルで、霊を見る。
そのほとんどが、想念界、幽界であり、地獄界である。

その上の、レベルなどを、見ることは出来ない。
そして、その、人格である。
それも、霊能力とは、別物である。

更に、霊能力の背後にある、霊的存在である。

まともなものは、ほとんどいない。

大乗仏教の、作者たちも、霊的能力に欠けていたゆえに、とんでもない、場所にて、仏陀を登場させるという、お話を書いた。

これについては、神仏は妄想である、に、再度、取り上げる。

修験道という、霊的修行をするもの達がいる。
円の行者が、その、祖である。

山岳信仰ともいう。
確かに、山岳信仰というものは、一つの、形態であるが、とても、ついてゆけない。
彼らは、荒行をする。
そして、性格を頑固にし、偏狭にする。

レベルの低い、天狗に、取り込まれる。

密教系の修行者も、似たようなことをする。
これも、危険である。
しかし、前世の記憶からか、そういう、修行から、抜けられないでいる。

禅による、霊能力もまた、魔境によるものが、大半である。
法華経になると、終わっている。
成仏させるという、とんでもない、妄想に執り付かれる。

成仏とは、本人の問題であり、他者が、どうこうと、出来るものではない。
仏教の、根本を知らない。

払い除けることは、出来ても、成仏などという、境地に達することは、出来ないし、また、そのような世界は無い。

交通事故多発地帯に、幽霊が出ることは、警察署などでは、当たり前の事実。
そこで、秘密裏に、僧侶に頼み、読経させる。
そして、幽霊を、成仏させたと、思い込む。

ただ、浮遊する、霊の、場所を移動しただけである。

日本には、祓い清める、所作が、伝統として、ある。
それは、上位霊位によって、成される。

読経は、一時的なものである。

それならば、心ある人たちが、黙祷したほうがよい。

霊界になると、宗教の所作は、通用しない。

全く、異質の世界である。
想念の世界である。

霊界まで、見渡せる、霊能者は、少ない。

霊能者の、背後を、見ると、魑魅魍魎や、化け物、妖怪のような、存在が多い。
極めて、気持ちの悪い存在が、後押ししている。

はじめは、良いが、次第に、悪くなる。
よい影響は、手始めであり、その後は、徐々に、悪くなるのである。

霊能者と、長く付き合いをする人はいない。

人間の、悩みが、幽界レベルであるから、霊能者という名目で、商売が出来る。
幽界レベルとは、迷える霊の世界である。

また、そこから、情報を得るために、ろくでもない、情報を得る。
恐ろしいのは、宗教に似た団体を、作り、教組になる者である。

それらは、必ず、立派な建物を、作る。
背後の霊が、それを求めるからだ。

稲荷明神ならばいいが、その下の下の、単なる、野狐などは、手に負えない。
それらの宗教は、多く、分派する。
手かざしなどをする、団体に多い。

伊勢外宮の、豊受大神が、その稲荷大明神の大本である。
農耕の神、食べ物の神であり、多くの、幸福を願う事が出来る。

その、豊受大神とは、恐れ多いので、その眷属に、御願いすることになる。
それが、稲荷信仰である。
その、表現は、お狐様である。

昔は、狐が、憑いたといわれて、恐れられたが、今は、そんなことは、あまりない。
現代人は、狐が憑くほど、暇ではない。

しかし、それが霊能力を発揮することがあるから、面倒である。

今回は、龍神の話は、省略する。
龍神とは、とてもじゃないが、格が高いのである。

その辺の、霊能者に憑く、程度の、龍神は、生まれたてのような、ものである。

本来は、龍神と、表現しないほうがよい。
龍は、生命エネルギーの元であり、その姿が、龍の形を取る。
元神と、呼んだ方がよい。
天地自然は、この生命エネルギーの、発露である。

霊能力を求めて、インドなどに、行くと、必ず、大半の人は、狂う。

その手前で、帰国した人は、賢い。
私は、何人も、危ないと感じて、インドから、戻った人を知っている。正解である。

幽体離脱をして、戻れなくなり、精神病になる者、多々いる。

釈迦仏陀を、尊敬するのは、そのような、インドという地にて、あの心を見詰める、あり方を、説いたからである。

その、苦労は、計り知れない。

後、一年生きられるはずが、遂に、魔にやられて、命を落とした。
仏滅である。

その魔は、共にいた、弟子から、発せられたものである。
あの、仏陀にしても、そのようなのである。

読経をして、霊能者を任じる者には、特に、注意すべきである。
霊界に向かう霊位には、読経は、単に、喧しい音となる。

心霊の知識を知らない、宗教というのは、本当に、手が付けられない。
以後、また、書き付けることにする。

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ジャカルタ・スマトラ島・パダンへ 16

その日は、ビーチに突き出た、ヌラバヤ公園に出掛ける。
昨日、支援した場所から、川を渡り、向こう側に行く。

暑くなる前、昼前に出ることにした。
しかし、日差しは、強い。

支援物資の、バッグを二つと、日の丸を掲げて、行く。
昨日、支援した場所を通ると、おじさんの一人が、私に手を振り、ズボンを示して言う。
サンキュー
ああ、差し上げた物を、履いているのだ。

私たちは、漁師たちのいる、場所に行き、向こう側へ行きたいと、言うと、オッケーと、答えるので、船に乗ることにした。

ところで、幾らか。
料金を尋ねると、一人の、おじさんは、8万ルピア、そして、もう一人の、おじさんが、10万ルピアという。

何で
向こう側に、行くだけなのに・・・

船が、私たちに、向かってくる。
一寸、待って。

何で、10万ルピアなんだ・・・・

私は、冗談じゃあない。向こう側に渡るのに、何で、10万ルピア、1000円も、かかるのだーーーーと、叫んだ。
そして、更に、何言ってんだ。冗談じゃあない。10万ルピアなんて、冗談じゃあない。

私の剣幕に、驚く、漁師たち。

船が近づいたが、私は、そこを立ち退いた。
コータが、後に続く。

更に、冗談じゃあないと、大声を上げた。

そこから、少し歩くと、向こう側へ渡る、渡し舟がある。
少年二人が、やっていた。
幾らと、聞いた。
5000ルピア、50円である。

後で知るが、漁師たちは、クルーズをさせたかったようである。
川から海に出て、戻り、向こう側に付けるという。

彼らは、大声を嫌うらしい。
相当に、驚いたと、思う。
何せ、私の声は、ただでさえ、大きいのである。

川を渡り、私は、すぐに、川と海の間で、慰霊の儀を行った。
日の丸を掲げて、清め祓いの、祝詞を唱える。

周囲の人も、注目である。
子供たちも、多数集まった。

小さな、市場で、魚の競りをしていた。
漁師たちが、そこで、捕れた魚を、売るのである。

そこを通り過ぎて、一つの、入り口に向かった。
小屋が、立ち並ぶ。

小高い山の、麓になる。

まず、最初の、小屋から、衣類が必要ですかと、問う。
すると、すぐに、人が集った。

それから、先は、無我夢中である。
若い男が、赤ん坊の、衣類が欲しいと、言ったのが、印象的だ。

次から次と、人が来た。
その集落の人々に、伝わったのか、人が大勢、詰め掛けた。

私は、汗だくになり、バッグから、衣類を取り出した。

コータが、写真を撮るが、ある、おじさんが、ここは、昔日本軍の、要塞だったと言う。
その、おじさんが、私たちを、誘導した。
すると、何と、防空壕や、大砲のある場所がある。

私が、感動したのは、汗だくの、私に、一人の、おばさんが、小さな水の、冷えたペットボルトを、持ってきたことだ。

そこでは、ペットボトルの水は、普段は、飲まない。とても、貴重なものである。
それを、私に、渡してくれた。

更に、おじさんは、私たちに、日本軍の道を案内した。
しかし、私たちは、道が、分かったので、上まで、歩いてみると、案内を、遠慮した。遠慮して、良かった。
歩いて、それが、とんでもなく、長い道であることを、知った。

浴衣を着ていた私は、汗が噴出して、絞るほどになった。
更に、上に向かうと、心臓が、飛び出しそうになる。
コータが、心配して、私を、制する。
しかし、歩みを止めると、先に進まなくなると、私は、登った。

不整脈の心臓が、高鳴る。

日本軍が、この、小高い山を、要塞にして、防御していたのである。

ついに、上まで、登った。
そこは、パダンのビーチが、見渡せる場所である。
ああ、ここなら、海岸に、近づく、敵を、すぐ、見つけられることが出来る。

美しい、パダンの、海が見渡せる。
無人島が、沢山ある。

私は、その頂上で、祝詞を唱えた。

丁度、昼時だった。
地元の、恋人であろう、若い男女が、昼ごはんを、食べていた。

私たちは、その、頂上で、写真を撮るために、男に、声を掛けた。
彼は、快く、私たちを、写してくれた。

今度は、下りである。

私は、下る時に、日の丸を掲げて、日本兵の苦労を、思い、祝詞を唱え続けた。
途中、中途で、止まり、祈る。

祈る。
祈る。

遠く、故国を離れた、日本兵の、思念を清め祓う。

すでに、多くの方は、亡くなっているだろう。
戦闘は、少なかったはずである。

そして、下り、先ほど、小屋が建つ場所に戻ると、皆さんが、待っていた。
感激した。

言葉は、解らないが、慰労してくれる。

日本軍の、要塞跡の、上に立てた小屋は、地震でも、倒れなかったという。

実に、頑丈に建てたものである。

皆さん、親切だった。

防空壕や、砲台のある場所で、写真を撮ってくれた。

日本軍によって、殺されたインドネシア人もいるのである。
日本軍の、統治に反対した人々である。

しかし、反日感情は、希薄であり、逆に、親日感情が、厚い。
何故か。
それは、日系人が、多いのである。

尋ねると言うが、尋ねないと、言わないのである。

私は、あの、大東亜圏という、意識を、再度、確認した。

何故、私という、日本人に、やさしく接するのか・・・
彼らの中に、日本と言う、イメージが、悪くないのである。
インドネシア独立戦争に参加した、日本兵の存在が、大きいことは、言うまでも無い。

2010年01月17日

神仏は妄想である 319

神の死の神学は、その否定の意図において注意されるべきである。・・・
彼らは、そのかぎりにおいて、神学的な冒険をなしており、キリスト教的な無神論者として生きてゆこうとする者を支えようとする配慮を、牧会的に行ってはいない。しかし、ここでの否定は、冒険と改革のためゆえの否定であって、破壊のための破壊でも、否定のための否定でもない。・・・・神の死をとらえたのは、神学にはプロでない大衆であった。新しい神学者たちは、また、自らが楽をするために神を否定しようとするものでもない。われわれは、彼らが、現状維持という、現体制的なキリスト教界内での常識的な安らぎを誘惑としてしりぞけつつ、創造的な否定を指向していることを見てとるべきである。
小原 信

創造的な否定を指向するという。

それが、以前、書くはずだった、箇所、
われわれは、自らの生き方については、結局は、自らのおかれた状況のなかで、何が求められており、自らに何ができ、何をなすのがふさわしいか、を「状況」のなかで判断し、自己決定するほかはない。真理は形式的な原理のなかではなく、具体的な状況のなかにあるからである。だが、たんに状況を見よ、というのではなく、状況のなかに論理を入れつつ、他方、論理のなかに状況を入れる弁証法性が大切であるということは言うまでもない。
小原 信

キリスト教の原点とは何か。それを自らで模索せよ。神の死の神学は、われわれにこのことを教えてくれる。自明にして普遍的なる神などどこにもいない、のである。
小原 信

前回も、この部分を書いた。

普遍的なる神などどこにもいない。

と言いつつ、結局は、キリスト教という、世界の中での、出来事なのである。

それは、
神もしくは超越的なものなしに、哲学することはできない。
と、小原氏は言うのである。

これを、読むと、彼らが、より、仏教に近づいてきているようである。
キリスト教神学者は、仏教の、底の見えない、滅茶苦茶な、仏教教義を、知るべきである。

要するに、既存の、教会権威に対する、反乱である。

カトリックにも、プロテスタントにも、その教会に対する、プロテストである。
その過程の中に、どうしても、神とか、イエスとかを、組み入れなければ、話しが進まないという、蒙昧である。

勿論、小原氏は、より、時代性に合う、キリスト教というものを、模索している、神の死の神学を、解説しているのであろうが、結局、神観念から、抜けられないでいる。

神もしくは超越的なものなしに、哲学することはできない。というのである。

論旨は、理解するが、矢張り、既存の、教会教義、神学教義からの、脱出であろう。最初から、そんなものは、無いものだと、考えられないのである。

勿論、哲学なども、哲学から、更なる哲学が、つまり、弁証法によってなる。

何も無いところからは、何も、生み出せないということなのであろう。

「神の死」を言うラディカリズムは、その哲学化において、弁証法的な思惟を援用しているのである。結論から言えば、弁証法的な思惟の適用される領域(もしくは次元)が哲学としても新しさを持つと言うことである。二十世紀の哲学としての論理実証主義(分析哲学)は、観念論に対抗して経験を重んじ言語の分析を行ってきたが、弁証法をもたない哲学である。

神の死の神学者たちがキリスト教を弁証法的に考察するとは、否定が肯定に結びつく否定になること、正統との緊張感を保った異端になることをわきまえつつ、「原点」を創造的に指向するがゆえに、前衛的になることをいとわぬダイナミズムをもつことなのである。
小原 信

非常によく、分析されている、論文であるが、結局、新しい、信仰のあり方であり、人生論である。

そのようにして、哲学が、進化してきたのであろう。
更に、神学も・・・と、いいたいが、妄想の、神学体系を、変更できるものではない。

それとも、全く新しい、神学の、創造ということか。

新しい神学がたたかうのは、この聖と俗の二分法なのである。俗の中の聖、いまのなかのかつて、生のなかの死など、これらは、弁証法の有無ではなく、弁証法の適用の仕方の多様性を認めれば当然出てくる考え方である。
小原 信

この方は、矢張り、仏教、日本仏教でもいいから、学ぶべきである。

もう、仏教は、それを超えて、遥かに行っている。

そして、その仏教も、瀕死の状態なのである。

この世はわれわれの主体的な努力次第で、キリストが住みもし、住まなくもする。文化のなかに、キリストを見出しつつ、キリストが文化そのものを変革しつつあると信じる者は、世俗化されたこの世をふたたび聖化することができる。
小原 信

新興牧師の説教に、聞こえる。

世俗化、即、仏の世界である。
と、仏教は、解く事が出来る。

神の死の、神学を、批判し、評価する、哲学的態度は、評価する。
しかし、結果は、世俗化された、この世を、再び、聖化するとは・・・

勿論、それぞの、人の心が、為すことであろう。
それを、神の死の、神学を通して、語るのである。

われわれは「神の死」が人々の「かつて聞いたこともない個々人の内面的孤独化の感情」をひき起すかもしれないことを承知せねばならない。人はすべて、ほんとうは孤独なのである。・・・神すらいない世界に、働くこともなくレジャーをもつ現代人は未曾有の淋しさをもつのである。
小原 信

これは、今更である。

神が存在した、時代の人々は、孤独感を持たなかったのか・・・
そんなことは、無い。

更に、孤独化である。
そんなことは、有史以来の人の存在のことである。

ご苦労なことです。
次ぎは、アメリカの、キリストは死んだか、というタイトルで書く、各界の人たちの、言葉を、見ることにする。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第7弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もののあわれ 477

冬になり行くままに、いとどかきつかむかたなく、悲しげにながめすぐし給ふ。かの殿には、故院の御料の御八講、世の中ゆすりてし給ふ。ことに僧などは、なべてのは召さず、才すぐれ行にしみ、尊き限りを選らせ給ひければ、この禅師の君参り給へりけり。帰りざまに立ち寄り給ひて、禅師「しかしか、権大納言殿の御八講に参りて侍りつるなり。いとかしこう、生ける浄土の飾りにおとらず、いかめしうおもしろきことどもの限りをなむし給ひつる。仏菩薩の変化の身にこそものし給ふめれ。五つのにごり深き世になどて生まれ給ひけむ」と言ひて、やがて出で給ひぬ。言少なに、世の人に似ぬ御あはひにて、かひなき世の物語をだにえ聞えあはせ給はず。「さてもかばかりつたなき身の有様を、あはれにおぼつかなくて過ぐし給ふは、心憂き仏菩薩や」と、つらう覚ゆるを、「げに限りなめり」と、やうやう思ひなり給ふに、大弐の北の方、にはかに来たり。





末摘花は、冬になって、ゆくにつれて、いよいよ、すがるところなく、悲しみに沈み、日を送っている。
源氏の殿様は、故院の、みはこうを、世の中が、騒ぎ立てるほど、盛大にされる。とりわけ、僧などは、並々のお召しではなく、学才すぐれ、修行を徹した尊い者ばかりを、選んだので、この、禅師の君が、参上されて、帰りがけに、末摘花の、姫君のところに、立ち寄った。
禅師は、これこれ、かようのことだった。権大納言殿の、みはこうに参っておりました。たいそう、尊く、浄土の姿そのままに、荘厳、趣向の限りを尽くしていらした。源氏の君は、仏菩薩の、化身であろう。五濁に深く染まる、この世に、どうして、お生まれになったのか。と、言い、そのまま、お帰りになった。
言葉少なく、普通の兄弟とは、違って、とりとめない、世間話などは、しないのである。
それにしても、こんなに不幸な、私の暮らしを、かわいそうだと、放っておくなんて、ひどい仏、菩薩様だと、辛く思うので、ああ、これは、もう縁がないのだろうと、姫君も、考える。そんな時に、突然、大弐の北の方が、やってきた。





例はさしも睦びぬを、誘ひ立てむの心にて、奉る御装束など調じて、よき車に乗りて、面もち気色ほこりかに、物思ひなげなるさまして、ゆくりもなく走り来て、門あけさするより、人わろく淋しきこと限りなし。左右の戸もみなよろぼひ倒れにければ、男ども助けてとかくあけさわぐ。「いづれか、この淋しき宿にも必ず分けたるあとあなる三つのみち」と、たどる。





いつもは、それほど、親しくないのに、連れ出そうとする、下心があるのか、差し上げる、御装束などを、取り揃え、良い車に乗り、いかにも、得意げな顔つきで、余計なことを、考えず、予告無しで、車を走らせて来て、門を開けさせた途端、邸内は、実にみっともなく、淋しいこと。
左右の扉も、崩れかかって、倒れてくるので、供の、男どもが、手伝い、何とか、大騒ぎで、開けた。
この淋しい宿にも、必ず踏み分けた跡のある、三つのこみちは、と、探し出す。

三つのみち、とは、門と、井戸、厠に行く道のことである。





わづかに南面の格子上げたる間に寄せたれば、いとどはしたなしと思したれど、あさましうすすけたる凡帳さし出でて、侍従出で来たり。容貌などおとろへにけり。年頃いたうつひえたれど、なほもの清げによしあるさまして、かたじけなくとも、とりかへつべく見ゆ。




僅かに、南面の格子を上げた。一間に車を寄せたので、姫は、不仕付けだと、思う。
恐ろしく煤けた、凡帳を差し出して、侍従が出た。
顔の様子は、元気のないものだった。
近頃、酷くやせ細っているものの、垢抜けした教養ある様子が、姫と、取り替えたいほどに見える。




叔母「出で立ちなむ事を思ひながら、心苦しき有様の、見捨て奉り難きを、侍従の迎へになむ参りきたる。心憂くし思し隔てて、御自らこそあからさまにも渡らせ給はね、この人をだに許させ給へ、とてなむ。などかうあはれげなるさまには」とて、うちも泣くべきぞかし。されど行く道に心をやりて、いとここちよげなり。



叔母は、旅立とうと思い、気の毒な様子が、見捨てられず、今日は、侍従を迎えにきました。私を、嫌いになって、ご自分は、来られなくても、せめて、この人だけでも、お許しいただきたいと、思いまして。どうして、こんな酷い暮らしをと、言って、まるで、泣き出しそうである。しかし、大弐が、栄転して、赴任する旅には、満足し、内心は、気持ちがよさそうである。




叔母「故宮のおはせし時、おのれをば面伏せなりと思し捨てたりしかば、うとうとしきやうになりそめにしかど、年頃も何かは。やむごとなき様に思しあがり、大将殿などおはしまし通ふ御宿世の程をかたじけなく思ひ給へられしかばなむ、睦聞えさせむもはばかる事多くて過ぐし侍るを、世の中のかく定めもなかりければ、数ならぬ身は、なかなか心安く侍るものなりけり。及びなく見奉りし御有様のいと悲しく心苦しきを、近き程は怠る折ものどかに頼もしくなむ侍りけるを、かくはるかにまかりなむとすれば、うしろめたくあはれになむおぼえ給ふ」など語らへど、心解けても答へ給はず。




叔母は、亡き宮様がいらした時分は、私を不名誉な者と思い、いい加減になって、寄せ付けなかったので、疎遠になっていましたが、今までも、私は、いい加減に思ったことは、ありません。お姫様の、つもりなになって、大将様が、通いあそばす運勢では、勿体なく思われましたので、親しく思うのも、遠慮がありましたが、世の中というものは、このように、変わりやすいものですから、身分の低いほうが、気楽なものでございました。以前には、及びもつかないと、拝した身の上が、今は、たいそういたわしく、気の毒なので、近所にいる間は、ご無沙汰しても、いつか、お世話できると、思っていました。このように、遠くへ参りますので、後が気になって、たまらず、おいたわしく存じ上げます、と、語るのだが、姫は、打ち解けた、返事もされない。

物語の中で、当時の様子が、よく解る場面である。

女には、庇護者が必要なのである。
特に、身分の高い女たちは、世話をする男が、いなければ、この姫のような、暮らしになる。


posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第10弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

最後の沈黙を破る 47

8月3日、北海道教育委員会が、北教組の違法献金事件を受けて、道内の公立学校の、教職員を対象に、政治活動の実態などを、たずねた調査結果を明らかにした。

教職員は、地方公務員法、教育公務員特例法などで、特定政党を支持するための、政治的活動や、政治目的の、選挙運動への参加などが、禁止されている。

具体的内容に、関しては、省略するが、道教委は、北教組に対して、聴取や、文書回答に、応じるように、求めているが、現時点では、回答がないという。

その、北教組の、言い分である。

調査は組合活動へ介入する、不当労働行為で、教職員の思想良心の自由を侵害している。再調査や処分に反対し、道教組への、要請を強化していく・・・・

日教組、然り、北海道教職員組合も、全く、意味不明の、発言をする。

自分たちの、活動は、当然であり、教育委員会の、調査が、不当であるという。
そして、いつも、思想良心の自由を侵害すると、繰り返しいう。

問題が、何かという、ことではなく、常に、思想良心の自由の、侵害であると、掲げるのである。

それは、何も、今回に限らない。

国旗掲揚、国歌斉唱でも、そうである。

それは、思想良心の侵害であると、いう。

指導部が、多くの、組合員に対して、思想良心の自由など、認めないが、国や、その、機関には、思想良心の自由をと、謳う。

決して、人の話を聞かないタイプの人間というものがいる。
自分の価値観のみ、正当であるとする。

未熟な人間が、そうである。

共産主義思想というものが、そうなのである。

宗教から、生まれた、思想であるから、宗教と、同じような、思考になる。
私たちが、正しいのである。
まさに、一神教と、変わらない。

行けども、行けども、話しが、噛み合うことがない。

彼らは、子供たちに、国歌斉唱では、歌いたくなければ、歌わなくてもいいと、小学低学年の子供たちに、平気でいう。

それ以前に、国歌を、教えない。

子供は、家に帰り、親に、国歌って、何と、問う。

歌いたい子供たちをも、戸惑わせる。
実に、罪深いのである。

国際的な、礼儀作法も、教えないのであるから、始末に終えない。
そして、言う。
思想良心の自由を侵害すると。

兎に角、自分たちに、都合の悪いことは、思想良心の自由を侵害すると、言い続けている。

こういうのを、手に負えないという。
加えて、アホ、馬鹿、間抜け、に入る。

政治的行為は、法律により、禁止されている。
それを、前提に、調査するというものを、不当労働行為で、云々・・・

つまり、視点を、ずらす。
相手の、言い分など、聞き入れない。
そして、逃げ道は、いつも、同じである。

思想良心の自由を侵害する。

国旗、国歌法案を作り、法律で、やるしかないと、思ってしまう。
それほど、彼らは、不自由な、組織にいるのである。

自分たちは、どんな命令も従わせる。
しかし、相手の、命令には、従わない。

下手をすると、違法献金も、思想良心の自由であると、言いかねないほど、蒙昧なのである。

選挙運動は、今に始まったことではない。
すでに、何十年も前から、共産党支持を、訴えていた。

彼らは、何十年も、法律を犯している。
しかし、それが、彼らの、思想良心の自由なのである。

法律より、組合の規則が、先行するのである。

それらが、子供たちに、教育しているのである。
そして、60年ほどを、経た。

義務よりも、権利のみを、主張する、者が、多々存在する国になったのである。

悪いことは、すべて、国の問題であり、良いことは、我々の・・・なのである。

ここまで、頭が悪い者たちを、どのようにして、導くか・・・

組合は、本来の目的を、忘れて、久しい。

組織の力を、脈々と、作り上げて、一体、何をしようとしているのか。

偏狭教育を、正すべく、国会議員は、調査すべきである。
そして、法律によって、規制しなければ、ならない。

それでも、彼らは、いうだろう。
思想良心の自由を侵害する、と。

posted by 天山 at 00:00| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ジャカルタ・スマトラ島・パダンへ 17

山の頂上から、今度は、下山である。
冗談ではなく、私の浴衣は、汗が、垂れるほどである。

下山しつつ、私は、清め祓いの言葉を、唱えていた。
更に、地元の人の墓などもあり、慰霊をして、下山した。

私たちが、向かった後も、彼らは、私たちを、待っていてくれた。

丁度、日本軍の、大砲のある場所である。

おじさんや、若者が、二人いた。
おじさんと、若者が、コータに、説明している。

それぞれで、写真を撮った。
実に、親切だった。

私は、バッグの中を確認すると、ズボンと、シャツが、それぞれ、一枚ずつある。
若者の、一人に、それを渡した。

その付近は、街中とは、違う、スラムに近い感じである。

勿論、パダンには、そのような所が、多々あると、後で知る。

兎に角、私は、支援と、更に、思いがけない、慰霊まで、することが出来たのである。

その後で、今回の地震で、亡くなった方々の、慰霊の儀を、再度、ビーチで、執り行った。三度、慰霊の儀を、行ったのである。

下に降りて行くと、差し上げた人々も、待っていた。
皆、笑顔で、迎えた。

また、来ますねー、と日本語で、言う。

川の岸まで、戻った。
すると、一人の、おじさんが、渡し舟の場所を教える。
私は、再度、少年の、渡し舟に乗って、向こう側に戻った。
そのまま、ホテルへの道を歩いた。
今度は、ビーチ沿いではなく、街中へ向かう道を歩いた。

しかし、日差しと、疲れで、ミニバスに乗ることにした。
2000ルピア、20円のミニバスである。

部屋に入り、すぐに、浴衣を脱ぎ、シャワーを浴びて、浴衣、帯を、干すことにした。
帯まで、汗で、濡れている。

昼を過ぎていた。
一息ついて、ホテルの隣の、レストランで、食事をすることにした。

私は、ジャカルタで、買った、ワンピースの裾の長いものを、着た。
これが、一番楽だった。

フロントの、女の子が、それ、似合いますと、言う。
でも、女性用でしょう
大丈夫、似合えば、問題ないよ
それで、安心した。

レストランでは、パダン料理ということで、ボーイの提案するものを、注文した。

パダン料理の応用が沢山ある。
それらは、すべて、辛い。ただ、麺類で、ビーフンは、出汁のみの、味であるから、中和させて、丁度よい。

この頃は、日本を出て、和食を食べたいと、思うことが、なくなった。
現地の食べ物で、十分である。

私は、充実感で、一杯だった。
本当に、良かった。
すべての、予定は、終わった。それが、出来たことに、満足していた。

夕方は、街中に、出掛けて、バザーの様子を見ることにした。
それまで、部屋で休む。

部屋で、休んで、夕方、まだ、日の出ている間に、ミニバスに乗って、街中、中心部へ、出た。

一番大きな、デパートが倒壊した後に、人々が、それぞれ、店を出している。
とても、混雑していた。

コータが、髪を切りたいというので、美容室を探す。
何と、パダンで、一件のみという、美容室に入った。
他の、店は、皆、倒壊したという。

その店も、横の階段が、壊れていた。
かろうじて、ビルの、真ん中の階段が、使えるのである。

マッサージもある。
コータは、髪を切り、私は、マッサージを受けようと思ったが、何と、何人も、待っている。それぞれ、二時間以上待たなければならないという。

私たちは、諦めて、下に降りた。
そして、横にあった、麺類屋に入った。

白麺と、黄色麺があり、私たちは、黄色麺を注文する。
日本のラーメンの半分の量である。

それを、食べていると、物貰いの、子供が入ってくる。
私たちの、横に、小学四年生くらいの男の子が、立って、手を出す。

私は、お金は、上げないが、食べ物を上げることにした。
一緒に、麺を食べるかと、尋ねるが、いらないと、言う。
兎に角、しつこく、手を出す。

黙っていると、他の客を回り、また、私たちの、傍に来た。
もう一度、麺を食べるかと、聞くが、いらないと、言う。

少年は、少し諦めたのか、店の、上がり台に座り込んだ。

私は、少年の傍に行き、冷蔵庫を指して、ジュースは、いるかと、聞いた。
すると、頷く。
そこで、店員に、彼に好きな飲み物を上げるように言う。

少年は、一つの、ジュースを一気に、半分ほど、飲んだ。

ああ良かった。
更に、私は、少年に、麺を作る店の前の、厨房を差して、食べるかと、聞いた。
日本語である。
すると、少年が、頷く。

そこで、店主に、少年に、麺を上げることを言う。
少年が、店主に、何か言う。
注文をつけているのか。

私たちの、座ったテーブルに、座り、出来上がった麺類を前にした。
会計のおじさんが、ありがとうと、言えと、言っている。

私たちは、食べ終わったので、支払いをした。

少年は、照れながら、私に笑いかける。

こういう、ことは、至る所で、多々あることだ。
お金を上げても、彼のものにならない場合も、あるのだ。
大人が後ろにいて、巻き上げる場合もある。

だから、食べ物、衣類などを、上げた方がいいのである。

私たちは、少し、街中を歩いた。
瓦礫の山であり、中心部を、離れると、全く、森閑としている。

シャッターを下ろしている、店舗も多い。

もういいだろうと、ミニバスに乗って、ホテルに戻ることにした。


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