2009年12月22日

もののあわれ 452

今日たてまつるべき御装束に、


寄る浪に たちかさねたる 旅ごろも しほどけしとや 人のいとはむ

とあるを御覧じつけて、さわがしけれど、

源氏
かたみにぞ 換ふべかりける 逢ふ事の 日数へだてむ 中のころもを

とて、「志あるを」とて、奉り換ふ。御身になれたるどもを遣す。げに今ひとへ忍ばれ給ふべき事を添ふる形見なめり。えならぬ御衣ににほひの移りたるを、いかが人の心にもしめざらむ。



今日、お召しになる、狩衣に、


用意しました、旅の御装束は、寄る波に濡れております。お気持ちが、悪いと仰いますか。

とあるのを、ご覧になり、騒がしいが、

逢うときまでの、形見に、着ている衣を、あなたの贈り物の衣と、交換しましょう。何日かかるか、わからない、二人の仲の、この中の衣です。

と、おおせられて、心が、こもっているのだからと、お召し換えになる。
御身に、つけていたものを、おつかわしになる。まことに、今ひとへ忍ばれ給ふべき事、もうひとつの思い出の、種を加える形見になるだろう。
え、ならぬ、つまり、言い表せない、立派な御衣に、君の、移り香が、匂う。
どうして、相手の心に、染み入らぬことが、あろうか。

最後は、作者の言葉である。





入道「今はと世を離れ侍りにし身なれども、今日の見御送りに仕うまつらぬ事」など申して、かひをつくるもいとほしながら、若き人は笑ひぬべし。

入道
世をうみに ここらしほじむ 身となりて なほこの岸を えこそ離れね

心の闇はいとど惑ひぬべく侍れば、境までだに」と聞えて、入道「ぎきしきさまなれど、思し出でさせたまふ折り侍らば」など、御気色賜はる。いみじう物をあはれと思して、所々うち赤みたまへる御まみのわたりなど、いはむかたなく見給ふ。源氏「思ひ捨てがたき筋もあめれば、今いと疾く見なほし給ひてむ。ただこの住みかこそ見捨て難けれ。いかがすべき」とて、

源氏
みやこ出でし 春の嘆きに おとらめや 年ふる浦を わかれぬる秋

とておしのごひ給へるに、いとどものおぼえず、しほたれまさる。起居もあさましうよろぼふ。




入道は、今は、世の中を離れて生きる身でありながらも、今日は、見送りに、お供しませんこと、などと、申して、かひをつくるもいとほしながら、泣きべそをかいているのである。
若い人は、笑うだろう。

入道
世の中が、嫌で、この海辺に逃れて、長年、潮風を受けた、この身ですが、未だ、この岸を離れられずに、生きています。
えこそ 離れね
この岸は、あの世、彼岸に対する、この世である。そこから、離れられないというのは、迷いにあるという。

この世の闇とは、子に対するゆえに、益々、迷う闇のことである。
境までなりとも、と、申し上げて、入道は、仇めいたことでが、思い出す折がありましたら、娘に便りを、などと、御意を、伺う。
大変悲しみに、沈み、所々、赤くしている、目元のあたりなどから、言いようも無く、見える。
源氏は、思ひ捨てがたき筋もあめれば、と、いう。
これは、女の妊娠であろう。
すぐに、私の、本心も解っていただけます。ただ、この住まいが、見捨てにくいので、どうしたら、いいのかと、仰り、

源氏
みやこを逃れた、あの春の嘆きに、劣らず、住み慣れた、この明石の浦に、別れを告げる、この秋も、悲しいもの。

と、涙をぬぐう。入道も、ひとしお、分別無く、涙を流す。立つ姿も、よろよろとして、転げそうだ。



物語には、主語が無いゆえに、迷うこと、多々あり、
先人たちの、研究によって、多く、それを、知る事が出来るが、物語は、楽しむもの。
何度も、読み進めるうちに、自ずと、理解されることも、多々ある。

一体、これは、誰のことを、いうのか。更に、誰の、気持ちなのか・・・と、戸惑うこともある。

現代人に、努力を強いる、古典文学であるが、そこには、脈々として、日本人が、築き上げてきた、精神の、歴史がある。

古典文学に、意味も、意義も、見出せないという人もいる。
だが、それは、あまりに、短絡的だ。

日本人の、精神の岐路が、ある。
言葉は、精神である。
日本語、大和言葉は、民族の精神である。
単なる、情報を得るための、言葉の世界もあるが、古典は、精神を、見詰める手立てと、なるのだ。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第10弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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