2009年09月13日

伝統について 43

若草の 新手枕を 枕き初めて 夜をや隔てむ 憎くあらなくに

わかくさの にひたまくらを まきそめて よをやへだてむ にくあらなくに

若草のように、初々しい、手枕を初めてまいて、どうして、夜を、隔てるのか。憎いものではないのに。

毎晩、そのようにしたい。
だが、時々なのである。
憎くない、つまり、愛しいものなのに。
何故、毎晩、逢えないのか、である。

にひたまくら、とは、新婚である。

わが恋ふる 事も語らひ 慰めむ 君が使を 待ちやかねてむ

わがこふる こともかたらひ なぐさめむ きみがつかひを まちやかねてむ

私が、どんなにか、恋しいということも、語り、自分を慰める、あなたの、お使いを、私は、待ちわびている。

その、お使いを、待っているという。
こちらの、恋しさをも語る、お使いである。
その、お使いさえ、待つという、作者である。

現には 逢ふ縁も無し 夢にだに 間無く見え君 恋に死ぬべし

うつつには あふよしもなし いめにだに まなくみえきみ こひにしぬべし

現実には、逢うことが、できない。それならば、せめて、夢の中にだけでも、絶えず見えて欲しい。このままでは、恋に死にます。

とても、激しい恋心である。
恋に死ぬべし、とは、生きることは、恋することだ、である。

万葉人は、恋に生きた。
そして、恋に死んだ。
ここまで、純粋、透明に、恋という、感情を昇華させた。

打算など無い。
恋に死んで、本望なのである。

奈良時代以前から、大和人は、そのように、生きていた。
それは、弥生があり、縄文期まで、さかのぼる。

長い年月を、経て、恋心を、明確にしてきた。
それは、あたな、と、呼ぶことの出来る、相手の、存在である。

更に、それが、私の分身になるのである。

誰そ彼と 問はば答へむ すべを無み 君が使いを 帰しつるかも

たそかれと とはばこたえむ すべをなみ きみがつかひを かえしつるかも

あれは、誰なのかと、聞かれると、答える方法がないので、あなたの、使いを、帰してしまった。

恋人の、使いだと、答えることができないのである。
だから、使いを帰してしまった。

誰かと、問うのは、母親である。

帰しつるかも
後悔しているのである。

当時は、母系社会である。
母親が、許さなければ、恋は成就しないのである。

母親に、監視される、娘の心の有様である。

母親の、身分が、そのまま、子どもの身分になるという、時代である。
しかし、時代を超えて、万葉の歌は、心に響く。



posted by 天山 at 00:00| 伝統について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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