2009年12月05日

もののあわれ 435

かくしつつ世は尽きぬべきにや、と思さるるに、そのまたの日の暁より風いみじう吹き、潮高う満ちて、浪の音荒きこと巌も山も残るまじけしきなり。



こういうことが、続いて、この世が、終わるのかと、思うとき、その翌日の、明け方から、風が激しく吹き、潮が高く満ちてきて、波の音の荒い様子は、岩も山も、崩してしまいそうである。



かみの鳴り閃めく様さらに言はむ方なくて、落ちかかりぬと覚ゆるに、ある限りさかしき人なし。侍臣「われはいかなる罪ををかしてかく悲しき目を見るらむ。父母にもあひ見ず、悲しき妻子の顔をも見で死ぬべきこと」と嘆く。君は御心を静めて、「何ばかりのあやまちにてか、この渚に命をば極めむ」と強う思しなせど、いともの騒しければ、色々のみてぐら捧げさせ給ひて、源氏「住吉の神近き境を静め守り給ふ。おのおの自らの命をばさるものにて、かかる御身のまたなき例に沈み給ひぬべきことのいみじう悲しきに、心を起こして、少し物おぼゆる限りは、侍臣「身に代へてこの御身一つを救ひ奉らむ」と、とよみて、諸声に仏神を念じ奉る。






雷が鳴り、電光が、ひらめく様は、言いようもなく、恐ろしい。
今にも、落ちてくると、思ったときは、一人として、分別のあるものがない。
侍臣は、自分は、一体、どんな罪を犯して、こんな悲しい目に遭うのだろう。父母にも、顔を合わせず、可愛い妻や子の顔も見ずに、死んでしまうのかと、嘆く。
君は、心を静めて、いったい、どんな過ちがあって、こんな海辺に、命を失うことになろうかと、心を強く持たれるが、辺りがあまりに、騒がしいので、色々な、みてぐらを、お供えになり、この辺りを、静め守りたもう、住吉の神よ、誠に、現世に、跡を垂れ給うならば、助けたまえと、多くの、願を立てるのである。
御供の者たちは、自分たちの命の惜しいのは、むろんだが、このような高貴なお方が、またとないような事で、ここに、沈むということが、酷く悲しい。心を奮い起こして、気のしっかりしている者は、一人残らず、自分の命に代えて、この御身だけでも、お救いしたいと、大声を上げて、いっせいに、仏神に、祈りを上げる。

物語の面白さである。
人々の有様が、目に見えるようである。
暴風雨の様子が、見事に描かれている。





侍臣「帝王の深き宮に養はれ給ひて、いろいろの楽しみに驕り給ひしかど、深き御うつくしみ、大八洲にあまねく、沈めるともがらをこそ多く浮べ給ひしか、今なにの報いにかここら横ざまなる波風にはおぼほれ給はむ。天地ことわり給へ。罪なくて積に当り、つかさ位を取られ、家を離れ、さかひを去りて、明け暮れ安き空なく嘆き給ふに、かく悲しき目をさへ見、命つきなむとするは、さきの世の報いか、この世のをかしが、神仏明らかにましまさば、この憂へ安め給へ」と、御社の方に向きてさまざまの願を立て給ふ。




侍臣は、帝王の、住み給う、九重の奥深くにお育ち遊ばし、様々な栄華を、ほしいままになさったとはいえ、深き恵みは、国中に行き渡り、悲しみに沈む人々を、多く救われましたのに、今、何の報いで、こんな激しい、非道な波風に、溺れることに、なりましょうか。
天地の神々よ、日夜、お心の休まる間もなく、お嘆きになっている、その上に、このような辛い目に遭い、命が、尽きようとしているのは、前世の報いか、この世の罪か、神仏が、確かに、おわしませば、この苦労をなくしてくださいと、住吉のお社に向かい、色々と願いを立てるのである。





また海の中の竜王、よろづの神たちに願をたてさせ給ふに、いよいよ鳴りとどろきて、おはしますに続きたる廊に落ちかかりぬ。ほのほ燃え上りて廊は焼けぬ。心だましひなくて、ある限り惑ふ。うしろの方なる大炊殿と思布しき屋に移し奉りて、かみしもとなく立ちこみて、いとらうがはしく泣きとよむ声、いかづちにも劣らず、空は墨をすりたるやうにて、日も暮れにけり。





そのほか、海の中の、竜王や、万の神々に、願を立てたが、いよいよ雷は、鳴り響き、御座所に続いた、廊下の上に落ちた。炎がたちまち、燃え上がり、廊は、焼けてしまった。生きた心地もなく、一人残らず、あわてふためくのである。
後のほうにある、おおいどの、というべき、建物に、源氏を移して、そこへ上下の差別なく人々が、入り込み、酷く、泣き叫ぶ声が、雷にも、劣らない。
空は、墨をすったようで、日も暮れてしまった。


目の前に、その光景が、浮かぶようである。

いと らうがはしく 泣き とよむ声
大変、騒がしく、泣き叫ぶ声が・・・

空模様が、当時の、表現で、墨をすりたるやうにて、である。
喩える、表現も、面白い。

当時の人々は、自然には、手も足も出ない。
ただ、祈るのみであった。

天地の神々に、言挙げして、つまり、願いをかけて、祈るのである。
それも、こちらの、状況を訴えるという形である。

けっして、神の御心のままに、とは、ゆかない。
訴えるのである。
実に、面白い。

当時の人は、神も、同じように、心あるものと、信じていたと、解る。
超越者ではない。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第10弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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