2009年12月07日

もののあわれ 437

渚に小さやかなる船寄せて、人二三人ばかり、この旅宿りをさして来。「何人ならむ」と問へば、船「明石の浦より、さきの守しぼちの、御船よそおひて参れるなり。源少納言侍ひ給はば、対面して事の心とり申さむ」と言ふ。良清「入道はかの国の得意にて、年頃あひ語らひ侍りつれど、私にいささかあひ恨むること侍りて、ことなる消息をだに通はさで、久しうなり侍りぬるを、波の紛れに、いかなることかあらむ」とおぼめく。君の、御夢なども思し合はすることもありて、源氏「はや会へ」と宣へば、舟に行きて会ひたり。「さばかり烈しかりつる波風に、いつの間にか船出しつらむ」と心えがたく思へり。




岸に、小さな船を寄せて、二、三人ばかり、このかりそめの御宿所に向かってくる。
何人であろうか、と、尋ねると、明石の浦から、前の播磨の守新ぼちが、お舟をしつらえて、やって来たのです。源少納言が、おいでなら、お目にかかり、事の仔細を申し上げますと、言う。
良清は、驚いて、入道は、播磨の国の知人で、年頃、親しくしておりましたが、私事で、少しお互いに、意見の相違がございまして、特に便りも、交わさないようになりまして、久しくなります。この大荒れに、どんな用があるのかと、不審がる。
君は、夢のこともあり、早く会えと、仰せになる。
船に行き会った。
あれほど、激しい波風の中を、いつの間に、船出したのかと、不思議な気がする。


しぼち、とは、新たに発心して、仏道に帰依したものを、言う。
新発意と、書く。




「いぬるついたちの日の夢に、さま異なる者の告げ知らすること侍りしかば、信じ難きことと思う給へしかど、「十三日にあらたなるしるし見せむ船。装ひ設けて、必ず、雨風やまばこの浦にを寄せよ」と、かねて示すことの侍りしかば、こころみに船の装ひを設けて待ち侍りしに、いかめしき雨風、いかづちの驚かし侍りつれば、ひとのみかどにも、夢を信じて国を助くるたぐひ多う侍りけるを、「用いさせ給はぬまでも、このしましめの日を過ぐさず、この由を告げ申し侍らむ」とて、船出だし侍りつるに、あやしき風細う吹きて、この浦に着き侍りつること、まことに神のしるべ違はずなむ。ここにももし知ろし召す事や侍りつらむとてなむ。いと憚り多く侍れど、この由申し給へ」と言ふ。





去る月の、はじめの日の夢に、異形の者が現れて、お告げを申し上げることがありまして、信じがたいことと、思われるでしょうが、十三日に、あらたかな霊験を見せよう、船の準備をして、雨風が止んだら、必ずこの、浦に漕ぎ出せと、前もって、お告げが、ございました。試しに、船の用意をして、待っていますと、激しい雨風が起こり、雷が鳴り響きましたので、外つ国においても、夢を信じて、国を救うということが、多くありましたので、兎に角、お告げの、ありました日を過ごさずに、この旨を申し上げようと、思いまして、船を出したところ、不思議な風が、一筋吹いて、この浦に着きました。
まことに、神の、導きと、思いました。
こちらにおかれても、もしや、思い当たることもあろうかと、大変恐縮ですが、この次第を、申し上げてくださいと、言う。






良清忍びやかに伝へ申す。君思しまはすに、夢うつつさまざま静かならず、さとしの様なることどもを、きしかた行く末思し合わせて、「世の人の聞き伝へむ後のそしりも安からざるべきを憚りて、まことの神の助けにもあらむを、背くものならば、又これより勝りて、人笑はれなる目をや見む。うつつの人の心だになほ苦し。はかなきことをもつつみて、われより齢まさり、もしは位高く、時世の寄せ今ひと際まさる人には、なびき従ひて、その心むけをたどるべきものなりけり。退きて咎なしとこそ、昔のさかしき人も言ひ置きけれ。げにかく命を極め、世にまたなき目の限りを見尽くしつ。更にのちのあとの名を省くとても、たけきこともあらじ。夢のうちにも父帝の御教へありつれば、又何事をか疑はむ」と思して、御返り宣ふ。




良清は、そっと、ことの次第を、申し上げる。
君は、様々に考えて、夢につけ、うつつにつけ、様々な、物騒がしいことが、続き、お告げのような事が起こった。それを、自分の過去に照らして、世の人が、耳にして、伝えるであろう、後の非難を恐れて、本当の神の、助けであるのに、それに背くことは、今より以上の、物笑いを招くだろう。現に生きている人の心さえも、背くのは、苦しいことである。ちょっとしたことでも、大切にして、自分より、年上の人が、位が高く、世間の人望も、一段と優れている人には、靡き従い、その考えに、従うべきである。退いて咎無しと、昔の賢者も言うことだ。本当に、このように、命がけの災難に遭い、世にまたとない、憂き目の数々を、見尽くした上は、後の世に伝わる、悪評をなくそうとしても、何ほどのこともない。夢の中でも、父帝の、教えがあったのだから、この上、何を疑うのかと、思い、お返事をなさるのである。





源氏「知らぬ世界に、珍しき憂への限り見つれど、都の方よりとて、言問ひおこする人もなし。ただ行くへなき空の月日の光ばかりを、古里の友とながめ侍るに、うれしき釣り船をなむ。かの浦に静やかに隠ろふべき隈侍りなむや」と宣ふ。限りなく喜び、かしこまり申す。入道「ともあれかくもあれ、夜の明け果てぬさきに御船に奉れ」とて、例の親しき限り四五人ばかりして奉りぬ。例の、風出で来て、飛ぶように明石に着き給ひぬ。ただはひ渡る程は片時の間と云へど、なほあやしきまで見ゆる風の心なり。




源氏は、見知らぬ土地に来て、珍しい、辛苦の有様を見尽くしたが、都のほうから、といって、便りをくれる人もない。ただ、行方も知らぬ、空の月日の光だけを、故郷の友として、眺めていたところ、嬉しい釣り船を下さった。明石の浦には、静かに、隠れ住む場所が、ありましょうかと、仰る。
入道は、とても喜び、御礼を申す。
とにもかくにも、夜の明けるうちに、お船にお乗せ申せとあり、例の側近の、四、五人だけを、御供にして、船に乗り込まれた。
例により、不思議な風が吹き、飛ぶように、明石の浦に、到着した。
いかにも、這い渡るほどのところは、少しの間に、行けるのだが、それにしても、気味の悪いほどの、風の働きである。

私は、これを、名文だと言う。

なほ あやしき までに 見ゆる 風の 心なり

その、風が、妖しいのである。それが、風の心と、見抜く力は、後の、風に心が、宿るという、風情の在り処となるのである。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第10弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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