2009年10月07日

レイテ島慰霊 7

その日は、本当に、くたびれた、疲れた。
何度も、港付近を、歩いて、子供たちと、会い、そして、ホテルの変更である。

もう、どこへも、行く気力なくして、ホテルの付属の、レストランに入った。
何を注文したのか、思い出せない。
日本で言えば、定食だが、あちらでは、おかずと、ご飯のみ。
50ペソ程度の、何かを食べたと、思う。

そして、部屋で、休んだ。
休むしかない。
初めての土地で、風土も、はじめて。
人も、はじめて。
同じ、フィリピンでも、島々によって、人の気質も違う。

善良な人と、悪意のある人が、はっきりと、分かれるように、思った。
ボル人と、正しく料金を提示する人である。

そして、意外なことに、こちらが、驚いたり、エッとした、顔をすると、すぐに、値引きするという、素直さも、また、面白い。

私は、八時過ぎに、早々に寝た。

夜中三時頃から、目覚めて、ベッドで、うつらうつらしつつ、過ごした。

六時前に、日本に電話をする。
実家の母である。日本時間では、七時になる。
電話をすると、安心するので、それだけである。
明日、マニラに戻るよ、じゃあね

そして、横浜支部である。
少し、説明して、電話を切る。

それから、私は、貴重品を持って、散歩に出た。

ホテルは、丁度街の東側で、慰霊をしたビーチに近い。

港とは、逆の、海である。
タクロバンは、丁度、海に突き出た、小さな半島のようである。
ビーチ側が、レイテ湾側になり、戦争時は、そのレイテ湾で、行われた。

このエッセイの最後に、レイテの戦いの、まとめをする。

朝のビーチに行く前に、私は、教会に向かった。
人のいない、教会を見て、もう一度、確認したいことがあった。

セントニーニョ教会は、開いていた。
聖堂の後ろから、全体を見回した。そして、その上空に、思念を・・・
比較的、軽さがあり、まずまず、安心した。

スペイン統治がはじまる前は、イスラムと、地場の信仰形態があった。しかし、それらは、すべて、迷信、悪魔のものとして、禁止された。
カトリックのみ、正統であるとの、支配である。

書くのを、忘れたが、日曜日の、慰霊の後に、教会に行ったことを、前に泊まったホテルで、ホテル経営者の、知り合いの、おばあさんに出会い、指摘された。
その方は、フロントの前で、ロザリオの祈りを唱えていた。

私も、それが解ったので、終わるまで、黙祷していた。

おばあさんが、私に、あなたは、日本の着物を来て、教会に来ましたね、私も、丁度、教会にいて、ミサに預かっていましたよと。

80歳である。
つまり、戦争当時は、10代である。
彼女は、言った。日本人が沢山死にました。
私は、あなたに会えて、良かったと言うと、彼女も、私もですと、言った。

多くを語らなくても、気持ちは、解る。
日本を憎んでいる様子は、全く無い。
私たちは、両手で、互いに、互いの体を、確認するような形になった。

最後に何を言ったのかは、忘れた。
兎に角、心温まるひと時だった。

レイテ島は、日本軍と、その後の、アメリカの支配で、翻弄され過ぎたといえる。
だから、今の、タクロバンの、富裕層は、中華である。
これ以上は、書くことを、遠慮しておく。

さて、ビーチに向かった。
柵があり、入る場所が、解らない。すると、小屋にいた、男が、教えてくれた。
言葉は、解らないが、指差す方を見ると、よいのだ。

英語ではなく、タガログ語であり、それも、地域によって、違ってくる。
タガログ語は、全く解らない。

海に出た。
美しい。

こんなところで、命懸けで、戦った・・・

黙祷

更に、海岸線を歩くと、海の家的な、小屋があり、そこに、少年たちがいた。
モーニングと言うと、答えた。
彼らの、傍に行った。
三人がいた。
二人の、少年は、寝ていた。何と、テーブルの上と、店先の、棚の上である。

一人の少年と、話した。
13歳になる、ジョジョという名の少年である。
五人の中で、一番年下だった。

英語とタガログ語で、早口である。

ここで、五人で暮らしている。皆、フレンドだと、言う。
つまり、ストリートチルドレンである。
ジョジョは、五人兄弟の末っ子だった。他の兄弟も、タクロバンに暮らす。

私の持っていた、タバコを一本と言うので、差し出すと、慣れた手つきで、火を尽けて、吸い始めた。

私も、火をつけた。
二人の少年は、欲しがらない。
16,17,18歳である。

ジョジョは、年のよりマセていた。
英語が、通じたので、幸いである。
色々な話を聞いたが、ここで書けることと、書けないことがある。

女は、必要かと、ポン引きのおじさんのようにことを言う。
ノー、アイライク ボーイよ
すると、ジョジョは、大声で笑った。

俺は駄目だよ、でも、あいつなら、いいよ
そのあいつと言われた、少年が、起きてきた。
そして、テーブルに、つっぷする。眠たいのか・・・

店にある、水の一本を買った。一人の少年が渡してくれる。
ハウマッチ
フィフティ
これが、解らない。語尾が上がれば、15だが、下がれば50である。
私には、どうしても、下がるように聞こえる。

50って、高いと、日本語で言い、50ペソを出すと、受け取らない。
フィティでしょ あれっ ティーンなの
それで、15ペソを出すと、受け取った。

あのまま、50ペソを受け取られていたら、知らずにいたが、少年は、お釣りがないせいか、受け取らなかったのだ。

つっぷした、少年に、タバコいると、聞くと、ノーといい、口に指をもってゆく。食べ物が欲しいサインである。それで、顔色悪く、つっぷしていたのだと、解る。

オッケー、皆で、食べに行こうと、言うと、ジョジョが、近くあるから、行こうと、言う。
五人の少年たちを連れて、元の道を、戻った。




posted by 天山 at 00:00| レイテ島慰霊 平成21年9月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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