2009年09月07日

伝統について 37

吾妹子が われを送ると しろたへの 袖漬づまでに 泣きし思ほゆ

わぎもこが われをおくると しろたへの そでひづまでに なきしおもほゆ

妻が、私を送るといって、しろたへの衣の袖が、濡れるまで泣いたであろう。

奥山の 真木の板戸を 押し開き しえや出で来ね 後は何せむ

奥山の まきのいたどを おしひらき しえやいでこね あとはなにせむ

奥山の、真木で作った、板戸を押し開きて、出てください。後は、何事があろうか。

しえや
捨て鉢な気持ちである。えいい、出てきなさい、である。

何せむ
後は、どうにでもなれ。

恋する者の、心の乱れ。いつの世にもある。

かりもこの 一重を敷きて さ寝れども 君とし寝れば 寒けくもなし

かりもこの ひとへをしきて さねれども きみとしねれば さむけくもなし

かりもこの、たった、一枚でも敷いて寝ても、あなたと、寝るなら、寒いことはない。

説明するまでもない。

杜若 丹つらふ君を ゆくりなく 思ひ出でつつ 嘆きつるかも

かきつばた につらふきみを ゆくりなく おもひいでつつ なげきつるかも

杜若のように、ほんのりと、美しい紅色の頬の君を、突然、思い出し、更に、思い、嘆いた。

何故か。
一目惚れである。

単純素朴。突然、稲妻のように、思い出して、恋に陥る。
その訳は、誰にも、解らない。勿論、本人にも。

万葉人は、つまり、私たちの、先祖たちは、このように、人を好きになり、そして、妻として、愛した。
何の、抵抗なく、好きだと、告白する。

それが、片思いでも、叶う恋でも、兎に角、歌にした。

生命エネルギーは、また、性的エネルギーでもある。
そして、それは、大らかである。

好きだ、一緒に寝たい。
この、単純で、素朴な感情が、原始的感情であり、それが、いつしか、複雑な感情へと、生まれ、生まれてゆく。

民族の、原風景である。

それは、それ以前の、弥生、縄文から、脈々と、続けてきたものである。

とても、大らかな、性的エネルギーを、発散して、生きるエネルギーを得ていた。

万葉集は、人々が、歌い続けてきた、歌を、収録してある。
つまり、誰のものかもしれないが、皆、共通に、思うものである。

ここでも、解ることだが、人は、一人では、生きられない。
誰かとの、関わりを作ることで、生きられる。
だが、そこには、ある種の、不安があった。
それを、見たのである。

それは、孤独である。
万葉集の別の価値は、孤独を意識し始めた、私たちの、先祖たちの、歌である。

それが、あはれ、という、心象風景を、作り上げてゆく。



posted by 天山 at 00:00| 伝統について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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