2009年12月12日

もののあわれ 442

いたく更け行くままに、浜風涼しうて、月も入り方になるままに澄みまさり、静かなる程に、御物語り残りなく聞えて、この浦の住み始めし程の心づかひ、後の世を勤むる様、かきくづし聞えて、この女の有様、問はず語りに聞ゆ。をかしきものの、さすがにあはれと聞き給ふ節もあり。入道「いと取り申し難きことなれど、わが君、かう覚えなき世界に、仮ににても移ろひおはしましたるは、もし、年頃老法師の祈り申し侍る神仏の憐びおはしまして、しばしのほど御心をも悩まし奉るにやとなむ思う給ふる。その故は、住吉の神を頼み始め奉りて、この十八年になり侍りぬ。





夜が更けてゆくにつれ、浜風が涼しく吹き、月も入り方になるにつれて、いよいよ、澄み切って、あたりも、ひっそりとしてくる。入道は、事情を残らず、申し上げる。
この浦に住むようになった、当時のことから、後世を願う、仏道修行のことなどを、ぽつぽつと、お耳に入れる。そして、その娘の有様を、問はず語りに言う。
源氏は、面白い話だと思うが、さすがに、あはれと、不憫であると、感じるのである。
入道は、まことに、申し上げにくいことですが、あなた様が、このような、思いがけない土地に、ひと時でも、移っていらしたのは、もしや、年頃のこの老僧が、祈りましております、神仏が、憐れに思い、しばらくの間、ご苦労をおかけすることになったのではないかと、存じます。
住吉の神に、願いをかけて、十八年になります。




女の童のいときなう侍りしより、思ふ心侍りて、年ごとの春秋ごとにかならずかの御社に参ることなむ侍る。昼夜の六時の勤めにみづからの蓮の上の願ひをばさるものにて、ただこの人を高き本意かなへ給へとなむ念じ侍る。さきの世の契りつたなくてこそかくく口惜しき山がつとなり侍りけめ、親、大臣の位を保ち給へりき。自らかくいなかの民となりて侍り。つぎつぎさのみ劣りまからば、なにの身にかなり侍らむ、と悲しく思ひ侍るを、これは生まれし時より頼む所なむ侍る。




娘が、幼少の頃から、思うことがありまして、毎年、春秋と、必ず、あの社にお参りして、きました。昼夜の六時の勤めも、自分が極楽往生する願いは、それとして、ただ、この娘を、位の高い方にと思う、私の願いを叶えてくださいと、祈願しました。
私は、前世からの、運命がないゆえに、こんな、情けない、山がつ、つまり身分の低い、人間になってしまった。親は、大臣の位を得ておりました。自分は、田舎の人間になり、次々と、このように、落ちぶれることでは、しまいには、どういう境遇に成り下がりますかと、悲しく思います。娘は、生まれたときから、頼もしく思うところがありました。





いかにして都の貴き人に奉らむと思ふ心深きにより、ほどほどにつけて、あまたの人の嫉みを負ひ、身のためからき目を見るをりをりも多く侍れど、さらに苦しみと思ひ侍らず。命の限りはせき衣にもはぐくみ侍りなむ。かくながら見棄て侍りなば、波の中にも交じり失せね、となむ掟て侍る」など、すべてまねぶべくもあらぬことどもを、うち泣き聞ゆ。君もものをさまざま思し続くる折からは、うち涙ぐみつつ聞し召す。





どうかして、都の貴い方に、差し上げようと思う心が、強く、身分が低ければ、低いなりに、多くの人の、嫉みを受け、私自身も、辛い目に遭うことも、ありましたが、そんなことは、苦しみとは、思いません。
命ある限りは、この狭い袖にも、娘を大事に抱いてやりましょう。私が、先に逝くようなことがあれば、海の中に、身を投げてしまえと、申し付けております。などと、全く話しが出来ないことを、泣く泣く申し上げる。
源氏も、色々と、物思うこの頃のことで、涙ぐんで、聞いていらっしゃる。





源氏「横ざまの罪に当たりて思ひかけぬ世界に漂ふも、なにの罪にかとおぼつかなく思ひつるを、今宵の御物語に聞き合はれば、げに浅からぬさきの世の契りにこそはとあはれになむ。などかは、かくさだかに思ひ知り給ひけることを今までは告げ給はざりつらむ。都離れし時より、世の常なきもあぢきなう、行ひよりほかのことなくて月日をふるに、心も皆くづほれにけり。かかる人ものし給ふとはほの聞きながら、いたづら人をばゆゆしきものにこそ思ひ棄て給ふらめ、と思ひ屈しつるを、さらば導き給ふべきにこそあなれ。心細きひとり寝の慰めにも」など宣ふを、限りなくうれしと思へり。




源氏は、無実の罪を蒙り、思いもよらぬ土地に、漂うことになったのは、何かの報いかと気にしていたが、今宵のお話を聞いて、考えてみれば、まことに、浅からぬ前世からの、運命であったと、しみじみわかりました。どうして、そのように、はっきりと、わかっていることを、今まで話してくださらなかったのです。都を離れたときから、無常な世の中が、嫌になり、仏の行をすることばかりで、月日を送っているうちに、すっかり意気がなくなりました。そういう方がいらっしゃるということは、うすうす聞いていました。役にも立たない、私のような者は、ゆゆしきものにこそ、忌まわしく思い、相手にも、してくれないだろうと、気を滅入らせていたのです。さらば導き、それでは、私を案内してくださるのですね。心細い、独り寝の慰めにもなります。などと、おっしゃるのを、入道は、この上なく、嬉しいと、思うのである。





入道
ひとりねは 君も知りぬや つれづれと 思ひあかしの うら淋しさを

まして年月思ひ給へわたるいぶせさを、おしはからせ給へ」と聞ゆるけはひ、うちわななきたれど、さすがにゆえなからず。源氏「されど、浦なれ給へらむ人は」とて、

源氏
旅衣 うらがなしさに あかしかね 草のまくらは 夢もむすばず

とうち乱れ給へる御さまは、いとぞ愛敬づき、いふよしなき御けはひなる。数知らぬことども聞え尽くしたれど、うるさしや、ひがごとどもに書きなしたれば、いとどをこにかたくなしき入道の心ばへも、現れぬべかめり。



入道
ひとり寝の、寂しさは、君も、お分かりになったでしょう。なすこともなく、思い明かす、明石の浦の、娘心のわびしさを。

まして、長い年月、思い続けております、私の心のうちを、お察しください、と、申し上げる様は、声が震えているのである。が、上品さを、失わない。
源氏は、でも、このような、浦に住み慣れている人は、と、仰せになり、

源氏
旅寝の寂しさに、夜を明かしかね、夢の結ぶ夜とて、ありません。

と、くつろぐ姿は、愛敬があり、いいようもない、風情である。
入道は、数え切れないほど、色々と、お話申し上げたが、もう、面倒なこと。
筆の向くままに、間違いまじりに、書きつけているので、それでなくても、頑固一徹な入道の性格が、いっそう、むき出しになったに、違いありません。

最後は、作者の、言い分である。

うるさしや
ああ、もういい、と、作者が投げ出すのである。
ひがごとどもに書きなしたれば
筆の向くままに、書いてきたが・・・
いとど をこに かたくなしき 入道の 心ばへも
入道の性格である。
後は、読者の想像に、お任せするというのである。





posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第10弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。