2010年01月08日

最後の沈黙を破る 38

アメリカ、一万百発、ロシア、一万六千発、イギリス、二百発、フランス、三百五十発、中国、二百発、そして、北朝鮮の核兵器は、プルトニウム型とされるもので、十数発。
イスラエルが、二百発、インド、パキスタンが、五十発。
世界の、核兵器の、現状である。

冷戦時代の、ピークは、約七万発の、核兵器が配備されていた。
そのうちの、九割が、アメリカと、ロシアが保有していた。

それは、地球の全人類を、25回も、殺害できる量である。

この、核兵器によって、戦争が、回避された。

もし、核兵器を使用すると、こちらも、相手国の、核兵器で、報復され、甚大な影響を受ける。

核兵器、廃絶に、友情と、信頼を持って、対処するというのは、夢のまた、夢物語である。

北朝鮮は、数百万の餓死者を、出しても、核兵器を製造した。
そして、アメリカとの、二国間協議を取り付けた。

核兵器を持つというだけで、アメリカが、簡単に動いたのである。
これが、核兵器の威力である。

日本は、核兵器に囲まれた。
そして、その日本では、核兵器、三原則として、作らない、持たない、持ち込ませないという。
アメリカの、核の傘にいるので、安心だと、信じているようだが、全く違う。

報復されてまで、アメリカは、日本が、核攻撃を受けても、使用することは、考えていない。
だから、日本が、アメリカの核に、守られているというのは、幻想なのである。

ほんの、一頃は、それもあったが、今、現実的ではない。

核兵器によって、核攻撃を受けないというのが、世界の常識である。
核抑止力である。

広島、長崎に、投下された、核兵器は、実験である。
その威力を、見るためのものだった。

戦争の早期解決云々ではない。

どんどんと、情報が、暴露されて、今、事実を冷静に見ることが、出来るようになった。

日本では、核兵器の有無の、議論も出来ないほど、ボケている。

アメリカの、オバマは、非核国には、核兵器を使用しないと、宣言した。
それは、核兵器を持つ国は、核攻撃をするということだ。

それでも、一歩前進したといわれる。

日本の、技術は、一年でも、核兵器を作ることが出来る。
だが、それを、恐れるのは、アメリカであり、中国である。

中国は、膨大な軍事費を使うが、日本が、軍事費を上げれば、猛烈に反発するだろう。

そして、平気で、日本海域に、やって来る。

台湾、そして、沖縄も、歴史的に、中国領だと、主張する、時期を見ているようである。

日本が、攻撃を受けた際に、核兵器を、使用しないというならば、日本は、核武装する必要がある。

それで、東アジア共同体が、対等の立場で、話し合うことが、出来るというもの。

でなければ、日本は、中国の支配下に、置かれる。

今は、独立国家として、名目上なっているが、本当は、アメリカの、支配の下にいる。
緩やかな、植民地支配である。

今までは、それで、良かった。しかし、これからは、考え直す必要に、迫られている。

ソ連が、核兵器を持った、いきさつは、アメリカの核開発である。
それを、ソ連に、教えた人たちがいた。
スパイである。
核兵器を使用できないように、ソ連にも、核兵器を作らせるべきだという。それによって、それを、使わない、情報提起だったと、考えられるのである。

核兵器を、廻る、戦後史は、実に、複雑怪奇である。

核兵器を、持つことで、戦争を回避するという、考え方があるということである。

日本の安全保障を、考えるならば、核兵器を、製造する用意があると、世界に喧伝する必要がある。

友情と、信頼で、核兵器を、無くすというのは、あまりにも、現実を、見ていない。

言った後から、嘘をつくことの出来る、中国を信じることなど、出来ない。北朝鮮も、然り。

中国も、北朝鮮も、命が、実に軽いものである。
自国民を、殺すも消すのも、朝飯前である。

中国が、直接、手を下さなくても、北朝鮮を、そそのかして、日本を、核攻撃させるという、方法もある。

アメリカが、北朝鮮の、核開発で、即座に、動いたのは、それが、テロリストに渡る事を、
極度に、恐れたためである。

また、パキスタンに対しても、慎重に介入するのは、それが、テロリストに渡ることを、恐れてである。

さて、一度、原爆投下された、日本は、再び、投下される、恐れがある。
それに、日本には、核が無いから、報復される心配もない。

アメリカの高官が、日本のために、核兵器を使用しないと、断言している。
ということは、日本も、核武装が必要であるということだ。

オバマが、核の無い世界を目指すことの、声明を出して、ノーベル賞を貰ったが、未だに、核の第一位の国である。

本当は、核の無い、日本が、発言すると、説得力がある。

ちなみに、核拡散防止条約の、非加盟国は、イスラエル、インド、パキスタンである。

そして、北朝鮮。
国を挙げて、偽札を作り、麻薬を、売る国である。
どんな、暴力的行為を行っても、不思議ではない。

更に、怖いのは、アメリカ国民の、一部の人たちだけが、日本の、広島、長崎の、原爆の、悲惨さを知るのみ。

アメリカが、作った、日本国憲法の、戦争放棄は、原爆の、報復を恐れたために、掲げた、条文である。
仕返しが、怖いのである。

しかし、日本は、脳天気に、アメリカの原爆投下、果ては、国際法に、違反してまでも、日本の各都市の一般市民を、攻撃したことを、忘れているのである。

こういう、日本人を、世界の人は、馬鹿、アホ、間抜け、糞ったれ、と呼んでいる。



posted by 天山 at 00:00| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ジャカルタ・スマトラ島・パダンへ 8

飛行機の、チケットの値段が、高くて、驚いた。
一人、一万程度である。

私は、他の、会社の安いチケットは、無いのかと、コータに言わせた。
そこでは、二つの会社しか、扱わないようだった。

結果、一人、9000円程度の、チケットに決めた。
それは、昼前の、便だった。
丁度よい。12時が、チェックアウトである。

さて、支払いの段になり、ルピアを出す。
二人の、お金を出しても、足りない。
すると、相手の男が、予約にしますと言う。
後で、持ってきてくださいと、なった。

両替は、そごうデパートの、地下である。
予約書を貰い、そのまま、そごうに向かった。
本当は、そのまま、タクシーを拾い、コータが出掛けたという、スラム街に出掛けるはずだった。

両替は、二万した。
パダンでも、両替が出来ると、ガイドブックに書いてあったからだ。多く、両替して、よいことはない。

そして、さて、このまま代理店に戻る前に、そごうデパートから、タクシーで、スラム街に出向き、そのまま、代理店に、行くことにした。
支援物資がないから、ただ、見るだけである。

タクシーは、すぐに、捉まった。
道を指し示して、向かった。

川の両側が、スラム街である。
橋の、真ん中で、車を止めた。
二人で降りて、写真を撮る。

日の丸を持参したので、日の丸を持って、撮った。
川縁に、垂れるように、家というか、小屋が、立ち並ぶ。

更に、そのスラムの中に入りことにした。

運転手は、親切だった。あまり、言葉が通じないが、私たちの、思いを、理解した。

スラム街の中に入り、車を降りた。
私は、身振りで、タクシー運転手に、また、戻るからと、告げた。車をユーターンして貰うように言うと、運転手は、理解した。

一件の、小さな小屋の、お店に入り、水のペットボトルを、買った。
そこの、家には、小さな三人の子供たちがいた。

丁度、彼らに合うサイズの服を、持っている。それに、ぬいぐるみも、である。
残念だと、思う。

周囲の人が、私たちの存在に気づいて、注視する。

写真を、撮ることにした。
子供たちと、一緒に、である。
一枚撮ると、横で、大きなボトルに、水を入れていた、おじさんが、俺も、撮ってくれと言っているように、聞こえた。
一緒に、写真を撮った。

周囲の人たちが、なんだかんだと、言う。
私は、ジャパンと、言った。
すると、皆で、頷いて何か言う。

私は、今度は、服を持ってきますと、身振りで言った。
何となく、通じたようである。

タクシーに乗り込むと、皆が、手を振る。
夜は、危険でも、昼間は、ご覧の通り、安全である。

名残惜しいが、そのまま、先ほどの、代理店に向かった。

今度は、運転手に、代理店の名刺を渡した。
運転手は、解ったと、走り出した。

メータは、9000ルピアに近くなっていた。
丁度、代理店の前に着いた。
10万ルピア、1000円を出して、お釣りは、チップとした。

代理店の若者に、足りない分を、出して、支払いが、終わった。
そのまま、また、そごうデパートに向かい、昼ごはんを食べることにする。

スラム街で、水を、大きなボトルに詰めていた、おじさんの、仕事の意味が解った。
スラムの、食堂に、水を売っていたのだ。

食堂といっても、小屋である。
そこでは、水を入れる、大きな入れ物がある。
その水で、洗い物をするのである。つまり、同じ水で、食器を洗うという、不衛生極まりないのである。

日本のように、水を出したまま、洗うことはない。

そういうこともあり、デパートで、食べることにした。

日差しに当たると、疲れる。
すでに、私は、日焼けしていた。見る見る、日焼けするのである。

ミーゴレン、焼きそばを食べて、アイスクリームを注文した。
タイでは、あまりの甘さだが、ジャカルタのものは、丁度よい甘さだった。
更に、ゼリー状の飲み物を、試しに、飲んでみた。

ジュース感覚で、飲む。大きな、ストローがついていた。
腹が一杯になり、ホテルに戻る。

ホテルフロントで、明日の、チェックアウトを、確かめる。
更に、タクシーの用意である。

朝、10時前に、出ることにした。
その日の、予定は、すべて、終えた。

2010年01月09日

もののあわれ 469

御息所「心細くてとまり給はむを、必ず事に触れて数まへ聞え給へ。また見ゆづる人もなく、類なき有様になむ。かひなき身ながらも、今しばし世の中を思ひのどむる程は、とざまかうざまに物を思し知るまで、見奉らむとこそ思ひ給へつれ」とても、消え入りつつ泣い給ふ。




御息所は、後に残る斎宮は、頼りにする人もいません、必ず、何かにつけて、面倒を見てあげてください。ほかに、お世話を頼める人もなく、こんな不幸な者は、いません。力もない私でも、もう少し、この世に生きていられたら、何とか、分別がつくまで、お世話しようと、思ったのですが、と、仰せられつつ、命も絶えるばかりに、泣くのである。




源氏「かかる御ことなくてだに、思ひ放ち聞えさすべきにもあらぬを、まして心の及ばむに従ひては、何事も後見聞えむ、となむ思ひ給ふる。さらにうしろめたくな思ひ聞え給ひそ」など聞え給へば、御息所「いとかたき事。まことにうち頼むべき親などにて見ゆづる人だに、女親に離れぬるはいとあはれなる事にこそ侍るめれ。まして思ほし人めかさむにつけても、あぢきなき方やうち交り、人に心もおかれ給はむ。うたてある思ひやり事なれど、かけてさやうの世づいたる筋に思しよるな。憂き身をつみ侍るにも、女は、思ひのほかにて、物思ひを添ふるものになむ侍りければ、いかでさるかたをもて離れて見奉らむ、と思ふ給ふる」など、聞え給へば、「あいなくも宣ふかな」と思せど、源氏「年頃によろづ思う給へ知りたるものを、昔のすき心の名残りあり顔に宣ひなすも、本意なくなむ。よし自ら」とて、外は暗うなり、内は大殿油のほかに物より通りて見ゆるを、もしやと思して、やをら御凡帳のほころびより見給へば、心もとなき程の火影に、御髪いとをかしげにはなやかにそぎて、寄り居給へる、絵にかきたらむ様して、いみじうあはれなり。





源氏は、そのような言葉がなくても、他人のように、扱うことはない。気のつく限り、万事、お世話をいたしましょう。決して、心配なさいますな、と、申し上げる。
御息所は、難しいことです。真実頼りにしてよいはずの、父親などに、後々の、世話をまかせてさえ、母親の手から、離れた娘は、かわいそうなものです。まして、あなたが、大切にしてくださり、世間に出して、下さる場合、つまらぬ嫉妬なども起こったり、他の女房から、疎んじられましょう。取り越し苦労ですが、決して、そんな色めいた事は、考えないでください。不幸な、私の身に、比べても、女というものは、苦労をするものです。この娘は、どうか、そんな心配は、一切、させずに、おきたく思います。などと、仰るので、君は、ずけずけ言うことだと、思うが、私も、この頃は、万事分別もできました。相変わらず、昔の浮気が、まだ残っているような、言葉は、心外です。まあ、いつかは、分かりましょう。と、仰り、外が暗くなり、内は、大殿油が、かすかに、物越しに透けて見えるので、もしやと思い、そっと、御凡帳のほころびから、覗くと、薄暗い火影の光に、御息所が、御髪を、美しく、尼そぎにして、物に、よりかかって、いるのが、絵に書いたようで、大変、風情がある。

いみじうあはれなり
とても、あはれ、とても、風情がある。前後の文章で、それを、判断する。





帳の東面にそひふし給へるぞ、宮ならむかし。御凡帳のしどけなく引きやられたるより、御目とどめて見通し給へれば、つらづえつきて、いともの悲しと思いたる様なり。はつかなれど、「いとうつくしげならむ」と見ゆ。御髪のかかりたる程、頭つきけはひ、あてに気高きものから、ひぢぢかに愛嬌づき給へるけはひ、しるく見え給へば、心もとなくゆかしきにも、「さばかり宣ふものを」と、思し返す。





帳台の東側に、横になっているのが、斎宮であろう。凡帳の、隙間から、目を留めて、奥を透かしてみると、頬杖をついて、物悲しい風情である。
少ししか見えないが、実に、美しいと思われる。髪の、着物にかかった、様子や、頭の形、感じは、上品で、気高い。小柄で、愛嬌があることが、はっきりと、解る。
君は、心引かれて、好奇心も湧いているが、あれほど、心配しているのだと、思い返すのである。




御息所「いと苦しさまさり侍る。かたじけなきを、はや渡らせ給ひね」とて、人にかきふせられ給ふ。源氏「近く参り来るしるしに、よろしう思さればうれしかるべきを、心苦しきわざかな。いかに思さるるぞ」とて、のぞき給ふけしきなれば、御息所「いと恐ろしげにははべるや、みだり心地のいとかく限りなる折りしも渡らせ給へるは、まことに浅からずなむ。思ひはべることを、すこしも聞えさせつれば、さりとも、と頼もしくなむ」と聞えさせ給ふ。




御息所は、大変苦しくなりました。失礼ですから、もう、お帰りください。と、仰り、女房の手助けで、横になる。
源氏は、お側に、伺ったかいがあり、軽くなるなら、嬉しいことですが、困ったことです。ご気分は、いかかですか、と、覗かれる。
御息所は、とても、怖い格好です。病の苦しさも、これが最後というときに、お越しになったのです。本当に、ご縁が浅くないのでしょう。心にあることを、少しなりでも、申し上げましたので、死んでもと、心強く思いますと、申し上げる。





源氏「かかる御遺言の列に思しけるも、いとどあはれになむ。故院のみこたちあまたのものし給へど、親しくむつび思ほすもをさをさなきを、上の同じみこたちのうちに数まへ聞え給ひしかば、さこそは頼み聞え侍らめ。すこしおとなしき程になりぬるよはひながら、あつかふ人もなければ、さうざうしきを」など聞えて、帰り給ひぬ。
御とぶらひ、今すこしたちまさりて、しばしば聞え給ふ。



源氏は、こういう、ご遺言を、たまわる者の中に、数えてくださったのも、ひとしお感じ入ります。故院の、御子たちが、大勢いましたが、親しく思ってくださる方など、まずもって、おりません。主上が、こちらを皇子と同じように、思い召してくださるので、私も、そのつもりで、妹君と、思いましょう。子を持ってよい年になりながら、育ててやる娘もなく、物足りない思いが、していました。などと、仰せになり、お帰りになった。
その後は、前より、お見舞いが増えて、たびたび、お訪ねになる。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第10弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

最後の沈黙を破る 39

労働組合という、組織は、権利ばかりを、主張して、更には、それに拘り続けて、ヤクザより、悪い見本であるということが、よく解る。

1987年の、国鉄分割・民営化に反対した、国鉄労働組合の、組合員らが、JRに採用されず、旧国鉄事業団からも、解雇された問題について、与党三党と、公明党の実務者が、国会内で、雇用関係の確認、更に慰謝料の支払いを求めている、原告団の代表と会談し、組合員一人当たり、2200万円を支払うなどの、解決案を提示したという。

総額は、200億円である。

国鉄の、組合員が、どんなことをしていたか・・・

子供時代でも、彼らの、行動が、許せなかった。
客を客として、扱うようなことはなかった。

更に、彼らの、行動は、信じられないの、一言である。

そのことについて、一々書くまい。

ただ、こうして、社会主義面をした、面々は、権利のみを、主張し、要求して、今の今まで、戦ってきたのだから、手に負えないのである。

そして、労働組合なるものは、おそらく、皆、そのようなものである。
組合貴族という、話しも多く聞いた。

それらの、生活は、経営者以上である。

日本は、民主主義国家であり、それに則って、対処して欲しいと、思うが、与党三党と、公明党が、というあたり、もう、道義も何もないのである。

公明党は、国を潰すほど、国のお金を、ばら撒くのが、好きなようである。
生活保護の一番の、大阪市などでは、公明党の議員に頼めば、スムーズである。

そうして、良いことをして、支援団体の、創価学会の会員を増やしているのだろうと、推測する。

いい顔をして、恩を売り、学会に、奉仕するのである。

さて、この売国奴たちのやることは、いずれは、国を滅ぼすことになるだろう。

どこかで、お終い、にしないと、国が、持たない。

原告団は、持ち帰って、受け入れるかどうかを、協議するというから、呆れる。
まだ、慰謝料が少ないとでも、言うのだろうか。

実務者側は、原告団に、解決策を受け入れ、すべての、訴訟を取り下げ、和解することを、求めたという。

更に、解決案には、JR各社に、約200名の、雇用確保を要請することなども、盛り込まれたという。

性根の悪い者を、雇えというのだから、社会主義である。

仕事もしないで、経営者側に、いちゃもんを、つける者どもを、雇えというのである。
ホント、日本は良い国である。

彼らは、管理者側に、悪態をつき、更には、ゴロツキ、嫌がらせをして、真っ当に働く者を、罵倒していた、連中の仲間である。

今の、日本には、そんな者どもに、大枚の金を払っている余裕はない。

放っておけば、そのうちに死ぬ。

本当に、唖然、呆然の、解決策である。

ある新聞の、社説では、ゴネ得と、書いてあった。
サヨク系の人たちは、本当に、ゴネるのが、得意である。

彼らを雇用するなら、もっと、良い人たちが、沢山いる。
この、雇用不安定の時期に、半端ものを、雇えとは、呆れる。


posted by 天山 at 00:00| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ジャカルタ・スマトラ島・パダンへ 9

翌朝、大量の荷物を、ロビーに運んでいると、警備のおじさんが、飛んできて、手伝う。
いつも、警備のおじさんとは、親しくなる。
言葉が通じないが、何となく、心に流れてくるのでる。

タクシーは、すぐに来た。
荷物を、乗せる。
ボーイも、手伝う。
私たちは、ごく普通の泊り客だった。

ネクストタイム スティ ヒァー
また、泊まると、言って、皆にさようならを、言う。

本当に、また、このホテルに泊まる予定である。
何せ、スラム街の、ど真ん中である。

今度は、一人で来ても、大丈夫。
ボーイたちが、協力してくれると、思う。
彼らは、12時間労働である。

だから、結構、仕事の合間に、楽しんでいる。

今回、私は、一切、チップを渡さなかった。しかし、彼らの態度は、変わらない。

三日目、四日目は、ボーイも、私にマッサージを、勧めなかった。
そういう、客ではないと、見たのである。

タクシー運転手も、親切だった。
荷物を下ろして、カートのある場所を示す。
私たちを、見送って、くれた。
きちんと、メータ料金である。

タクシートラブルが多いと聞いていた。
メータを、改ざんして、料金を高く取る。最初から、メータをつけず、望外な料金を、要求するだのと。

一度も、そんなことはなかった。

ジャカルタの空港は、五つある。
私たちは、国内線の、1Aである。

ライオン航空と、覚えやすい。
人で、溢れていた。

搭乗手続きに、すでに、人が並んでいる。
その、後ろに並ぶ。
それからが、大変だった。

列が進み、真ん中辺りに来たとき、停電である。

電気が、止まるということは、すべてが、止まる。
暗くなり、エアコンが止まり、更に、コンピューターが止まる。
手続き、中止である。

どんどんと、人が入って来る。

やっと、電気が戻る。
うぁーと、歓声が上がる。

そして、また、停電となり、人々が、うぁーと、声を上げる。
それが、暫く続いた。
皆、動き停止である。

私の二人前の人で、止まったまま。

おじいさんが、倒れる。
暑さと、人ごみのせいで、人々に、支えられた。
カートに、一時、体を横にする。

私も、イライラしてきた。
ついに、カウンターに行き、まだなの・・・と、日本語で言う。
女の子が、何やら言うが、解らない。

そのうちに、出発時間の迫る、飛行機が出た。

すると、カウンターから、声が上がる。
デンパサール行きの人、出てきて、というように、である。
手書きで、手続きが、はじまった。

私たちは、後回しである。

次は、どこそこの便が、出ます。
乗る人、出て来てと、叫ばれる。

混雑、混雑である。

私と、コータは、その間に、二度トイレに行った。

カウンターの女の子とも、顔知りになる。
ついに、私に、チケットを見せろと、身振りで、言う。

彼女が、チェックし始めたとき、電気が点いた。

うぁーーーーと、歓声である。

エアコンもついた。

よく解らないが、私たちが、優先された。
兎に角、荷物を、重量計に乗せる。
どさくさに、紛れて、どんどんと、乗せる。
そのまま、オッケー。
ほんとう・・・・大丈夫なの・・・・

しかし、搭乗券を、貰って、すぐに、その場を離れた。
そして、国内線の、使用料金を払い、乗り場に急いだ。

乗り場の前に来ると、通路の真ん中の、お姉さんに、呼び止められた。
何でも、一人、2万ルピアという。

私は、何で、払うの。今、払ったよ、使用料・・・

日本語である。
コータが、きっと、保険だよと、言う。

私の声が大きいのか、お姉さんは、黙った。
見ていると、払う人もいる。保険なのだ。

そして、待合室に、入る。

もう少し、時間がある。
そこで、タバコを吸う場所を、探した。
すると、一度、持ち物検査場を、出なければいけない。
警備のおじさんに、スモーキングルームと言うと、あっちと、示してくれる。
オッケーオッケーと、言われたので、そこを、出る。

戻ると、検査なしで、通してくれた。

人の視線が、チラチラ感じるのは、着物のせいである。
夏物、絽の着物を着ていた。


2010年01月10日

もののあわれ 470

七八日ありて亡せ給ひにけり。
あへなう思さるるに、世もいとはかなくて、もの心細く思されて、内へも参り給はず。とかくの御事などおきてさせ給ふ。また頼もしき人もことにおはせざりけり。古き斎宮の宮司など、仕うまつりなれたるぞ、わづかに事どもさだめける。




その後、七、八日にして、お亡くなりになった。
源氏は、張り合いなく、思い、人の命が儚く思われ、心細い思いで、御所にも、上がらず、法事などを、命じる。
宮家では、ほかに頼りになる人も、いなかった。以前に、斎宮の宮司をしていたものなどで、そのまま、仕えているものが、諸事を行う、有様である。



御自らも渡り給へり。宮に御消息聞え給ふ。斎宮「何事も覚え侍らでなむ」と、女別当して聞え給へり。源氏「聞えさせ宣ひ置きし事もはべしを、今は隔てなきさまに思されば、うれしくなむ」と聞え給ひて、人々召しいでて、あるべきことども仰せ給ふ。いと頼もしげに、年頃の御心ばへ、とりかへしつべう見ゆ。いといかめしう、殿の人々数もなう仕うまつらせ給へり。




ご自身も、おいでになった。斎宮に、お言葉を伝える。
斎宮は、女別当を通して、何もかも、どうしていいのか、わかりませんで、と言う。
源氏は、母君に、申し上げ、また、仰せられたことも、ございます。今後は、ご遠慮なく、申されよ。そうであれば、嬉しい。と、申し上げて、女房たちを、呼び寄せて、成すべき事を、命じる。まことに、頼もしいことで、この何年もの、償いが、できたように、見える。
扱いも、堂々として、二条院の人々を、数えられないほど、遣わした。




あはれにうちながめつつ、御精進にて、みすおろしこめて、おこなはせ給ふ。宮には、常にとぶらひ聞え給ふ。やうやう御心静まり給ひては、自ら御かへりなど聞え給ふ。つつましう思したれど、御めのとなど、「かたじけなし」と、そそのかし聞ゆるなりけり。




源氏は、しんみりとして、物思いに耽り、御精進されて、御簾を下ろし、引き籠って、お勤めをされる。
斎宮には、始終、お見舞いされる。斎宮は、次第に、心が落ち着き、ご自身で、ご返事をされる。気がすすまないが、乳母などが、代筆では、勿体ないことですと、勧めたのだ。




雪みぞれかきたれ、荒るる日、「いかに宮の有様かすかにながめ給ふらむ」と思ひやり聞えて給ひて、御使ひ奉れ給へり。源氏「ただ今の空を、いかに御覧ずらむ。

ふりみだれ ひまなき空に なき人の 天かけらむ 宿ぞかなしき

空色の紙の、くもらはしき書い給へり。「若き人のとどまるばかり」と心してつくろひ給へる、いと目もあやなり。宮はいと聞えにくくし給へどこれかれ、人々「人づてには、いと便なきこと」と責め聞ゆれば、にび色の紙の、いとかうばしうえんなるに、墨つきなどまぎらはして、

斎宮
消えがてに ふるぞ悲しき かきくらし わが身それとも 思ほえぬ世に

つつましげなる書きざま、いとおほじかに、御手すぐれてはあらねど、らうたげにあてはかる筋に見ゆ。下り給ひし程より「なほあらず」思したりしを、「今は心にかけてともかくも聞え寄りぬべきぞかし」と思すには、例のひき返し、「いとほしくこそ、故御息所のいと後めたげに心おき給ひしを、ことわりなれど、世の中の人もさやうに思ひよりぬべき事なるを、ひきたがへ心清くてあつかひ聞えむ。上のいま少し物おぼし知るよはひにならせ給ひなば、うち住みせさせ奉りて、さうざうしきに、かしづきぐさにこそ」と、おぼしなる。



雪や、みぞれの、降り乱れる、嵐の日、斎宮が、元気なく、物思いに耽っているだろうと、その様子を、思いやり、お使いを遣わした。
源氏は、ただ今の、空の様子を、どのように、御覧になっていますか。

源氏
雪、みぞれの、乱れ降る中を、なき母君の、御霊は、お邸の上を離れず、天がけっていらっしゃるでしょう。それを、思うと、悲しいもの。

空色の紙に、曇ったように、書いている。
若い斎宮の、心を、ひきつけるように、丹精に書いた。実に、見るのも、まぶしいくらいである。
斎宮は、大変、返事のしにくい様子。お傍の誰彼が、代筆では、不都合ですと、勧めるので、たいそう、香を焚き染めて、趣深い、にび色の紙に、墨つきの濃淡に、体裁よく、書きつけて、

斎宮
涙にかきくれ、我が身が、我が身ではないような、この頃です。消えもせずに、日を送っているのが、悲しいのです。

遠慮がちな、書き振りで、おっとりとして、筆跡は、上手というわけではないが、可愛らしいというもので、上品である。
伊勢へ、下った際から、ただでは、おけないと、思ったが、今では、機会を見て、どうなりとも、言い寄ることができると、思うが、一方、例により、思いなおして、それも、気の毒だ。亡くなった、御息所が、あんなに心配していた。無理もないが、世間の人も、同じように、思うだろう。
ここは、一つ、真っ当に、きれいに、お世話をしよう。主上が、もう少し、分かる年頃になってから、入内させて、自分は、子供がいなくて、寂しいゆえに、この方を、お世話しようと、決心されるのである。


源氏の、色事好きの、独り言であるが、なんとまあ、感心するやら、呆れるやら、である。
好色というより、それが、生き甲斐でもある。
と、平安期の、男たちの、様子が、よく分かる。
源氏という、人間は、それらの、総合象徴である。
戦の無い、平和な時代である。

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最後の沈黙を破る 40

今の、日本で、最も、守るべきものは、日本語と、天皇陛下である。

英語教育を推し進めるならば、より日本語教育を、推し進めるべきである。

英語教育で、幸せにならないのは、フィリピンを見て、思う。
精々、外国に出稼ぎに、出掛けられる程度なのである。

英語教育は、中学からで、十分良い。
これは、脳科学者も言うことである。
母語を、しっかりと、身につけなければ、精神的に、怪しくなる。

何故なら、言葉は、精神だからだ。

民族の、精神である、言葉を、守るべきことは、必至である。

更に、日本語は、大和言葉からなる。
大和言葉は、漢字の訓読みである。

音読みは、漢語読みであり、それを、大和言葉にすると、訓読みになる。
そのような、言葉の使い方をするのは、日本人のみ。

そして、天皇陛下の存在である。

日本人は、空気のように、感じる存在であるが、陛下が、国際社会で、最も、評価が高く、歓迎されるのを、知らない。

社会、共産国に出かけても、天皇陛下は、とても、人気があるのだ。

それは、歴史と、伝統を、有するからである。
天皇陛下の、歴史は、今年、2670年、つまり、日本建国から、2670年を経ているということ。

そんな、歴史的な存在は、世界に、日本の天皇しか、いないのである。

更に、世界で、唯一、無私の存在としてあるというのは、驚嘆する。

日本は、日本語と、天皇を、守り続ければ、事足りる。

この、無私の存在とは、私が無いというのであり、私が無いということは、日々が、公なのである。

通常の者が、陛下の生活をすれば、狂う。

いまや、天皇陛下は、日本のみならず、世界の国々の、様々な、動きに、心を動かす存在になっている。

自然災害などが、起これば、誰よりも、先に、人々の無事を祈られるのである。
そのような、存在を、日本が有しているということ、幸いの限りである。

私は、陛下に、お会いすることは、ないだろうが、それでも、私は、天皇陛下に、対して、無上の崇敬を持つ者である。

その、長い歴史を、負われ、なお、これからの、歴史的存在にならせられるという、自覚は、通常の人間の、思考を超えている。

日本は、この二つを、守らなければならない。

そのために、軍隊が必要ならば、天皇の軍隊を、創設するべきである。

タイの、軍隊は、明確に、タイ王国の、王の軍隊であると、言う。
王様が、タイを、守りなさいと、指示すれば、そのように、働く。
国民の、九割の、支持を受けるタイ王の、国であることが、解る。
それほど、王様を、大切にしている。

タイ王の、歴史は、約260年ほどである。
それでも、タイ国を、まとめるために、必要不可欠の存在である。

その、タイの国王、プーミポン国王は、日本の天皇を、非常に、重んずる。
王家であるから、天皇家の、歴史の存在と、その意義が、よく解るのである。

王は、国民を思い、国民は王を、思う。

絶対君主制云々のお話ではない。

タイは、民主化を、王自身が、勧めている。

そして、日本も、民主主義の国である。
民主とは、民が、主である。

そして、日本の天皇は、国民の総意で、ただ今は、日本国の象徴として、あらせられる。

天皇も、人間であるが、天皇のように、生きることは、通常の人間には、出来ないことである。

そして、言う。
天皇は、日本国の、祭司である。

それは、宗教を超えたところの、祭司なのである。

日本国は、祖霊を神、カムとして、奉る国である。
その、祭司という、特別の、任務を持たれるのが、天皇陛下である。

日本は、人は、かむながらの道を、歩む国であると、明確にしている。

祖霊に対する、不敬は、許されない。
祖霊を、不敬に扱うことは、我が身を、貶めることであり、我が身の、存在を、否定することである。

日本国の、祖霊を、奉り、日々、祖霊に対して、言挙げを、申し上げる、お方が、天皇陛下である。

この、日本は、祖霊の、国である。
祖霊は、また、国である。

日本語と、天皇を、守ること、それは、日本人になるべく、日本人に、与えられた、義務である。
この、二つを、守れない場合、日本は、壊滅する。
それは、祖霊不敬と、同じことである。

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ジャカルタ・スマトラ島・パダンへ 10

飛行機の中では、一切の、サービスはなかった。
お陰で、眠っていられた。

パダン到着である。
予定通り。

国内線であるから、何の問題もなく、荷物の出るのを、待って、外に出た。

タクシーの呼び込みが来る。
まず、公的なタクシーの、チケットを買う。

そのタクシー運転手は、そのチケットの、値段を、12万ルピアと言う。
ホテルの名を言うと、その場所への、料金が決まっている。

タクシーに乗ったのは、ホテルを変更した時のみ、以後、帰りのホテルタクシー以外は、乗らなかった。
皆々、ボルのである。
知らないと思い、吹っかけてくる。

街中までは、結構な時間がかかった。
30分以上である。

一泊、25万ルピアのホテルに向かった。予約はしていない。

街に近づくと、倒壊した建物が、目立ってきた。
三階建て以上の、建物は、ほとんど、倒壊したという。

瓦礫の山も、多々ある。
地震の激しさを、伝えるものだった。

三階建ての建物の、多くは、ホテルである。軒並み、ホテルが、潰れたのだ。

であるから、中々、よいホテルが無いのである。

残ったホテルは、皆、平屋か、二階建てである。

ようやく、ホテルに到着した。
二階建てのホテルである。
ゲストハウスに近い、感覚の建物。

車から、降りて、部屋の有無を確認すると、大丈夫だった。
荷物を下ろして、案内を乞う。

一階の、ベランダ付の部屋である。
部屋に入り、水シャワーであり、トイレには、紙が無い。ということは、手水である。
備え付けの、尻用のシャワー設備もなかった。
バケツに、水を入れて、そこから、尻を手で拭く形。

更に、洗面台が無い。
実に、不便である。

兎に角、三時を過ぎているので、腹が空いた。
二階に、レストランがあるというので、登ると、レストランというほどのものではなく、長いテーブルを置いてあるだけ。

メニューと、言うと、ミーゴレンか、ナシゴレンのみと、言う。

私は、焼きそば、コータは、焼き飯を注文した。
そして、水の、ボトルである。

食べたら、兎に角、水を買わなければならない。

このホテルには、一泊だけにすることにした。
後で、コータが、ホテルを探すことになった。

私は、部屋に戻り、休憩である。

コータが、出掛けた。
水を買い、ホテルを歩いて探すのである。

ホテルは、中小路なので、周囲の状況が分からない。

私は、本日は、動かないことにした。
ただ、部屋の前の、椅子に座り、タバコを吹かした。

そして、お客の入って来るのを、見ていた。
最初は、泊り客が、見えなかったが、夕方近くになると、どんどんと、やって来る。
驚いたのは、その客が乗ってくる、車である。

皆、立派な車に乗っているのである。

一度、部屋に入り、ベッドに、体を横たえた。
暫くして、また、部屋の前で、タバコを吹かす。

私の両隣の、部屋にも、客が入った。
意外に、人気のホテルらしい。だが、皆、インドネシア人である。

外国人は、私たちのみ。

右隣の部屋に、若い、インドネシア人の男、二人が、入った。

この、二人とは、朝、色々と話をすることになる。

コータが戻ったので、話を聞く。
ホテルは、少し遠く、ビーチの近くに、33万ルピアであるとのこと。
3300円である。高い。

しかし、他のホテルも、同じようなものだという。更に、ホテルは、大半が、倒壊したために、ミニホテル、ゲストハウスしかないという。

でも、ここのホテルでは、活動がしにくいと、言う。
結局、乗り物を使うことになるのである。

それなら、少し高くても、そちらで、いいということになった。
部屋も、空いているという。

明日、移ることにした。

コータは、更に、食事もして来たという。
私も、夜の食事をするために、コータに案内してもらうことにした。

パダンの夜は、遅い。
夕方を過ぎても、空が明るいのだ。

ホテルを移るということになったので、荷物を開けなかった。
ただ、タイパンツと、Tシャツのみにした。

少し、暗くなったので、出掛けることにした。
瓦礫の山を眺めつつ、歩く。

街の中心は、少し歩くことになる。
一つの通りに出た。
どこかの、田舎の風景である。

地元の、食堂に入ることにした。
パダン料理である。

コータは、すでに食べたので、私が、注文した。
食べたいものを、指で差す。
すると、おばさんが、皿に、ライスと、おかずを盛り付けてくれる。

カレー風のおかずを、選んだ。
食べた。美味しい。が、辛い。その、辛さが、次第に、酷くなってゆく。
顔から、汗が出てくる。

辛い
私が言うと、コータが、うん辛いらしいと、答える。
本当に、辛いのだ。

その辛さが、複雑で、何の辛さと、言えない。
唐辛子も、胡椒の辛さも、その他、多々ある、辛さである。

辛さの微妙繊細である。
ああ、これが、パダン料理か、である。
料金は、8000ルピア、80円である。

2010年01月11日

もののあわれ 472

いとまめやかにねんごろに聞え給ひて、さるべき折りは渡りなどし給ふ。源氏「かたじけなくとも、昔の御名残に思しなずらへて気どほからずもてなさせ給はばなむ、ほいなる心地すべき」など聞え給へど、わりなくもの恥ぢをし給ふ奥まりたる人ざまにて、ほのかにも御声など聞かせ奉らむは「いと世になくめづらかなる事」と思したれば、人々も聞えわづらひて、かかる御心ざまをうれへ聞えあへり。





とても、こまごまと、心を込めて、お世話をされる。更に、ご訪問などもされるのである。
源氏は、もったいないことですが、亡き母君の、身代わりと思い、気安く扱いくだされば、本望です、などと、仰せになる。だが、むやみに、恥ずかしがる内気な性格で、ほんの少しの声でも、大変なことだと、思われるので、傍に仕える女房たちも、勧めようがなく、このような、性格に、皆、苦労しているのである。




女別当内侍などいふ人々、あるは離れ奉らぬわかんどほりなどにて、心ばせある人々おほかるべし。この、人知れず思ふかたのまじらひをせさせ奉らむに、人に劣り給ふまじかめり。「いかでさやかに御容貌を見てしがな」と思すも、うちとくべき御親心にはあらずやありけむ。わが御心も定め難ければ、かく思ふという事も、人にも漏らし給はず、御わざなどの御事をも取り分きてせさせ給へば、あり難き御心を宮人も喜び合へり。



女別当や、内侍などいう人々、または、血統の王族の方々などで、趣味を分かる人々が、大勢仕えていることだろう。自分が、人知れず、思う、入内をさせるにしても、他の女御に、ひけを取ることはあるまいと。何とかして、宮の器量をはっきりと、見たいものだと、思うのである。それも、まだ、安心できる、親心ではないのであろうか・・・
自分の心も、いつ変わるか、知れないので、このような、考えがあるということさえ、誰にも、漏らさない。御息所の、仏事などを、特別に、念入りにされるので、ありがたいことと、宮家の人々も、喜んだ。

源氏の、心が、揺れているのである。
入内させようか、または、我が物にしようかと・・・

わが御心も定め難ければ
わが心が、どのように、変わるか、解らないのである。

わかんどほり
皇族、王族出身の意味。



はかなく過ぐる月日にそへて、いとどさびしく、心細きことのみまさるに、侍ふ人々もやうやうあかれ行きなどして、しもつかたの京極わたりなれば、人気遠く、やま寺のいりあひの声にそへても、ね泣きがちにてぞ過ぐし給ふ。




はかなく、過ぎてゆく月日と共に、いよいよ、寂しく心細い事が、多くなる。仕える人々も、次第に、離散してゆく。ここは、下京の、京極の辺りで、人家も少なく、そこに、山寺の鐘の音が、聞えてくると、つい、声を上げて、泣くことも、しばしばあり、日を送っている。



同じ御親と聞えしなかにも、かたときのまも立ち離れ奉り給はで、ならはし奉り給ひて、斎宮にも親そひて下り給ふ事は例なきことなるを、あながちにいざなひ聞え給ひし御心に、限りある道にては類ひ聞え給はずなりにしを、ひる世なう思し嘆きたり。



同じように、親御様と申す中でも、少しの間も、お傍を離れるることなく、生活していた。斎宮にまでも、親が付き添って、下ったのである。前例の無いことだった。母君を一緒にとの、心ならば、死出の旅にも、お供申し上げなかったことをと、涙の乾く間もないほど、嘆いたのである。



侍ふ人々につけつつ、心かけ聞え給ふ人、たかきも賎しきもあまたあり。されど、大臣の、源氏「御乳母たちだに、心にまかせたること、ひきいだし仕うまつるな」など、親がり申し給へば、いと恥づかしき御ありさまに、「びんなきこと聞しめしつけられじ」と言ひ思ひつつ、はかなき事の情もさらに作らず。




お仕えする、女房たちを、手引きとし、思いを寄せる方は、身分の高い人も、低い人も、大勢いる。けれども、大臣が、おん乳母たちも、自分勝手なことをしては、いけないなどと、親のように、仰せになるので、このご立派な殿様に、不都合なことを、耳に入れまいとしていた。少しの、訳知りことも、決して見せないのである。



院にも、かの下り給ひし日、大極殿のいつかしかりし儀式に、ゆゆしきまで見え給ひし御かたちを、忘れ難う思しおきければ、朱雀院「参り給ひて、斎院など、御はらからの宮々おはします類にて、侍ひ給へ」と、御息所にも聞え給ひき。されど、「やむごとなき人々侍ひ給ふに、かずかずなる御うしろみもなくてや」と思しつつみ、上はいとあつしうおはしますも恐ろしう、「またもの思ひや加へ給はむ」と、はばかり過ぐし給ひしを、今はまして、誰かは仕うまつらむ、と、人々思ひたるを、ねんごろに院には思し宣はせけり。




院におかせられても、あの、伊勢御下向の日、大極殿の、壮大だった儀式の時に、見事なほどに、美しかったご器量を、忘れ難く印象に残り、院は、こちらに、おいでになり、斎院など、私の姉妹の宮たちもいるので、同じようにして、暮らしなさいと、御息所に仰せられたこともある。
しかし、院には、素晴らしい方々が、仕えていらっしゃる。こちらには、ろくな世話役もいないと、遠慮した。それに、院は、病気がちであり、それも、怖くて、またこの上に、苦労があってはと、逃げていたのである。
今となっては、その頃以上に、誰が、お世話をするのかと、皆々思っていたので、院からの、懇切なお言葉を賜った。


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最後の沈黙を破る 41

病気は、治すものではなく、治るものである。

名医は、治すためではなく、治るために、薬などを、処方する。
そして、患者が、治ると、薬が合ったのですねーーーと、ぼんやりと、言う。

気功、スピリチュアル治療などと、馬鹿なことを、言う、馬鹿な、気功家や、スピリチュアル治療家がいる。

患者は、彼らの後ろに、控えている、目に見えない存在を知らない。
ゆえに、治ると、その先生を、奉じるようになる。

へびや、狐、犬、猫の霊でも、病気を治す。
瞬間的に、治すのは、天狗のような、霊である。

その人の力で、治すというのは、すなはち、背後のものによる、関与による。

真っ当な、気功家や、心霊治療家は、治すものではなく、治るように、指導する。

また、治るという、手前まで、導いて、その本人の、自覚により、治るということを、教える。
だから、治らない人もいる。
それは、治っては、いけない人である。

私は、病を、治せない。
医者ではないから、ではない。
治す必要が無いからである。

私が願えば、病は、癒える。
しかし、それは、私の命との、交換である。
命と、交換するほどの人は、親以外に無い。

だが、親の病を、治して、私が、先に死ぬと、どうだろうか。
逆縁の、悲劇である。

治療家は、治すのではなく、病にある人が、自ら、治すために、するべくの、手当てをするのみである。

病になるのは、病になる、理由がある。

その理由が、問題なのである。

その、理由を、問わず、知らず、病を、治してもらい、感謝して、その治した人を、信仰するようになるならば、誤りである。

それならば、死んだ方が、マシである。

病に至る、その道を、病になった人は、観想しなければ、ならない。

それを、教えたのは、釈迦仏陀である。
どうして、そのような病になったのか。
そして、その原因を知り、そこから、病を癒す方法を、指導して、自ら、治すという、行為に、生きるということの、意義と、意味を、教えたのである。

痛みが、消えた。
治った。
そして、治してもらったと、治した人を、信じる人が多い。
実に、愚かで、誤りである。

それを、治したのは、その人の、背後の霊的存在である。

その霊的存在の、有無を知らない。

更に、その霊的存在の、正体を知らない。
実に、恐ろしいことである。

私は言う。

決して、治るという、治療家の元に、出掛けては、駄目。

大半が、霊的質が、悪い。

であるから、治っても、精神的、心的状態が、悪いはずである。

単に、病気を治すということは、単に、気を紛らわすということと、同じである。それならば、病気を、生きる方が、真っ当である。

何故なら、病気を生きる方が、人間として、真っ当であるからだ。

老いれば、病むのである。

それが、自然である。

更に、病は、気づきの、元である。

病気は、感謝する以外の、何物でもない。

私は、治さないし、治せないし、治す必要も無いと、考えている。

病院に行って、薬を、貰い、楽しんで、飲んでいる。

最後は、絶食して、死ぬ。
断食ではない。
絶食して、死ぬのである。

断食という、蒙昧に、迷うことはない。


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