2009年09月10日

伝統について 40

わが背子が その名告らじと たまきはる 命は棄てつ 忘れたまふな

わがせこが そのなのらじと たまきはる いのちはすてつ わすれたまふな

私の背子の、その名前を、人にはいうまいとして、私は、魂極まるいのちを、捨てた。忘れないでください。

身を捨てて恋する、意気である。
愛する人の名を、言わないと、決めた。それほど、当時、人の名を呼ぶということは、大切なことだった。決して言わないと、魂にかけて、あなたを思う。実に、烈しい女の恋心である。

凡ならば 誰が見むとかも ぬばたまの わが黒髪を 靡けて居らむ

おほならば たれがみむとかも ぬばたまの わがくろかみを なびけてをらむ

普通のことならば、誰が、見ようとしても、この黒髪を靡かせることは、ありません。
つまり、あなたに、見せるために、黒髪をなびかせているのである。

これは、共寝をしているのである。
一人寝の時は、髪は束ねるのである。
愛する人と、一緒に寝るときは、黒髪を、靡かせる。
なんとも、色っぽい。

面忘れ 如何なる人の 為るものそ われは為かねつ 継ぎてし思へば

おもわすれ いかなるひとの するものそ われはしかねつ つぎてしおもへば

顔を忘れるなんて、どんな人がするのだろうか。私は、いつも、思い続けているから、顔を忘れるなんて、考えられない。

あなたの、顔を忘れるなんて、できることではない。
毎日、朝夕、そして、夜も、四六時中思い出している。

相思はぬ 人のゆえにか あらたまの 年の緒長く わが恋ひ居らむ

あいおもはぬ ひとのゆえにか あらたまの としのおながく わがこひをらむ

私の、片恋、つまり、片思いの人。ゆえに、あらたまの年月を、長く、私は、恋し続ける。

あらたま、とは、新年である。
年の緒、とは、長年という意味。

片思いを、月日をかけて、思い続けているのである。
辛いことだが、それが、その辛さによって、生きられる。

時代を経ても、万葉時代と、恋は、同じ心境である。
恋心による、たゆたふ心という、心象風景を、養ってきた。

その、たゆたふ心が、あはれ、との、風景となり、ものあはれ、となり、そして、もののあはれ、という、心象風景に、結実する。

あはれ、を、知るとは、恋を知ることである。

恋に死ぬ
いつの世も、それに、生きた男と女がいる。

失恋は、人の心を、成長させる。そして、生きるに、強くなる。
真っ当な人ならば、失恋を、次の恋の成就へと、駆り立てる。

失恋の度に、人は、死の、訓練をするのである。

万葉の、恋心が、平安期の、色好みとして、昇華し、女房文学が、生まれる。
女は、恋に生きられる。
恋の物語を書くのは、女なのである。

圧倒的に、恋に死ぬのは、女である。

江戸時代になると、心中物が、物語を作る。
ともに、命を絶つことで、恋の永遠性を、願う。

恋とは、死でもあり、生でもある、そして更に、何か、である。



posted by 天山 at 00:00| 伝統について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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