2009年11月13日

もののあわれ 413

須磨

源氏、二十六歳の三月から、二十七歳の三月まで。
自ら、身を引き、都から、去るのである。

世の中いとわづらはしく、はしたなき事のみ増されば、「せめて知らず顔にありへても、これより増さる事もや」と思しなりぬ。かの須磨は、「昔こそ人の住みかなどもありけれ、今は、いと里離れ心すごくて、海女の家だにまれに」など聞き給へど、人しげくひたたけたらむ住まひは、いと本意なかるべし、さりとて都を遠ざからむも、ふる里おぼつかなかるべきを、人わるくぞ思し乱るる。




世の中が、実に、うるさくて、煩わしい事ばかりであり、無理しても、また、気づかない振りをして、日々を送っても、もっと酷いことがあるかもしれないと、考えるようになった。
あの、須磨の地は、昔は、住む家などもあったが、今は、住む者も少なく、寂しい限りで、漁師の家も、ほとんどないと、耳にされる。
しかし、人が多く出入りするような、住いは、きっと、行ったかいがないと・・・
だが、また、都から、遠ざかると、都のことが、気にかかるだろうと、傍の目が気に成る程、迷うのである。

人わるくぞ思し乱るる
人の目から、見ても、解るほど、迷うのである。



よろづの事、来し方行く末思ひ続け給ふに、悲しき事いとさまざまなり。憂きものと思ひ捨てつる世も、今はと住み離れなむ事を思すには、いと捨てがたき事多かる中にも、姫君の明け暮れにそへては思ひ嘆き給へるさまの心苦しうあはれなるを、行きめぐりてもまたあひ見む事を必ずと思さむにてだに、なほ一二日のほど、よそよそに明かし暮らす折々だに、おぼつかなきものにおぼえ、女君も心細うのみ思ひ給へるを、「いくとせその程と限りある道にもあらず、あふを限りに隔たり行かむも、定めなき世に、やがて別るべき門出にもや」といみじうおぼえ給へば、「忍びいもろともにもや」と思し寄る折りあれど、「さる心細からむ海づらの、波風よりほかに立ちまじる人もなからむに、かくらうたき御さまにて、引き具し給へらむもいとつきなく、わが心にもなかなか物思ひのつまなるべきを」など思し返すを、女君は、「いみじからむ道にも、おくれ聞えずだにあらば」とおもむけて、恨めしげに思いたり。





何から、何まで、今までの栄華と、将来の苦労を思うと、今は、ここから、遠く離れようと、思う。
捨て去りにくいことは、多々あるが、その中でも、姫君が、世の明けるにつけ、日の暮れるにつけて、嘆く様子が、気の毒である。
それを思うと、胸が締め付けられる。
が、いったん、別れても、また、逢うことがあると思う。と、だが、一日、二日、別々に、日を送る場合でも、気にかかって、しょうがない。
女君も、心細く思うだろう。
この度は、何年と、期限をきった、別居でもなく、再会するまで、別れているというもの。
無常な、この世のこと、そのまま、永久に、逢うことのない、旅立ちにもなるのではないかと、悲しく思うのである。
見つからないように、一緒に連れて行こうかとも、考えるときもある。
だが、あんな、物寂しい海岸。波風より、他に訪れるものもない所に、こんな、いじらいし女君を、連れてゆくとしたら、土地にも、合わず、自分としても、気苦労の種になるに、違いないと、思い直す。
女君は、どんなに、辛い旅でも、連れて行ってくだされば、と、心のほどを、口にして、恨めしい思いに浸るのである。






かの花散里にも、おはし通ふ事こそまれなれ、心細くあはれなる有様を、この御かげに隠れてものし給へば、思し嘆きたるさまも、いとことわりなり。なほざりにても、ほのかに見奉り通ひ給ひし所々、人知れぬ心をくだき給ふ人ぞ多かりける。入道の宮よりも、「物の聞えやまたいかがとりなさむ」と、わが御ためつつましけれど、忍びつつ御とぶらひ常にあり。「昔かやうにあひ思し、あはれをも見せ給はましかば」と、うち思ひ出給ふに、「さもさまざまに、心をのみつくすべかりける人の御契りかな」と、つらく思ひ聞え給ふ。





あの、花散里の所にも、通われることは、稀だったが、女君は、心細く、ひっそりとした暮らしをしながら、源氏の庇護に頼って、生活しているゆえ、心では、嘆くのである。それも無理は無い。
かりそめの関係で、少し逢い、通った方々で、一人ひそかに、心を痛める人が、多かった。
入道の宮からも、世間では、今改めて、どんな取りざたをするのかと、自分のためには、憚られるが、人目を忍んで、お手紙が、多々ある。
昔、このように、自分と同じ思いをして、あれこれにつけて、物思いの限りを味わう、宿縁の、二人だとは、と、辛く思い、申し上げる。




三月はつかあまりの程になむ、都離れ給ひける。人に今としも知らせ給はず、ただいと近う仕うまつり慣れたる限り七八人だかり御供にて、いとかすかに出で立ち給ふ。さるべき所々に御文ばかり、うち忍び給ひしにも、あはれと忍ばるばかり尽くい給へるは、見所もありぬべりしかど、その折りのここちのまぎれに、はかばかしうも聞え置かずなりにけり。





三月二十日過ぎの頃、都を離れた。
誰にも、出発は、知らせず、こぐお傍近くに仕えていた者を、七、八人ばかりを供に、目立たぬように、出発された。
お知らせすべき方々の所へは、消息だけを、ひっそりと、お遣わしになった。
そして、作者の観想である。

その中には、胸痛く、君を思う、言葉を尽くして、お書きになったものは、素晴らしい書き物も、あったに、違いないが、その折の悲しみに、溺れてしまい、聞いておかないままになってしまったのである。

あはれと忍ばるばかり尽くい給え

あはれ、という言葉に、諸々の思いを、託して使うのである。

あはれ、と、忍ぶばかり、ただ、心を尽くしたもの。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第10弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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