2009年08月20日

伝統について 20

隠沼の 下ゆ恋ふれば すべを無み 妹が名告りつ 忌むべきものを

こもりぬの しもゆこふれば すべをなみ いもがなのりつ いむべきものを

こもりぬの下に、籠もるように恋していると、どうしようもない気持ちになり、妻の名を告げてしまった。それは、言ってはいけないことなのに。


名を名乗ることは、当時、大変なことだった。
名を名乗ることは、相手に、我が身を許すこと。
この場合は、妻の名を言ってしまったことの、重大さである。

言ってはいけないことだった。
それほど、名を名乗る、名を言うというのは、重大なこと。

大地も 採り尽さめど 世の中の 尽し得ぬものは 恋にしありけり

おほつちの とりつくさめど よのなかの つくしえぬものは こいにしありけり

大地の土でも、採り尽くすことがあろうが、世の中で、採りつくすことが、出来ないものは、恋の心尽くしだ。

恋の心には、際限が無い。
思っても、思っても、これでいいということは、無い。
人を好きになるという、感情、気持ちは、一体なんだろうか。
それが、不思議であると、当時の人も思う。

物思いとは、恋心なのである。
何故、人は、恋に陥るのか。

人は、人によって人になる。
男は、女によって男になる。その逆も、である。
説明抜きに、そのようである。

隠処の 沢泉なる 岩根をも 通して思ふ わが恋ふらくは

こもりどの きはたつみなる いわねをも とおしておもふ わがこいふらくは

人目に、つかない、沢の泉の、岩根までも、通し貫くほどの、我が恋の激しさ。

その思いは、岩根をも、通すという、激しい恋心である。
それほど、思うのである。

つまりは、死を賭けても、恋するのである。
恋に死ぬ。

小細工した、心では、このような、恋などしない。
小細工、つまり、性欲、欲望の恋である。

恋する相手は、命を、賭ける相手である。
人は、最も、大切なものに、命を賭ける。

捧げ尽くして、納得し、満足する。

その恋の、相手に相応しくなろうとする、心。
それを、あはれ、という。

あはれ、の、心象風景は、恋心にある。

時に、男は、それが、大義に向かうこともあり、女は、子供を守ることに、向かうこともある。

人が生きられるのは、あはれ、なのである。
大和心とは、あはれの心。

万葉人が、行き着いた、あはれ、の、心象風景を、平安期は、物語として、表現し、更に、歌道は、いつも、あはれ、という、心象風景を持って、続けられてきた。

日本人とは、歌道にある、あはれ、を、見つめて生きるのである。

言霊とは、それなのである。




posted by 天山 at 00:00| 伝統について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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