2009年09月16日

マニラの悲劇 2

暫くして、起き上がり、私は、ニーナに、これから、海岸通りと、街中に出て、支援をしたいと言うと、彼女は、夕方以降の方がいいと、言う。

人がいっぱいだし・・・

ああ、彼女は、顔が見られるのが、嫌なのである。
仕事が、仕事であるから。

そして、私は、どのように、運ぶかと、聞いてみた。

彼女は、お店に、バイクタクシーがあるから、それを、使うと言う。
じゃあ、幾らで、やってくれるか、聞いてと、言うと、彼女は、店に行くと、言って、部屋を出た。

夕方以降とは、まだ、十分に時間がある。

私は、もう一度、ベッドに、体を、横たえた。
眠ることは、なかったが、前回の支援した、人々を思い出していた。

海岸線の、植え込みに、暮らしていた家族は、どうしているのか。
確か、モンテンルパに行ったタクシー運転手は、皆、排除されたと言っていた。

すると、路地の中に、入っているのかもしれない。

また、前回、突然、支援をはじめなければならなかった、隣の地区のスラムの子供たちである。
今回は、そこまで、行くことは、出来ない。
残りは、海岸線と、街中で、無くなると、思った。

外が暗くなってきた。
そろそろ、ニーナが、戻る頃だが。

一時間以上たって、ニーナが部屋に来た。
そして、300ペソで、行くって、と、言った。

それは、高い。
私は、そのまま、言った。
ニーナは、黙っている。

ボッているのかもしれない。

いいよ、私、一人で、行くから。
そう言うと、ニーナは、あっさりと、あっそう、じゃあ、気をつけてと、言う。

そして、私は、今日は、もう、帰っていいよ。
明日、モンテンルパ、頼むねと、言った。
解った。じゃあね。

あっけなく、ニーナは、戻っていった。
いい、仕事だっただろうと、思う。

セックスせず、ガイドしての、仕事である。
ただ、2000ペソのうち、彼女の取り分は、おおよそ三割の、600ペソである。
私の記憶では、500ペソだと言ったように、思う。つまり、千円である。

売春婦は、皆、店側に、七割は、取られる。
だから、客から、チップや、物を買ってもらい、穴埋めをする。

しかし、私が、ポン引きのおじさんから聞いた話では、今は、昔と、違い、チップだって僅かなものさと、言っていた。

私が、荷物のバッグを、二つ持つと、ニーナと一緒に部屋を出た。
ホント、気をつけてなと、ニーナが言う。

フィリピナ独特の、日本語である。

私は、浴衣姿で、海岸に向かった。
ホテルから、真っ直ぐ歩く。

エルミタ教会を過ぎて、公園を通り、マニラ湾に、出る。
その道は、私の朝の、散歩道でもある。

海岸の、植え込みを探したが、誰もいない。
本当に、排除されたようである。

暫く歩いて、汗だくになった。
そして、方向を、街中にした。

いよいよ、繁華街である。
その途中で、花売りの女の子に、出会った。

そこで、バッグを開けて、彼女に合う、服を出して、渡した。
素直に、受け取る。

私には、見えなかったが、親か、誰かに、見せていたようだった。

私は、そのまま、通りに向かう。

すでに、赤ん坊を抱いた、女が、道端に座っていた。
物乞いである。
そこで、バッグから、幼児物を取り出して、渡した。
すると、向かい側から、おばさんが、飛んできた。
指差して、自分の子供が、道端で、寝ている姿を指した。

私は、向こう側に、渡ることにした。
寝ていた、男の子は、下半身が丸出しである。上着しか、着ていない。

早速、彼に合う、下着や、ズボンを出して、下半身に掛けた。更に、シャツなども、出していた。
気づいた時、周囲に、衣服の欲しい人が集っていた。
そこで、次々と、必要なものを、渡す。
子供から、大人まで、どんどんと、来る。

更に、それを、遠巻きで、人々が足を止めて、見ていた。
おおよそ、渡し終えて、私は、カメラを取り出し、周囲で、見守る人に、声を掛けた。写真を、撮ってくださいと。すると、一人の青年が、出て来た。

皆で、写真を撮る。
ありがとう。
すると、その青年が、どういたしまして、と、日本語で言う。
驚いた。

彼の、眼差しから、私に、対する興味が、見られた。が、そこに、留まっていては、人がまた、集うと、歩き始めた。

すると、顔見知りの、ポン引きのおじさんが、近づいて来た。
一度、食事を、ご馳走した、おじさんである。

私は、彼にも、スーツのズボンを渡そうとしたが、いらないと、言う。
すると、一人の女性が、私の、旦那が必要だと、それを、取っていった。

何人かの、ポン引きの人たちが、私の周囲に集ってきた。
日本に、働きに出たという人もいた。

ホテルに、戻る間に、ポン引きが、増えて、更に、私のバッグを持ってくれる人まで、現れた。
向こうは、皆、私を知っているのである。

私は、知らない。

ホテルまで、三人のおじさんが、着いて来た。
荷物を受け取り、ありがとうと、言うと、何かあれば、声を掛けてくれと、言う。
女も、あるから、である。

サンキューサンキューと、言って、別れた。

どっと、疲れた。

ドアマンが、夜の警備の人に交代していたが、彼も、私を覚えていた。

部屋に入り、残りの、物資を確認した。
もう、大半が無い。
残りは、明日の朝、あの公園でと、思った。
この日は、支援で、終わった。



posted by 天山 at 00:00| マニラの悲劇 平成21年9月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

伝統について 46

朝戸を 早くな開けそ 味さはふ 目が欲る君が 今夜来ませる

あさのとを はやくなあけそ あじさはふ めがほるきみが こよひきませる

朝の戸を、早く開けないで、ください。味さはう、群れ、鴨のことである。
それらの目が、見ている。逢いたいと思う君が、今夜は、来ているのだから。

つまり、人に知られたくないのである。

欲る君が
逢いたいという、気持ちをいう。

玉垂の 小すの垂簾を 行きかちに 寝は寝さずとも 君は通はせ

たまだれの をすのたれすを ゆきかちに しはなさずとも きみはかよはせ

玉垂の、御簾の垂簾を間にして、寝ることはできなくとも、あなたは、来てください。

寝を、し、と、な、と、読ませる。
こういうことが、難しい。
ねはねさずとも、と、読んでもいい。

たらちねの 母に申さば 君もわも 逢ふとは無しに 年は経ぬべし

たらちねの ははにもうさば きみもわも あふとはなしに としはへぬべし

たらちねの、母に告げたら、あたなも、私も、逢うことなく、年だけが、過ぎてゆくでしょう。

母親は、反対なのである。
恋の、邪魔者は、母親なのである。

男が、俺が言うと、言った。しかし、それを言えば、逢えなくなるという、気持ち。
娘の悩みは、深い。

愛しと 思へりけらし な忘れと 結びし紐の 解くらく思へば

うつくしと おもへりけらし なわすれと むすびしひもの とくらくおもへば

あの人は、私を、愛しいと、思っているようだ。忘れるなと、結んだ紐が、自然に解けるのであるから。

愛しと
うつくしと
愛と言う字を、うつくしいと、読ませる。

これが、大和言葉の、骨頂である。
当時、漢語を持って、更に、その音をもって、大和言葉を、表記した。
ゆえに、漢字の意味以上の、想いを、込めたものが多い。

笑むも、咲くと、書く場合もある。

咲む、である。

漢語をして、表現の自由な発想を、楽しんだようである。

この、文字を、この大和言葉に、使用しようと、考えた人々の、感性は、素晴らしい。
大らかに、豊かに・・・

当時の、漢字の意味は、限定されていたはず。
しかし、それを、拡大解釈して、大和言葉を、当て嵌めた。

上記の歌は、意味深である。

忘れるなと、結んだ紐が、解けた。
つまり、相手の前で、紐を解くことになるのだろう。
それは、セックスを意味する。

紐を解く。
契るのである。
恋は、性なのである。
とても、明るく、おおらかな、性である。

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