2009年12月23日

もののあわれ 453

正身のここち、たとふべきかたなくて、かうしも人に見えじ、と思ひしづむれど、身の憂きをもとにて、わりなきことなれど、うち捨て給へる恨みのやるかたなきに、おもかげそひて忘れがたきに、たけきことはただ涙に沈めり。母君も慰めわびて、「何にかく心づくしなる事を思ひそめけむ。すべてひがひがしき人に従ひける心のおこたりぞ」といふ。入道「あなかまや。思し捨つまじき事もものし給ふめれば、さりとも思すあらむ所あらむ。思ひ慰めて、御湯などをだに参れ。あなゆゆしや」とて、かたすみに寄り居たり。乳母母君など、ひがめる心を言ひ合わせつつ、「いつしか、いかで思ふさまにて身奉らむと、年月を頼み過ぐし、今や思ひかなふとこそ頼み聞えつれ。心苦しきことをも、物の初めに見るかな」と嘆くを見るにも、いとほしければ、いとどほけられて、昼は日一日寝をのみ寝くらし、夜はくよかに起き居て、「数珠の行くへも知らずなりけり」とて、手をおし摺りて仰ぎ居たり。弟子どもにあはめられて、月夜に出でて行道するものは、鑓水の倒れ入りにけり。よしある岩のかたそばに、腰もつきそこなひて、病み臥したる程になむ、すこし物まぎれける。





本人の気持ちは、たとえようも無い、悲嘆さである。明石の君である。
このような、嘆きを、人に、知られまいと、気持ちを、静めようとするが、身分の違いが、元で、言うことも、無理なのだが、置き去りにされた、恨みの、やり場もない。それなのに、面影が、ちらついて、片時も、離れることがない。さしあたり、泣くことしかないのである。
母君も、慰める言葉無く、どうして、このような、気の揉めることを、考えたのか。それもこれも、偏屈な、この人に、従ったからだと、言う。
入道は、やかましい、捨て置かれない訳も、おありだ。幾らなんでも、お考えがあろう。安心して、薬でも、召し上がれ。縁起でもない。と、言いつつ、隅に引っ込んでいる。
乳母、母君などは、入道の、偏屈な心を、そしりあいながら、少しでも、早く、と、願い通りの、姿で、お世話をと、長い年月を、お待ちして、今、やっと、その願いが叶いましたと、君も、頼もしく存じ上げたのに、ご結婚早々、気がかりなことと、嘆くのを、見るにつけ、可愛そうで、いよいよ、呆然としてしまい、昼は、一日、寝てばかり、夜は、起きて、座り、入道は、数珠が、どこにあるやら、わからなくなったと、手を摺り合わせて、本尊を仰いでいる。
弟子どもは、馬鹿にされて、月夜に、外に出て、行道したところ、鑓水に落ちる始末である。
風流な岩の片隅に、腰を打ち、患い、寝ている間だけは、少し、気が紛れるのだった。

入道の、滑稽さが、描かれる。






君は難波のかたに渡りて御祓へし給ひて、住吉にも、たひらかにて色々の願はたし申すべきよし、御使して申させ給ふ。にはかに所せうて、自らはこのたびえ詣でたまはず。異なる御逍遥などなくて、急ぎ入り給ひぬ。二条の院におはしましつきて、都の人も、御殿人も、夢の心地して行き合ひ、よろこび泣きもゆゆしきまで立ち騒ぎたり。




源氏は、浪速に渡り、お祓いをされて、住吉の神にも、無事であり、改めて、色々な願を立てるべく、参内する旨を、お使いの者を通して、申し上げる。
にわかに、お供の者たちが、増えたので、ご自身では、お参りできない。更に、特別な、遊覧などはなく、急ぎ、御入洛になった。
二条の院に、着かれて、都の者も、御殿に仕える者も、道で顔を合わせると、夢のような気持ちがして、喜び泣きなど、ゆゆしきまで、騒ぐのである。




女君もかひなきものに思し捨てつる命、嬉しう思さるらむかし。いとうつくしげにねび整ほりて、御物思ひの程、所せかりし御髪のすこしへがれたるしもいみじうめでたきを、「今はかくて見るべきぞかし」と、御心落ちいるにつけては、またかの飽かず別れし人の思へりしさま心苦しう思しやらる。なほ世と共に、かかるかたにて御心のいとまぞなきや。





女君も、生きていても、甲斐がないと、思い、諦めていた命であったが、嬉しく思うことであろう。
何とも、美しく成人して、苦労のためか、御髪が、少し減ったようで、それも、かえって、素晴らしく見える。
これからは、こうして、逢えるのだと思うと、心が落ち着くと、また、あの飽きない別れをしてきた、人の嘆きが、胸痛く、思い出される。
やはり、一生、このようなことで、心の休まる暇は、ないようである。





その人の事どもなど聞え出で給へり。思し出でたる御気色浅からず見ゆるを、ただならずや見奉り給ふらむ。わざとならず「身をば思はず」などほのめかし給ふぞ、をかしうらたく思ひ聞え給ふ。かつ見るにだに飽かぬ御さまを、「いかで隔てつる年月ぞ」と、あさましきまで思ほすに、とりかへし世の中もいと恨めしうなむ。程もなく、本の御位あらたまりて、数より外の権大納言になり給ふ。つぎつぎの人も、さるべき限りはもとの官返し賜はり世に許さるる程、枯れたりし木の春にあへる心地して、いとめでたげなり。




その人のことなども、あれこれと、お話になる。
思い出している、様子が、浅からず思えるのは、普通の愛着ではないと、察する。それとなく、身をば思わずと、小声で、仰るのを、可愛らしいと、お聞きになる。
また、目の前の、眺めていて、飽きない、人を、どうして、長い年月を、見ずにいたのかと、呆れるばかりの、思いに、京を離れた当時の、気持ちに戻り、世の中が、恨めしく思われる。
間もなく、元の位に、復帰して、外の権大納言となられる。
次々の者も、しかるべき人々は、皆、元の、官を返し賜り、社会に、復帰したので、枯れ木の春が、巡ったようで、大変、目出度いことである。


身をば思わず
忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな
拾遺集より




posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第10弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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