2009年12月11日

もののあわれ 441

音もいと二なう出づる琴どもを、いと懐かしう弾き鳴らしたるも、御心とまりて、源氏「これは女のなつかしき様にてしどけなう弾きたるこそをかしけれ」と、大方に宣ふを、入道はあいなくうち笑みて、入道「遊ばすより懐かしき様なるは、いづこのか侍らむ。なにがし、延喜の御手より弾き伝へたること三代になむなり侍りぬるを、物の切にいぶせ折々は、掻き鳴らし侍りしを、あやしうまねぶ者の侍るこそ、自然にかの先大王の御手に通ひて侍れ。山伏のひが耳に松風を聞き渡し侍るにやあらむ。いかで、これ忍びて聞し召させてしがな」と聞ゆるままに、うちわななきて涙落とすべかめり。





音色も、この上なく出る琴を、幾つも、たいそうやさしく、弾き鳴らしたのが、君のお耳に、留まり、筝の琴は、女がやさしい姿で、無造作に、弾いたのが、面白いと、何気なく仰せになる。入道は、微笑んで、あなた様が、弾かれますより、やさしい姿が、何処の女にありましょう。わたくしは、延喜の帝の御手法を弾き伝えまして、三代になりますが、このような、ふつつかな身の上で、この世の事は、捨て去り忘れ果てておりますのに、気分が、ひどくふさぐときに、掻き鳴らしました。それを、不思議に、真似るものがいまして、それが自然と、前大王の、御手に似ているのでございます。山伏の、僻耳で、松風の響きあうのを、それと聞くのでございましょうか。何とかして、それを、内々で、お聞きしたいと、御願いしたいものです。と言いつつ、身をふるわせて、涙を落とすようである。





君「琴を琴とも聞き給ふまじかりけるあたりに、ねたきわざかな」とておしやり給ふに、源氏「あやしう昔より筝は女なむ弾きとるものなりける。嵯峨の御伝へにて、女五の宮、さる世の中の上手にものし給ひけるを、その御筋にて、取り立てて伝ふる人なし。すべてただ今世に名を取れる人々、かきなでの心やりばかりのみあるを、ここにかう弾きこめ給へりける、いと興ありけることかな。いかでかは聞くべき」と宣ふ。




君は、私の琴など、琴とは、いえないもの。ばかなことを、しました。と、おっしゃり、楽器を押しやって、どういうものか、筝のことは、昔から、女が奏法を会得するものになっています。
嵯峨の帝からの、ご伝授で、女五の宮は、その当時の、名人でいらしたのに、その系統では、これといった、伝授者は、いません。
総じて、現在に、名声を得ている人々は、通り一遍の独りよがりで、ここにそんな、名人が、潜んでいるとは、まことに、面白いことです。どうにかして、聞きたいものです。と、仰せられる。





入道「聞し召さむには何の憚りか侍らむ。お前に召しても、商人の中にてだにこそ、ふるごと聞きはやす人は侍りけれ。琵琶なむまことの音を弾き静むる人、いにしへも難う侍りしを、をさをさとどこほることなう、なつかしき手など筋ことになむ。いかでたどるにか侍らむ。荒き波の声にまじるは、悲しくも思う給へられながら、かきつむる物嘆かしさ、紛るる折々も侍り」など好きいたれば、をかしと思して、筝の琴取りかへて賜はせたり。げにいと過ぐして掻い弾きたり。





入道は、お聞きくださいますならば、何のご遠慮がありましょう。御前にお召しくださっても、結構です。商人の妻を呼び出しても、古曲を聴いた人がおりました。琵琶は、本当の音色を弾きこなす人は、昔も少ないものでした。しかし、どうやら、滞ることなく、弾くようですし、やさしい弾き方などは、特別のようです。いつの間に、ものにしたのでしょう。荒い波の響きと、一緒に聞きますのは、悲しくもありまが、つもる愁いの慰められる時もあります。などと、風流と思っているので、君は、面白く思い、筝の琴と、取り替えて、与える。なるほど、たいそう、上手に掻き鳴らす。





今の世に聞えぬ筋ひきつけて、手づかひいといいたう唐めき、ゆの音深う澄ましたり。伊勢の海ならねど、「清き渚に貝や拾はむ」など声よき人に謡はせて、われも時々拍子とりて、声うち添へ給ふを、琴弾きさしつつめで聞ゆ。
御くだものなど珍しき様にて参らせ、人々に酒強こそしなどして、おのづからもの忘れしぬべき夜の様なり。





今の世には、知られない曲を、弾きだして、その手さばきが、唐風であり、由の音が、深く透き通るように、響く。ここは、伊勢の海ではないが、清き渚に、貝や拾わん、などと、声の良い者に歌わせて、ご自分も、時々拍子を取って、声を添える。入道は、琴の手を休めて、それを褒めるのである。
お菓子など、珍しい様に整えて、人々に、後から後から、お酒を勧める。
いつしか、憂き世の悲しみも、忘れてしまいそうになる、夜の様子である。

ゆの音、とは、左手で、弦をゆすり、音を響かせること。

清き渚に貝や拾わん
催馬楽伊勢の海より

何とも、優雅な雰囲気である。
物忘れしぬべき夜の様なり、とは、物は、憂き世のこと、それを、忘れるような、夜の有様である。

この、物は、もののあはれの、もの、でもある。

物は、単なる存在する、もの、だけではない。
心の風景も、もの、として、表現するのである。





posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第10弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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