2009年11月19日

もののあわれ 419

明日とての暮れには、院の御墓をがみ奉り給ふとて、北山へ参うで給ふ。暁かけて
月出づる頃なれば、まづ入道の宮に参うで給ふ。近き御簾の前に御座まいりて、御みづから聞えさせ給ふ。東宮の御事を、いみじううしろめたきものに思ひ聞え給ふ。かたみに心深きどちの御物語りは、よろづあはれまさりけむかし。





明日、出発という日の、夕暮れ、院のお墓にお参りされるとあって、北山に、参拝された。
夜明け近く、月が出る頃で、先に、入道の宮の御所に、伺う。
お傍近い、御簾の前に、お座席をしつらえて、宮自身が、直接お話される。
東宮のことを、大変気がかりに思っている。
お互いに、考え深いもの同士の、話は、よろづあはれまさりけむかし、つまり、すべてのことに、あはれ、ある、ものだっただろうと、語る作者である。

この、あはれ、は、深く話し合うことである。
あはれ、極まるという。




なつかしうめでたき御けはひの昔に変はらぬに、つらかりし御心ばへもかすめ聞えさせまほしけれど、今さらにうたてと思さるべし、わが御心にも、なかなか今一際乱れまさりぬべければ、念じ返して、ただ、源氏「かく思ひかけぬ罪にあたり侍るも、思う給へあはする事の一ふしになむ、そらも恐ろしう侍る。惜しげなき身に亡きになしても、宮の御世だに事なくおはしまさば」とのみ聞え給ふぞことわりなるや。宮も、みな思し知らるる事にしあれば、御心のみ動きて聞えやり給はず。大将、よろづの事かき集め思し続けて泣き給へる気色いと尽きせずなまめきたり。源氏「御山に参り侍るを、御言づてや」と聞え給ふに、とみに物も聞え給はず。わりなくためらひ給ふ御気色なり。

入道の宮
見しはなく あるは悲しき 世のはてを 背きしかひも なくなくぞふる

いみじき御心まどひどもに、思し集むる事どもも、えぞ続けさせ給はぬ。

源氏
別れしに 悲しきことは 尽きにしを またぞこの世の 憂さはまされる





やさしく、ご立派な様子が、昔と変わらない。
お許しくださらなかったことを、それとなく、お恨み申し上げてみたくなるが、今更では、嫌なことだと、思われるだろう。
ご自身も、今いっそうの、心の乱れも、増す様子。それを、こらえて、ただ、源氏は、このように、思いがけない罪を受けましたこと、思い当たることが、一つありますが、それは、天に対しても、恐ろしいこと。どうでもない私などにしても、東宮の御代さえ、何事もなくあればと、それだけを、申し上げる。
もっともである。
宮も、思い当たることなので、お心が騒ぐ。何も、おっしゃらない。
大将は、何もかも、一切を思い続けて、涙を流される様子。
それが、限りなく、美しいのである。

入道の宮
お仕えした、院はなく、生きている、あなたは、悲しい運命です。
悲運の限りを、出家のかいもなく、涙で、暮らします。

お心乱れて、二人共に、心に浮かぶあれこれを、うまく、歌に出来ないのである。

源氏
亡き院との、お別れで、悲しいことは、終わったはずでした。しかし、更に、この世の憂さは、勝るもの。




月まち出でて出で給ふ。御供にただ五六人ばかり、下人もむつまじき限りして、御馬にてぞおはする。さらなる事なれど、ありし世の御ありきに異なり。皆いと悲しう思ふなり。中にはかの御禊の日、仮の御随身にて仕うまつりし右近のぞうの蔵人、得べきかうぶりもほど過ぎつるを、つひに御簡けづられ、官も取られてはしたなければ、御供に参るうちなり。賀茂の下の御社を、かれと見わたす程、ふと思ひ出でられて、おりて御馬の口をとる。

右近
ひき連れて 葵かざしし そのかみを 思へばつらし 賀茂のみづがき

といふを、「げにいかに思ふらむ。人よりけに花やかなりしものを」と思すも心苦し。君も御馬よりおり給ひて、御社のかた拝み給ふ。神にまかり申し給ふ。

源氏
うき世をば 今ぞ別るる とどまらむ 名をばただすの 神にまかせて

と宣ふさま、物めでする若き人にて、身にしみしてあはれにめでたしと見奉る。






月の出るのを、待って、お出かけになる。
お供には、五六人ばかり、下仕えの者も、親しい者だけを連れて、馬で出かける。
今更、言うまでも無いが、昔の、出歩きと違い、誰も、大変悲しく思う。
中でも、あの禊の日、臨時の御随身として、お仕えした、右近の丞の蔵人は、得るはずの位も得られず、時期は過ぎたが、とうとう、殿上からも、除籍され、官職も免じられて、世間に顔向けができないゆえ、お供の一人となった。
下賀茂の社が、見渡せる場所で、ふと思い出し、降りて、馬の口をとる。

右近
ご一緒して、葵をかざした、あの当時を思います。恨めしくもある、賀茂のみやしろでございます。

と言うのを、源氏も、本当に、どう思うだろう。人よりは、一際、華やかだったものをと、思う。堪らない気持ちである。
源氏も、馬から下りて、社の方を、拝む。
神に、暇乞いを申し上げる。

源氏
辛い、この世を、ただ、今離れて、後に残る噂は、ただすの神の、お心にお任せします。

とおっしゃると、右近は、感じやすい若者ゆえに、心の底から、しみじみと、立派であると、拝するのである。

身にしみて あはれ に めでたしと 見奉る
お供の者たちが、源氏の、姿を、あはれ、めでたしと、拝するのである。
あはれ、に、しみじみ、と、訳している。

心の様々な表情を、あはれ、と言う言葉に託すのである。





posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第10弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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