2009年11月03日

チェンマイへ 3

追悼慰霊の、間は、食事などの、休憩はしない。
ホテルに戻ったのは、出発してから、およそ、五時間後である。

三時過ぎだった。
皆で、遅い昼食をする。

ホテルのレストランである。

もう、歩いて、どこかへ行くのは、疲れて出来ない。
私が、である。

小西さんから、皆が、慰霊碑の話を伺いながら、食事をした。

その後は、しばらく、それぞれが、部屋で休むことにした。

小西さんとは、明日の、学校への支援の時間などを、打ち合わせし、出発の時間を、決める。

昼過ぎということにした。

実は、その日の、夜の食事は、民族舞踊を見ながら、食事が出来る店でということで、小西さんに、予約していただいたが、私は、コータと、相談し、それは、中止にすることにした。
そして、夜は、小西さんと、じっくりと、話し合いたいと、希望した。

これからの、活動は、小西さんと、連携を強めて、更に、広く活動したいと、考えていたのである。

支援物資も、バンコクに、場所を借りて、そこに、保管するということまで、考えていた。

夜の食事は、それぞれでするということになった。

その前に、辻さんの、希望である、タイマッサージを紹介することにした。

その下見に、男三人が、いつも、私が出掛けている、格安マッサージの店に出掛けた。

一時間の、タイマッサージが、100バーツである。300円。
マッサージ料金が、少しずつ、安くなっている。
価格破壊である。

フットマッサージが、一時間、150バーツである。450円。

私たち男グループは、フットマッサージを受けた。

私の顔馴染みの、マッサージ嬢がいた。何と、娘もいた。
私が服を上げた、娘である。
両手を合わせて、挨拶する。

三人揃っての、フットマッサージである。
会話が弾む。
勿論、私は、ブロークン英語で、コータは、タイ語である。
千葉君は、目を瞑り、マッサージを堪能していた。

私の英語が、通じなくなると、コータに、皆、尋ねるという・・・

私も、自分で言う英語が、自分でも、分からなくなるのである。

今回は、出掛ける前に、中学二年生の英語の教科書を、眺めてきたのであるが・・・
ただ、私のよさは、兎に角、話すこと。
出鱈目でも、話す。
相手も、こちらも、よく分からない。それでいい。

開き直っているのではない。
何となく、通じれば、いいのである。

恋愛するわけではないから、何となくでいい。

タイマッサージは、下半身に関しては、実によい。
上半身に関しては、物足りないが・・・
それは、民族的なものだろう。

私は、足裏を、棒で、強く強く押してもらった。
私の担当の穣は、汗をかいているほど。
痛くないの・・・
オッケー

何せ、人に、足裏療法をする身である。
足は、どんなに痛くしても、事故は、起きない。
逆に、終わった後は、すっきりする。

死の床にある人の、足裏を、揉むだけで、死の恐怖と、体を楽に出来る。

ガン末期の妹の、見舞いに行くと、必ず、足裏を、揉んだ。
妹は、生き返るようだと、感激していた。
最後は、足裏に、すべての、苦痛がくるのである。

足裏の、浮腫みを取るだけで、十分に、気持ち良くなる。この、気持ち良さが、救いである。

そして、万が一、死んだらねーーーと、話す。
光に向かって、真っ直ぐに行きなよーーー
この世に、未練を持たないでねーーー

あちらの世界に早く行けば、こちらの人々を、守ることが、出来るからねーーー

妹に、そう語り掛けた。

拝みたくなったら、太陽を拝みなよーーー

そして、妹は、死んだ。
時々、私の心に語り掛けてくれる。
おおよそ、注意事項である。
無理するな、行かない方がいい、などである。

さて、マッサージを終えて、後で、仲間が来るから、頼むと言っておく。
オッケーオッケー
テン・ハウロング・・・
今回は、セブンデー
オッケー、カムな
オッケー、ツモロ、カム
何となく、通じる。

その後、辻さんが、出掛けて、感激のタイマッサージを、体験した。
何せ、300円である。
それから、辻さんは、毎日、通ったのである。



posted by 天山 at 00:00| チェンマイへ 平成21年11月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。