2009年08月29日

伝統について 29

さね葛 のちも逢はむと 夢のみに 祈誓ひわたりて 年は経につつ

さねかずら のちもあはむと いめのみに うけひわたりて としはへにつつ

さね葛のように、後にも逢おうと、夢の中ばかりで、うけいをしつつ、年を過ごしている。

祈誓ひ
うけい、とは、誓いの言葉である。
夢の中だけで、いつも、誓いの言葉を言うと、嘆く。

当時の、喩えは、すべて、自然の中のものである。
葛の蔓が延びることを、逢うと、見立てた。


路の辺の 壱師の花の いちしろく 人皆知りぬ 我が恋妻を

みちのへの いちしのはなの いちしろく ひとみなしりぬ わがこいつまを

路に咲く、いちしの花のように、人は皆、知ってしまった。私の恋しい妻のことを。

人には、隠していたかった。
人の噂が、怖いのである。


大野らに たどきも知らず 標結ひて ありかつましじ わが恋ふらくは

おおのらに たどきもしらず しのゆひて ありかつましじ わがこひふらくは

大野に、訳も解らず、標縄を張ったように、このままではいられない。この恋しさは。

恋する相手を、得たいと思う。そして、しるしの縄を張る行為。
まじないの気分である。

だが、相手からは、何の返答もない。
ただ、その手立てだけを、実行するのが、精一杯なのである。

恋の成就を、願うのは、今も昔も、変わらない。切々として、響いてくる。


水底に 生ふる玉藻の うち靡き 心は寄りて 恋ふるこのころ

みなそこに おふるたまもの うちなびき こころはよりて こふるこのころ

水底にはえる、玉藻のように、しっかりと、心は靡いて、寄るのである。恋しく思う、この頃は。

次第に、相手に恋する気持ちが、芽生えたのである。
今は、片恋である。片思いである。

ここでも、自然の様子に、喩える。
いかに、自然を観察していたかということだ。


敷きたへの 衣手離れて 玉藻なす 靡きか寝らむ 吾を待ちかてに

しきたへの ころもではなれて たまもなす なびきかねらむ わをまちかてに

美しい、衣の袖を、別れ別れに、玉藻のように、靡きあって、寝ているだろうか。私を待ち難く。

これは、相手と、明確に恋仲なのである。
自分を待ち難く、衣の袖を、靡きあわせて、寝ているだろうか。
それは、私を、恋しているからである。

玉藻の、靡きあう様子に、恋の心を、写すのである。

私を待っているというのは、安心感でもある。
相手は、私を好いてくれているのである。

これは、相手が、自分を思い、衣に、自分の存在感を、感じているだろうという、確信である。
深読みすれば、実に、エロスである。



posted by 天山 at 00:00| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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