2009年09月23日

マニラの悲劇 9

彼女が、部屋から出た後、私は、何となく、急いで、別のホテルに移りたくなった。
本当は、同じ通りにある、ゲストハウスか、元のホテルと、思ったが、一刻も帰国したいと、空港近くまで、出ることにした。

そして、バッグ二つを持ち、タイの寝巻き姿で、外に出た。

自転車のシクロから、声を掛けられるが、私は、ジプニーで、駅まで行こうと思った。
何台も走るジプニーの、どれ乗ればいいのか分からないが、駅に向かう、一台に乗った。

ところで、幾らだったか、忘れた。
向かいの、おじさんに、尋ねた。
7ペソである。14円。

ジプニーの運転手に、ステーションと、伝えた。すると、近くの、ステーションの名を言うので、ああ、大丈夫だと、安心。

駅付近に来ると、同乗している人が、ステーションと、教えてくれる。

荷物をもって、汗だくである。
そのまま、高速鉄道の駅に、登る。

そこで、行き先のキップを買う。
ええとーーー
ガイドブックを取り出して、駅名を告げる。
15ペソ。30円。

44円で、遠い場所まで、行ける。
言葉が、通じなくても、何とかなり、何とかする。
楽しい。

ところが、満席である。
二つの荷物を持った私は、邪魔者であるが、皆、親切である。

何せ、バッグと、貴重品を入れた、肩掛けバッグに、日の丸をつけている。
日本人だから、親切ではなく、私の、格好に、親切なのだろう。
タイの、パジャマ姿である。

途中で、おじさんが、席を譲ってくれるという、行幸。

そして、最終駅に、到着。
昼前である。
そこで、駅ビルの、アメリカンスタイルの、店に入る。

その前に、トイレ。
荷物を、店内に置いて、トイレを探す。

解らない。
ガードマンに聞く。
トイレの前では、ボーイが、お金を取る。
2ペソ。4円。

戻って、注文の列に並ぶ。
すると、注文を聞くボーイが来る。
先に、注文して、その紙を出すのだ。

えーと、あの、と、写真を指差し、二番だから、ツーと、アイスティーね
オッケーと言い、紙を渡される。

それを、持って、順番が来て、差し出す。
スパゲティと、ハンバーグのセットで、70ペソで、アイスティーが、15ペソ。85ペソ。
100ペソを出す。

お釣りを貰って、トレーに出された、物を持って、席に着く。

日本では、決して食べない、餌のような、ハンバーグと、スパゲティである。
一口目は、美味しい。二口目から、不味い。

食べ終わり、アイスティーを飲みつつ、地図を思い出す。
目指すは、ホテル・アパート、つまり、ゲストハウスである。

前回も、ここには、来ている。
バザー、マーケットは、混雑していて、酷い状態の場所。
そこを、抜けて、勘で、歩く。
近道のつもりで、中小路に入る。

それで、勘違いして、逆に歩いていることに、気づかない。
そして、大きな通りに出た。

ゲストハウスを、探しつつ、歩く。目指すアパートはない。しかし、一つ見つけた。

何とかIN and レストランという、看板である。
広い、玄関に入ってみると、ボーイが、飛んで来た。
ようこそ、と、言うように聞こえる。

スティ、オッケーと、聞く。尋ねているつもりである。
オッケー
ボーイが、快く、案内する。

敷地内の入ると、更に広い。真ん中に、何と厨房がある。
不思議な、ゲストハウスである。
勿論、地図には、載っていない。

二階の部屋に通される。
すると、一人のおじさんが、やって来て、料金の説明をする。
兎に角、理解したのは、一泊、1170ペソであること。

ここは、長期滞在型のホテルのようである。
三泊しても、同じ料金で、更に、延泊すると、安くなる。
不思議だ。

ボーイが、エアコンをつけ、テレビをつけて、部屋の中を説明する。
よく解らないが、頷く。
その、ボーイが、実に、可愛らしい。
真剣に説明しているのが、おかしくなる。

そして、私は、説明を終えたボーイに、言った。
ユー、グッド、ボーイ、アフター、カムイン、マイルーム
イッツ、プレイと。
後で、自分が、言ったことを、反芻して、実に、おかしなことを、言ったと、思った。
あんたは、いいボーイ、私の部屋に来て、プレイしよう。つまり、それは、セックスしようという意味になると・・・

通りで、ボーイが、顔を赤らめて、もじもじして、あのー、仕事中ですから・・・
と言った、ように、思う。

しかし、彼は、実に、親切にしてくれた。

更に、驚きは、部屋の鍵をくれないのである。
どういうことか。
何度か、鍵は、と、問うが、なんとかこんとか、で、一階のなんとかと、言われる。

つまり、このホテルは、アメリカ式のモーテルであり、ゲストハウスであり、ラブホテルでもあるのだ。

すべて、一階の、フロントで、管理している。
どこの部屋に誰がいて、今は、部屋にいる、外に出たと、見ているのである。

買い物に出掛けた時も、部屋に鍵をかけないで、いいのである。
サービスも、実によい。
レストランというだけあり、夜の食事を食べたが、美味い。

食事は、すてべ、部屋でする。
レストランという場所は、無い。

更に、驚きは、空港までの、タクシーが無料なのである。
タクシー運転手に、言われた。
あのホテルは、サービス満点さと。

そして、タクシー運転手には、サービスタクシーだから、チップをと言われて、100ペソ出すと、もう一枚と言われ、200ペソ上げた。
メータタクシーに乗れば、200ペソ以内で、行けるはず。
それなら、サービスにならないと、思ったが、仕方ない。

そして、ようやく、帰国である。



posted by 天山 at 00:00| マニラの悲劇 平成21年9月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月24日

マニラの悲劇 10

衣服支援・マニラの悲劇、と、題して、書いたが、ただ、何をしたか、起こったかを、書いているだけである。

私の、屁理屈などは、書いていない。

今回は、前回よりも、深く、マニラの様子を見た。
前回見なかったことも、見た。

色々な問題を、私なりに、考えていた。
それを、書いてゆけば、長文になり、終わらない。

この出来事を、書きつつ、これを、おしまいにしたい。

私は、両替詐欺に引っかかりそうになった。

ある昼間、歩いていると、一人の若い男に、声を掛けられた。
何を言ってるのか解らないので、無視していた。

私を、はじめは、日本人だと、解らなかったようである。
香港とか、何とか言っている。
そのうちに、日本語で、両替できるという。
5300ペソと言った。

日本円は、高くなり、一万円が、5250ペソが、順当である。
50ペソ高いというだけで、興味を持つ。

それで、私は興味があり、彼を見た。
すると、こっち、と言う。
着いていった。

地元の、オープン食堂に、一人の中年の女がいる。
さてと、テーブルを囲んで、奥の席に、座らされた。これも、手である。私をテーブルと、人で、取り囲むのである。

さて、女が出した紙幣は、皆、100ペソ。
男が、一万円より、三万なら、5400ペソと、言う。
いや、一万円で言いと、私は言う。

女は、100ペソを、50枚数えた。それを、10枚づつ、交互に重ねて置く。
このやり方は、バリ島で、よく見ていた。
両替詐欺である。

そして、私が、数えた。確かに、50枚ある。
そして、三枚の、100ペソは、別のところに置く。
すると、女が、もう一度、数えた。
その時、私の向こう側であるから、見えないと、思っているようだが、私は、見ていた。10枚ほどの、紙幣を、二つに折ったのである。それを、上の紙幣で、隠す。

私が、もう一度、数えると言うと、女が、駄目といっているように、聞こえた。

馬鹿。もう解ってんだよ、嘘が。
すると、男が、私に、一万円を出せと、言う。
私は、財布をテーブルの上に置いて、手元でしっかりガードしていた。

さて、私は、詐欺に気づいたので、どのようにして、ここから抜けるかである。
私の左横に座る、女の背中、後ろを通らなければ、出られないのだ。その隙間は、出られると計算して、私は、オッケー、オッケーと、言いつつ、女の後ろを、腹を引っ込めつつ、出た。
そして、オッケーと、言って、その場を、去った。

つまり、オッケーということは、よろしいという意味であり、相手方は、一瞬、気を抜かれる。

私は、そのまま、そこを立ち去った。悠然と、ゴッドファザーのように・・・

そんな手口は、バリ島で、何度も見たわ・・・

経済危機から、マニラも、状況が悪化している。
貧しい国ほど、その影響は、更に大きい。

観光客を、相手にする以外になくなるのである。
その、観光客も、少なくなっている。
高級ホテルより、中級以下のホテルに、泊まる。
ゲストハウスが、プールといわれることがあったので、驚いた。満室なんて・・・

いつでも、ゲストハウスは、一部屋くらい、開いていた。

更に、ストリートチルドレンが、目立つ。

フィリピンは、カトリックの国である。
それは、スペイン統治時代に、決定された。

カトリックは、避妊を嫌い、更に、中絶を罪とする。
とんでもない、時代錯誤の、教えを、平然と、行う。

貧しいカトリックの国を、見回しても、ストリートチルドレンが多い。
一つに、そういう教えの、影響下にあるということ。
出来た子供は、生まなければならないのである。

そして、どうであろう。
私の出掛けた教会の、前の公園、その付近の路地には、そういう子供たちが、溢れる。親がいても、食べることも出来ない子供たちも・・・

毎朝の、ミサ、アベマリアの祈り・・・
私も、何度も、聖堂に入った。

しかし、そこは、外の世界とは、別世界である。

主イエスは、言う、この小さな者たちにすることは、私にすることであると。
ところが、教会は、そして、司祭は、祭壇から、降りることはない。

これ以上の批判は、しないでおく。
諦めている。

貧しい人は、教会にも、入らない。祈りも、しない、出来ない。

貧しい人が死ぬと、遺体を、道端に置いて、カンパを募る。
遺体処理のための、お金が集まるまで、そこに、置かれる。
棺桶に入っているのは、よい方である。

コンドームさえ買えないのであれば、コンドームを配布するように、行政が、考えなければならないだろう。
しかし、フィリピンは、搾取と、汚職の国。
紛れもなく、そういう国である。

更に、カトリックとは、笑わせる。

日本仏教と、同じく、世間と隔絶してある、教会である。

その歌も、鐘の音も、空しく響く。

レイテ島でも、貧しい者は、貧しくあるべくの、法的手段が、採られている。
そのことは、レイテ島のときに書く。

貧しい人々が、生活を向上させるには、暴力を持って他にないと、私は、考えた。
搾取するもの達を、暴力で、排除するしかないのである。

実に、悲しい現実である。
マニラの悲劇は、そこにある。

何人かの、人を、地元の食堂に、連れて、行ったとき、店の人は、嫌がることはない。
本当は、そのようにしたいのである。
だが、それをすることは、出来ない。そんなことをすれば、一日で、商売は、駄目になる。

私が、お金を払うから、客として、対応する。
嫌がることなく。

そして、私に、店の人は、目礼して、感謝している。

助け合いたいのに、それすらも、出来ないでいる。
それが、マニラの悲劇である。


posted by 天山 at 00:00| マニラの悲劇 平成21年9月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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