2009年09月03日

伝統について 33

剣刀 諸刃の利きに 足踏みて 死なば死ぬとて 君に依りなむ

つるぎたち もろはのときに あしふみて しなばしぬとて きみによりなむ

剣の鋭い諸刃を、足で踏んで死ぬとも、あなたに頼って生きます。

熱烈な、恋の告白である。
死ぬなら、死にますという、激しさ。


吾妹子に 恋ひし渡れば 剣刀 名の惜しけくも 思ひかねつも

わがもこに こひしわたれば つるぎたち なのおしけくも おもひかねつも

吾が妹子に、恋続けると、剣太刀の、名が惜しいことも、忘れるほどだ。

恋は、男の命の、剣さえも、忘れさせる。
良いことである。
平和だ。

戦争するより、恋を生きる方が、真っ当である。

朝月の 日向黄楊櫛 旧りぬれど 何しか君が 見れど飽かざらむ

あさつきの ひむかつげくし ふりぬれど なにしかきみが みれどあかざらむ

朝月の、日向の、黄楊櫛のように、古くはないが、どうして、あなたを、見飽きるということが、あろうか。

日向の、黄楊櫛は、珍重されて、古くなるまで、使用するのだ。

好きな人を、見れど飽きないというのは、いつの時代も、そうである。

ずっーと、あなたを、見詰めていたいのである。

里遠み 恋ひうらぶれぬ 真澄鏡 床の辺去らず 夢に見えこそ

さととおみ こひうらぶれぬ まそかがみ とこのへさらず いめにみえこそ

あなたの、里が遠いゆえに、恋心が、うらぶれる、つまり、萎えてしまう。
真澄鏡のように、いつも、床のべの、つまり、眠っている間に、姿を見せて欲しい。

逢えないことが、辛いのである。
恋が萎える、つまり、情熱を失うのではない。
その、情熱が、冷めるのが、怖いのである。

いつの時代も、遠くの恋人は、愛しいものだ。
それは、現代と、万葉時代の人も、変わらないのである。

真澄鏡 手に取り持ちて 朝な朝な 見れども君は 飽くこともなし

ますかがみ てにとりもちて あさなあさな みれどもきみは あくこともなし

真澄鏡を、手に取って、毎朝見るように、いつ見ても、あなたを、見飽きるということはない。

好きな相手を、見飽きるということは、恋が冷めてしまうということ。


夕されば 床の辺去らぬ 黄楊枕 何しかと汝は 主待ちがてに

ゆうされば とこのへさらぬ つげまくら いつしかなは ぬしまちがてに

夕方になると、床のべ、寝床を去らぬ、枕である。
いつまで、お前は、主を待ちかねているのか。

といいつつ、自分が、待つのである。

恋する者の、心は、今も、昔も、変わらないのである。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第10弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

モンテンルパへ 3

ホテルの隣が、コンビニである。そして、何と、その横に、更にスーパーが、出来ていた。
私の大好きなスーパーである。
これで、部屋でも、食事が出来るという状態である。

私の最初にするべきことは、支援と、慰霊のガイドを探すことである。
特に支援物資は、一人では、大変である。助手が、必要。

そこで、まず、ベッドメークの、ボーイと、話してみた。
新しいボーイさんで、24歳。
可愛らしい顔をしている。

色々、片言英語で、話して、解ったことは、一ヶ月働いて、8000ペソから、一万ペソ、つまり、16000円から、二万円である。
彼女がいる。
ぎりぎりの、生活であるから、彼女と、一緒に暮らしていると、察した。

実は、と、私は、支援の話をした。
ガイドを探していると言った。
そして、トンドエリアに、行きたいと言った。
彼は、それに関して、実に無関心だった。というより、トンド地区と、聞いて、ノーと、思ったと、後で、解る。

トンド地区は、地元の人も、敬遠する場所である。

仕事が終わるのは、何時と尋ねても、曖昧だった。
ああ、これは、駄目だと、思った。

冗談で言っていた、売春婦・・・
実は、ホテル前の、売春斡旋の店で、前回、食事をしている。
おじさんに、誘われて、カレーがあると、店に引っ張られた。

翌日、昼過ぎに、店に出向いた。
マネージャーが、私を覚えていた。
すぐに、おばさんが、出てきた。

彼女に、コータが、日本のマフラーをプレゼントした。
要するに、元締めである。

私は、支援の説明をした。
すると、女の子が、集まって来た。

その中に、トンド地区から出てきた女の子が、二人いるという。
更に、モンテンルパにも、行きたいと話した。
二日必要である。

一人の女の子が、日本語が少し出来ると、言う。そして、トンド地区の出である。
その子を、私の横に座らせた。

一日、2000ペソで、二日なら、4000ペソ、8000円である。
売春と同じ料金である。
二日間、彼女をどのように、使用してもいい。

私は、日本語が出来るのが、魅力だった。
それに、ハキハキとして、元気である。
更に、子持ちだった。

ホテルの部屋に来てもらい、支援の打ち合わせをする。
荷物を見せて、何があるのかを、知ってもらい、私は、彼女の、やるべきことを、説明した。

以前は、スーパーの店員をしていて、月、4000ペソ、8000円の収入で、お姉さんの収入と合わせても、やってゆけず、ここに勤めたという。
でも、この仕事も、12月で、辞めるという。

現場で、男女別に、人々を分けて欲しい。そして、あなたは、私が、衣服を渡している写真を撮る。
人が、混乱しないように、指導して欲しいと。

そして、彼女には、部屋に泊まらなくてもいいと、告げた。
あくまでも、ガイドを御願いした。

この、話は、後で、支援の段で、書くので、今は、省略する。

まず、モンテンルパ行きである。

これが、予想に反してしまったのである。

まず、彼女は、店の社長の車を、チャーターするということになっていた。
2500ペソで、行くことにした。

モンテンルパには、彼女のおばさんが住んでいて、日本人の慰霊地に、愛内することにしてもらった。

翌日の朝、11時出発である。

その朝、私は、六時に外に散歩に出た。
そして、ホテルに戻ると、一人の男が、近づいて来て、今日は、モンテンルパですねと、言う。
そうです。
私は、その男が、運転手だと、思い込んだ。
コンビニで、コーヒーを買っていると、その男も、入って来たので、私は、彼の分も、コーヒーを注文した。

外に出て、コーヒーを飲んでいると、彼が、ここから、20分ほどのところに、日本人の墓があるよ、という。もう、誰も、行かないところだよと、言う。
そして、私に、行きましょうと、誘う。

いやーー、すぐは、一寸・・・
20分ですから
そう、じゃあ、準備をするから、10分待っててください

私は、墓に行くために、日の丸と、御幣を作るために、準備していたものを、急いで、袋に入れて、ホテルの前に、出た。

何と、日本人の墓というのは、キリシタン大名で有名な、高山右近だった。
立派な、銅像が建っている。

彼は、キリシタンの信仰を続けるべく、幕府に、ルソン行きを願い出る。
しばし、天草の、有明海の、小島に、謹慎蟄居していた。

実は、その島が、天草四郎で、有名な、天草島原の乱の時の、一揆計画の場所だった。

彼は、そこから、ルソンに出向くことが出来た。
彼については、この日記の趣旨ではないので、省略する。


posted by 天山 at 00:00| モンテンルパへ 平成21年9月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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