2009年08月23日

伝統について 23

雲だにも しるくし発たば 心遣り 見つつもせむを 直に逢ふまでは

くもだにも しるくしたたば こころやり 見つつもせむを ただにあふまでは

雲だけでも、はっきりと立てば、それを、見つつ、こころやりを、しようと思うものを。
直接逢うまでは。

雲や、風は、人の存在と、人の息吹と感じていた時代である。
雲を相手に、見立てている。

雲を見て、離れて逢えない、恋する人のことを、こころやり、つまり、逢えないという、憂さを晴らすのである。

雲を見て、憂さを晴らしている。逢うときまでは、である。

亡き人を、雲と、見立てて、歌う、挽歌も多い。

雲や、風という、自然の働きに、人の心、亡き人の霊を、感じるという、能力である。

風が、吹けば、相手の思いが、風になっていると、感じる、感性である。

更に、我が思いが、風になって、相手に伝えよという、心も、起きる。

遠くの、相手に、伝える手段のなかった時代である。
逸る心を、そうして、治めていたのである。


春楊 葛城山に たつ雲の 立ちても坐ても 妹をしそ思ふ

はるやなぎ かつらぎやまに たつくもの たちてもみても いもをしそおもふ


春の楊を、かずらにする、葛城山に、湧き立つ雲のように、立っても、座っても、妻のことを、思う。

素直な歌である。
雲を見て、立っても、座っても、妻を思うというのだ。
通い婚の時代である。

妻の方は、妻の方で、やってくる夫を、待っている。
同じ雲を、見て、それぞれが、思うのである。

少し違う感覚であるが、私は、出掛ける国で、太陽を見て、この太陽を、日本でも、見ている。世界の人が見ていると、思う。
同じ太陽の下で、生きている。

諸々の 人の見るもの 太陽と 思えば思う 日の下の民
太陽の 光届かぬ 所なし 万民浴す 日の光あり

出会った皆さんも、この太陽を見ていることだろうと、連帯感を感じる。

これは、万葉の心に、近い感覚。


春日山 雲居隠りて 遠けども 家は思はず 君をしそ思ふ

かすがやま くもいかくりて とほけれど いえはおもはず きみをしそおもふ

春日山が、雲に隠れて、遠い。こうして、家には遠いが、家のことより、あなたのことを、思うのである。

注釈では、旅に出た者の、歌とある。

段々と、家は、遠くなるが、家よりも、あなたのことを、思うのである。

何の、作為もない歌である。
素直に歌う。

ただ、そのままを、歌う。
古今が、出るまで、そのように、素直だった。
古今、新古今も、また、それぞれの時代性を、歌う。共に、よし。




posted by 天山 at 00:00| 伝統について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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