2010年01月01日

ジャカルタ・スマトラ島・パダンへ 1

この旅を、書く前に、インドネシアという国が、まだ、建国60年の国であることを、述べておく。

日本の敗戦と共に、スカルノ初代大統領は、インドネシアの独立を、宣言した。

丁度それは、オランダ軍を追い出した日本軍が、敗戦で、撤退した、その隙間を突いての、独立宣言である。

もし、日本が、大東亜圏という意識を持たず、アメリカとの、戦争もしなければ、インドネシアは、まだ、オランダの植民地とされていた、可能性がある。

というのは、オランダは、日本軍が、撤退した後、更に、植民地化を目指していたからである。

そして、ここが、問題であり、ポイントである。
インドネシアの各勢力が、各地で、オランダ軍と、戦ったのである。
独立を勝ち取るために、である。

それが、出来たのは、日本が、見せた、心意気である。
白人には、適わないと、諦めていた、インドネシアの人々に、日本が、そんなことはない。戦って勝つのであると、伝えたのである。
その行為を、持って、である。

ここに、大東亜戦争、第二次世界大戦の、別な意味がある。

日本の敗戦により、多くの植民地化された、東南アジアの国々が、独立を勝ち取ったのである。

有名な歴史家の言葉を、持ち出すまでもなく、それも、一つの、あの戦争の意味である。

更に、その中に、日本軍から、脱走とされた、日本兵が、その、独立運動の、戦いに、参加したのである。
これは、インドネシアの人々に、更に、勇気を与えた。
日本兵の指導の元に、戦ったグループもある。

その、日本兵は、インドネシアでは、英雄として、讃えられ、奉られている。

各地で、闘争を続けたインドネシアに対して、国際社会が理解を示し、オランダに、再植民地化を断念させた。

そして、1949年に、連邦共和国となり、翌年、1950年に、共和国となって、完全な独立を、果たしたのである。

スカルノは、建国の父と、呼ばれる。

彼は、社会主義政策を進めたが、国内の経済状態が、悪化し、共産党政治に反感を持っていた、国軍との、対立が、深刻化した。
1965年、国連を脱退し、独裁化を強めた。
しかし、同年、9月30日、共産党勢力による、クーデターにより、体制が、崩壊する。

だが、そのクーデターも、国軍によって、一日で、鎮圧された。
この事件をきっかけに、軍司令官の、スハルトが、国の実権を握ることになる。

1968年、スハルトが正式に大統領となり、国連復帰も果たす。

スハルトは、親米路線に、政策を転換し、様々な、プロジェクトを導入して、開発の父と、呼ばれるようになる。

だが、国の利権を、一族で、独占し、30年以上もの、独裁政権をとった。
その、弊害は、大きかった。

1998年、スハルトがまたも、大統領に、選出される。
七期目の任期である。

この、スハルトの、汚職や、不正蓄財は、実に、膨大である。
日本の莫大な支援金や、福祉関係の資金なども、自分の、蓄財にしたのである。

あまり、言いたくないことだが、インドネシアの政治家は、まだ、汚職に関する、罪悪感が少ない。

未だに、スハルトの、行為を、裁くことが出来ずにいるのは、大なり小なり、政治家というものが、スハルトに準じているということである。

さて、続ける。
その後、1997年の、タイバーツ暴落からの、アジア通貨危機により、経済状態が、悪化し、首都ジャカルタをはじめ、国内各地で、スハルト政権に対する、暴動が起こるのである。

大都市では、学生などによる、反政府運動が、激化し、スハルト退陣、政治改革を求めて、多くのデモ行進が、軍の治安部隊と衝突した。

それは、瞬く間に、全国に広がり、一般市民は、この国の、経済、金融を握る、中華系の人々を、襲うようになった。
当然である。

政治家は、汚職、不正蓄財、そして、中華系との、結びつきによる、更なる、利権獲得である。

誰のための、国なのか、と、国民は、問うたのである。

国内には、600万人の、中華系住民がいた。
そのうち、騒動のために、3万人が、国外に脱出したのである。
と、共に、海外に、資金も、流出した。その額、800億ドルである。

インドネシア経済は、更に、悪化することになる。

この、混乱を受けて、スハルトは、次期大統領選には、出馬しないことを、表明したが、民主化勢力は、即時辞任を要求した。

国会前での、座り込みは、5万人にも、達したという。
更に、体制内部からも、スハルト辞任の要求が、出されるようになった。

1998年、5月、スハルトは、ついに、辞任を表明した。
32年間の、独裁政権だった。

その後、副大統領の、ハビビに引き継がれが、スハルトの腹心である。
スハルトは、陰の支配者として、存在することになった。

与党や、軍の内部での、権力闘争も激しくなり、スハルトが、推し進めた、国内移民政策による、軋轢も、表面化する。

ジャワ島などから、移住する民と、以前からそこに住む、先住民の対立が、軍や、警察でも、抑えきれなくなったのである。

加えて、長年、独立運動が続いていた、元ポルトガル領で、キリスト教徒の多い、東ティモールや、マルク諸島、西カリマンタンなどで、対立が激化した。

住民同士の、対立が、いつしか、民族や、宗教対立の形相を、帯びたのである。

数百人規模の、殺戮から、難民が発生する。

こうした、対立激化の、裏には、イスラム国家への、支持を集めるための、策略だったといわれる。

つまり、インドネシアのイスラム化を目指す勢力である。

1999年、ハビビ政権は、東ティモールの独立を容認するという、閣議決定を行う。

そして、その年の、6月の、総選挙では、スカルノを父にもつ、メガワティ女史率いる、闘争民主党が、第一党になる。

10月の、国民協議会は、イスラム組織、ナフダトール・ウマラの、ワヒドを選出し、副大統領に、メガワティを指名した。

そして、2001年7月、ワヒドも、献金疑惑などで、解任される。
国民待望の、メガワティ大統領が、誕生した。

その、メガワティも、期待外れに終わる。
全く、その器ではなかったのである。

国内問題で、政局が、混乱し、メガワティ批判も、噴出するのである。

そして、現在は、2004年に選出された、ユドヨノ大統領が、国民の期待を、背負うのである。

2010年01月02日

もののあわれ 462

「五月五日ぞ、五十日にはあたるらむ」と、人知れずかずへ給ひて、ゆかしうあはれに思しやる。「何事も、いかにかひあるさまにもてなし、うれしからまし。口惜しのわざや。さる所にしも心苦しき様に出できたるよ」と思す。男君ならましかば、かうしも御心にかけ給ふまじきを、かたじけなういとほしう、わが御宿世も、この御事につけてぞ「かたほなりけり」と思さる。





五月五日は、明石の姫の、五十日にあたるはず、と、心で、数え、見たくてたまらず、かの地に、思いをはせる。
万事、都でのことであれば、どんなにしても、立派にお祝いして、嬉しいことだろう。残念である。何と、あのような、選りによって、辺鄙に田舎に、生まれ合わせたのかと、思われる。
若様であれば、このように、気にかけることもないが、姫君ゆえに、后にもと、もったいなく、可愛そうにも、思われる。
我がことも、この御子のために、あのような悲運もあったのだろうと、思われた。

ゆかしうあはれに
前後の文で、意味が、それぞれ違う。
ここでは、嬉しい気持ちである。そして、更に、複雑な心境である。




御使出だし立て給ふ。源氏「必ずその日違へずまかりつけ」と宣へば、五日に行きつきぬ。思しやることも、あり難くめでたき様にて、まめまめしき御とぶらひもあり。

源氏
海松や 時ぞともなき かげに居て 何のあゆめも いかにわくらむ

心のあくがるるまでなむ。なほかくてはえ過ぐすまじきを、思ひ立ち給ひね。さりともうしろめたき事は、よも」と、書い給へり。


五十日の、使いを立てる。
源氏は、必ず、五日に、間違いなく、到着せよと、命令した。
使いは、五日に、到着した。
贈り物なども、またとないほどで、実用的なものも、差し上げた。

源氏
海松、いつも変わらない色の松の、陰にいたのでは、今日が五日と、如何にして、分かるのか。五十日、いか、の、祝いができるのか。

飛んでゆきたいほどの、気持ちです。姫が生まれた以上は、今まで通りに、してはいられない。矢張り、上京する決心をしてください。心細い思いは、させません、と、書いてある。

五十日を、いか、と読み、何のあやめも いかにわくらむ、と、歌う。
あやめは、五月五日の、菖蒲のことである。





入道、例の喜び泣きして居たり。かかる折は、生けるかひも作りいでたる、道理なりと見ゆ。ここにも、よろづ所せきまで思ひ設けたりけれど、この御使なくは、闇の夜にてこそ暮れぬべかりけれ。乳母も、この女君のあはれに思ふやうなるを語らひ人にて、世のなぐさめにしけり。



入道は、例のごとく、喜び泣きしていた。
このような、時には、生きていたかいがあると、泣くのも無理ないこと。
明石も、立派な、お祝いの準備をしていたが、源氏のお使いがなければ、闇夜の錦で、何の見栄えもなく、終わったことだろう。乳母も、明石が、感心するほどの人であり、よい話し相手にして、憂き世の慰めにしていた。




をさをさおとらぬ人も、類にふれて迎えとりてあらすれど、こよなくおとろへたるみ宮仕へ人などの、いはほの中たづぬるが落ちとまれるなどこそあれ、これこよなうこめき思ひあがれり。聞き所ある世の物語などして、大臣の君の御有様、世にかしづかれ給へる御おぼえの程も、女心地に任せて限りなく語り尽くせば、げにかく思し出づばかりの名残とどめたる身も、いとたけくやうやう思ひなりけり。





この、乳母に、負けない身分の、女房も、縁をたどって、京から、向かえて、付き添わせているが、それは、昔、宮使えした、者で、今は、すっかり老い朽ちて、出家でもしようかと思ったが、たまたま、ここに、住み着いたといった者に、過ぎない。
ところが、乳母は、世間ずれせず、気位も高い。
面白い世間話などをして、大臣の様子や、世間から、大切に思われている、名声を、女心に任せて、果てもなく、話し続ける。
それで、明石も、これほどに、思い出してくださる、形見の姫君を、生んだ我がことも、偉いものだと、次第に、思うようになってきた。



御文ももろともに見て、心の中に、「あはれ、かうこそ思ひの外にめでたき宿世はありけれ。憂きものはわが身こそありけれ」と、思ひ続けらるれど、源氏「乳母の事はいかに」など、こまかにとぶらはせ給へるもかたじけなく、何事もなぐさめけり。御返しには、

明石
数ならぬ み島がくれに 鳴く鶴を けふもいかにと 訪ふ人ぞなき
かずならぬ みしまがくれに なくたづを けふもいかにと とふひとぞなき

よろづに思う給へむすぼほる有様を、かくたまさかの御なぐさめにかけ侍る命の程もはかなくなむ。げに後やすく思う給へ置くわざもがも」と、まめやかに聞えたり。




乳母は、お手紙も、一緒に拝見して、心の中で、何と、これほど、意外な運のある方も、いるのだと、思う。不運なのは、私のなのだと、つい考えるが、源氏が、乳母は、どうしているか、などと、自分のことを親切に、尋ねて下されたのも、勿体なく、心の、憂さが、晴れたのである。
君への、ご返事は、

明石
取るに足らぬ、私の傍にいる、姫君を、お祝いの今日さえ、尋ねてくださる方は、おりません。

色々な、物思いに、塞いでおります、この身の上、このように、時々の、お手紙で、支えております、私の命は、果たして、いつまで、持ちますことか。何卒、姫については、心配のないように、計らってください、と、心から、申し上げた。


乳母が、手紙を一緒に拝して、あはれ、と、一言が出る。
これは、詠嘆である。
溜息である。

そして、憂きものは我が身こそありけれ、という。
しかし、源氏の手紙には、乳母は、どうしているか、との、書き込みを、見て、かたじけなく、思うのである。

あはれ、かたじけない、と、書いてもいい。
あはれ、には、あらゆる、使い方があるということだ。


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ジャカルタ・スマトラ島・パダンへ 2

朝の五時前に起きて、準備する。
といっても、荷物は、すべて揃っている。

お握りを作るのである。
前日の、残りご飯で、四個。

自分で、作った、お握りが、どうして、こんなに美味しいのか、解らないが、美味しいのである。

60キロ以上の荷物なので、タクシーを予約している。
六時前に、タクシーが来た。

バス乗り場まで、タクシーで行く。
これから暑い国に行くので、実に、奇妙な着物姿になる。

襦袢は、夏物の、絽であり、着物は、春物の単、そして、羽織は、袷である。

飛行機の中は、寒いので、そのまま乗り込む。

その前に、登場手続きがある。

勝負は、その時である。
積み込む荷物の、重さである。

矢張り、オーバーした。
45,8キロ。

受付のお姉さんが、少しオーバーしています。
そちらの、荷物で、軽いものを、乗せてみてくださいと、言う。
私は、機内持ち込みの、ぬいぐるみを入れた、バッグを乗せて、重たい、一つのバックを、取った。

43キロである。
はい、それで、結構です。

何と、やさしい、お姉さんか。

私は、自分のバッグと、支援物資のバッグの、二つ。
コーターも、同じく、である。

クレジットカードの、ゴールド会員なので、無料待合室に向かう。
飲み物、飲み放題である。

ゴールドカードは、保険もついているので、コータも、入会した。

海外で、死ねば、一億円である。とは、いうものの、誰に、その金が渡るのか、である。
一番は、母親、二番は、弟。

まあ、そのくらい、恩返しである。

チャイナエアラインに乗る。
台北経由、ジャカルタ行きである。

私は、台北から、ジャカルタに、直行すると、思っていた。
ところが、香港で、更に、乗り継ぐのであった。
それは、予想外。
とても、疲れたのである。

香港で、そのまま、飛行機に乗っているのかと、思いきや、乗り換えなのである。

時間待ちがある。
ああ、格安航空券である。

香港で、時間が、一時間、早くなる。
時差である。
ジャカルタに着くと、更に、一時間早くなる。つまり、日本時間より、二時間の差で、早くなる。
つまり、日本が、12時だと、ジャカルタは、10時である。

夜の、9時過ぎにジャカルタ到着。

はじめての、ジャカルタである。
インドネシアは、バリ島だけに、出掛けていた。
また、スマトラ島も、はじめて、である。

ところが、入国鉄続きの前の、ビザを買うための、行列が出来ていた。
こんなに、客がいるのに、担当者は、二人のみ。
入国まで、一時間ほど、かかったのである。
待つことに、私は、どっと、疲れた。

本当は、怒鳴りたくなったのである。
窓口が、両方で、六つもあるのに、担当者が、二人とは、何だーーー、である。

荷物は、すでに、出ていた。
それを、台車に乗せて、外に出る。
そして、タクシーに乗るしかない。公的なタクシーのチケットを買う。

タクシーに乗り、街の中心地に向かう。
あらかじめ、決めておいたホテルに、到着。

そして、驚く。
料金が、倍以上になっている。
2500円程度のはずが、8000円近く。
しかし、夜であるから、別のホテルを探すことは、出来ない。

荷物も、大量である。

渋々、チェックインした。
部屋は、とても、綺麗で、広い。
料金並みの、部屋である。

だが、そこには、一泊だけにした。
明日は、安いホテルに変更する。

ジャカルタ滞在は、四泊である。
その間に、スマトラ島・パダンの国内線チケットを買うことにしていた。

私は、疲れて、外に出る気力がないので、コータに、買い物を頼んだ。
水と、ビールと、焼きそばである。ビールなど、飲みたくないのであるが、何となく、アルコールが欲しい。
旅の間は、アルコールを欲しないが、あまりの、疲れのせいか、酒が飲みたいのである。しかし、その付近に、日本酒など、売っているわけがない。

屋台が沢山あるから、持ち帰りの、焼きそばがある。
ミーゴレンである。

その間に、シャワーを浴びて、着替えて、タイ・スタイルになる。
タイパンツと、Tシャツである。

コータが、戻り、ビールを飲み、ミーゴレンを食べる。
そして、寝る。

缶ビールは、一口二口で、酔った。
飛行機に乗った後は、すぐに酔う。

兎に角、寝ることである。寝て、疲れを、取るしかない。

ジャカルタにいるという、感覚は無い。
ホテルの部屋は、日本のホテルと、変わらないのである。

2万2千ほどの、島々の国、インドネシアである。
その一つ、ジャワ島に、首都がある。

ジャワ島の、イメージは、ジャワカレーである。
その、貧弱なイメージで、今回の旅が、はじまった。


最後の沈黙を破る 32

平成22年が、はじまった。

まず、最初に、このところの、人心の乱れについて。

その元にあるものの、ひとつに、日本の音楽教育にあると、言われること、知る人は、少ない。

小学校から、中学、義務教育ではないが、高校まで、入れて、西洋音楽教育を主にした、音楽というものの、教育が、行われる。

音楽教師というのは、音楽しか出来ないという、特異体質か、頭の程度が、低レベルということを、皆知らないようで、それらが起こす、混乱は、余りある。

例えば、人には、それぞれ、音感というものがある。
実に、個性豊かなものである。

同じメロディーを歌っても、人それぞれ、調子というものがある。

それを、完全無視するか、音楽、つまり、西洋音楽という、権威で、威圧的に、決め付けて、裁く。

個々の、実例は、面倒なので、上げない。

だが、メロディーが、同じでも、ドレミの音階だけでしか、教育できないゆえに、人格固定まで、至ることもある。

音楽教師の、低レベルと、頭の悪さで、転調が出来ないから、子供が出した音が、ドでなければ、違う、音程が狂っていると、決め付けることになる。

和楽では、決して、そんなことは、あり得ない。
あっ、その音でやる、それなら、それで、やりましょう、である。

転調、移調が、出来ないゆえの、教師の質の問題なのが、子供の質が、悪いということになるのである。

こんな、馬鹿げた、教育が、どこにある。

教師の質が、悪いのに、子供の方が、悪くなるという、悲劇である。

まず、芸大というものを、潰して、欲しいと、願う。
大半が、知能レベル低く、更に、大学卒という、肩書きを、欲して、入学するのであり、全く、人格も、学識も、レベルが低すぎる者、多数。

頭が悪いというのが、一番悪い。

頭が悪いというのは、学校の成績が良いというのではない。
臨機さに、欠ける、ということである。
つまり、馬鹿は、死んでも、馬鹿なのである。

東大法学部を、出ても、馬鹿がいる。

特に、音大は、学問も出来ず、馬鹿のままで、大学卒になるので、どうしようもない、馬鹿なのである。

情操教育としての、音楽を教えるならば、実に、実に、優秀な、人材を、起用しなければならない。

オペラ歌手のように、歌うことを、教えるような、馬鹿な先生を、音楽教師にしていては、国が滅びるほどのことになる。

今、教育の場で、情操教育といえば、音楽程度が、あるのみである。

それが、こんな状態ならば、後が無い。

バリ島で、他の、東南アジアの国で、民族音楽を、教えている。
それは、また、貧しいがゆえのことだが、西洋音楽で、人格破壊されるより、実に増しなことである。

であるから、いずれ、東南アジアなど、民族音楽を習う子供たちが、世界の主役になる。

日本は、廃人だらけである。

どう、見積もっても、日本の、日本人の命は、短いのである。

伝統など、何も知らない、団塊の世代の、子供たちが、どのようになっているのかを、見れば、一目である。

真っ当な、日本語教育さえ、しない。
挨拶まで、出来ない、団塊ジュニアである。

勿論、全部といっているのではない。
しかし、確実に、音楽教育で、殺された、多くの人たちがいる。

転調さえすれば、問題ないことを、教師の力量が、無いために、一生、音楽と、音から、切り離されて生きる人もいる。

音楽の、素晴らしさを、などと、言う者は、大半が、アホである。

音楽とは、何かを語らせたら、何も言えないのである。
つまり、音楽は、楽譜だと、思い込んでいるのである。

絶対音感という、馬鹿げたことも、ある。
すべての、音が、音階となって、聞こえる。更に、何分の何まで、解る、云々。
十分に、病気である。

それも、障害の一つである。

日本人は、その風土により、味覚、聴覚、視覚も、他の民族と、違う。
実に、優れている。
味覚などは、日本人の右に出る民族はいないのである。

あの、出汁をとっただけの、汁を、旨いと感じられる舌がある。
音も、そうである。

微妙繊細な、音を、聴く。
それは、日本の風土なのである。

それを、壊した。
音楽教育が、である。

それから、食べる物が、餌になった。

貧しい、アジアの国に出掛けて、アメリカジャンクフードを、食べることがある。
そして、あの、コーラーという、毒の飲み物。
日本では、決して食べないのである。

それさえも、食べられれば、幸せな場所があるという、ことではない、日本の場合は。

完全に、あれでも、やられた。

行列して、それを買い求め、食べる、人という、動物に成り果てた。
音楽教育の成果である。

繊細微妙なものを、すへで、音階にしてしまった。

日本の、歌謡の歴史は、実に、古い。
即座に、転調できる。移調できる、能力があった。

その音で、いきましょうか

誰もが、自分の持つ音で、歌謡を楽しめた。

更に、歌の途中から、調子まで、変更するという、芸である。

私は、素人であるから、これ以上は、書かないでおく。

兎に角、私が、為政者なら、まず、芸大、音大を、焼き討ちにする。

更に、喧しい、女たちの、ソプラノという、声楽家と、名乗る人々を、磔、火炙りにする。

あれらを、真っ当に聴いていたら、確実に、頭が、やられる。
彼らは、すでに、やられて、久しい。

大和言葉では、それらを、あはれ、という。

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2010年01月03日

もののあわれ 463

うち返し見給ひつつ、源氏「あはれ」と長やかにひとりごち給ふを、女君しり目に見おこせて、紫の上「浦よりをちに漕ぐ舟の」と、しのびやかにひとりごちながめ給ふを、源氏「まことはかくまでとりなし給ふよ。こはただかばかりのあはれぞや。所の様など、うち思ひやる時々、来し方の事忘れ難きひとりごとを、ようこそ聞きすぐい給はね」など、うらみ聞え給ひて、上包ばかりを見せ奉らせ給ふ。テなどのいとゆえづきて、やむごとなき人苦しげなるを、「かかればなめり」と思す。





何度も、手紙をご覧になり、源氏は、あはれ、と、長く溜め息をつくのを、女君は、横目で、ご覧になり、浦より漕ぐ舟の、私は、放っておかれる、と、そっと、独り言を言い、沈み込む。
源氏は、本当に、これほど、邪推されるとは。これは、ただ、これだけのこと。明石の風景を思い出す時々、昔のことが、忘れ難いので、つい、独り言が出るのに、あなたは、聞き流してくれない、などと、恨み言をいう。
手紙の、表だけを、見せる。
筆跡などは、大変趣があり、身分のある人にも、引け目を感じそうなので、これほどゆえに、愛情が深いのだと、紫は、思う。

源氏の、あはれ、とは、嘆息である。
感嘆詞である。
思い極まり、あはれ、と言う。





かくこの御心とり給ふ程に、花散里をかれはて給ひぬるこそいとほしけれ。おほやけ事も繁く、所狭き御身に、思し憚るに添へても、めづらしく御目驚く事のなき程、思ひしづめ給ふなめり。
五月雨、つれづれなる頃、公私もの静かなるに、思しおこして渡り給へり。



このように、紫の、ご機嫌をとりつつ、花散里を、放っておいては、気の毒なことだと、政治も、忙しく、簡単に動けない身分であり、遠慮があるゆえに、見事なと、目を覚ますほどのことを、言わない限り、つい、そのままにしておかれると、思われる。
五月雨で、何も出来ないので、公私共に、暇になり、腰を上げて、お出かけになった。


作者の感想が、入り、実に、複雑な、文になっている。
物語の難しさは、誰のことなのかと、佇むところである。
突然、作者の解説が、入るのである。




よそながらも、明け暮れにつけて、よろづに思しやりとぶらひ聞え給ふを頼みにて、すぐい給ふ所なれば、今めかしう心にくき様に、そばみうらみ給ふべきならねば、心やすげなり。年頃に、いよいよ荒れまさり、すごげにておはす。女御の君に御物語聞え給ひて、西の妻戸には夜ふかして立ち寄り給へり。月おぼろにさし入りて、いとどえんなる御ふるまひ、尽きもせず見え給ふ。いとどつつましけれど、端近ううちながめ給ひけるさまながら、のどやかにてものし給ふけはひ、いとめやすし。水鶏のいと近う鳴きたるを、

花散里
水鶏だに おどろかさずは いかにして 荒れたる宿に 月をいれまし

と、いとなつかしう言ひ消ち給へるぞ、「とりどりに捨て難き世かな。かかるこそ、なかなか身も苦しけれ」と思す。

源氏
おしなべて たたく水鶏に おどろかば うはの空なる 月もこそいれ

うしろめたう」とは、なほ言に聞え給へど、あだあだしき筋など、疑はしき御心ばへにはあらず。年頃待ちすぐし聞え給へるも、さらにおろかには思されざりけり。「空ながめそ」と、頼め聞え給ひし折の事も宣ひ出でて、花散里「などて、類あらじと、いみじう物を思ひしづみけむ。憂き身からは、同じ嘆かしさにこそ」と、宣へるも、おいらかにらうたげなり。
例のいづこの御言の葉にかあらむ。つきせずぞ語らひなぐさめ聞え給ふ。



離れているが、明け暮れ、朝に夕に、何から何まで、心ある、お世話を頼りに、日を送る人である。
行かずにても、無愛想な顔をしたり、すねたり、恨んだりするはずものないこと、だから、安心である。
この何年間に、ますます、荒れが酷くなり、凄い雰囲気の、住まいである。
まず、女御の君と、お話されて、西側の戸口には、夜が更けるのを、待って、お立ち寄りになる。
月が、朧に差し込んで、君の姿が、いっそう、優美で、立ち居振る舞いの様子も、立派である。
それゆえ、花散里は、気が引ける。
端近くに座り、思いに耽る、その様子のまま、慌てず、騒ぎもしない様子は、まことに、難がない。
水鶏が、すぐ近くで、鳴いた。

花散里
水鶏でも、戸を叩いてくれませんでしたら、この荒れた宿に、月を、あなた様を、向かえることができましょう。

と、何事もなく、やさしく仰る様子。
源氏は、どの女も、皆、良いところがあり、それでかえって、私は苦労するのだと、思う。

源氏
いつでも、戸を叩く音で、開けていたら、思わぬ月も、変な人も、入ってくるでしょう。

気になります、と、仰るが、そのような、不実な、性格を、疑うような人ではない。
それどころか、須磨退去以来、ずっと、待ち続けてくれたことを、決して、いい加減に、思ってはいないのだ。
源氏は、空を眺めるな、と、約束された時の、ことなどの、お話ができて、花散里は、あの時は、どうして、ほかに、又とあるまいと、酷い嘆きをしたのでしょう。哀れな私には、どちらも、同じ嘆きでしたのに、と、仰る様子も、穏やかで、可愛らしい。
源氏は、例の通り、どこから、出てくるのか、やさしい言葉の限りを尽くして、慰めるのである。


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最後の沈黙を破る 33

霊というものについて。

いない、存在しないと、言う。

存在することを、証明できない、更に、存在しないということも、証明できない。

ただし、残像想念は、ある。存在する。
それは、生きている人間も、死んだ人間も、である。

残像想念は、思念とも言う。
思い、である。

思いが、残る。
そして、その、思いが、動く。つまり、活動する。

通常霊能者が、言う、霊とは、絶対主観である。
更に、人間は、主観から、逃れることが、できない。

ただ、主観から、逃れるべきであると、釈迦仏陀などは、教えた。
だが、人間、逆立ちしても、主観から、逃れることは、できない。
だから、人間である。

もし、客観視ということが、できるなら、それは、残像思念が、我を見ることである。

私が、私を見て、客観とは、それである。

過去も、未来も、信仰と同じく、妄想である。
過去も、今、見る、過去であり、未来も、今、見る、未来である。
だから、今しかないといえる。

どんな、歴史的建物も、今、見ているしか、方法が無いのである。
二千年前の、今を、見ている。

人間は、今しか、見られないものなのである。

霊とは、観念である。

質的次元の違う世界を、この世の言葉で語ることは、嘘になる。
霊体というものも、だから、語れば、嘘になる。

私は、亡き人の、追悼慰霊を、行う。
当然、残像思念に向き合う。

いくら、物の本で、読んでも、その場に、行かなければ、亡くなった方々の、思念を感じるのは、難しい。
想像は、できるが、それは、想像でしかない。
その現場に、出掛けて、また、その付近に、出掛けて、少しは、想像より、ましな、場の、気を感じる。

最低、自分が、ここで、そのような状態で、死ぬことになったら・・・と、考える。
不可抗力で、そこで、死ぬことになったとしたら・・・

怨み、つらみ、哀しみ、切なさ、苦しさ、無念さ、など、色々な、感情を持つに至る。更には、呪うこともある。

最後には、自分の人生を、自分が呪うという、場面もあるだろう。

餓死や、病死で、死ぬことになったら・・・
国の命令で、そのような状態になったら・・・

息を引き取る時に、強烈な、想念、思念を、発するはずである。
そして、その、思念が、そこに、そのままに、留まる、だろう。

霊とは、それである。

死人に口無し、である。
語るに、語れない。

思念のみ。
それを、読み解く行為が、霊的能力であろう。しかし、それも、主観である。

ただ、残像思念が、存在するということだけが、事実である。

人生を、捉える考え方は、百人百様である。
これだと、言うことは、出来ない。

更に、生きるという、意識の、段階もある。
それぞれ、違う。

思念も、それぞれ、違う。
残像思念を、霊というならば、存在するという、理由である。

テレビの、チャンネルを合わせると、それぞれの、番組が見られる。
霊的存在、残像思念も、そのようである。
途中からしか、見られない。

テレビ番組も、途中から、見れば、何のことか、解らない。
ドラマの場合あり、ニュースの場合あり、バライティの場合ありと、変わる。

残像思念を、感じるのも、それに似る。
じっと、見つめていなければ、物語が、解らないのである。

霊的存在と、その場、その場で、会話するということは、あり得ない。
流れている、物語の、一部を見る如くである。

更に、思念も、想念も、動くものである。
怨みも、変形する。

悲しみも、変形する。

そして、時が経てば、その思念が、薄くなったり、画像が、不明瞭になる。

その場に、同化したり、あるいは、生き物、植物に、同化する。

霊とは、何か。
存在しないと、言った。
存在すると、観念すれば、存在する。

見えないものも、見えると、信じれば、見える。

在ると、思えば、ある。無いと、思えば、無い。
つまり、主観である。

私は、残像思念を、別名、幽体と、呼んでいる。
幽体は、肉体に、沿っているものである。添うとも、言う。

肉体が、消滅すれば、それが、残る。

そのままだと、幽霊になる。
幽霊は、存在するが、霊は、存在しないと、言う。

ただし、幽と、霊が、分離しての、霊というものは、考えられる。
幽と、霊が、別物になる。

そこで、はじめて、霊の存在ということが、語られる。
その前に、霊の存在は、語れない。ゆえに、霊は、存在しないと、言う。

語れば、観念に、陥る。

霊とは、質的次元が違うものであり、この世の、言葉の、存在するという表現では、語ることが出来ない。
ゆえに、存在しないと、言うのである。

ただ、日本の伝統である、先祖崇敬という、心の形式は、実に、真っ当であると、言う。
その、先祖というものが、国体にまで、高まる。
先祖が、作り上げた国となる。

神話として、残り、語りとして、残る。
それが、共同幻想になるから、有難いのである。

人間の存在は、幻想として、在るのである。

未来永劫、二度と、生まれることは無い。
この一瞬の、今が、現実であり、現実は、ただ、一瞬である。

たとえ、輪廻があったとしても、現実は、ただの、一瞬である。

輪廻から、逃れることを、考えるより、今の、一瞬を生きることが、貴い。

逃れる時も、一瞬のうちである。
そして、それは、一瞬のうちに、行われる。

観念に、囚われれば、その、一瞬を、見逃す。
神仏が、妄想であるように、我という意識も、妄想である。

簡単に言えば、馬鹿が、いくら、考えても、馬鹿なのであるから、考える方が、間違いなのである。

観念とは、そういうものである。

すべては、我が内で、行われる。
それを、見つめているだけである。


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ジャカルタ・スマトラ島・パダンへ 3

翌朝、早く目覚めた。
というより、いつも通りである。

六時頃であるから、日本時間では、八時である。

何気なく、ホテルの、案内に目を通していた。
すると、小さな、袋が、目に付いた。

YAYASAN
袋には、ややさん、とある。
ややさん・・・
あれは、バリ島で、言われた言葉・・・

ややさん、って、誰だ。
日本人なのか、バリ島の人なのか・・・
私たちは、議論していた。

ところが、違うのである。

朝食付きであるから、私は、一階ロビーの横にある、レストランに出た。

一人で、食べていると、コータも、起きてきた。

二食分程度を、たらふく食べて、フロントに行き、チェックアウトの時間と、ややさん、につて、聞くことにした。

12時、チェックアウトは、分かった。
おおよそ、どこも、ホテルは、12時である。

YAYASANの、封筒を出して、尋ねた。

私の英語が、分からないのか、女の子は、奥の男を、呼んだ。

ややさんとは、団体であること。
そして、そこの、ホテルが、中心に、ややさんを、作っていることが、解った。

私は、この街の、ストリートチルドレンに、服や、食べ物を、渡したいと言った。
すると、男は、こう言う。
それは、法律で、禁止されている。それを、すれば、警察に逮捕されるというのだ。

すべて、ややさんを、通して行うこと。

えっーーーーーー
そんな法律が、出来た・・・

何度も、警察に捕まるから、駄目という。
後で、その話が、嘘であることが、解るが、その時は、信じるしかない。

パダンで、その、YAYASANというものについて、詳しく教えてくれた人がいる。

つまり、ややさんとは、日本の、NPO法人と、同じようなものなのである。

そのホテルが、中心になって、法人格を取り、支援活動をしているということである。

そして、説明した、彼は、私に、そのホテル主体の、ややさんに、寄付、支援することを、勧めたのである。つまり、自分のホテルの売名行為に、多くの支援を集めたい。それで、私に、牽制したのである。

だが、それを、知ったのは、パダンである。
それでは、ジャカルタでは、出来ないと、思った。

部屋に戻り、コータに話す。

男は、この街には、至る所に、ストリーチチルドレンがいる。貧しい人々がいると、言った。

更に、スラムである。

私たちは、ホテルを変更するために、タクシーを予約して、まず、スラム街を見て、そして、別のホテルに、移ろうと考えた。

勿論、2000円前後のホテルである。

時間があるので、私は、ホテル付近の様子を、見に出かけた。

街の中心地であるが、ごみごみとして、ホテルが立ち並び、その間に、屋台やら、地元の食堂などが、立ち並ぶ。

もう少し、足を延ばすと、大統領府に出るのだが、止めた。

夏の暑さである。

歩くだけで、汗が出る。

部屋から、自分たちで、荷物を運び出した。
ボーイに上げる、チップを、ケチったのである。
タクシーに、荷物を積み込み、行き先は、スラム街。

それは、ジャカルタの西方面である。
その道、空港への、高速が走る。
つまり、私たちは、夜、その高速道路を通ってきたが、暗くて、見えなかった。

だが、昼間である。

その、高速道路に入り、少しすると、スラム街が、見えてきた。
その延々と続く、川べりに、建てられた、小屋、小屋、小屋の数々・・・
終わることのない、スラムが、続く。

世界最大のスラムと、いわれる。
タクシー運転手は、どこまでと、聞く。
行けるところまで。

港の前に出る。
そこも、スラムである。

この付近にホテルありますかと、運転手に聞いた。
三つあるというので、一番安いホテルに、と、促した。

丁度、そのホテルは、スラムのど真ん中にある位置である。

ここに決めた。
タクシーを止めて、部屋があるか、確かめた。

ツーベッドルーム、一泊3300円である。
高い。しかし、そこに決めた。

三泊することになる。

2010年01月04日

もののあわれ 454

かやうのついでにも、かの五節を思し忘れず、「また見てしがな」と心にかけ給へれど、いと難き事にてえまぎれ給はず。女、もの思ひ絶えぬを、親はよろづに思ひ言ふ事もあれど、世に経む事を思ひ絶えたり。




このついでに、あの五節、ごせち、を、忘れない。
もう一度、見たいものだと、いつも思うが、大変難しいことで、とても、お忍びで、行くことはできない。
親は、何かと、結婚のことを、持ちだすが、独身で、通す覚悟である。




「心やすき殿つくりしては、かやうの人集へても、思ふさまにかしづき給ふべき人も出でものし給はば、さる人の後見にも」と思す。かの院のつくりざま、なかなか見所多く、今めいたり。よしある受領などを選りて、あてあてにもよほし給ふ。




気兼ねのいらない、邸を作り、このような人を集めて、思うように、育てる子が、生まれたら、そういう人の、世話役にでも、と、思われる。
その邸の、つくりは、本邸のつくりよりも、見栄えが多く、華やかである。
良い受領などを、選んで、分担させて、急がせる。




尚侍の君、なほえ思ひ放ち聞え給はず。こりずまに立ちかへり、御心ばへもあれど、女は憂きにこり給ひて、昔のやうにもあひしらへ聞え給はず、なかなか所せう、さうざうしう、世の中思さる。



ないしのかみのきみ、を、今も思い切ることは、出来ない。
失敗に、懲りずに、昔通り、気持ちを見せるが、女は、苦しさに、耐えられず、昔のように、お相手にされないのである。
源氏は、かえって、窮屈を感じて、物足りなく、毎日を、思う。


こりずまに立ちかへり
こりずまに またもなき名は 立ちぬべし 人にくからぬ 世にし住まへば
古今集

世の中思さる、とは、二人の仲のことである。





院はのどやかに思しなりて、時々につけて、をかしき御遊びなど、好ましげにておはします。女御更衣、みな例のごと侍ひ給へど、東宮の御母女御のみぞ、とり立てて時めき給ふこともなく、尚侍の君の御おぼえにおし消たれ給へりしを、かくひき違へ、めでたき御さいはひにて、離れでて宮に添ひ奉り給へる。この大臣の御宿直所は昔の淑景舎なり。梨壺に東宮はおはしませば、近隣りの御心よせに、何事も聞えかよひて、宮を後見奉り給ふ。




院は、気軽になって、四季折々に、趣のある、遊びをされ、ご機嫌よくいらっしゃる。
女御や更衣は、御在位当時から、お仕えされているが、東宮の御母、承香殿女御だけは、特別、華やかな方でもなく、尚侍の君の、寵愛に消されていらした。今は、打って変わり、結構な幸せで、院の傍を離れて、東宮に、付き添っていらっしゃる。
源氏の大臣が、使用している、御部屋は、昔の、淑景舎である。
梨壺に、東宮がおられるので、隣同士であるから、何事につけても、話し合いして、東宮の、お世話も、される。




入道の后の宮、御位をまたあらため給ふべきならねば、太上天皇になずらへて、御封賜はらせ給ふ。院司どもなりて、さまことにいつくしう、御おこなひ功徳の事を、紫の御営にておはします。年頃世に憚りて、出で入りも難く、見奉り給はぬ嘆きをいぶせく思しげるに、思すさまにて、参りまかで給ふも、いとめでたければ、大后は、「憂きものは世なりけり」と思し嘆く。大臣は事に触れて、いと恥づかしげに仕まつり、心よせ聞え給ふも、なかなかいとほしげなるを、人も安からず聞えけり。





入道皇后の宮とは、藤壺のこと。
皇后の宮は、出家の身であり、位を、皇太后に改めるべきではないので、太上天皇、上皇に倣い、御封戸を頂戴した。
大勢の、事務官が、任命され、格段に立派であり、勤行や、功徳の仏事を常のこととして、行われる。
この、幾年、世間への、遠慮から、御所への出入りも、難しく、御子に逢えないという、嘆きを、辛く思っていた。
今は、心のままに、参内されるのは、まことに、結構な有様で、皇太后は、辛い成り行きと、嘆くのである。
源氏の、大臣は、何かにつけて、大后が、恥じ入られるほど、よく仕えており、好意を見せるので、かえって、具合が、悪いようである。
世間の人も、とやかくと、噂した。


皇太后とは、前帝の母である。
現在の帝の母は、藤壺である。そして、源氏の子でもある。

新しい東宮は、朱雀院の子である。


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最後の沈黙を破る 34

私は、テラの会として、追悼慰霊と、衣服支援をする。
その、衣服支援を、ボランティアと、便宜上呼ぶ。

ボランティアとは、ラテン語の、ボランタスから、出た。
生きる意味意識という、意味である。

つまり、行為が、生きる意味意識につながるもの、ということになる。

日本語では、奉仕活動などと、訳される。

その言葉に、問題は無い。

だが、ボランティアの精神を語るのに、マザーテレサが、出るのが、不思議である。
もし、マザーテレサの行為が、ボランティアであり、その原点であるというならば、それは、誤りであり、更に、彼女は、偽善者である。

彼女の行為に、何の問題もない。
私は、評価する。

だが、聖者と呼ばれて、ボランティアの精神の原点と言うならば、受け入れられない。

彼女は、ボランティアや、日本語でいう、奉仕活動をしたのではない。

彼女の行為は、彼女の実に、主観的な信仰に、支えられてある。

彼女は、主イエスキリストから、ある日、私は、乾くと、言われた。更に、最も貧しい人の中に行け、である。

彼女の行為は、それである。

一切の、奉仕や、ボランティア活動ではない。

キリストのために。
彼女が言う、神様のために、素晴らしいことを・・・なのである。

キリストが存在しなければ、彼女の行為も、行動も、存在しない。
要するに、駆け引きと、契約である。

だが、彼女が、聖書を、深く読めば、主イエスが、右手が、良いことをするならば、左手に教えないようにしなさい、という、言葉を、忘れたのか、知らないのである。

彼女の、喜びは、主イエスへの愛であり、死後の世界に在ると信じる、神の国、天国へ行くことなのである。

主イエスのために、とは、そういう意味である。

世界的に、彼女の解釈が、誤っているということ、である。

更に、彼女は、その活動を、ローマ法王によって、認可されたのである。
ボランティアという、本来の意味とは、別物である。

ローマ法王の認可とは、カトリック教会が、彼女の活動を、認めるということである。

そして、彼女が、世界的に知られるようになると、カトリック教会は、マザーテレサを、広告塔として、利用したのである。

歴史を、振り返れば、カトリック教会は、多くの植民地政策に、加担し、更には、民族の、大量虐殺を行っている。

南米では、スペインが、一億人を虐殺した。
そして、それに関しての、謝罪の言葉は、一言もない。

ヨーロッパの、植民地政策は、キリスト教布教と、セットになり、行われた。

イエズス会などという、修道会は、まさに、カトリック教会支配の地を、捜し求めて、世界を巡った。

日本の、キリシタン迫害というが、迫害ではなく、国を、守るべくの、行為だった。
でなれば、日本は、カトリックの、植民地になっていた。

天皇を廃止し、ローマ法王を頂く国になっていた。

フィリピンなどは、そうである。

最初のイスラム教徒を、虐殺して、スペインは、カトリックを布教した。従わない者は、殺した。

カトリック教会が、いくら、懺悔しても、許されないのは、それである。
しかし、懺悔するどころか、世界に、メッセージを送るという、傲慢である。

その、ローマ法王に認可されて、マザーテレサの活動が、開始された。
主イエスの、代理である、ローマ法王の認可が、必要だった。

実際、マザーテレサも、教会の、犠牲者の一人かもしれない。

私は、カトリック系の、ある修道会の、修道院長と友人でもあり、更に、多くの、シスターたちの、善意の行為を見ている。
決して、有名にはならないが、マザーテレサと、遜色は無い。

マザーテレサの、偽善は、余りある。
主イエスによる、祝福で、満たされるはずが、世俗的な、ノーベル賞を頂くという。

更に、彼女の、言葉ある、偽善である。
多くの人、その言葉を、人に聞かせる。

もっとも、多い言葉が、以下である。

与える私は、実は、与えた人から、より多くを与えられているのです。

この、実に、意味ありげな、偽善の言葉は、誤りに満ちている。

与えたということは、与えられるということで、完結する。

与えることによって、与えられ
という、アシジの聖フランシスコの言葉もある。

これは、キリスト教の、抜けられない、邪悪な観念である。
つまり、契約である。

与えるということは、与えられるということで、完結する、という、私の言葉が、理解できれば、幸いである。

それによって、与えた相手から、より多くの恵みを与えられると、考えるところに、実は、偽善が、大きな穴を開けて、待っている。

助けを、必要としている人がいることが、彼女の、救いなのである。

助けを必要としない人が、一人もいなければ、彼女の存在は、必要ではない。

私は、聖者になりたければ、インドに行けと、人に言う。

インドでは、誰でも、聖者になる事が出来るのである。
インドが、魔の世界だからである。

更に、精神的、霊的指導者も、多くは、インドから出る。

私は、あなたが、それに、座ったのを、知っている。
などと、自分は、椅子にまでも、意識があるというような、アホが、沢山いる国、インドである。

インドには、日本より、億万長者が多い。
だが、その福祉は、最低である。

マザーテレサは、政治的なことに、一切、関わらなかった。それは、正しい。
宗教家が、政治に関わると、とんでもない、誤りを犯す。

マザーテレサは、宗教を超えて、人々の尊敬を、集めた。

主イエスは、十字架刑である。
何故か。
ユダヤ教の、大衆の耳障りな言葉を、多く吐いたからである。
今、主イエスが、現れたら、キリスト教徒によって、殺される。

さて、長くなるので、切り上げるが、与えることによって、更に多くを与えられるなどという、偽善の言葉は、必要ない。

与えること、それのみで、事は、帰結する。

与えることで、多くを与えられると、考える人は、善を行っているという、明確な自覚がある。

与えた喜びは、自分より、助けが必要な人の存在によって、我が身の幸福を、楽しむのである。

実に、傲慢不遜である。

私は、汗だくになり、衣服を支援した後では、さて、何を食べようかと、考えている。
衣服を支援したことを、すでに、忘れる。

与えた人から、多くを与えられたなどという、アホなことは、考えない。

何故か。
一期一会である。

たまたま、偶然である。

この世に、必然的なものが、あろうか。
すべて、偶然の賜物。

昔は、すべては、必然であると、考えていた時期がある。
しかし、今、年を取って、すべては、偶然であり、たまたま、であると、知った。

何一つとして、不安定でないものはない。

すべてが、不安定で、揺れている。

マザーテレサの、主イエスに対する、誇大妄想が、彼女を、偽善の聖者にした。

昔の人は、皆、死ぬ人と、共にいた。
一人も、百人も、行為は、同じである。

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ジャカルタ・スマトラ島・パダンへ 4

部屋に入り、しばらく、呆然としていた。
今、見た、スラムの風景に、絶句していた。

そして、冷静になって、ホテルの案内を見て、驚いた。

ホテル、スパ、カラオケ完備のホテルであり、更に、中華系である。
一階から、四階までは、それらの、施設であり、五階と、六階が、ホテルだった。

話は、順に進める。

食事である。
昼の食事を、三時頃にした。
一階に、レストランがある。そこは、ルームサービスもする。

中華料理である。

味は、そこそこ。しかし、値段が高い。
税金、サービス料で、15パーセント、上乗せされる。

次第に、ホテルの全貌が、理解できてきた。
私は、疲れて、部屋に戻り、コータに、水と、ビールを買わせた。

私は、海外に出ると、アルコールは、飲まないが、昨夜と、今夜は、飲みたい気分なのである。結局、二日で、止めたが。

ビールは、嫌いである。
しかし、日本酒に変わるものがないゆえに、ビールにする。

コータの報告である。

道路を挟んだ、向かい側に、そごうデパートがある。
そこには、アメリカ資本の店舗も、多く入る。

この、スラムの向かいに、そごうデパートとは、驚いた。
確かに、高速を走っている時に、その文字を見たが、こんなところにあるとは、思いもしない。

考えた。
ここでは、支援をしない予定であるが、少しなら、一つのバッグなら、と、思った。

コータに言うと、ホテルの、横の道から、スラムに入る道があるという。

よし、明日、そこに入り、少し、衣服を差し上げよう。
そして、そごうデパートを見に行くことにした。
レストランが多いというので、夜の食事を、そごうデパートですることにした。

それまで、私は、タバコを吹かし続けた。

午後五時になると、突然、音が聞こえ始めた。
二階から、四階部分のカラオケスペースからである。
それが、何と、12時間、続くのである。
つまり、朝の五時まで。

そこには、コータが、二度偵察に出かけた。
後で、それを、書くことにする。

夜の食事に、そごうデパートに出掛けた。
ショッピングセンターのような、三階、四階は、レストラン街である。

驚いたのは、和食の店が、見た限りでは、二件はあった。
更に、これから開店する店も、和食の店である。

そこは、高級店であり、私は、一度入って、鮨を、三個注文して食べてみたが、まずまずである。

インドネシア料理を頂く。
実は、これから行くパダンは、パダン料理の発祥地である。
それが、インドネシア料理の元になっている。

全体的に、辛い料理である。
おかずを選んで、ライスを、つける。

一皿に、盛られる。

300円から、500円程度である。
これが、パダンに行くと、100円程度で、食べることが出来る。

ちなみに、一万円が、94万ルピアだった。
おおよそ、100万ルピアである。
つまり、一万ルピアだと、100円である。

10万ルピアが、1000円。
それに慣れるまで、混乱する。

食事は、二人で、いつも、五万ルピア程度である。

食事を終わり、水を買って、部屋に戻る。
水は、必須である。水道水は、飲めない。
熱中症にならないためにも、水は、多めに買う。

ジャカルタでは、2800ルピアで、買えた。
パダンでは、5000ルピアになる。
時に、同じものが、4000ルピアのこともあるから、適当なのだ。

私は、早々に、シャワーを浴びて、寝る準備である。
私が、寝る頃、コータが、下の階のカラオケムールに出た。

今回は、鍵を持って出た。
矢張り、ここでは、部屋の鍵を開けておくのは、危険である。

私が、眠っている間に、コータも戻り、寝たようである。
朝は、私が早く起きる。コータは、寝ている。

食事は、付いていないので、昨日、水と一緒に、買った、パンや、ハムを食べて、水を飲む。

その日は、スラムに出掛けて、少しの衣服支援をするつもりである。
出来れば、昼前に、出掛けたい。日差しが強くならない、うちにである。

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