2009年12月21日

もののあわれ 451

この御心にだにはじめてあはれになつかしう、まだ耳なれれ給はぬ手など心やましき程にひきさしつつ、あかず思さるるにも、「月頃、など強ひても聞きならさざりつらむ」と、悔しう思さる。心の限り行く先の契りをのみし給ふ。
源氏「琴はまた掻き合はするまでの形見に」と宣ふ。女、


なほざりに 頼めおくめる 一ことを つきせぬ音にや かけて忍ばむ

言ふともなき口ずさびをうらみたまひて、

源氏
逢ふまでの かたみに契る 中の緒の しらべはことに 変らざらなむ

この音たがはぬさきに必ずあひ見む」と頼めたまふめり。されど、ただ別れむ程のわりなさを思ひむせたるも、いと道理なり。




君ほどの方でさえ、あはれになつかしう、しみじみと心に響く音に、まだ聞いていない曲なども、もっと、聴きたいと、思うところで、弾き止めたのを、物足りなく思うにつけても、今まで、どうして、無理じいをしても、聞かなかったのかと、残念に思う。
心の限り行く先の契りをのみし給ふ
将来のことを、思う存分に、約束するのである。
源氏は、この琴は、今度、掻き合わせをするときまでの、形見にと、おおせられる。
女は、


気休めに、そのようなことを、仰るのでしょうが、その一言を、信じて、泣きながら、あなた様のことを、偲びます。

と、言うともなく、口ずさむのを、聞きとがめて、

源氏
再び、逢う日までの、形見にと、二人の約束に残してゆく、琴の緒も、あなたの心も、共に、変わらないでほしい。

この、弦の調子の狂わないうちに、必ず逢いましょう。と、約束するのである。
ただ、目の前の、別れの辛さに、むせび泣くのも、無理のないことである。

最後は、作者の言葉である。

あはれになつかしう
心に、しみじみと、感動を起こすときに、あはれになつかしう、と、あはれ、が、出てくる。





立ちたまふ暁は、夜ふかく出で給ひて、御迎への人々もさわがしければ心も空なれど、ひとまをはからひて、

源氏
うちすてて 立つも悲しき 浦なみの なごりいかにと 思ひやるかな

御返り、


年へつる 苫屋も荒れて 憂きなみの 帰るかたにや 身をたぐへまし

とうち思ひけるままなるを見給ふに、忍び給へど、ほろほろとこぼれぬ。心知らぬ人々は、「なほかかる御すまひなれど、年頃といふばかり慣れ給へるを、今はと思すはさもある事ぞかし」など見奉る。良清などは、「おろかならず思すなめりかし」と憎くぞ思ふ。




ご出立の朝は、夜の深いうちに、お出でになった。
お迎えの人々も、ざわめいている。
源氏の心は、上の空ながらも、人のいない隙を見て、

源氏
あなたを、捨てて、立ち去るのが辛い。この浦に、どんな思いで、過ごされるのかと、立ち去った後で、思い出すだろう。

お返事は、

久しく見慣れた、この、家も、君の、立ち去られた後は、荒れ果てて、憂き思いをするでしょう。お帰りの後を追い、波に身を任せます。

と、思ったままの、返歌をご覧になり、我慢するのだが、ほろほろと、涙が、流れる。
訳を知らない人は、こんな、お住まいであるが、一年も住むと、いよいよの、出発に、最もなことだと、お姿を、拝している。
良清などは、一方ならぬ、思し召しだと、憎く思うのである。

良清は、源氏の涙が、女に、流されていると、知るのである。





嬉しきにも、げに今日を限りにこの渚を別るる事などあはれがりて、口々しほたれ言ひあへる事どもあめり。されど何かはとてなむ。入道、今日の御まうけ、いといかめしう仕うまつれり。人々、下の品まで、旅の装束めづらしきさまなり。「いつの間にかしあへけむ」と見えたり。御装は言ふべくもあらず。御衣櫃あまた掛けさぶらはす。まことの都のつとにしつべき御贈り物ども、ゆえづきて、思ひよらぬ隈なし。




帰ることが、嬉しいが、本当に、今日限りで、この浜に別れを告げるとなると、互いに、名残を惜しみ、口々に、悲しく言い合う、歌も、あったことだろう。
しかし、それを、いちいち、申す必要もない。
入道は、今日の別れの宴を、実に盛大に準備した。
御供の下々にまで、旅の装束を、立派にととのえてある。いつの間に、このような、準備をしたのかと、思うほどである。
君の、装束は、いうまでもない。みぞびつ、なども、幾棹となく、担わせて、お供させる。本当に、都への、お土産にできそうなご進物なども、立派である。隅々まで、行き届いている。

これから、ひとしきり、別れの挨拶が、交わされる。
こういう、場面が、また、得意な作者である。




posted by 天山 at 00:00| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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