2009年09月01日

モンテンルパへ

フィリピン慰霊 モンテンルパへ

はじめに
マニラから、南に車で、一時間ほどのところに、モンテンルパという街がある。
そのモンテンルパには、フィリピン最大の、刑務所がある。

私は、戦後の、東京裁判で、B級、C級戦犯となった、兵士たちが、収容されていた、その、モンテンルパの、収容所と、そこで、思わぬ罪を着せられて、処刑された皆様の、追悼慰霊に出掛けた。

勿論、処刑された方々だけではない。その地で、命を落とした、兵士の皆様の追悼慰霊も、執り行った。

東京裁判にて、戦犯とされた、兵士たちは、日本の法律では、無い。
アメリカの指揮する、戦勝国が、敗戦国を裁くという、実に、茶番な裁判によって、決められたものである。

日本の法律に、戦犯という、罪状は無い。

当時の国民も、そのように、考えていた。
それの、一つの例が、モンテンルパである。

実は、このモンテンルパにて、収容されていた兵士が、作詞したものに、最初で最後の、作曲をした、伊藤正康さんが、86歳で、今年の六月に、鎌倉の自宅で、亡くなった。

彼も、そこで、死刑の判決を受けていた。
その死刑の日を、待つ間に、曲を作ったのである。
しかし、彼は、処刑されることなく、帰還できた。
それが、この歌、ああモンテンルパの夜は更けて、である。

彼の、仲間は、無実を訴えても、処刑された。

モンテンルパの夜は更けて
募る思いにやるせない
遠い故郷偲びつつ
涙に曇る月影に
やさしい母の夢を見る

昭和27年、1952年、四月に占領が終わると、各地の戦争裁判の結果、戦犯とされ、服役していた人たちの、早期釈放を求める、国民運動が起こった。

戦地や、収容所の慰問を続けていた、歌手の、渡辺はま子が、ああモンテンルパの夜は更けて、を、歌った。
それによって、フィリピンのモンテンルパに、収容されている、兵士たちの、存在が、国民に知られることになる。

監獄に収容されていた、死刑囚が作詞した歌詞に、国民は、泣いた。

つばめはまたも来たけれど
恋し我が子はいつ帰る
母の心は一筋に
南の空に飛んでゆく
定めは悲し呼子鳥

彼らの、減刑を求める、五百万人の署名が、集まるのである。

翌年、28年7月4日、フィリピン独立記念日にあわせて、元日本兵の、全員釈放が、決まった。更に、減刑されて、巣鴨プリンズに送還されたのである。

その年の、7月22日、モンテンルパ監獄から、釈放されて、故郷日本の、地を踏んだのは、百八名の、元日本兵である。
それを、横浜港で、出迎えたのは、二万八千人という。

誰もが、帰還を喜んだのである。
縁も、ゆかりも無い人たちも、彼らの帰還を、喜んだ。

モンテンルパに朝がくりゃ
昇る心の太陽を
胸に抱いて今日もまた
強く生きよう倒れまい
日本の土を踏むまでは

しかし、作詞した者は、処刑された。

今、戦争を、どうのこうのとの、話ではない。
少なくとも、国のために、戦うという、不可抗力の中で、亡くなった皆様は、その国が、追悼慰霊を篤くするものである。

私は、追悼慰霊の所作なくして、平和運動は、また、無いと、言うものである。

戦争の犯人は、誰かと、左翼、左派の夢見る人々は、犯人探しをする。
しかし、それでは、戦争は、終わらない。
戦争に至るまでの道は、実に、複雑である。

戦争関係の、秘密文書が、どんどんと、公開されている。

東条英機が、天皇に、涙ながらに、戦争をしなければ、日本は、立ち行かないと、迫った。
そして、昭和天皇は、私が、戦争に反対すれば、暗殺されるとも、知っていた。

しかし、国民に、天皇が無くなれば、どんなことになるのかも、天皇は、知っていた。
天皇無くして、日本という国は無いのである。
それが、2600年の伝統日本の、面目である。

今年は、建国2669年である。

敗戦の際も、昭和天皇は、退位せず、国民を救わなければならないとの、使命を持つ。そして、それが、できるのも、天皇だからである。

天皇とは、そのような存在であることを、天皇自身、知っていた。

昭和天皇は、国民を救わんがために、心を砕き遊ばされたと、言う。

史観というものに、囚われると、天皇の姿が、見えなくなる。

どんなに、納得した、論文にても、私が、納得しない部分は、宗教的行為による、慰霊は、どこの国もあり、それを、行うこと、日本も当然である。無宗教施設による、慰霊は、無いという。

しかし、私は言う。

日本は、宗教の国ではない。
伝統の国である。

死者を、奉る行為も、伝統である。

その、伝統を、宗教的と、置き換えてもいいのだが、私は、あえて言う。
伝統の死者に対する、所作を有するのが、日本である。それは、他の、どの国にも無い、伝統であると。

私の、追悼慰霊の行為が、どうしても、宗教、あるいは、宗教的と言われる。つまり、そのカテゴリーにしか、頭が回らないのである。つまり、アホである。

私が、御幣を、作り、言霊の、清め祓いをするのは、伝統である。

更に、言わせてもらえば、日本には、宗教という、概念も、観念も無い。皆無である。

そんな国は、日本以外に無い。
天皇を、上とし、民を、下として、この国は、伝統により、成り立ってきたのである。

かけまくも かしこき
とは、自然に対する、言挙げである。
更に、太陽を、天照と、お呼びする、太陽崇敬と、祖先崇敬の伝統の国なのである。

それは、この国が、島国ゆえに、出来上がった、独特の、伝統である。

更に言えば、死者、祖先は、我々と共に、在るという、心象風景を持つ伝統である。

明治期に、西洋から入ってきた、宗教学なるものは、キリスト教国のものであり、日本には、そのような、詭弁は、無い。

言霊が、音霊、おとたま、に、支えられてあり、音霊は、数霊、かずたま、に支えられてあることを知る民族である。
それを、伝統と、言う。
万葉集を読めば、解ることである。

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2009年09月02日

モンテンルパへ 2

前日の夜に、用意した、お握り。
三個。
ご飯が、残り、もったいないと、タラコも残っていたので、タラコお握り。

朝は、五時に起きて、六時にタクシーを予約していたので、それに乗り、成田行きのバス乗り場へ。
いつも通り。

バスの中では、眠っていた。
何せ、一人で、四個のバッグである。

支援物資は、32キロ。機内への持込は、搭乗手続きの時に決めようと思った。

搭乗手続きで、案の定、オーバーである。
ところが、受付の、お姉さんが、オーバーですね。何か、少し、抜いてください。一枚でもいいですから・・・と言う。

27キロであるから、オーバーである。それで、タオルを、一枚、抜いた。
すると、お姉さんは、帰りは、これでは、無理ですよ、と言う。
大丈夫です。これは、皆、差し上げるものです。
それなら、大丈夫ですね。

機内持込の、バッグと、自分用の、荷物のバッグを、持って、二つ。
うろうろしないで、出国手続きをした。

十分に時間がある。
二時間前である。
喫煙室に入り、タバコを、吸う。
何度も、出たり入ったりをする。
そして、いよいよ、お握りを食べた。

何と、旨い、お握りか。
ダイエーの、割引タラコ入りの、お握りである。

二個食べた。一個が、残る。これは、マニラに着いてから、食べようと思ったが、台北の待ち時間に食べた。
台北の待ち時間が、予定変更で、四時間になった。
四時間待つのは、疲れる。それに、ドルを持っていないと、思っていたので、何も、飲めない、食べられない。
後で、ドルを、持っていたことに、気づくが・・・

漸く、搭乗である。
台北から、マニラまで、三時間程度。
勿論、私のことであるから、決められた席には、座らない。

最後に、搭乗して、空いている、席に座る。
誰もいない、席である。横になって、寝られる席。

後の席が、空いていた。
そこに、座る。そして、寝て、マニラに、到着。

予定時間より遅く、夕暮れのマニラに到着した。
タクシー乗り場で、キップを切るタクシーに乗る。安全だからだ。

しかし、そのタクシー運転手が、事務所に立ち寄ると言う。その、訳が分からないが、そのまま、任せた。
私は、以前泊まった、ホテルの名を言ったのだが・・・

事務所に、着いた。そこで、一度、降りる。
そして、事務所の女に、再度、私の希望するホテルの、通りの名を言う。が、彼女は、別のホテルの、パンフレットを持ち出してきた。

そこで、私は、テーブルを叩いて、Sに泊まる、と、言い切り、外に出た。
運転手は、ソリーソリーと、追いかけて言う。

私は、荷物を、下ろしてもいいと、思った。
だが、運転手が、平謝りするので、再度、通りの名を告げて、ホテル名を、言った。
すると、運転手は、オッケー、ソリーと、何度も言った。

そして、目的のホテルに着いた。
メータータクシーなので、チップなしの、料金を払った。
それでも、運転手は、チップを要求しない。
毅然とした態度が、いい。

ただし、それが、すべてよいという、訳ではない。

私が、タクシーを降りると、ホテルのガードマンや、ポン引きのおじさんたち、その周りにいた人々が、歓迎の歓声を上げた。
私を、皆、覚えていたのである。

荷物を、皆で、運んでくれた。

私の方が、驚いた。

ハウロング スティー
テンデイズ
オッケーオッケー

一泊、1500ペソ、3000円のホテルは、改装していた。
といっても、部分的に、改装して、少しづつ、新しくしている。

以前に、泊まった三階の、別の部屋に案内された。
廊下には、木材が、ある。信じられない状況。

だが、私は、その部屋の広さを、好んでいた。
古いホテルだが、たっぷりとした、空間があった。
今回は、一人なので、ワンベッドルームである。

四人ほど、寝られるベッドが、ドーンと置かれてある。

まずは、一安心。
ここに、四泊する予定である。
ここで、モンテンルパに行き、衣服支援をする。

だが、従業員は、変わっていた。
フロントの人は、皆、顔を知っていたが、それ以外の人は、はじめてである。
兎に角、第二回目の、フィリピン滞在が、はじまった。


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伝統について 32

高山の 峯行くししの 友を多み 袖振らず来ぬ 忘ると思ふな

たかやまの みねゆくししの ともをおみ そでふらずこぬ わすするとおもふな

高山の、峰を行く、けもののように、連れの友が多かったので、袖を振らなかった。しかし、お前を忘れているとは、思うな。

勇ましい恋心である。
袖を振れば、知られてしまう。だから、振らなかったのだ。



大船に 真かぢしじ貫き 漕ぐ間も ここだく恋し 年にあらば如何に

おおふねに まかぢしじぬき こぐほとも ここだくこひし としにあらばいかに

大船の、両端に楫「かじ」を一面に通して、漕ぐ、その櫓「ろ」さばきの僅かな間も、これほどに、恋しい。一年も間があったら、どんな思いか。

細やかな感情を、比喩にて、表現する。

大きな船の、舵を取るために、漕ぐ、楫「かじ」を取る間も、思い出しているのである。それが、一年も、会わずにいたらと思うと、堪らない気持ちだという。

つまり、一瞬も忘れていないと、言いたいのである。
それほど、好きなんだと。


たらちねの 母が養ふ蚕の 繭隠り 隠れる妹を 見むよしもがも

たらちねの ははがかふこの まよこもり こもれるいもを みむよしもがも

たらちねの母が、飼う、かいこが繭「まゆ」にこもるように、家に隠れる、あの娘に、逢う術が、欲しい。

中々、逢うチャンがないのである。
何とか、逢えないか。逢いたい。

大切にされている、娘に逢うための、方法を、探している。
これも、片恋。片思いである。


肥人の 額髪結へる 染木綿の 染みにしこころ われ忘れめや

こまひとの ぬかがみゆへる しめゆふの しみにしこころ われわすれめや

肥人が、額の髪に結ぶ、しのゆふのように、あの人に、染まってしまった、私の心は、忘れられない。

初恋か。
髪が色に染まってしまうように、好きな相手に、心が染まったのである。
もう、忘れられない。

肥、とは、細やかな、という意味。


隼人の 名に負ふ夜声 いちしろく わが名は告りつ 妻とたのませ

はやひとの なにおふよごえ いちしろく わがなはのりつ つまとたのませ

隼人の、名にそむかぬ、夜警の声のように、はっきりと、私は名乗りました。妻として、頼りに、してください。

男の、求愛に対して、女は、はっきりと、自分の名を名乗ったのである。
揺ぎ無い、女の心。
あなたの、妻となります。

恋の成就である。

何とも、気持ちの良いほど、明確な歌である。
頼ってください、着いてゆきます、である。
頼もしい、恋人である。

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2009年09月03日

モンテンルパへ 3

ホテルの隣が、コンビニである。そして、何と、その横に、更にスーパーが、出来ていた。
私の大好きなスーパーである。
これで、部屋でも、食事が出来るという状態である。

私の最初にするべきことは、支援と、慰霊のガイドを探すことである。
特に支援物資は、一人では、大変である。助手が、必要。

そこで、まず、ベッドメークの、ボーイと、話してみた。
新しいボーイさんで、24歳。
可愛らしい顔をしている。

色々、片言英語で、話して、解ったことは、一ヶ月働いて、8000ペソから、一万ペソ、つまり、16000円から、二万円である。
彼女がいる。
ぎりぎりの、生活であるから、彼女と、一緒に暮らしていると、察した。

実は、と、私は、支援の話をした。
ガイドを探していると言った。
そして、トンドエリアに、行きたいと言った。
彼は、それに関して、実に無関心だった。というより、トンド地区と、聞いて、ノーと、思ったと、後で、解る。

トンド地区は、地元の人も、敬遠する場所である。

仕事が終わるのは、何時と尋ねても、曖昧だった。
ああ、これは、駄目だと、思った。

冗談で言っていた、売春婦・・・
実は、ホテル前の、売春斡旋の店で、前回、食事をしている。
おじさんに、誘われて、カレーがあると、店に引っ張られた。

翌日、昼過ぎに、店に出向いた。
マネージャーが、私を覚えていた。
すぐに、おばさんが、出てきた。

彼女に、コータが、日本のマフラーをプレゼントした。
要するに、元締めである。

私は、支援の説明をした。
すると、女の子が、集まって来た。

その中に、トンド地区から出てきた女の子が、二人いるという。
更に、モンテンルパにも、行きたいと話した。
二日必要である。

一人の女の子が、日本語が少し出来ると、言う。そして、トンド地区の出である。
その子を、私の横に座らせた。

一日、2000ペソで、二日なら、4000ペソ、8000円である。
売春と同じ料金である。
二日間、彼女をどのように、使用してもいい。

私は、日本語が出来るのが、魅力だった。
それに、ハキハキとして、元気である。
更に、子持ちだった。

ホテルの部屋に来てもらい、支援の打ち合わせをする。
荷物を見せて、何があるのかを、知ってもらい、私は、彼女の、やるべきことを、説明した。

以前は、スーパーの店員をしていて、月、4000ペソ、8000円の収入で、お姉さんの収入と合わせても、やってゆけず、ここに勤めたという。
でも、この仕事も、12月で、辞めるという。

現場で、男女別に、人々を分けて欲しい。そして、あなたは、私が、衣服を渡している写真を撮る。
人が、混乱しないように、指導して欲しいと。

そして、彼女には、部屋に泊まらなくてもいいと、告げた。
あくまでも、ガイドを御願いした。

この、話は、後で、支援の段で、書くので、今は、省略する。

まず、モンテンルパ行きである。

これが、予想に反してしまったのである。

まず、彼女は、店の社長の車を、チャーターするということになっていた。
2500ペソで、行くことにした。

モンテンルパには、彼女のおばさんが住んでいて、日本人の慰霊地に、愛内することにしてもらった。

翌日の朝、11時出発である。

その朝、私は、六時に外に散歩に出た。
そして、ホテルに戻ると、一人の男が、近づいて来て、今日は、モンテンルパですねと、言う。
そうです。
私は、その男が、運転手だと、思い込んだ。
コンビニで、コーヒーを買っていると、その男も、入って来たので、私は、彼の分も、コーヒーを注文した。

外に出て、コーヒーを飲んでいると、彼が、ここから、20分ほどのところに、日本人の墓があるよ、という。もう、誰も、行かないところだよと、言う。
そして、私に、行きましょうと、誘う。

いやーー、すぐは、一寸・・・
20分ですから
そう、じゃあ、準備をするから、10分待っててください

私は、墓に行くために、日の丸と、御幣を作るために、準備していたものを、急いで、袋に入れて、ホテルの前に、出た。

何と、日本人の墓というのは、キリシタン大名で有名な、高山右近だった。
立派な、銅像が建っている。

彼は、キリシタンの信仰を続けるべく、幕府に、ルソン行きを願い出る。
しばし、天草の、有明海の、小島に、謹慎蟄居していた。

実は、その島が、天草四郎で、有名な、天草島原の乱の時の、一揆計画の場所だった。

彼は、そこから、ルソンに出向くことが出来た。
彼については、この日記の趣旨ではないので、省略する。


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伝統について 33

剣刀 諸刃の利きに 足踏みて 死なば死ぬとて 君に依りなむ

つるぎたち もろはのときに あしふみて しなばしぬとて きみによりなむ

剣の鋭い諸刃を、足で踏んで死ぬとも、あなたに頼って生きます。

熱烈な、恋の告白である。
死ぬなら、死にますという、激しさ。


吾妹子に 恋ひし渡れば 剣刀 名の惜しけくも 思ひかねつも

わがもこに こひしわたれば つるぎたち なのおしけくも おもひかねつも

吾が妹子に、恋続けると、剣太刀の、名が惜しいことも、忘れるほどだ。

恋は、男の命の、剣さえも、忘れさせる。
良いことである。
平和だ。

戦争するより、恋を生きる方が、真っ当である。

朝月の 日向黄楊櫛 旧りぬれど 何しか君が 見れど飽かざらむ

あさつきの ひむかつげくし ふりぬれど なにしかきみが みれどあかざらむ

朝月の、日向の、黄楊櫛のように、古くはないが、どうして、あなたを、見飽きるということが、あろうか。

日向の、黄楊櫛は、珍重されて、古くなるまで、使用するのだ。

好きな人を、見れど飽きないというのは、いつの時代も、そうである。

ずっーと、あなたを、見詰めていたいのである。

里遠み 恋ひうらぶれぬ 真澄鏡 床の辺去らず 夢に見えこそ

さととおみ こひうらぶれぬ まそかがみ とこのへさらず いめにみえこそ

あなたの、里が遠いゆえに、恋心が、うらぶれる、つまり、萎えてしまう。
真澄鏡のように、いつも、床のべの、つまり、眠っている間に、姿を見せて欲しい。

逢えないことが、辛いのである。
恋が萎える、つまり、情熱を失うのではない。
その、情熱が、冷めるのが、怖いのである。

いつの時代も、遠くの恋人は、愛しいものだ。
それは、現代と、万葉時代の人も、変わらないのである。

真澄鏡 手に取り持ちて 朝な朝な 見れども君は 飽くこともなし

ますかがみ てにとりもちて あさなあさな みれどもきみは あくこともなし

真澄鏡を、手に取って、毎朝見るように、いつ見ても、あなたを、見飽きるということはない。

好きな相手を、見飽きるということは、恋が冷めてしまうということ。


夕されば 床の辺去らぬ 黄楊枕 何しかと汝は 主待ちがてに

ゆうされば とこのへさらぬ つげまくら いつしかなは ぬしまちがてに

夕方になると、床のべ、寝床を去らぬ、枕である。
いつまで、お前は、主を待ちかねているのか。

といいつつ、自分が、待つのである。

恋する者の、心は、今も、昔も、変わらないのである。


posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第10弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月04日

モンテンルパへ 4

高山右近像の前で、写真を撮り、再び車に乗った。
私は、そのまま、ホテルに戻ると、思った。が、変だ。どんどん町から遠のくのである。

モンテンルパに行くのは、11時である。

どこに、向かっているの、と、私は、尋ねた。
モンテンルパ
えっ、11時じゃないの・・・

すると、運転手は、ああ、そうだった・・・いや、そうだった・・・

しかし、相当に、走っている。
私は、また、戻り、ホテルから出発するのは、嫌だと思い、いいよー、このまま、行ってくださいと、言った。
運転手は、少し日本語が出来る。

実は、この運転手は、偽者だったのだ。
ガイドを頼んだ、売春婦の女性が、店のマネージャーに相談しているのを、横で聞いていて、その仕事を横取りしたのである。

私は、それを、知らない。
ゆえに、その運転手が、その人だと、思ったのである。

運転手が、言う。
私は、運転も出来るし、日本語も、解るから、女のガイドいらないよ、と。

まあ、それもそうである。

兎に角、私たちは、モンテンルパに向かった。

モンテンルパの街中に入り、刑務所となっている場所を目指した。
運転手は、時々、車を止めて、道を人に尋ねていた。

道は、複雑だった。

そして、ようやく、刑務所の敷地内に、入る。
その時、警備の前で、書類を貰う。

昔は、監獄、今は、刑務所であるが、とても、大きい建物であり、周囲の壁がまた、延々と続く。

そこを通り過ぎて、ようやく、墓地が見えてきた。
その墓地を通り、目指す、日本兵慰霊碑の、庭園がある。

そのが、行き止まりの場所であった。

ああ ああ
やっと、モンテンルパに来た。
あの、歌に歌われた、モンテンルパである。

しばし、私は、感動した。
しかし、慰霊の行為を執り行わなければならないと、準備をはじめた。

日の丸の国旗と、御幣のために、近くの木の枝を折る。
それに、用意していた、御幣飾りの神紙を取り付けた。

運転手に、慰霊の説明をして、写真を撮ってもらう。
その時、一人の男がやってきて、私に、線香を差し出した。

きっと、今までの慰霊の人々が、そのようにしたのであろう。
私は、それは、必要ありませんと、断った。

彼らは、はじめて、見たのであろう。
私の、追悼慰霊の行為である。

霊位を、お祭りする反対を向き、太陽に向かって、神呼びをする。
日の丸と、御幣を掲げて、天照大神を、お呼びする。
そして、祝詞を唱える。

15分ほど、祝詞を唱えて、霊位に、向かい、深く頭を下げて、清め祓いを執り行う。
そして、哀悼の意深くして、お送りの、音霊を、述べる。

しばしの、送りの音霊である。

祝詞は、言霊の所作、音霊は、お送りの所作である。
崇敬の念深くして、霊位を、あるべき場所に、お送りする。
ただし、それは、霊位が、決めること。

靖国に戻られる方、故郷に戻られる方、父母の元に戻られる方。
次元を異にする方、様々である。

また、追悼の思い深くしてある場所であり、すでに、重い想念は無い。

兎も角、私は、ここに来て、その心を、現したのである。

四方を祓い清める時に、運転手が、写真を撮った。

更に、慰霊碑の庭園中央の、英語の記し書きの前で、日の丸と、御幣を持って、ああモンテンルパの夜は更けて、を、歌った。

運転手も、男も、ただ、呆然として、見ていた。
そんなことをした人は、いないのだろう。

歌い終わり、写真を撮ってもらった。

そして、慰霊の儀は、終了した。

庭園を出る時に、その管理者である、老人が出て来た。
そして、署名をと言う。
私は、また、引き返して、亡くなられた方の写真が掛けられてある、東屋の椅子に座り、署名をした。
すると、寄付を御願いされた。
管理をするために、必要なのですと、言われた。
私は、500ペソを一枚出した。すると、老人は、もう一枚と、言う。
もう一枚、出した。合わせて、1000ペソ、2000円である。

二日前にも、どなたかが、慰霊に訪れていた。

ようやく、終わり、車の場所に戻る。
男には、100ペソをチップとして、渡した。
すると、運転手が、駐車料として、出てきた、おばさんに、50ペソの、チップをと、言うので、その通りにした。

名残惜しかったが、車に乗り込んだ。

刑務所の、横を通るとき、黙祷を捧げた。

処刑された方も、帰還された方も、本当にご苦労様でした。
ただ、それだけである。
ただ、そのためだけに、訪ねて来た。

追悼慰霊は、平和を願う者の、当然の行為である。

御国のために、その人生を、また、その人生の一時期を、捧げたのである。
その苦労は、労っても、まだ、足りない。

戦後の人は、ただ、自分のために、生きられた。しかし、あの当時の人は、特に、男たちは、不可抗力である、戦争に駆り出された。

個人的には、抗えない、強制である。

国のために、戦わなければならないこともある。
そこから、逃れて、花実が咲かない時代である。

であるから、国は、最高の礼を尽くして、彼らを崇敬しなければならない。国民も、然り。

先進国で、日本だけが、戦没者の霊位に対して、真っ当できないでいる。
例えば、靖国神社である。
あれは、戦死者を、祭神として、お祭りする、日本の文化と、伝統の粋である。
国内の、マスコミさえも、政治家の参拝を、個人か、公人としてかなどという、馬鹿げた、質問をする。

どこの国でも、それなりの、宗教施設によって、戦死者を、慰霊し、崇敬している。
総理大臣が、参拝して、当然である。
それを、礼儀の知らぬ国が、不快感を表すなど、論外である。

靖国神社の成り立ちを見れば、それは、日本の文化と、伝統であることが、解る。

更に、日本には、戦犯という、罪名は、無い。

東京裁判は、実に、無効である。

もう一言言う。
靖国神社は、宗教施設というより、戦死者の追悼慰霊の、鎮まる社である。

そのように、理解してきた。
要するに、宗教というものを、超越する。
どこの国でも、戦死者に対して、最高の敬意を表するのが、世界の常識である。

無宗教の、追悼施設を建てるという、話は、検討違いも、甚だしい。
それは、日本の伝統文化を、全く理解していない証拠である。

更に、靖国神社には、その名前のみが、掲げられる。

瑣末な宗教団体が、靖国は、神道であると、検討違いを言うのは、全く、日本という国の成り立ちを、知らないか、理解していないのである。

左派、仏教系、キリスト教系の信徒は、国というものを、知らない。
国なくして、宗教も無いのである。

更に、靖国に、奉られることは、憲法違反などという、見解は、アホというしかない。
靖国には、名前だけが、捧げられてある。

日本の伝統は、名前を、ことのほか、貴ぶ伝統文化があるということである。

靖国に出向きたくない、遺族は、十分に、それぞれの方法で、慰霊をすれば、済むことである。

瑣末な宗教団体の、広告塔となっているのみ、である。
実に、あはれ、な、ことである。

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伝統について 34

解衣の 恋ひ乱れつつ 浮沙 生きてもわれは あり渡るかも

とききぬの こひみだれつつ うきまなご いきてもわれは ありわたるかも

解衣、とききぬ、とは、解いた、衣である。
そのように、乱れて恋しつつ、流れに浮く砂のように、生きて、私はゆくのだ。

誰が、歌詠みしたのか、分からない歌を、人の口から、口に伝えられて、万葉恋歌として、残っている。
確かに、似たような歌が、多い。しかし、だからこそ、貴い。

人も、我も、同じ人間である。
人類の進化は、共感能力によって、なったという、説がある。
私は、賛成する。

同じ思い、更に、相手の身になって、考える能力、共感性は、人間だけが、持つ能力である。

解いた布のような、気持ちになり、流れに浮かぶ砂のようにでも、恋して、生きるという。それは、恋すれば、誰もが思うことであろう。

人の体験を、詳しく聞いて、それを、経験に高めることが、できのも、人間である。

この、人間の、能力を、歌い上げたものが、万葉集であり、更に、それが、日本の伝統である。そして、ひいては、人類の伝統となる。

人の口から、口へと伝わるということは、共感に他ならない。

その歌の、心に、共感するから、口から口へと、伝わるのである。

梓弓 引きて許さず あらませば かかる恋には 逢はざらしものを

あづさゆみ ひきてゆるさず あらませば かかるこひには あはざらしものを

梓弓を引いて、緩めずに、心を許さなかったならば、これほど、苦しい恋に、逢わなかったものを。

恋は、苦しい。だから、恋はしない。
そんなことは、出来ない。
それが出来るという人は、余程、偏屈なのだろう。
つまり、宗教というものは、皆、偏屈なのである。
恋を、迷いと、断定して、そこから、離れよと、教える。
更に、貴い人間の、欲望を、否定するのである。

万葉は、欲望を、恵みとして、捉える。
それは、実に、正しい。

言霊の 八十のちまたに 夕占問ひ 占正に告る 妹はあひ寄らむ

ことたまの やそのちまたに ゆふけとひ うらまさにのる いもはあひよらむ

言霊の、満ちた、多くの辻に、夕占を尋ねると、占は、正に言う。あの子は、私に、靡くだろう。

黄昏の時刻に、辻に立ち、行き交う人の言葉を聞いて、それを、占いとして、吉凶を判断する。

実に、楽しい遊びである。勿論、当時は、真剣に、聞いたのである。

玉矛の 路行き占に うらなへば 妹は逢はむと われに告りつる

たまほこの みちゆきうらに うらなへば いもはあわむと われにつのりつる

たまほこの道を、歩いて占うと、あの子は、私に逢うだろうと、その言葉は、伝えた。

じつと、道行く人の言葉を、聞いて、自分の知りたい言葉を捜す。
中には、闇に覆われても、納得した言葉を、聞けないことも、あっただろう。

人間とは、何と、愛しいものだろうか。
その、愛しい行為を、誰も、止めることは、出来ない。
いずれ、年老いて、若き日の、ことが、思い出になる。
そして、人生とは、思い出であると、気づくのだ。

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2009年09月05日

伝統について 35

問答
複数の歌が、一組になった組歌。

皇祖の 神の御門を かしこみと 侍従ふ時に 逢へる君かも

すめらぎの かみのみかどを かしこみと さもらふときに あへるきみかも


真澄鏡 見とも言はめ や玉かぎる 石垣淵の 隠りたる妻

まそかがみ みるともいはめ やたまかぎる いはかきふちの こもりたるつま


大君の、神の御殿を、恐れ多いと、お仕えしていた時に、出会った、あなたである。

真澄鏡のように、見たといえるだろうか。玉の輝く、石垣淵のように、籠もって、逢わない妻は。

見るとも言はめ
強い否定を伴う、疑問であるから、見たと言っても、言わないだろう。
 
真澄鏡のように、曇らずに、はっきりと、見た。つまり、逢った。
それなのに、隠れている。
それは、人に知られることを、恐れるからか。

万葉の恋歌は、人に知られることを、恐れる場面が多い。
何故か。

とても、初心で、純粋な心持。

密やかに、隠しているから、恋が成就するという、感覚を感じる。
人の知るところとなると、恋が破れるという、意識があったのか。


赤駒の 足掻速けば 雲居にも 隠り行かむぞ 袖枕け吾妹

あかこまの あがきはやけば くもいにも かくりゆかむぞ そでまけわぎも


隠口の 豊白瀬道は 常滑の 恐き道そ 恋心ゆめ

こもりくの とよはつせぢは とこなめの かしこきみちそ こいごころゆめ


味酒の 三諸の山に 立つ月の 見が欲し君が 馬の音そ為る

うまさけの みもろのやまに たつつきの みがほしきみが うまのおとそする


赤馬の足が、速いので、ただちに、雲居に隠れるように帰ってしまう。さあ、早く、袖を枕としょう、吾が妹よ。

隠国のとよはつせぢは、いつも、足が滑る、恐ろしい道。恋心に、はやるな、決して。

味酒の、三諸の山に立つ、月のように見たいと思う、あなたの、馬の足音がする。

三諸とは、三輪山である。
神のいらっしゃる山という意識である。

逢引の、様子であり、その心である。
女が男を待つのである。

そして、男が、女を求めて、訪ねる。

互いの心が、向き合うのである。
恋、つまり、魂乞いである。

さらにあり
大和心と
人問わば
恋の心と
魂乞いの それ     天山

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モンテンルパへ 5

モンテンルパから戻り、ホテルに着いたのは、本当の出発の、11時前である。

運転手にお金も渡し、部屋で、ホッとしていると、ドアがノックされた。
ガイドの、女性である。
男も、一緒である。

あれっ
今、モンテンルパから戻ったんだよ
えっ、どういうこと。出発は、11時でしょう

私は、運転手から、貰った、電話番号を出して、この人が、行ってくれたよと、言った。
女性は、知らないと言う。

今度は、私が、どういうこと、と、言った。どうして、あの人は、今日の予定を知っているの
私、言ってない

しかし
あの時、誰かが、この話を聞いていたよねと、連れの男に女が言う。

男が、私が、差し出した、電話番号に、電話する。
そして、しばらく、話し合いが、続いた。

女性は、涙を流した。

どうして・・・

私は、再度、どうして、あの人は、この予定を知っていたのかと、女に、問うた。
しかし、女は、解らないと言う。

要するに、私を連れた男は、仕事を横取りしたのである。

私は、二人に、言った。
このことは、私と、関係ないことだ。あなたたちで、処理して欲しいと。

女は、頷いた。
そして、悄然として、部屋を出て行った。
私は、女に、もう、今日は、これでいいから、一緒に過ごさなくていいと、言った。

彼女に、損は無い。
お金は、払っている。
セックス無しの、とても、良い条件の仕事だった。
更に、彼女は、自分と、同じ店で働く女たちの、子供の衣服を、優先して、私の支援物資から、頂くことが、できたのである。

あの、運転手は、言った。
あの店は、三流の女たちが、いる。皆、子持ちの女だ。
そして、女の取り分は、三割だと、言った。つまり、私が、払った、2000ペソの、三割、600ペソ、1200円が、取り分なのだ。

その次の、二流は、3000ペソ、その上が、4000,5000ペソとなる。
上になると、若くて、美しい女たちである。

それでも、取り分は、三割である。

フィリピンは、売春禁止である。しかし、それを、厳格に規制すると、多くの人は、路頭に迷う。ゆえに、合法的処置が、取られている。

実際、日本人をはじめ、韓国、中国人が、女を買うために、マニラに来るのである。

女は、部屋を出る時、寂しそうに、私に、手を振った。
私も、これで、彼女との、関係は、終わりである。

運転手の男は、折角買ったんだから、セックスしなよと、言った。

だが、私に、それだけの、気力は無い。
慰霊と、支援で、どれほど、疲労するか。

疲れマラという言葉がある。
疲れると、ペニスが、立つというものである。
確かに、疲れマラという、状態は、あるが、実際に、単独で、慰霊と、支援のことをする身には、疲れマラどころではない、疲れがある。

マニラで、支援活動をするということは、地獄に、身を入れるということと、同じである。

兎に角、私は、それで、彼女との関係を、終わった。
そして、それで、良かった。

私に必要なのは、女ではなく、男の協力者である。
支援物資を運ぶのも、力である。

実は、トンド地区に、支援に出掛けた時、彼女が、ガイド役をしたが、役立たずであった。
タクシー運転手が、見かねて、助けてくれたほどである。
これは、後で、書くことにする。

あなたは、いい人と、女は、言った。
確かに、セックスをせず、彼女は、実に、楽に、二日分の、売り上げを得たのである。
勿論、それでも、足りない。
そこで、お客に、たかる。
日本人なら、たかると、まあまあと、金を出すのである。

さて、こうして、モンテンルパの追悼慰霊の儀は、終わった。

最後に、ホテルの、ドアマンである、おじさんが、私に、タクシー代金は、幾らだったと、尋ねた。
2500ペソと言うと、頷いた。

私は、オッケーかと、聞いた。
おじさんは、オッケーと、言った。
つまり、ボラれた訳ではなかった。

ホテルの従業員は、私の行動、活動を理解していた。

とても、親切に、そして、心配してくれていたのである。

レイテ島に出掛ける時も、間違いないタクシーを捕まえて、国内線の、セブ航空だと、伝えてくれた。
要するに、人の心の通う付き合いなのだ。

posted by 天山 at 00:00| モンテンルパへ 平成21年9月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月06日

伝統について 36

雷神も 少し動みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ

なるかみも すこしとよみて さしくもり あめもふらぬか きみをとどめむ

雷が、少しとどろいて、曇り始めた。雨が降らないだろうか。そうすれば、あなたを、引き留められるのに。

何事もない、歌である。
一晩を過ごした、恋人が、朝帰るのである。
もう少し、一緒にいたい、そんな心境である。

雷神の 少し動みて 降らずとも われは留らむ 妹し留めば

なるかみの すこしとよみて ふらずとも われはとまらむ いもしとどめば

雷が、少し轟いて、雨が降ることがなくしても、私は、留まる。妻が、留めるなら。

上記、二首で、組になっている。

そんな、やり取りをする。
今の時代も、同じだろう。
出来るだけ、一緒にいたいのである。
一緒にいても、飽きない。
好きだという、気持ちに、飽きはこない。

しきたへの 枕動きて 夜も寝ず 思ふ人には 逢はむもの

しきたへの まくらとよきて よるもねず おもふひとには あはむもの

しきたえの枕が、動いて、夜も寝られない。思う人に、あとで、逢うからだ。

しきたえ、とは、上等な布で、作った枕である。

逢わずとも、心が通い合うという。
次の歌は、その女の気持ちに、応える歌。

しきたへの 枕に人は 言問へや その枕には 苔生しにたり

しきたへの まくらにひとは こととへや そのまくらには こけむしにたり

しきたへの枕に、人は、言問いをするでしょうか。あなたを恋しているのに、お出でもなく、こちらの枕には、苔が、むしている。

男の方が、女が来ないという。
これは、おかしい。
この男は、女の元に、通わない、口実をいうのか。

いや、男も女も、それぞれの関係で、通い合うのであろう。
妻の元に通う、夫の元に、通う。それぞれの、理由がある。

次は、
正に心緒を述べたる
歌である。
ただにおもひをのべたる
思いを、心緒と、書く。

思いは、心の中に結ぶもの、または、心を結ぶものと、考えた。

漢字は、日本に輸入されて、更に、その意味を深くしたといえる。
漢字は、日本にて、完成したともいえる。

たらちねの 母に障らば いたづらに 汝もわれも 事は成るべし

たらちねの ははにさやらば いたづらに いましもわれも ことはなるべし

たらちねの、母に拘っていたら、あなたも私も、事は、ならないだろう。

母親に、妨げられることで、二人の関係が、成らないのである。
ことはなるべし、が、障らば、ならないのである。

当時は、母親の、思いが、とても強く、影響した。
つまり、母系社会である。

posted by 天山 at 00:00| 伝統について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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