2009年12月08日

もののあわれ 438

浜のさま、げにいと心ことなり。人しげう見ゆるのみなむ、御願ひに背きける。入道の領じ占めたる所々、海の面にも山隠れにも、時々につけて、興をさかすべき渚のとまや、行ひをして後の世のことを思ひすすましつべき山水のつらに、いかめしきき堂を立てて三昧を行ひ、この世の設けに、秋の田の実を刈り収め、残りの齢積むべき稲の倉町どもなど、折々所につけたる見所ありてし集めたり。高潮におぢて、この頃、むすめなどは岡辺の宿に移して住ませければ、この浜の館に心安くおはします。





浜の有様は、たいそう違っている。
人が大勢いることだけが、君の気持ちに、添わなかった。
明石入道の、領地の所々には、海近くにも、山がけにも、四季折々について、興を催すように、趣向した、渚の、苫屋を建てたり、勤行をして、後の世のことに、思いをいたすに、相応しい、景色の場所に、荘厳な堂を建てて、念仏三昧を行うようにしたり、また、この世での、生活の用意として、秋の田の、実を刈り収めて、余生を豊かに暮らすようにした、稲の倉町を、数多く建てたり、四季につけて、それぞれの、場所に似つかわしく、沢山作ってある。
高潮に驚いて、この頃は、娘など、岡辺の邸に、移住させていたので、この浜の館にて、気楽に暮らしていた。





船より御車に奉り移る程、日やうやうさしあがりて、ほのか見奉るより老い忘れ齢延ぶるここちして、笑みさかえて、先づ住吉の神を、かつがつ拝み奉る。月日の光を手に得奉りたるここちして、営み仕うまつることことわりなり。




船から、お車に、移るころ、ようよう日も、上がり、入道は、ほのかにお姿を拝むと、もう、老いも忘れ、寿命も延びる心地して、にこにこしつつ、まず、住吉の神を、心の中で拝むのである。
日や月の光を、我が物にしたように、感激し、お世話申し上げるのも、無理はない。

これは、作者の思いである。
そのようであると、書きつける。




所の様をばらにも云はず、作りなしたる心ばへ、木立、立て石、前栽などの有様、えも云はぬ入り江の水など、絵に書かば、心の至り少からむ絵師は、書き及ぶまじと見ゆ。月頃の御住まひよりは、こよなく明らかに、なつかし。御しつらひなどえならずして、住ま引ける様など、げに都のやむごとなき所々に異ならず、えんに眩き様は、まさりざまりにぞ見ゆる。




所の、有様は、言うまでも無い。こうした趣向は、植木や、立て石、庭の植え込みなどの様、えもいわれぬ、海沿いの、美しさなど、絵に描いても、心ばえの浅い絵描きでは、とうてい、写し取ることができないだろうと、思われる。
今までの、お住まいよりも、晴れ晴れとして、落ち着くのである。
お部屋の、飾りつけなども、良く整え、入道の暮らしの様は、なるほど、都の高貴な方々の住まいにも、劣らず、贅沢で、煌びやかなことは、こちらのほうが、上だと、思われる。

えんに眩き様
光り輝く様子である。
まさり ざまりにぞ 見ゆる
都の方より、勝っている如くに、見えるのである。






少し御心静まりては、京の御文ども聞え給ふ。参れりし使は、「今はいみじき道に出で立ちて悲しき目を見る」と泣き沈みて、あの須磨にとまりたるを召して、身に余れる物ども多く賜ひて遣す。むつまじき御祈りの師ども、さるべき所々には、この程の御有様、委しく言ひ遣すべし。入道の宮ばかりには珍らかにてやみがへる様など聞え給ふ。二条の院のあはれなりし程の御返りは、書きもやり給はず、うち置きうち置きおしのごひつつ聞え給ふ御気色、なほ異なり。





少し心が落ち着いてから、京への、お手紙をしたためる。
この前参った、使いは、このたびは、大変なときにやって来て、大変な目に遭ったと、泣き沈み、あの須磨に、留まっていたのを、お召しになり、身にあまる、品々を沢山授けて、立たせた。
出入りの祈祷師どもや、しかるべき方々には、この間からのことの有様を、詳しく、したためることであろう。
入道の宮にだけは、奇跡的な、命拾いの様子を申し上げるのである。
二条の院からの、心を込めたお便りの返事には、すらすらと、書く事が出来ない。筆を何度も止めて、涙を流し流し、書かれる様は、やはり格別のものがある。

おしのごい つつ 聞え給ふ
戸惑いつつ、書き、または、書いている。




源氏「かへすがへすいみじき目の限りを見尽くしはてつる有様なれば、今はと世を思ひ離るる心のみまさり侍れど「鏡を見ても」と宣ひし面影の離るる世なきを、かくおぼつかなながらや、と、ここら悲しきさまざまの憂はしさはさし措かれて、

遥かにも 思ひやるかな 知らざりし 浦よりをちに 浦伝ひして

夢のうちなるここちのみして、さめはてぬ程、いかにひがごと多からむ」と、げにそこはかとなく書き乱り給へるしもぞ、いと見まほしき側目なるを、いとこよなき御心ざしの程、と、人々見奉る。おのおの古里に、心細げなる言伝すべかめり。をやみなかりし空の気色、名残なく澄み渡りて、あさりする海人ども誇らしげなり。須磨はいと心細く、海人の岩屋も稀なりしを、人しげき厭ひはし給ひしかど、ここは又、さま異にあはれなること多くて、よろづに思し慰まる。




源氏は、何度も、何度も、恐ろしいことの、すべてに遭ってしまった、思いの、この頃は、もうこの上はと、世を厭う心ばかりが、募ります。「鏡を見ても」と仰った、あなたの面影が、我が身に付き添い、離れる暇もありません。このまま、お会いせずに、お別れすると思いますと、多くの悲しい、様々な、心配事は、二の次になります。

源氏
初めて来た、須磨の、浦から、更に遠く、浜伝いに、明石に来て、遥かに都の、あなたを思います。

まだ、夢の中にいるような気がします。覚めてしまわない間は、どんなにか、間違いが、多いことでしょう。

と、言葉通り、取り留めなく、あれこれと、書き乱れている。
それが、かえって、内容を見せていただきたくなるほどで、並々ならぬ、ご寵愛かと、人々は、拝する。
それぞれ、めいめいも、故郷に、心細いことを書いて送るのだろう。
絶え間なく、降り続いた、空の景色も、跡形もなく、見る限り澄み切って、海人たちは、威勢がいい。
須磨は、大変、心細く、海人たちの、岩屋さえ少なかったが、人が大勢いるのは、心にそらないとはいえ、ここは、また、様子が違い、興を催す事が多く、何かにつけて、心が安らぐのである。

さま 異に あはれなること 多くて
有様は、異なり、色々な状況が、多く。

有様をも、あはれなること多くて、と、あはれ、を用いるのである。

前後の、状況で、あはれ、という、言葉の意味を、推し量るのである。

まさに、あはれなることである。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第10弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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