2009年12月14日

もののあわれ 444

京のこと覚えて、をかしと見給へど、うち頻りて遣さむも、人目つつましければ、二三日隔てつつ、つれづれなる夕暮れ、もしはものあはれなる曙などやうに紛らはして、折々も同じ心に見知りぬべき程おしはかりて、書き交し給ふに、似げなからず。心深う思ひあがりたる気色も「見ではやまじ」と思ものから、良清が領じていひし気色もめざましう、年頃心つけてあらむを、目の前に思ひ違へむもいとほしう思しめぐらされて、「人進み参らば、さる方にても紛らはしてむ」と思せど、女はた、なかなかゆむごとなき際の人よりもいたう思ひあがりて、妬げにもてなし聞えたれば、心くらべにてぞ過ぎける。





京のことが、思い出されて、なにやら、深くご覧になるのだが、そう頻繁に、遣わすのも、人目が、憚られるので、二、三日おきぐらいに、する事もない夕暮れとか、心寂しい、明け方などと、目立たぬように、時々、相手も、自分と同じような思いをしている時を、想像して、やりとりをされると、まんざらでもないのである。
ものあはれなる曙
この、明け方の、あはれは、ものあはれ、と、寂しい、心象風景である。
思慮深く、気高く構えている様子に、是非、会ってみたいものだと、思うのだが、良清が、我が物のように言っていたとこも、気に障ることであり、年頃、望みをかけていたらしいのを、目の前で、がっかりさせるのも、気の毒に思う。
もし、先方から、進んでくるなら、そういう建前にして、目立たぬように、事を運ぶことだと、思う。が、女の方は、身分の高いお方以上に、お高く留まっていて、じらすような態度である。お互いに、根競べのように、日が過ぎてゆく。





京の事を、かく関隔たりては、いよいよおぼつかなく思ひ聞え給ひて、「いかにせまし。戯れにくくもあるかな。忍びてや迎へ奉りてまし」と思し弱る折々あれど、「さりともかくてやは年を重ねむ。今さらに人わろき事をば」と思ししづめたり。




京の事が、このように、須磨の関より、さらに遠くに流れてきた今は、ますます、心にかかり、どうしたものか、本当に、戯れにくき、まで、恋しいことだ。いっそのこと、内緒で、呼び迎えることにしょうかと、気弱いことを、考えることもある。
いくらなんでも、ここで、年を重ねることは、ないだろう。今になって、外聞きの悪いことなどと、思い返すのである。


次第に、源氏が、入道の娘に、惹かれはじめているのである。
そして、人目や、良清の手前、相手から、進んできたように、見せるのがいいと、思う。

戯れにくい、相手なのであるが、逆に、逢いたくなるのである。




その年、おほやけに、物のさとし頻りて、もの騒がしきこと多かり。三月十三日、雷鳴りひらめき、風雨騒がしき夜、帝の御夢に、院の帝、お前の御階の下に立たせ給ひて、御気色いとあしうて睨み聞えさせ給ふを、かしこまりておはします。聞えさせ給ふことども多かり。源氏の御事なりけむかし。
「いと恐ろしう、いとほし」と思して后に聞えさせ給ひければ、大后「雨など降り、空乱れたる夜は、思ひなしなる事はさぞ侍る。軽々しきやうに、思しおどろくまじき事」と聞え給ふ。




その年、朝廷では、神のおさとしが、引き続いて、物騒がしい事が多かった。
三月十三日、雷が鳴り響き、雨風の強い夜のこと、陛下の夢に、故上皇陛下が、お前の階段の下にお立ちあそばして、大変機嫌の悪い様子で、睨んでいるのを、陛下は、畏まり、見ていた。そして、色々な、仰せがあった。源氏のことでしたのでしょう。
大変、恐ろしく、また、気の毒にも思し召して、大后に申し上げると、后は、雨などが降り、天候が乱れている夜には、心の中にあることが、夢に見えるものです。軽々しく、驚きあそばすものでは、ありません、と、仰る。


源氏の御事なりむかし。
これは、作者の言葉である。



睨み給ひしに見合はせ給ふと見しけにや、御目わづらひ給ひて、絶え難うなやみ給ふ。御つつしみ、内にも宮にも限りなくせさせ給ふ。太政大臣亡せなやみ給ふ。道理の御齢なれど、つきつぎに自ら騒がしき事あるに、大宮もそこはかとなうわづらひ給ひて、程経れば弱り給ふやうなる。内に思し嘆く事さまざまなり。主上「なほこの源氏の君、まことに犯しなきにて、かく沈むならば、必ずこの報いありなむとなむ覚え侍る。今はなほ本の位をも賜ひてむ」と、たびたび思し宣ふを、大后「世のもどき軽々しき様なるべし。罪に愧ぢて都を去りし人を、三年をだに過さずゆるされむことは、世の人もいかが言ひ伝へ侍らむ」など、后固くいさめ給ふに、思し憚る程に、月日重なりて、御なやみどもさまざまに重なりまさらせ給ふ。





お睨みになったとき、眼を見合わせたせいか、眼病を患い、堪えきれないほど、苦しんだ。物忌みの行事が、宮中でも、皇太后宮でも、あらん限りに、執り行われた。そんな折に、太政大臣が、亡くなる。お年からいえば、当然であるが、次々と、穏やかならぬことが、自然に起こる上に、大后も、病の床につかれた。日が経つほどに、衰弱するので、主上も、あれこれと、嘆きが多い。
矢張り、源氏の君が、真実犯した罪もなくて、逆境に苦しんでいるならば、必ずその報いがあるだろうと、思われます。この上は、元の地位を与えましょうと、度々、仰せになる。
だが、大后は、世間でも、軽々しいと、陰口を申すことでしょう。罪を恐れて、都を去った人を、三年も、過ぎないうちに、許しては、世の人は、どのように、言うでしょう、などと、大后が、固く、諌めるので、ためらううちに、月日が経ち、共に、病気が、重くなっていった。


当時、流罪人は、六年以内は、任官せず、その咎に及ばずとても、三年以内は、任官しないとある。

しかし、物語は、源氏を許さないことで、陛下と大后の病が重くなると、進める。
源氏物語の、主人公は、源氏である。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第10弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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