2009年11月23日

もののあわれ 423

京には、この御文、所々に見給ひつつ、御心乱れ給ふ人々のみ多かり。二条の院の君は、そのままに起きも上がり給はず、つきせぬさまに思しこがるれば、侍ふ人々もこしらへわびつつ、心細う思ひあへり。もてならし給ひし御調度ども、弾きならし給ひし御琴、ぬぎすて給ひつる御衣のにほひなどにつけても、今はと世にならむ人のやうにのみ思したれば、かつはゆゆしうて、少納言は、僧都に御祈りの事など聞ゆ。二方に御修法などせさせ給ふ。かつはかく思し嘆く御心しづめ給ひて、思ひなき世にあらせ奉り給へと、心苦しきままに祈り申し給ふ。





京では、それぞれの、邸にて、ご覧になり、心乱れる方々が多い。
二条の院の君は、そのまま、起き上がりもせず、果てしなく、慕い焦がれている。お仕えする人々も、慰めることもできず、心細く思うのである。
お使いされていた、道具類や、弾いていた琴、脱ぎ捨てた、お召し物の、匂いなどにつけても、これが最後と、去ってゆく人のように、思うので、一つには、不吉であり、少納言は、僧都に、祈祷を、御願いする。
二つの祈りをこめて、御修法をさせるのである。
また、一つには、このように、心配される心を、鎮めるために。
悩みない仲にしてあげたいとの、思いである。
心苦しきままに祈り申し給ふ
気の毒なままに、祈りをするのである。





旅の御とのい物など、調じて奉り給ふ。かとりの御なほし、さしぬき、さま変りたるここちするもいみじきに、「さらぬ鏡」と宣ひし面影の、げに身に添ひ給へるもかひなし。出で入り給ひし方、寄り居給ひし真木柱などを見給ふにも、胸のみふたがりて、物をとかう思ひめぐらし、世にしほじみぬる齢の人だにあり、まして慣れむつび聞え、父母にもなりて生ほし立てならはし給へれば、恋しう思ひ聞え給へる、ことわれなり。ひたすら世になくなりなむは、言はむ方なくて、やうやう忘れ草も生ひやすらむ。聞く程は近けれど、いつまでと限りある御別れにもあらで、思すにつきせずなむ。





旅の、夜具などを、整えて、差し上げる。
平絹の直衣や、指貫が、今までの様子が変わったと思うのも、悲しい。さらぬ鏡と、おっしゃった、面影は、身に添っていられるが、それでは、何にもならないのである。
出入りになった所、寄りかかっていられた、柱などを、ご覧になっても、胸が、一杯になるばかりか、物事を、あれこれと、考える、世慣れた人でも、そうなのに、ましていつも、ご一緒し、父母のようでもあり、育てるのが、常になっていたゆえに、恋しく思うのも、当たり前である。
本当に、この世から、いなくなるということ以外は、別として、だんだんと、忘れ草も生えてこないかと、思う。
聞いたところでは、近所だが、いつまでとの、期限はない別れであるから、実に悲しい気持ちは、尽きない。






入道の宮にも、東宮の御事により、思し嘆くさまいとさらなり。御すくせのほどを思すには、いかが浅くは思されむ。年頃はただ物の聞えなどのつつましさに、「すこし情あるけしき見せば、それにつけて人のとがめ出づる事もこそ」とのみ、ひとへに思し忍びつつ、あはれをも多う御覧じ過ぐし、すくずくしうもてなし給ひしを、かばかり憂き世の人言なれど、かけてもこの方には言ひ出づる事なくてやみぬるばかりの人の御おもむけも、あながちなりし心の引くかたにまかせず、かつはめやすくもて隠しつるぞかし、あはれに恋しうもいかが思し出でざらむ。御返りもすこしこまやかにて、宮「この頃はいとど、

しほたるる ことをやくにて 松島に 年ふるあまも なげきをぞつむ

かんの君の御返りには、

尚侍
浦にたく あまだにつつむ 恋なれば くゆるけぶりよ 行く方ぞなき

さらなることどもはえなむ」とばかりいささか書きて、中納言の君のなかにあり。思し嘆くさまなど、いみじう言ひたり。あはれと思ひ聞え給ふふしぶしもあれば、うち泣かれ給ひぬ。






入道の宮に、おかせられても、東宮の御事ゆえに、思い嘆くこと、しきりである。
宿縁の深さを思い、どうして、いい加減に思われよう。
今では、世間の噂が気にかかるあまり、少しでも、好意ある素振りを見せると、それにつけて、人のとがめだてもあろうと、ただ、忍びに忍び、深い愛情も、気づかぬ振りをして、素っ気無く、あしらうようにする。
こんなに、酷い世間の噂ながら、このことについては、何も言い出すことのない、君のお心づかいである。それは、溢れる感情の有様に、任せず、また、見っとも無くないように、していられるのだが、それも、どうして、心から恋しく思われないことが、あろうか。
お返事も、心を込めて、
この頃は、ひとしお、

涙を流すこと多く、松島に年を送る尼の私も、嘆きを重ねています

ないしの君のお返事には

須磨の浦に、塩焼く火を炊く海女が、多くの人に、隠す恋です。くすぶる煙は、行くところがないのです

言うまでのことが、多くて、とてもと、だけ、少し書いて、中納言の君の手紙にある。
思い嘆く様が、詳しく書いてある。あはれと、思うことも、いくつかあり、つい、涙を抑えきれない。


あはれをも多う御覧じ過ぐし

あはれに恋しうもいかが思し出でざらむ

あはれと思ひ聞え給ふ

それぞれの、あはれ、という、言葉は、皆、意味がある。
それぞれの、心の模様の、限界に達すると、あはれ、となるのである。

現代語訳にする時は、読み手の、読み方、感情移入による、訳文となる。

何が、正しいということはない。

ただ、あはれ、なのである。

深く感じ入った時に、あはれ、という、言葉が出る。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第10弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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